2015年6月7日(日) 晴のち曇 (佐呂間町・「旅人宿さろまにあん」
~湧別町・五箇山キャンプ場)
4時40分、出発。久しぶりの青空。やや寒く、ダウンを着用し、国道238号線(オホーツク国道)を西へ。
4時45分、浜佐呂間バス停横に、佐呂間町観光案内板。
稚内まで282㎞。
4時55分、佐呂間別川。上流方面。
下流方面、奥はサロマ湖。
川の名の由来――アイヌ語のサロマペツ(葭原のある川)が源名、と。
佐呂間大橋の上より、朝日。
坂を上りきると、
5時5分、左手、田園地帯。
5時50分、幌岩神社の反対側に、閉校になった幌岩小・中学校。
「愛郷学友」の碑と、
幌岩開拓の由来。
6時10分、日本最大の汽水湖である佐呂間湖へ。西より徐々に雲が広がる。
ハマエンドウ。
6時15分、駐車スペースに説明板あり。川の名の由来――昔は単にト(沼)と呼ばれていたが、湖の東南から佐呂間別川が入っているので、和人が、その名を取ってサロマ湖と呼んだらしい。佐呂間別川はアイヌ語のサロマペツ(Sar-oma-pet 葭原に・ある・川)が源名、と。「サロマ湖 Lake Saromako」とあるのに「川の名の由来」とあるのが、なんか可笑しい。
このあたり、小さな羽虫が大量発生していてすさまじい。顔にバチバチ当たり、目といわす、鼻といわず、口といわず、まとわりついてまるで人間蚊柱状態。ちょうど、奥只見のメジロアブにまといつかれたような具合。ただ、こちらは刺すわけではないのが救いか。道路の反対側のイタドリのそばでは平気なので、どうやら湖岸の堆積物が発生源のようだ。なんとも、なんともな1㎞ばかりだった。
6時30分、雲広がる。
7時、いったん、湖から離れて、
花の写真を撮りつつ行き、
7時50分、「道の駅 サロマ湖」。建物は開いておらず、ただただ寒いのですぐ出発。
8時5分、ふたたび湖沿い進む。遠くの方は青いんだが‥‥
8時35分、「密漁禁止」看板。サロマ湖で獲れるものは、ホタテ貝、ツブ(貝)、アサリ、エビ、ナマコ、ウニ、などか。
9時5分、床丹川、上流方面。
下流方面。
床丹橋を渡っていくと、
9時20分、湧別町に入る。湖から離れて内陸部に来たら、とたんにアップダウンが多い。
9時40分、計呂地川を渡る。下流側。
計呂地橋。
道道685号線と合流し、
10時10分、計呂地交通公園手前で弁当を買い、交通公園へ。
計呂地交通公園は、旧湧網線の計呂地駅を利用して作られたもので、蒸気機関車 C58と客車などが展示されている(簡易宿泊施設あり)。
鉄道資料展示室は、鍵が掛っていたが、張り紙通りに電話をしたら、管理員がすぐ来て開けてくれた。
管理員さんは元国鉄労働者で、国鉄分割民営化の時のことを話してくれた。当時、北海道の鉄路が標的にされ、羽幌線、名寄線、湧網線などが軒並みつぶされて、真ん中の宗谷線一本になってしまった。残念ながら実現せずに終わってしまったが、興浜線が開通していれば、札幌から留萌、羽幌、稚内、天北線、そして、興浜線でオホーツク海沿岸を網走までつなげれば、一大観光路線として、赤字の解消にもなったのではなかろうか、だがその前に中曽根にやられてしまった、と無念そうに言っていた。
彼の話を聞いたり、当時使用された様々な展示物を眺めたりしていたら、あっという間に30分以上たってしまった。
SL3重連。
計呂地駅の沿革。
展示室のそばに、「計呂地 開拓百年記念碑」があった。
11時、歩きはじめたら、若いチャリダーと出会い、「ご苦労さん」「頑張って」とエール交換。
11時15分、ふたたびサロマ湖岸を歩く。相変わらず遠くの方は青いのだが。
11時20分、今度は外人2人組の自転車乗り。「コンニチワー」なんて言われた。
11時30分、「愛ランド湧別 道の駅」。スピーカーからの大音量に即刻退散。
12時30分、馬路川、上流方面。
下流方面。
馬路橋。
その後、左右が緑の中を歩くのはいいのだが、上を見るといやな色の雲がますます広がり始める。
こりゃ、昨日の二の舞か、と思ったが、しばらくしてようやく薄日が差してきた。
田園地帯を歩いて、
14時50分、五箇山キャンプ場へ。
最近、子供園地でクマが出たとのことで、テント用のフリーサイトは危ないからと、フリーサイト料金で3000円のログキャビンに泊まれることになった。宿泊、500円。野鳥の声しきりなり。
ケータイの天気予報では、向こう1週間は、明日の夜だけ一時晴マークで、あとは雲と傘のマークばかり。宗谷岬までこんな天気の中を行くことになるのかなぁ。でも、前回もサロベツ原野からずっと雨と曇だったが、宗谷岬では晴れたので、ひょっとして今回も‥‥。
2015年 第68日(佐多岬より130日)
歩数 57506歩 (佐多岬より累計 6634059歩)
距離 36.5㎞ (佐多岬より累計 4430㎞)
費用 1370円 (佐多岬より累計 592379円)
~湧別町・五箇山キャンプ場)
4時40分、出発。久しぶりの青空。やや寒く、ダウンを着用し、国道238号線(オホーツク国道)を西へ。
4時45分、浜佐呂間バス停横に、佐呂間町観光案内板。
稚内まで282㎞。
4時55分、佐呂間別川。上流方面。
下流方面、奥はサロマ湖。
川の名の由来――アイヌ語のサロマペツ(葭原のある川)が源名、と。
佐呂間大橋の上より、朝日。
坂を上りきると、
5時5分、左手、田園地帯。
5時50分、幌岩神社の反対側に、閉校になった幌岩小・中学校。
「愛郷学友」の碑と、
幌岩開拓の由来。
6時10分、日本最大の汽水湖である佐呂間湖へ。西より徐々に雲が広がる。
ハマエンドウ。
6時15分、駐車スペースに説明板あり。川の名の由来――昔は単にト(沼)と呼ばれていたが、湖の東南から佐呂間別川が入っているので、和人が、その名を取ってサロマ湖と呼んだらしい。佐呂間別川はアイヌ語のサロマペツ(Sar-oma-pet 葭原に・ある・川)が源名、と。「サロマ湖 Lake Saromako」とあるのに「川の名の由来」とあるのが、なんか可笑しい。
このあたり、小さな羽虫が大量発生していてすさまじい。顔にバチバチ当たり、目といわす、鼻といわず、口といわず、まとわりついてまるで人間蚊柱状態。ちょうど、奥只見のメジロアブにまといつかれたような具合。ただ、こちらは刺すわけではないのが救いか。道路の反対側のイタドリのそばでは平気なので、どうやら湖岸の堆積物が発生源のようだ。なんとも、なんともな1㎞ばかりだった。
6時30分、雲広がる。
7時、いったん、湖から離れて、
花の写真を撮りつつ行き、
7時50分、「道の駅 サロマ湖」。建物は開いておらず、ただただ寒いのですぐ出発。
8時5分、ふたたび湖沿い進む。遠くの方は青いんだが‥‥
8時35分、「密漁禁止」看板。サロマ湖で獲れるものは、ホタテ貝、ツブ(貝)、アサリ、エビ、ナマコ、ウニ、などか。
9時5分、床丹川、上流方面。
下流方面。
床丹橋を渡っていくと、
9時20分、湧別町に入る。湖から離れて内陸部に来たら、とたんにアップダウンが多い。
9時40分、計呂地川を渡る。下流側。
計呂地橋。
道道685号線と合流し、
10時10分、計呂地交通公園手前で弁当を買い、交通公園へ。
計呂地交通公園は、旧湧網線の計呂地駅を利用して作られたもので、蒸気機関車 C58と客車などが展示されている(簡易宿泊施設あり)。
鉄道資料展示室は、鍵が掛っていたが、張り紙通りに電話をしたら、管理員がすぐ来て開けてくれた。
管理員さんは元国鉄労働者で、国鉄分割民営化の時のことを話してくれた。当時、北海道の鉄路が標的にされ、羽幌線、名寄線、湧網線などが軒並みつぶされて、真ん中の宗谷線一本になってしまった。残念ながら実現せずに終わってしまったが、興浜線が開通していれば、札幌から留萌、羽幌、稚内、天北線、そして、興浜線でオホーツク海沿岸を網走までつなげれば、一大観光路線として、赤字の解消にもなったのではなかろうか、だがその前に中曽根にやられてしまった、と無念そうに言っていた。
彼の話を聞いたり、当時使用された様々な展示物を眺めたりしていたら、あっという間に30分以上たってしまった。
SL3重連。
計呂地駅の沿革。
展示室のそばに、「計呂地 開拓百年記念碑」があった。
11時、歩きはじめたら、若いチャリダーと出会い、「ご苦労さん」「頑張って」とエール交換。
11時15分、ふたたびサロマ湖岸を歩く。相変わらず遠くの方は青いのだが。
11時20分、今度は外人2人組の自転車乗り。「コンニチワー」なんて言われた。
11時30分、「愛ランド湧別 道の駅」。スピーカーからの大音量に即刻退散。
12時30分、馬路川、上流方面。
下流方面。
馬路橋。
その後、左右が緑の中を歩くのはいいのだが、上を見るといやな色の雲がますます広がり始める。
こりゃ、昨日の二の舞か、と思ったが、しばらくしてようやく薄日が差してきた。
田園地帯を歩いて、
14時50分、五箇山キャンプ場へ。
最近、子供園地でクマが出たとのことで、テント用のフリーサイトは危ないからと、フリーサイト料金で3000円のログキャビンに泊まれることになった。宿泊、500円。野鳥の声しきりなり。
ケータイの天気予報では、向こう1週間は、明日の夜だけ一時晴マークで、あとは雲と傘のマークばかり。宗谷岬までこんな天気の中を行くことになるのかなぁ。でも、前回もサロベツ原野からずっと雨と曇だったが、宗谷岬では晴れたので、ひょっとして今回も‥‥。
2015年 第68日(佐多岬より130日)
歩数 57506歩 (佐多岬より累計 6634059歩)
距離 36.5㎞ (佐多岬より累計 4430㎞)
費用 1370円 (佐多岬より累計 592379円)