ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

広報2007年秋第15号

2007-11-08 19:23:50 | Weblog

2007 Autumn 号                           No. 15
ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
(新事務局住所)〒733-0861 広島市西区草津東3-6-11-2 
TEL/FAX 082-274-1634

E-Mail  : mashenka@fancy.ocn.ne.jp
HP:http://hiroshima.cool.ne.jp/kazakhstan/ ブログ:http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan
     
 
カザフの国民的歌手ローザさんとその息子さんを囲んで

未来へ羽ばたく 若き鳥たちへ
「核悲劇のない21世紀」を目指して

 今夏、若者のカザフスタン訪問に同行し、1997年に自身が初めてカザフスタンを訪れた時からの流れを振り返ってみました。
 10年前はソウルとアルマトイを結ぶ航路は無く、モスクワ経由でアルマトイに入りました。10日間の日程のうち6日間近くを移動に費やしました。今は2日から3日間に短縮されました。こうした時間の短縮は人的交流を促進しました。本年、過去にスタディツアーを経験した若者が中心となって、自らで企画して現地を訪れました。当会のカウンターパート・カザフ放射線医学環境研究所による受け入れ準備のお陰で、原子湖、ポリゴン周辺の村、アバイの廟、博物館等をヒロセミ号に乗って難なく訪問する事が出来ました。
 また、アルマトイでのJICA訪問と日本語学習者との交流, 国民的歌手ローザ・リムバエバさん案内による演奏会、市内見学、昼食会など、思いがけない歓待が用意されていました。元留学生、来期留学生と家族、学生、音楽家、研究者、カラウル村民、数え切れない人々との再会と新しい出会いとが繰り返されました。中でも、ネバダ・セメイ運動の活動家・プルス女史、ナイラ副所長による歌手ローザ・リムバエバへの協力懇願の場面に同席した元留学生たちと日本の若者たちは自らの使命を再認識しその重大さに気持ちを引き締めてくれました。
 そうした中、若者同士は旧ソ連の第1回核実験から60周年の2009年に向けて会議開催を目標に具体的な動き始めました。 雛たちがその進路を見失わないよう見守り、導く新たな役割に多くの人々が関わってくれる事を願って止みません。                                    〔小畠知恵子〕

3人の若者カザフ訪問感想(紙面の関係上一部抜粋)
★ 私個人の目的としては、ホームステイを体験することが一つの目的であった。「言葉を捨て、裸になった自分がどれだけ通用するのか」このことを念頭に置き、国際交流で必要な気持ちの疎通を図った。           〔濱本信太郎〕
★ 人は「よくわからない人」を恐いと思う。日本人が外国人を恐れるのも、少なからずそれがあると思う。僕もカザフの、セミパラチンスクの人と初めて会うとき、正直恐かった。同じ人間であるのに、どこか自分たちと違うという気持ちがあったかもしれない。しかし、交流をしていくうちに、とても良い人たちだとわかり、相手を知ることによって不安は解消したような気がする。      〔池田篤史〕
★ この訪問は僕にとって今までとは違う意味を持っていた。というのも今回のツアーは、僕が所属する若者の国際交流グループCANVaSが初めて主催して実施したもので、今まで以上に思い入れは強かった。これまで僕が国際交流活動を通じて築いてきたカザフスタンの若者との交流をもっといろいろな形で活かしていきたいという思いが、ツアー実施の背景にはあった。
 広島とカザフスタンの若者による平和のフォーラムを2009年に実施する企画を立ち上げた。その準備として2007年からツアーを行うという3カ年計画だ。
その第一歩としてこのたびツアーを実施できたのも、財団法人広島平和文化センターの助成をはじめ、安芸コスモスゾンタクラブによるご支援、またヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトのご協力はもちろん、たくさんの方々のご理解とご協力のおかげです。改めてここに深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。                                      〔小麻野貴之〕
          
               アルマトイJICA事務所にて日本とカザフの若者たち

第6期留学生アイヌルからメールが届きました
 この人生には誰でも夢があるべきだと思います。夢を心に抱いて、その夢を実現させるために人々は生きているかもしれません。私も一人の人間として夢がたくさんあります。中学生頃から日本へ行きたいという夢を持ちました。その夢は山陽女学園と皆さんのおかげで叶いました。
 2004年10月(訂正:2005年4月)初めて日本に参りました。1年あっという間に過ぎてしまいました。その一年間は私にとってとても大切な,一生忘れられない時間になりました。帰国して、今度、是非日本に行きたいと強く思いました。もう、一回日本に留学したいと思ったのは、やはり、広島に留学したのがきっかけです。
カザフスタン大統領のプログラムに参加して、優勝できて、国費で留学しています。これから日本の大学に進学したいと思っています。
来日して以来2週間も経ちました。前の留学と違って、東京の生活に慣れにくいです。人々は込んでいて、広島と比べられないです。そして、大学生生活と高校生生活は違いますね。
 今、私は通っている新宿日本語学校では外国人の生徒がたくさんいます。みんな良い日本の大学に入るために一生懸命に勉強しています。私も自分の国の代表として頑張りたいと思います。
いつか是非機会を作って広島に行って、私をいつでも支えてくださった皆さんにとても会いたいです。
 文章が間違っているかもしれませんので、どうもすみません。
                         アイヌル・バシローワ(2007年10月24日)

祝 ドスティック勲章受賞
 ネバダ・セミパラ国際反核運動の活動家がカザフ大統領から以下の勲章を授与されました。
     ドスティック勲章   ビタリー・イスロン
    クルメット勲章     リュドミラ・プルス 他一名
★リュドミラ・プルスさんについて
 プルス女史とは昨年からヒロセミの現地訪問の際に親交を深めています。本年、元留学生と共にカザフ女性の平和活動の中心として歌手ローザ・リンバエバの協力の実現に奔走し、大きな求心力となっています。カザフにおいて、学校での平和教育に力を注ぎ、世界の各被害者への理解を深める為の教材作りをしています。

[主な経過 ]
①フラワーフェスティバルに参加 2007年5月3日~5日
 今年度留学生がタンポポステージで歌とドンブラ演奏、カザフの踊りを披露、ユーラシアブースで交流しました。
②ナザルバエフ大統領へ広島からのメッセージを送りました 2007年6月16日
 セミパラチンス市を訪問したカザフスタンのナザルバエフ大統領にインターネットを通じて広島からのメッセージを届けました。平岡名誉会長のメッセージ内容は以下の通りです。
【ナザルバエフ大統領への要望】
 私は1999年8月に、初めてセミパラチンスクを訪れました。以後、毎年カザヒスタンを訪問し、広島大学の研究者と一緒に、核実験の被曝者の医療支援と、被曝者の証言の聞き取り調査をしています。
 広島大学はセミパラチンスクの研究者と共同で、土壌や水などの残留線量を調べ、低線量被曝に関する調査・研究を進めています。
私たち広島市民プロジェクトは、広島の医師とともに被曝者の検診や検診車、医療器具、医薬品を寄贈するなどの活動を行なってきました。今年も9月に10回目の医療支援訪問団を送ります。これらの財源は、すべて市民の寄付金で賄われています。
 また、これまで13人のカザフスタンの留学生を受け入れて、相互理解と友好の促進を図っています。こうした活動に対して、昨年、大統領閣下から大変名誉或「友情勲章」を頂戴いたしました。これはセミパラチンスクの被曝者への広島市民の支援に対する賞を、私が代表して受けたのだと思っています。
 私は、毎年カザフスタンを訪れる度に、急速に発展している貴国の状況を見て、心強く思っています。どうか、カザフスタン政府による被曝者援護をさらに充実して頂きたいと願っています。
 私は先般、貴国のリーダーシップによって、中央アジア非核地帯条約が調印されたことを、高く評価しております。2年後には、最初の核実験から60年を迎えますが、この機会にカザフスタンで核兵器廃絶のための国際会議を開催され、世界平和への展望を切り開かれることを期待します。
③カザフ留学生、広島友の会の催しに参加 2007年6月29日
 広島友の会幼児生活団の6歳組と交わり、カザフスタンの国のことを分かりやすく紹介しました。
④「平和の灯のつどい」 2007年7月31日
 2001年から毎年、広島市女性団体連絡会議主催の行事に留学生が協力してきました。今年は採火と行進の際カザフの鎮魂歌「ザマナイ」歌唱を留学生アイジヤが務めました。カザフのヒバクの悲しみがヒロシマの被爆者と市民の心に染み渡りました。
⑤セミパラチンスク ヒバクシャ支援コンサート 2007年8月5日
 広島市のエリザベト音楽大学セシリアホールにて、「第5回希望のしらべ」が開催され、留学生アイジヤが光井安子先生のピアノ伴奏で歌わせて頂きました。
⑥被爆62周年平和記念式典に参加 2007年8月6日
⑦カザフ若者訪問 2007年8月10日~18日 
 副代表小畠知恵子が通訳・コーディネーターを兼ねて同行
★ 第9期留学生の選出コンクールも開催。ガウハラさんが選ばれました。
⑧第10次カザフ医療支援訪問団 2007年9月21日~9月29日、30日
 今年度の支援を終えて医療支援団が帰国しました。

[今後の予定 ]

★医療支援報告会は以下の予定です、お時間に都合の付く方はぜひ足をお運びください。
  日時 :11月17日(土)17:00~19:30   
  場所 :広島市まちづくり交流プラザ 北棟5階 研修室A
           中区袋町6-36(電話082-545-3911)  
      
★「希望のしらべ」コンサートが東京で開かれます。 皆様の東京在住の関係各位にお知らせ下さい。(詳細は同封のチラシをご覧ください。)

セメイ(旧セミパラチンスク=ロシア名)の新聞に載りました!

                     
 【以下は紙面記事の翻訳です】

 カザフスタン セメイ スペクトル紙2007年8月22日34号(通巻553号)
    小畠知恵子 10年前に初めてカザフスタンを訪問
  「私たちは核爆弾炸裂の悲劇を自分自身の目で見て驚いた。日本に帰国後、恐怖の実験を体験した人々を支援する目的で『ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト』を立ち上げた。」と運動のコーディネーターは語る。共同作業は多岐にわたっている。医療の供与、腫瘍病の領域での専門家によるコンサルタント。研究者の合同研究会、青年組織の代表者間の紹介。日出ずる国への留学生選抜を13年間(13名の誤記?)連続して行っている。今年はセメイ市第31中等学校の女子学生 Gaukhar Tuleutaevaが勝ち取った。先週は小畠智恵子は日本式の茶席を行った。メイラムべカ・ラスペイとグリナリ・トゥレウタエバの家族が喜んで客として迎えた。

[ホームステイの不思議発見?
ホームステイこぼれ話(^。^)
 若者のホームステイ先が何と独身女性の一人住まいだった!
そんな危ないステイが実施されたなんて!日本の男性は世界一安全だと思われているからかしら?と、皆で不思議がっていたら何と、そのステイ先の家族は彼の寝ている間に仕事に出かけ、彼が帰ってくる前に夜の眠りについていた、単なるすれ違いのせいだった!…かぎりなく膨らんだ空想は見事に弾けてしまいました。

編集後記
 旧ソ連時代からセミパラチンスクと呼んできた地名が正式にカザフ語表記のセメイに変わりました。日本ではセミパラチンスクという名で認知されてしまっているので対応に苦慮しながらの編集となりました。
★事務局が表紙記載の住所に移転いたしました。


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