今日8日は、市当局は、代表質問に対する答弁打合会だ。この日を活用して視察報告を進める。
ヘニングスドルフ市営バイオマス給湯・発電所から、一路エネルギー村と称されるフェルトハイムに向かった。道路上からは、田園風景に混じって林立する風車の風景が目に飛び込んできた。エネルギーを生産する村フェルトハイム「原っぱの村」だ。
◆エネルギー村フェルトハイム視察
ブランデンブルク州のビーダーマンさん、ヤコブさんに伴われて、我々は再生可能エネルギー電力会社「Energiequelle(エネルギークヴェレ」のフェルトハイム事務所へとやってきた。事務所では、広報担当のAさんが、フェルトハイムの取り組みの経過、エネルギーの循環利用の概要について説明してくれた。個々での研修のために、我々団は130ユーロほどを支払った。ここには、先日反原発で有名になった俳優の山本太郎が訪問したそうだ。我々が視察にやってくると聞きつけたドイツ国営第一放送が取材にやってきているではないか。カメラでの取材の了解を求められ、了解して視察に入った。
以下、広報担当Aさんのレクチャー
【エネルギー村としての出発から】
フェルトハイムは、人口が140人ほどの小さな村で、農地と農家の集落だ。1995年に売電を目的に個人が初めて村に風力発電の風車を1基建設した。これが始まりだった。それが今日43基、時間当たり75メガワットの発電能力を備える、年間400万キロワットの風力発電の拠点になった。Energiequelleが村の土地を借り発電施設を所有している。
元々村は牛豚生産を中心とする畜産業だったが、農業協同組合が管理する1700ヘクタールの土地からの収益性が低下し、農地が遊休状態になった。そこで、2008年に休耕地を利用してバイオガスの生産施設を完成させた。生産していたトウモロコシからバイオエタノールを作って地域内で燃料として使うことをしていたが、バイオガスが発生する際に出る発酵熱をどう活用するかを県と言うし、バイオガスにより年間14万メガワットに相当する温水を生産し、それを養豚場に給湯する再生エネルギー循環システムを取り入れることにした。それで残る熱はさらに発電に利用し、電力としても各戸に送ることになった。アラブやロシアからエネルギーを買っていたが、それが必要なくなり、遠くから送られてきていた電気も自給できるようになった。村が必要とする年1000メガワット以外に15万9000メガワットを他地域に送電し、Energiequelleを通じて売電収益も得ることになった。エコロジーはエコノミーでもある。
【エネルギー村の運営】
エネルギー村は、村人たちが我々と協議し、構想していったものでもある。ブランデンブルク州からの支援金、EUからの支援金によって、バイオガス工場と各戸をつないでセントラルヒーティングのシステムを構築した。また、Energiequelleの風力発電からの電気も各戸に送られている。無風の時は、バイオガスモーターによるバイオマス発電でエネルギーを確保する。供給の安定化のために、名古屋のND社製作のバッテリーも設置している。
バイオマスの原料は、し尿、トウモロコシそして木材チップだ。9万リットルの二つのタンクに貯蔵している。
これらで村のエネルギーは自給システムになっている。その上、経済的だ。村の人々は、風力電力は、通常価格の20~30%の価格割引で買電できている。平均キロワット当たり24セントが16セント程度に。また、村の勤め人30人の内6人
がEnergiequelleの風力発電施設に雇用されてもいる。
【風車の概況】
風車は、500キロワットの小風車と2メガワット(2000キロワット)の大風車がある。大風車は高さ100メートルで、羽根の幅は半径75メートルだ。送電線は地下配線だ。これらが年間2000時間ぐらい稼働している。
【Energiequelleと村との関係】
Energiequelleは1997年に今流に言うと発電のベンチャーとして設立された民間会社だ。センターに20人、施設現場に10人が働く。Energiequelleは村人から土地を借り、風力発電機を設置している。土地代は20年契約で、電力割引の恩典も受けている。村にとっては農業外収入だ。ドイツでは法律で風車は民家から1500メートル離れていないといけない。このフェルトハイム周辺の田園地帯は立地条件に恵まれていて、他社の風力発電機も加えると100基以上は設置されている。共存共栄だ。
私は彼から説明を受けながら、施設を見回っているときに聞いてみた。このベンチャー会社は、脱原発再生エネルギーで社会的に貢献する志で経営されているのかと。答えは素直だった。「ううん、マネーだ。(笑)」経済的動機と目標の社会便益をバランスよく両立させるのが、市場経済の中での社会施策ということになるのだ。
【ドイツ国営第1放送の取材】
事務所でのレクチャーを屋外で待っていた取材陣は、屋外に出てきた我々にテレビカメラを向けた。大風車の内部を見学した後、インタビューを要請してきた。代表して私がカメラの前に立った。質問は簡単だ。「なぜわざわざドイツまでエネルギー事情を視察に来たのか。」
私の答えは、福島第一原発の過酷事故のただ中にあって、日本の社民党や市民団体は脱原発の実現を切望している。チェルノブイリとフクシマの原発事故を教訓に脱原発を政策化し、再生可能エネルギーの開発に努力している先達のドイツに敬意を表している。ドイツの進んだ政策に学んで日本での再生可能エネルギー転換の参考にしたいということだ。インタビュアーはいたく首を縦に振って、取材を終了した。固い握手を交わして。ドイツ国営第一放送は日本では放映されないようだ。配信されているのは第2放送だそうだ。
午前中のブランデンブルク州エネルギー政策担当ハインリッヒ博士のレクチャーでは、ドイツの再生可能エネルギー開発は困難な山だらけのような話でもあった。しかし、こうして現場に立つと、構想の大きさ、思い切った投資、それを支える資金環流のしくみ、地域での循環システムからのエネルギー供給、地産地消とさらにそれを上回るエネルギー生産が現実化している。彼我の距離は総統に大きい。
送電会社の別会社化(発送電の分離)が制度化している。省エネ住宅政策、市を単位としたセントラルヒーティング網。目標を定めたら一歩一歩堅実に確実に歩を進める。そんなドイツらしさも実感するものだった。
さあ、視察報告もあとひとつローザ・ルクセンブルク財団への訪問と懇談を残すまでになった。
ヘニングスドルフ市営バイオマス給湯・発電所から、一路エネルギー村と称されるフェルトハイムに向かった。道路上からは、田園風景に混じって林立する風車の風景が目に飛び込んできた。エネルギーを生産する村フェルトハイム「原っぱの村」だ。
◆エネルギー村フェルトハイム視察
ブランデンブルク州のビーダーマンさん、ヤコブさんに伴われて、我々は再生可能エネルギー電力会社「Energiequelle(エネルギークヴェレ」のフェルトハイム事務所へとやってきた。事務所では、広報担当のAさんが、フェルトハイムの取り組みの経過、エネルギーの循環利用の概要について説明してくれた。個々での研修のために、我々団は130ユーロほどを支払った。ここには、先日反原発で有名になった俳優の山本太郎が訪問したそうだ。我々が視察にやってくると聞きつけたドイツ国営第一放送が取材にやってきているではないか。カメラでの取材の了解を求められ、了解して視察に入った。
以下、広報担当Aさんのレクチャー
【エネルギー村としての出発から】
フェルトハイムは、人口が140人ほどの小さな村で、農地と農家の集落だ。1995年に売電を目的に個人が初めて村に風力発電の風車を1基建設した。これが始まりだった。それが今日43基、時間当たり75メガワットの発電能力を備える、年間400万キロワットの風力発電の拠点になった。Energiequelleが村の土地を借り発電施設を所有している。
元々村は牛豚生産を中心とする畜産業だったが、農業協同組合が管理する1700ヘクタールの土地からの収益性が低下し、農地が遊休状態になった。そこで、2008年に休耕地を利用してバイオガスの生産施設を完成させた。生産していたトウモロコシからバイオエタノールを作って地域内で燃料として使うことをしていたが、バイオガスが発生する際に出る発酵熱をどう活用するかを県と言うし、バイオガスにより年間14万メガワットに相当する温水を生産し、それを養豚場に給湯する再生エネルギー循環システムを取り入れることにした。それで残る熱はさらに発電に利用し、電力としても各戸に送ることになった。アラブやロシアからエネルギーを買っていたが、それが必要なくなり、遠くから送られてきていた電気も自給できるようになった。村が必要とする年1000メガワット以外に15万9000メガワットを他地域に送電し、Energiequelleを通じて売電収益も得ることになった。エコロジーはエコノミーでもある。
【エネルギー村の運営】
エネルギー村は、村人たちが我々と協議し、構想していったものでもある。ブランデンブルク州からの支援金、EUからの支援金によって、バイオガス工場と各戸をつないでセントラルヒーティングのシステムを構築した。また、Energiequelleの風力発電からの電気も各戸に送られている。無風の時は、バイオガスモーターによるバイオマス発電でエネルギーを確保する。供給の安定化のために、名古屋のND社製作のバッテリーも設置している。
バイオマスの原料は、し尿、トウモロコシそして木材チップだ。9万リットルの二つのタンクに貯蔵している。
これらで村のエネルギーは自給システムになっている。その上、経済的だ。村の人々は、風力電力は、通常価格の20~30%の価格割引で買電できている。平均キロワット当たり24セントが16セント程度に。また、村の勤め人30人の内6人
がEnergiequelleの風力発電施設に雇用されてもいる。
【風車の概況】
風車は、500キロワットの小風車と2メガワット(2000キロワット)の大風車がある。大風車は高さ100メートルで、羽根の幅は半径75メートルだ。送電線は地下配線だ。これらが年間2000時間ぐらい稼働している。
【Energiequelleと村との関係】
Energiequelleは1997年に今流に言うと発電のベンチャーとして設立された民間会社だ。センターに20人、施設現場に10人が働く。Energiequelleは村人から土地を借り、風力発電機を設置している。土地代は20年契約で、電力割引の恩典も受けている。村にとっては農業外収入だ。ドイツでは法律で風車は民家から1500メートル離れていないといけない。このフェルトハイム周辺の田園地帯は立地条件に恵まれていて、他社の風力発電機も加えると100基以上は設置されている。共存共栄だ。
私は彼から説明を受けながら、施設を見回っているときに聞いてみた。このベンチャー会社は、脱原発再生エネルギーで社会的に貢献する志で経営されているのかと。答えは素直だった。「ううん、マネーだ。(笑)」経済的動機と目標の社会便益をバランスよく両立させるのが、市場経済の中での社会施策ということになるのだ。
【ドイツ国営第1放送の取材】
事務所でのレクチャーを屋外で待っていた取材陣は、屋外に出てきた我々にテレビカメラを向けた。大風車の内部を見学した後、インタビューを要請してきた。代表して私がカメラの前に立った。質問は簡単だ。「なぜわざわざドイツまでエネルギー事情を視察に来たのか。」
私の答えは、福島第一原発の過酷事故のただ中にあって、日本の社民党や市民団体は脱原発の実現を切望している。チェルノブイリとフクシマの原発事故を教訓に脱原発を政策化し、再生可能エネルギーの開発に努力している先達のドイツに敬意を表している。ドイツの進んだ政策に学んで日本での再生可能エネルギー転換の参考にしたいということだ。インタビュアーはいたく首を縦に振って、取材を終了した。固い握手を交わして。ドイツ国営第一放送は日本では放映されないようだ。配信されているのは第2放送だそうだ。
午前中のブランデンブルク州エネルギー政策担当ハインリッヒ博士のレクチャーでは、ドイツの再生可能エネルギー開発は困難な山だらけのような話でもあった。しかし、こうして現場に立つと、構想の大きさ、思い切った投資、それを支える資金環流のしくみ、地域での循環システムからのエネルギー供給、地産地消とさらにそれを上回るエネルギー生産が現実化している。彼我の距離は総統に大きい。
送電会社の別会社化(発送電の分離)が制度化している。省エネ住宅政策、市を単位としたセントラルヒーティング網。目標を定めたら一歩一歩堅実に確実に歩を進める。そんなドイツらしさも実感するものだった。
さあ、視察報告もあとひとつローザ・ルクセンブルク財団への訪問と懇談を残すまでになった。