2015年6月5日(金) 雨一時晴 (小清水町・「はなことりの宿ユースホステル」~網走市・卯原内交通公園)
5時20分、ユースの窓から見た濤沸湖。
オーナーが飼っている羊たち。雨が小降りになり、外に出て草を食む。
7時40分、出がけに急に雨が強くなり、出発に手間取った。
国道244号線まで戻り、湖に沿って西へ。
8時15分、湖畔の放牧地。
8時20分、駐車場の奥に展望牧舎への通路があるので行ってみるが、
まだシーズン前らしく、誰もおらず。花の写真だけ撮ってきた。
シモツケソウ、
ハマナス、
8時35分、前方から、カートをひいて歩いてくる男性がおり、情報交換のため立ち話。70歳の東京の人で、4月1日に千歳から歩きはじめ、札幌、旭川と北上して宗谷岬にいたり、以後はオホーツク海に沿って南下してきた、とのこと。宿には泊まらずすべて野宿、という元気な人だった。初めて歩き旅の人に出会ったと喜んでいた。握手で別れたが、無視する人もいれば、感激する人もいる、いろいろである。そういえば、昨日ユースで、例の旅人の話をしたところ、オーナー夫人も見かけたようで、浜小清水駅にロープを張って洗濯物を干していた、とか。オーナーの見立ては‥‥「世捨て人」。
その後も、強風の中を歩く。
9時ごろより、雨がひときわ強くなり、ゴア雨具は浸透してくるし、かつ向い風の強風のため、歩行は難儀をした。
JR原生花園駅にて、雨宿り休憩。雨のためか館内に観光客多し。
雨の見通しが立たず、ふたたび歩き出し、
10時10分、濤沸橋をわたり、網走市に入る。
10時25分、JR北浜駅手前、「夢海道オホーツク」。セイコマでおにぎりを食べ、
JR北浜駅。このころから、右手遠方に雲の切れ目が現れ、一気に青空が広がった。
線路わきにエゾカンゾウ。
10時55分、左に藻琴湖。
オホーツク海岸を行くJR釧網本線。
ハマエンドウ。
11時、藻琴橋を渡る。
11時10分、JR藻琴駅。
11時40分、JR鱒浦駅。1月に改築されたばかりの新駅舎。
止別駅より、北浜駅、藻琴駅、と風雪に耐えてきた木造駅舎の風格が印象的だった。鱒浦駅がいつの日にかそうなるだろうか。
11時55分、パーキングの展望所より。
12時5分、雲は去り、空青し、海青し、波白し、風強し。前方に網走市街。市役所まで4㎞。
12時35分、網走港。
「屯田兵上陸の地」碑あり。
明治30年(1897年)、兵員597名とその家族が、この地より上陸。
北方の防備と拓地殖産の使命を帯びて、と。
13時、網走市役所前を通過。
13時5分、「凝洋風建築の流れを受け継ぐ貴重な遺構」永専寺の山門。
13時20分、JR網走駅前を通過。左はモヨロ人(オホーツク人)漁師の像。
一番はじめの計画では、「博物館 網走監獄」なども見学するつもりであったが、足の状態を考慮し、宗谷岬到達を最優先課題としたため、残念ながら見学は割愛。そのまま西へ向かう。
14時、大曲駐輪場にある「湧網線跡」の碑。湧網線は、網走と中湧別を結び、「道内随一の車窓の景観美」と言われたが、昭和62(1987)年、赤字線整理のため廃止された。
廃線跡は、「網走常呂自転車道線」(一般道道1087号線)。国道238号線にそって走っており、静かなので国道をやめてこちらを辿る。ふたたび雨が降り出す。
14時5分、網走川を渡る。
川の名の由来――アイヌ語で「網走」の原語ア・パ・シリ(我らが・見つけた・土地)やアパ・シリ(入り口の地)、チ・パ・シリ(われわれが・発見した・土地)神鳥がチパシリ!チパシリ!と鳴いたという伝説から名づけた等諸説紛々としている、と。
以後、花の写真を撮ったり、樹間の網走湖を見たりして、緑の中を歩く。雨、ときどき降った。
タチツボスミレ。
網走湖。
16時35分、近くのセイコマで食料を調達し、卯原内交通公園に着き、
網走市鉄道記念館の裏にテントを張る。宿泊、無料。
18時25分、能取湖の彼方、雲が切れてくる。
静かな北方の湖を、一人で眺めていたら、旅も終わりに近づいてきたんだなぁと、ふと思った。
2015年 第66日(佐多岬より128日)
歩数 51475歩 (佐多岬より累計 6530348歩)
距離 36㎞ (佐多岬より累計 4363.5㎞)
費用 1783円 (佐多岬より累計 585315円)
5時20分、ユースの窓から見た濤沸湖。
オーナーが飼っている羊たち。雨が小降りになり、外に出て草を食む。
7時40分、出がけに急に雨が強くなり、出発に手間取った。
国道244号線まで戻り、湖に沿って西へ。
8時15分、湖畔の放牧地。
8時20分、駐車場の奥に展望牧舎への通路があるので行ってみるが、
まだシーズン前らしく、誰もおらず。花の写真だけ撮ってきた。
シモツケソウ、
ハマナス、
8時35分、前方から、カートをひいて歩いてくる男性がおり、情報交換のため立ち話。70歳の東京の人で、4月1日に千歳から歩きはじめ、札幌、旭川と北上して宗谷岬にいたり、以後はオホーツク海に沿って南下してきた、とのこと。宿には泊まらずすべて野宿、という元気な人だった。初めて歩き旅の人に出会ったと喜んでいた。握手で別れたが、無視する人もいれば、感激する人もいる、いろいろである。そういえば、昨日ユースで、例の旅人の話をしたところ、オーナー夫人も見かけたようで、浜小清水駅にロープを張って洗濯物を干していた、とか。オーナーの見立ては‥‥「世捨て人」。
その後も、強風の中を歩く。
9時ごろより、雨がひときわ強くなり、ゴア雨具は浸透してくるし、かつ向い風の強風のため、歩行は難儀をした。
JR原生花園駅にて、雨宿り休憩。雨のためか館内に観光客多し。
雨の見通しが立たず、ふたたび歩き出し、
10時10分、濤沸橋をわたり、網走市に入る。
10時25分、JR北浜駅手前、「夢海道オホーツク」。セイコマでおにぎりを食べ、
JR北浜駅。このころから、右手遠方に雲の切れ目が現れ、一気に青空が広がった。
線路わきにエゾカンゾウ。
10時55分、左に藻琴湖。
オホーツク海岸を行くJR釧網本線。
ハマエンドウ。
11時、藻琴橋を渡る。
11時10分、JR藻琴駅。
11時40分、JR鱒浦駅。1月に改築されたばかりの新駅舎。
止別駅より、北浜駅、藻琴駅、と風雪に耐えてきた木造駅舎の風格が印象的だった。鱒浦駅がいつの日にかそうなるだろうか。
11時55分、パーキングの展望所より。
12時5分、雲は去り、空青し、海青し、波白し、風強し。前方に網走市街。市役所まで4㎞。
12時35分、網走港。
「屯田兵上陸の地」碑あり。
明治30年(1897年)、兵員597名とその家族が、この地より上陸。
北方の防備と拓地殖産の使命を帯びて、と。
13時、網走市役所前を通過。
13時5分、「凝洋風建築の流れを受け継ぐ貴重な遺構」永専寺の山門。
13時20分、JR網走駅前を通過。左はモヨロ人(オホーツク人)漁師の像。
一番はじめの計画では、「博物館 網走監獄」なども見学するつもりであったが、足の状態を考慮し、宗谷岬到達を最優先課題としたため、残念ながら見学は割愛。そのまま西へ向かう。
14時、大曲駐輪場にある「湧網線跡」の碑。湧網線は、網走と中湧別を結び、「道内随一の車窓の景観美」と言われたが、昭和62(1987)年、赤字線整理のため廃止された。
廃線跡は、「網走常呂自転車道線」(一般道道1087号線)。国道238号線にそって走っており、静かなので国道をやめてこちらを辿る。ふたたび雨が降り出す。
14時5分、網走川を渡る。
川の名の由来――アイヌ語で「網走」の原語ア・パ・シリ(我らが・見つけた・土地)やアパ・シリ(入り口の地)、チ・パ・シリ(われわれが・発見した・土地)神鳥がチパシリ!チパシリ!と鳴いたという伝説から名づけた等諸説紛々としている、と。
以後、花の写真を撮ったり、樹間の網走湖を見たりして、緑の中を歩く。雨、ときどき降った。
タチツボスミレ。
網走湖。
16時35分、近くのセイコマで食料を調達し、卯原内交通公園に着き、
網走市鉄道記念館の裏にテントを張る。宿泊、無料。
18時25分、能取湖の彼方、雲が切れてくる。
静かな北方の湖を、一人で眺めていたら、旅も終わりに近づいてきたんだなぁと、ふと思った。
2015年 第66日(佐多岬より128日)
歩数 51475歩 (佐多岬より累計 6530348歩)
距離 36㎞ (佐多岬より累計 4363.5㎞)
費用 1783円 (佐多岬より累計 585315円)