ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

核兵器禁止条約第3回締約国会議をもっと盛り上げたい

2024-08-11 00:47:13 | Weblog

核兵器禁止条約第3回締約国会議をもっと盛り上げたい。

https://jp-kz4tpnw.hp.peraichi.com


来年3月に開かれる核兵器禁止条約の第3回締約国会議では、旧ソ連による核実験で甚大な被害を受けたカザフスタンが議長国を務めます。
カザフスタンの核実験被害者を長年にわたって支援してきたヒロセミ、広島で国会議員に核兵器禁止条約への姿勢を問うカクワカ広島、そして、広島を拠点に「黒い雨」の取材を続けるジャーナリスト・小山美砂。
私たちが新しいプロジェクトを立ち上げました。
核兵器のない世界を実現に向けて、まずは核被害者の「今」を知る必要があります。
核廃絶の議論をリードするカザフスタンともっと繋がるために
あなたもプロジェクトに参加しませんか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024 Summer                                                  No.41

2024-07-23 14:37:31 | Weblog

2024 Summer No.41

核被害のない21世紀を

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
〒 733-0861広島市西区草津東3-6-11-2(橋村宅)  TEL : 090-2002-7385
E-Mail : mashenka@fancy.ocn.ne.jp   Blog : http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan

2023年度の活動記録
■7月9日(日)、総会にて2022年度のまとめと2023年度の活動計画を確認
2023年7月9日(日) 14:00~15:00、広島市まちづくり市民交流プラザ3Fフリースペースにて総会を開催し、2023年度の主な活動内容を確認しました。

・一般財団法人多山報恩会の助成事業への申請は80万円に対して、交付決定額が70万円となり、セメイ市内で行う被爆絵の展示関連を40万円から30万円に修正し、小児病棟への白血病治療薬は20万円、クルマンセイト講師を招いての報告会を10万円、せこへい美術館10万円の予算組とした。
・2023年の予算は、4月28日のクロ―バル・ヒバクシャ・カザフスタン代表来広の夕食歓迎会での会場代及び参加者からの参加費107,000円が含まれる予算に修正した。

■せこへい美術館に出展
 2023年8月11日(金)から8月18日(金)の期間で、せこへい美術館にヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトとして出展しました。なお、会場は毎年使用していた旧日銀広島支店が改装工事の為使用できないため、広島県立美術館地下展示室5で行いました。
 また、セミパラチンスクでの核実験とその影響等をパネルで紹介し、併せて、カザフスタンの子供たちが描いた絵の展示も行いました。

■2023年 カザフスタン訪問
~ 医療支援&原爆写真・被爆絵の展示&国際会議「環境・放射線・健康」に参加 ~

月/日    行程
8/25(金) ・ 広島駅 9:34 → 10:38博多 (さくら545)
・ 福岡 14:50 → 16:20 ソウル(アシアナ133) /・ ソウル18:05 → 21:40アルマトイ(アシアナ577)
8/26(土) ・ ホテル出発 9:30 → アルマトイ空港 / ・ アルマトイ 12:20 → 13:55 セメイ (エアアスタナ7151)
8/27(日) ・ セメイ市内の「放射線・医学・環境研究所」を訪問 ⇒ セメイ医科大学標本室見学
・ 小児病棟を訪問し慰問及び白血病治療薬として20万円を贈呈/ ・ ロシア正教協会・美術館見学
・ 「セメイ医科大学創立70周年を記念する式典」に出席(東カザフスタン州知事及びセメイ医科大学学長よりヒロシマセミパラチンスクプロジェクトのメンバーに感謝状が授与された)
8/28(月) ・ セメイ医科大学主催の創立70周年記念の国際会議「環境・放射線・健康」 16分科会が開催
 報告者 : 野宗先生(広島国際大学)、井上先生(高知大学)、藤本先生(広島大学)、高垣(カクワカ広島)
・ セメイ医科大学1Fホールにて「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真パネル(A1-30枚)」及び基町高校(サンガ―梨里)の原爆被爆絵の展示とサンガ―梨里によるプレゼンテーション
8/29(火) ・ セメイ市主催「第1回核実験から74周年・慰霊・平和式典」に参列・献花/佐々木・小畠の平和連帯スピーチ
・ セメイ市長に広島市からの要請文を手渡す
8/30(水) ・ ホテル出発13:00 → セメイ空港  ・ セメイ 14:25 → 16:05 アルマトイ (エアアスタナ7152)
・ アルマトイ市内で日本語学習の若者たちと夕食
8/31(木) ・ アルマトイ市内見学(歴史民俗博物館、公園、バザール等
・ アルマトイ 23:00 → 9/1 7:40 ソウル(アシアナ578)
9/01(金) ・ ソウル7:40着 / ・ ソウル8:45 → 10:15 福岡(アシアナ132)
〇協力 : 在カザフスタン日本大使館、広島市立基町高校、広島平和文化センター

8月27日(土)・28日(日)の両日は、セメイ医科大学創立70周年を記念する、セメイ医科大学16回国際会議「環境・放射線・健康」の16分科会が開かれました。
野宗先生、井上先生、藤本先生の報告及び分科会のコーディネイトを行われました。また、高垣慶太氏も若者を代表して核兵器廃絶に向けた、自身の活動報告を行いました。

8月28日(月)、“伝承・広島の原爆の実相”を目的に、セメイ医科大学の1解ホールにて『ヒロシマ・ナガサキ原爆写真ポスター』の展示と『基町高校の被爆絵』(サンガ―梨里)の展示及びプレゼンテーションを行いました。
 『原爆写真ポスター』は、広島平和記念資料館 啓発課で貸出されているA1カラー印刷30枚セットの物を使用しました。
 この展示は、学生にも見てもらうために、9月上旬まで展示を継続してもらいました。

■ 「国際フェスタ2023-市民団体活動紹介コーナー」に出展
〇 日時 : 2023年11月19日(日)  10:00 ~ 16:00  
〇 会場 : 広島国際会議場 地下2F ヒマワリ
〇 展示 :① セミパラチンスク核実験場の紹介パネル及び書籍の展示
     ② プロジェクトが行う支援活動の紹介
     ③ 民族衣装の展示と試着

■ ガザフスタン訪問報告会
〇 日時 : 2023年12月9日(土)  13:30 ~ 17:00  
〇 会場 : 広島市平和資料館 メモリアルホール
〇 報告 ・ セミパラチンスク核実験場のドキュメンタリー映像
・ 白石涼子         オープニング(歌:ザマナイ)
・ 小畠 知惠子       司 会
・ 佐々木 桂一       開会の挨拶
・ クルマンセイト バトルハン   特別講演
・ 野宗 義博 + コジャメトフ(セメイ医科大学外科医)
・ 高垣 慶太        核兵器禁止条約第2回締約国会議に出席
・ サンガー梨里       ビデオメッセージ
・ 星 正治          総  評
・ 黒川 冨秋         閉会挨拶

■ 「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」×「カクワカ広島」の定期協議
 「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」および「カクワカ広島」の今後の行動として、2025年3月にニューヨークで開催される予定の核兵器禁止条約第3回締約国会議に向けて、被爆者援助と環境回復(核兵器禁止条約第6条・第7条)に必要な資金を集めるべく「国際信託基金」の設立に向けて、2024年8月下旬にカザフスタンで準備会が持たれる予定で、それに向けて日本の国会議員の参加を呼び掛ける取り組みを進めるにあたって、「ヒロセミ・プロジェクト」及び「カクワカ広島」双方ともに、情報共有が必要なことから、2024年1月21日(日)に第1回ミーティングを行い、月に1回程度の定期協議を持つこととしました。

■ 在カザフスタン日本大使館 山田大使が来広
 3月18日(月)に在カザフスタン共和国日本大使館の山田淳大使が来広され、外務大臣賞の個人賞を受賞した星先生、野宗先生、団体賞を受賞したヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの佐々木代表、小畠副代表、及び当プロジェクトの平岡名誉会長、セミパラチンスクで長年甲状腺の診断治療を行われてきた武市先生が招かれ「蔵屋本店」にて昼食懇談を行いました。

在カザフスタン共和国日本大使館のHPで紹介されている当プロジェクトの評価 :
 同団体は、鈴が峰公民館の住民が中心となり、旧ソ連時代に繰り返された核実験により被爆したセミパラチンスク周辺住民をサポートする目的で1998年に設立された。住民の医療支援、カザフスタン留学生の受入れ、文化交流を通じて、両国の友好関係構築に25年以上貢献してきた。
 また、募金により医療品や甲状腺超音波機器の提供を行い、現地で診療、治療、調査を行う日本人医師をサポートしてきた。現在も継続される「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」の活動は国際平和に多大に寄与する点で、高く評価されている。

■クルマンセイト・バトルハンの講演録
   特別講演 : クルマンセイト バトルハン(在日カザフスタン共和国大使館 公使)
“核が使用されるかもしれない脅威”
 今日は、カザフスタンの核不拡散、軍縮について、過去にどの様なことがありどう対処したか、また、現在とこれからどの様にしていくのかについて、話をさせていただきます。
あちらでもこっちで戦争が頻発し、地政学的に大変な混乱が続いています。国際法の秩序・規則・ルールなどが無視され弱体化し、人命はもとより食糧・エネルギー・経済の世界的な不安定化が進み深刻な課題に、世界が直面しているのはご承知の通りです。
 地政学的な危機を背景に、いま世界の様々な国で政治的、経済的、社会的な問題が深刻化し、緊張感が高まり、新たな紛争の火種が拡大していると言えますし、紛争の火種の裏側には、経済的な苦しみによる貧困に加え教育が足りない、仕事がない、さらにテロ等の組織犯罪に手を染める若者も多く、人種差別も進行する中で他民族の排斥問題も起きています。
 一見、世界は発展してきたかに見えますが、いまだに人類は戦争の脅威を抱えており、経済的、政治的、文化的な関連の悪循環になっています。
 このような状況はこれからも続き、経済的な破綻の危機感を抱える国が多くあり、国によっては食料不足が発生し子どもに何を食べさせるのか?こうした国では失業者も増え、自国より少し経済力を持つ国に国境を越えて移住する事態が発生しており、発展途上国は先進国の支援・援助に頼らざるを得ない状況が続いています。
 それでは、先進国が途上国や貧困国の面倒を看るかというと、同盟国や国連等の国際機関等も頑張ってはいますが、いわゆる“援助疲れ”が出て、先進国はいつまで途上国・貧困国の面倒を看ればいいのか疑問符がついています。
 先進国の中でも、経済成長率が落ちており、自国の政府・政治家は、自国にもいっぱい問題があり海外のことばかり見ていられないと言う矛盾も生まれ、これからの世界の動きにも影響していきます。
 外交官の立場では、世界が大変!だから何とかしてあげないといけないという役割もミッションとしてありますが、人類に対しての気候問題、紛争、テロ問題など非常に重たい課題があり、その中で、核兵器の恐ろしさが浮上してきています。
 いま、必要であれば核兵器を使用するかもしれない、こうした発言をする国もあり、新たに核兵器の使用の恐怖という最悪の問題が国際社会全体に表面化しており、再び最大の挑戦となっています。
 ここで私がどのような国で誰が言ったかは言えませんが、外交カードとして核を使い、自分の支持率を上げるために国民に対して、いかに自国が強いことを見せるかを目指しておいる政治家もいると言うことです。

セミパラチンスク核実験場、世界の核実験の1/4に相当
 カザフスタンは、世界の中では“小さい国連”と言われています。それは、多民族・多文化で、110の民族が住んでいる国で、平和の道を歩むことを目指して、今までも世界に対し、あらゆる国に対し、平和的イニシアチブを提供し、核不拡散の取り組みについて、これまでの実績と現在の立場について話をさせていただきます。
 多分、この分野に関わる方々が多いと思いますので、私よりも詳しい方々もおられると思いますが、私の方から簡単に話をさせていただきます。
 まずカザフスタンの「セミパラチンスク核実験場」についてです。セミパラチンスクは、カザフスタンの東に位置し、セメイ市(注)から150km離れている草原地帯に位置し、面積が約18,000㎢(四国の面積に匹敵)の世界最大規模の核実験場です。
 この核実験場で、1949年8月29日の最初の核実験から1989年10月19日までこの40年間、合計456回の核実験が行われ、延べの爆発の威力は、広島・長崎に落とされた原爆の2,500発分と言われています。
 世界中にはセミパラチンスク以外の核実験場があり、核兵器の実験が行われました。その数は2,000回を超えると言われていますが、その内の24~25%がセミパラチンスク核実験場で行われています。
 1989年10月19日が最後の核実験となり、それ以降核実験は行われていません。しかし、壮大な国土が未だに深刻な被害を受けいまだに修復されていませんし、閉鎖後も放射性物質の放射線は残り、国民がいまだに苦しんでおり、150万人の人が被害を受けたと推定されています。
注:セメイ市(旧セミパラチンスク市)

核不拡散を貫くカザフスタン共和国
 ソ連が崩壊してから独立したカザフスタンが、1991年8月29日。あえて最初の核実験があった8月29日に大統領令によって核実験場を正式に閉鎖しました。このときの初代大統領はナザルバエフ大統領です。
 そこからカザフスタンは、1,150とも1,250と言われますが、およそ1,000台以上の核弾頭を含む、世界で4番目のミサイルと、核兵器を廃絶しました。
 どのようなミサイル、どのような爆弾、どのような兵器を廃絶したかという話が、種々様々ありますが、一番重要なのは、核兵器を廃棄するだけではなく、この核実験場で二度と核実験が出来ないようにするために、トンネル等のインフラを全面的に無くしたわけです。
 これは国際社会との相互協力が必要でした。カザフスタンはまず、核実験場を廃絶し、核兵器を廃棄し、更に核不拡散という、国として一貫した立場から、積極的な外交と国際社会との付き合いを始めました。
 何故、核兵器の廃棄を国際社会の交流・外交の遂行に結び付けたか、実は核兵器を持つと、核兵器を持つ国と持たない国とで付き合い方が違ってきます。例えば、カザフスタンが独立した時、先ほど国の名前や政治家の名前を言わないようにと言いましたが、一回だけ使わせていただくと、世界に資源を売って、経済的に発展してきている国から、カザフスタンに『金だけでの問題であれば、核兵器の代わりに金を出すから残しておくべきだ』という意見が、たとえばカダフィ元大統領からありました。
 カザフスタンは、70%がイスラムですので、唯一イスラムの中で、核兵器を持つ最初の国になるので残すべきだと、アラブ諸国あるいはイスラム国家がファンドをつくって、資金の面倒を見るとの説得が大統領や政府に行われ、核を残すべきとの多くのプレッシャーがありました。一応話を聞いたうえで、無くする判断をしました。
 核兵器をなくす(=ロシアに譲渡する、返す、核実験場のインフラを廃棄する)。これに対して、カザフスタンは、北にロシア、南にインドとパキスタン、西に中国や北朝鮮の5つの核保有国があります。
 核兵器を持っている国に囲まれているカザフスタンです。そういった国々と安全保障や領土不可侵に関して保障を得。このギャランティを持って、カザフスタンは核を廃棄していく判断をし、そこから積極的に国際社会に対してカザフスタンの例に見習って核兵器を無くするよう、あるいは核兵器を持とうとしている国に対して持たないように働きかけてきました。これが独立したカザフスタンの国際社会との付き合い方であり、外交政策にも繋がっています。
 またカザフスタンは周辺国、特に中央アジアにおいては核実験場があって核兵器があるので残したらどうかと言われましたが、そういった国々が今度は、逆に自分たちが持とうかという話にならないように、中央アジアの諸国による「中央アジア非核地帯条約」が2009年3月に発効されました。それは、二つの核保有国に接しかつて核兵器が配備されていた地域において、初めての非核地帯です。
 また、2009年12月2日の国連総会でカザフスタンの提案において、核実験場の最初の実験場であり、また核実験場が閉鎖された日である8月29日を「核実験に反対する国際デー」とする決議が採択されました。
 この「国際デー」は日本も共同案を出し、共同提出者となっています。実はカザフスタンは、当時「核実験に反対する国際デー」ではなく「核兵器に反対する国際デー」でした。なぜか核兵器そのものに反対する決議案に対して、支援者は多くなく、日本政府も賛同しなかった。

 核実験に反対してもいいけれど、核兵器そのものに反対はできないといった国もあり、そこでカザフスタンが「核兵器をなくす」を「核実験に反対する」国際デーとしたわけです。でもこれは毎年繰り広げられ国連において様々なイベントがなされています。
またカザフスタンが国際条約に参加し新たなイニシアチブを発揮しています。核兵器禁止条約をはじめ核兵器不拡散条約(NPT)、包括的核実験禁止条約、CTBTに参加・批准しています。
 また、まだ成功していませんが、「核兵器用分裂性物質生産禁止条約(FMCT)」はカットオフ条約とも言いますが、この条約の早期交渉開始を国際社会から求めてきている国です。これらの国際条約に様々なイニシアチブに参加し、核不拡散を積極的に進めていく立場を続けています。
 2012年8月29日、アスタナで開催された「核実験禁止から核兵器なき世界へ」という国際会議で、この日初めてカザフスタンの「ATOM」(アトム)というプロジェクトが発表されました。両腕のない画家クユコフさんがこのATOMプロジェクトのアンバサダーであり、このATOMは英語では“原子”ですが、ここではその意味ではなく、「Abolish Test Our Mission」の頭文字を取って、核実験を禁止することが私たちの使命であるというプロジェクトを立ち上げました。

 また、2016年に核兵器のない世界とグローバルセキュリティのために、平和賞=ナザルバエフ賞というのが創設されました。今まで2回やりましたが、1回は中東の非核非大量破壊兵器地帯創設に向けた努力と、シリアからの150万人を超える多くの難民を受け入れに貢献した、ヨルダンのアブドゥッラー国王2世に渡されました。
 またその次の2019年にアスタナで行われた29日の賞授与式は、私も現場にいたのですが、CTBT条約の準備委員会のゼルボ事務局長と当時すでに亡くなられていた国際原子力機関の天野元事務局長の2名に授与されました。アスタナにはその代理として、その賞を受け取るために、天野事務局長の奥さんと弟さんがアスタナに来て、私がその二人に付き添って大統領との面談を調整し通訳もさせてもらいました。
 これからどうなるかはわかりませんが、核実験あるいは核兵器廃絶のために、世界的あるいは地域に活動された方々に、カザフスタンとしてこの賞を続けていけたら良いと個人的には思います。

大統領が代わっても核不拡散は変わらず
 政権が変わり大統領も変わって、いま新しいカザフスタン、ニューカザフスタンと言われるような現状ではありますが、2019年に当時ナザルバエフ大統領の代わりにカシム・ジョマルト・トカエフ大統領になり、いま大統領として、より一層力を入れて核不拡散、大量破壊兵器削減体制を強化させているところです。
 そのために、国際社会との付き合い方、交流をもっと深めていかなければという立場で、2023年第78回国連総会において「公正な平和と調和のための世界統一(World Unity for a Just Peace and Harmony)」を国連において提案しました。トカエフ大統領もやはり核兵器こそ、いま世界に対して一番の挑戦、一番の問題であることを、ほかの国際イベント等を通して強調しています。
 周辺の核保有国のトップがどう受け止めているか、もちろん皆さんも想像できるかと思いますけれども、そういうトップ同士との交流をはかりながらでも、カザフスタンとしては考えること、発言するべきこと、これらは自分たちの目で活動しています。このようにカザフスタンはさまざまなレベルで世界の安全を確保するために、全ての国に対して対等な対話と相互協力を呼び掛けているし、これからもその方針で行きます。
対等な対話というのが大変重要です。核兵器を持つ、あるいは軍事大国と軍事力がない国との対話がいかに違うかというのは、皆さん政治に関心があれば、国際関係に関心があればよくご存知かと思います。
そうじゃなくて、核兵器を持っているか持っていないかで対話が違うのではなくて、核兵器をどうするか、あるいは軍事力をどうするか、これからの世界をどうするかということを、核兵器を持っているからこう話す、持っていないからああ話すじゃなくて、対等な対話の体制をつくらなくてはならないと私たちは確信しております。
また、カザフスタンは、「核兵器禁止条約」について、参加し批准して積極的な立場でいるわけですが、カザフスタンは、「核兵器不拡散条約」を補完・強化するために、この「核兵器禁止条約」が必要であることを強調してきています。
 2018年3月2日に参加・署名し、2019年7月3日に大統領がサインして批准しました。これを考えると1991年8月29日に独立したナゼルバエフ大統領が批准しサインした最も重要な決定の一つが核実験場の閉鎖ですが、2019年3月に大統領になったトカエフ大統領が数か月後の7月3日に重要な国際条約を批准する法律にサインしました。これも国際社会に対する大変重要なメッセージであったと思います。

第3回締約国会議の議長国として
 何度も出てくる8月29日。カザフスタンがこの「核兵器禁止条約」に参加し批准したことを国連の事務局長に批准趣旨書を提出しました。あえて8月29日に国連事務局に出しているわけです。
 ひとつ重要なことは、この「核兵器禁止条約」は初めて核兵器そのものを違法とする、核兵器そのものを法律違反とする国際的な条約であるということです。今までは大量破壊兵器の中で、生物兵器と化学兵器に関する国際条約があって、それが違法であることはありましたが、核兵器に対して違法であることを認める国際条約ができたわけです。そして去年(2022年)6月22・23日に、ウィーンで第1回締約国会議が行われました。
この会議に、当時カザフスタンのムフタル・トレウベルディ外務大臣が参加し、その演説の中では、カザフスタンのイニシアチブによって核兵器の実験と使用から被害者を支援して、破壊された環境を修復するための国際信託金(International Trust Fund)を設立するということについて協議するためのワーキンググループを立ち上げたことを発表し、後に、カザフスタンとキリバスの共同案件としてこのワーキンググループができ、世界の多くのNGOや個人が参加されています。日本では創価学会なども参加され、International Trust Fundの実施について、どのように設立し、どのような活動を進めていくのかについて、活発な議論が行われています。
 また、ウィーンで開催された第1回締約国会議は、オーストリアが議長国でしたが、カザフスタン、メキシコ、タイが副議長国を務め、次回2024年、2026年までの議長国として、カザフスタンが選出されました。
これからカザフスタンが議長国として国際社会に対し、あるいは参加国、あるいは参加していない国に対していろいろな活動をしていくと思いますし、ニューヨークで行われた第2回締約国会議にカザフスタンのムラト・ヌルトレウ副首相兼外務大臣が参加し、2025年に開催される第3回締約国会議に議長国として、以下の重点課題に焦点が当たると発表をしました。
 それは、「核実験の影響を受けた人々やそれらの地域への支援」、「修復を可能にするために国際信託基金の設立に向けて努力していく」ことです。
 また、なぜ基金の設立が重要なのか、そこには、この核兵器禁止条約の中には、「核兵器を持たない」、「実験しない」、「保有しない」、「移譲しない」、「自分の国に置かない」が明記されていると同時に、今までの核実験あるいは核兵器による被害を受けた犠牲になった国、あるいはその地域、そこの国民に対して、責任を持って国際社会が支援をしなければならないと、はっきり書いてあり、多くの国がサインし批准している文書です。その文書の中をどう実現していくかということを考えた場合、やはり何かの行動をとらなければならないということで、カザフスタンがイニシアチブをとって、まずこうしたTrust Fundをつくって、ドナー国や先進国からの支援・基金も含めて支援をすることを議論していく。これをカザフスタンが議長国として努力していくと言うことです。

2024年、カザフスタンで「非核地帯の合同会議」と「NPT第2回準備委員会」を開催
 また2024年にカザフスタンで非核地帯の合同会議を開催するよう動いています。これも大変重要なイベントになる見通しです。核兵器を持たない国々、核兵器を持たない地域が、核兵器を持っている国に対して、いくら声が小さくても、声を届けていくことが重要ですから、この会議に多くの国々、多くの地域を呼んで国際イベントを開催していく予定です。
 また、カザフスタンが国際条約の締約国会議の議長になっている一方で、来年開催されるNPT第2回準備委員会の議長国でもありますので、カザフスタンは両方の重要な国際会議の議長国となっているわけで、核保有国と核兵器禁止条約の締約国をいかに調和させて、カザフスタンで会議をやったときに、核保有国の代表者を、正式に参加させる力がなかったとしても、そこを目指して努力し参加者を増やしていく。少なくとも、参加していなくても批准していなくても、オブザーバーとして参加し、核兵器を禁止させていくための参加国の声を、保有国に話を聞いてもらいたいと思います。
 世界で付き合っていく上で、苦手な国がほとんどないカザフスタンとしては、なるべくオブザーバー国の参加に努力していきたいと思いますし、カザフスタンの外交のひとつの力を発揮するところでもあります。
そこは我々としてもがんばっていきたいと思います。

「核兵器禁止条約」の採択・発効
2017年7月7日、国連加盟国の3分の2を超える122カ国の賛成で「核兵器禁止条約」が採択され、同年9月20日に署名・批准・参加の受付が始まった。
この条約は、50カ国の批准書が国連事務総長に寄託されてから90日後に発効する。
「核実験に反対する国際デー」の2019年8月29日、カザフスタン共和国は国連事務局長に「核兵器禁止条約」批准趣旨書を提出し26カ国目の批准国になった。
国連広報センターによると、2024年1月16日現在の「核兵器禁止条約」の署名国は93カ国・地域、批准国は70カ国・地域となっている。
「非核地帯条約」の発効
条約        地域     発効
トラテロルコ条約  ラテンアメリカ・西インド諸島 1969年4月25日
ラロトンガ条約   南太平洋   1986年12月11日
バンコック条約   東南アジア  1997年3月28日
モンゴル非核地帯  モンゴル   2000年2月28日
セメイ条約     中央アジア  2009年3月21日
ぺリンダバ     アフリカ大陸 2009年7月15日
特定の地域の非核化を扱う条約は、他に以下がある
条約    地域  発  効
南極条約  南極  1961年6月23日
宇宙条約  宇宙  1967年10月10日
海底条約  海底  1972年5月18日

今後の予定
〇「せこへい美術館」

  日程 : 2024年準備7月26日(金)展示7月27日(土)15時~8月1日(木)

  会場 : 旧日銀広島支店

○ 2024年度 ヒロシマ・セミパラチンスク・
プロジェクト総会

 日時:2024年6月30(日)
          13:00~14:00   世話人会
          14:00~15:00   総  会
 会場:広島市まちづくり市民交流プラザ3F 
フリースペース

会費納入のお願い
■ 年会費 3,000円 (学生 1,500円)
■ 今年度もカザフスタン(セミパラチンスク)の核実験による被曝の実相及び医療支援を目的に現地への派遣を予定しています。
■ 郵便口座  01360-5-60273
ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カザフスタンからの訪問団 来広島

2023-04-18 19:08:08 | Weblog

グローバルヒバクシャ・カザフスタン代表団

「悲劇と運命」和訳本出版記念

著者紹介・絵画展示・対話・民族楽器演奏

昨年2月に始まったロシアのウクライナ軍事侵攻により、

核兵器使用の危険性が高まる現在、旧ソ連で唯一核兵器禁止条約を批准及び承認した国カザフスタンの代表が、セミパラチンスクの核実験被害をテーマにした小説「悲劇と運命」の和訳本のプレゼンテーションと両腕のない画家カリプベク・クユコフ氏の作品展を開催するため来日することになりました。

代表団を率いるのは、ネバダ・セメイ国際反核運動家たちです。
カザフスタン代表団と共に核の問題を話し合い、反核の連帯行動を前進させましょう。

 

 

日 時:2023年 4月28日(金)15:00~17:30

会 場:広島平和記念資料館 地下1階 会議室(1)

      〒730-0811  広島市中区中島町1-2  電話:082-241-4004(総合案内)

                                               プログラム(予定)
* セミパラチンスク核実験の実態を伝えるドキュメンタリー動画上映
*「悲劇と運命」和訳本出版プレゼンテーション

  発表者:著者 サウレ・ドスジャンさん、通 訳:翻訳者 増島繁延さん
•  カリプベク・クユコフ氏の絵画展示 /「悲劇と運命」の表紙原画も展示
•  ネバダ・セメイ反核国際運動カザフスタン代表団と質疑応答
•  カザフの民族楽器ドンブラとコブス演奏

◆定   員:先着150名 参加費:無料

◆申込方法:4月26日(水)までに①氏名 ②所属 ③連絡先を主催者へご連絡

 

主 催:カザフスタン訪問団受け入れ実行委員会 

  TEL:082-575-1217 Mail:Mail:
後 援:在日カザフスタン共和国大使館

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2022年1月28日

2022-01-27 11:57:05 | Weblog

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2022年1月28日
【2022年度ロシア語能力検定試験】5月29日(日)広島市東区民文化センターで実施されます。
https://www.tokyorus.ac.jp/kentei/

【第22回国際フェスタ・ボルゴグラードの日特別企画開催】
11月21日13時30分より大木毅さん講演「絶滅に抗した町 ~ スターリングラード戦の歴史的意味 ~」。ボルゴグラード市が大きな戦争被害を受けた「スターリングラード攻防戦」と独ソ戦の真実。(内容3回の内2回目。)
絶滅に抗した町-スターリングラード戦の歴史的意義 大木毅(広島平和文化センター 国際フェスタ2021 2021年11月21日)
④第二次世界大戦開戦
 1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻する。9月3日、英仏はポーランドとの相互援助条約に従い、ドイツに宣戦布告する。以後、ドイツは、1940年のデンマーク、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスへの侵攻、1941年のバルカン侵攻と、その版図を広げていく。一方、ソ連も、この間に拡張政策を進める。 1939年9月17日ポーランド侵攻。1939年11月30日、フィンランド侵攻(冬戦争)。1940年6月28日、ルーマニアにベッサラビア(モルダヴィア)と北ブコビナを割譲させる。1940年8月3日リトアニア併合。同5日、ラトヴィアを併合。同6日エストニア併合。
⑤独ソ戦ヘ
 ドイツが西方作戦を実施しているあいだに、ソ連がルーマニアよりベッサラビアと北ブコビナを割譲させたことは、プロエシュチの油田への脅威とみなされる。1940年10月、ヒトラーはルーマニアの首都ブカレストに軍隊を進駐させる。ヒトラー、イギリスの抵抗継続に直面し、「大陸の剣」ソ連の打倒を考えはじめる。
 三つの日付。1940年7月31日。南独ベルヒテスガーデンの山荘に国防軍首脳部を集め、ソ連覆滅の企図を告げる。1940年9月27日。 1941年までに、野戦師団百八十個と占領用師団若干の装備を調えるべしとの総統命令発令。1940年11月12日~13日。モロトフのベルリン訪問。日独伊ソの四国同盟案を示唆したドイツ側に対し、ソ連側は秘密議定書にもとづく勢力圏分割の明確化に固執。1940年12月18日。ソ連侵攻作戦「バルバロッサ」の実施を命じる総統指令第二一号発令。1941年6月22日、独ソ開戦。
⑦短期決戦の失敗から絶滅戦争へ
 初期段階のドイツ軍の進撃はめざましく、開戦一週間でソ連領内に四百キロも前進した部隊があった。中央軍集団は7月初旬までに捕虜三十一万を得る。「敵はもう、この戦争に敗れたも同然である」(1941年7月4日のヒトラー発言)しかし、補給の停滞、人員装備の消耗はドイツ軍の打撃力を削いでいった。しだいに、
その進撃速度は鈍る。9月には南方キエフに主力を向け、包囲殲滅戦に成功するも、首都モスクワへの攻撃は遅れ、10月開始になる。秋の泥濘と厳冬の到来とともに、モスクワ攻略作戦「台風」は失敗し、ソ連軍の反撃によって、ドイツ軍は敗走する。
 こうして、ソ連侵攻が軍事的に失敗する一方、ドイツの戦争目的に包含されていた収奪・絶滅戦争の性格がつよまる。収奪戦争。「大砲もバターも」の方針から来る資源収奪の必要。国民の体制支持を確保するために、生活水準を保証せざるを得なかった。
 「東部総合計画」(一九四一年六月成立)。ポーランド、バルト三国、ソ連西部地域の住民二千百万人をシベリアに追放し、死に至らしめる。「ドイツ化」できない住民一千四百万人は奴隷労働に従事させる。これら占領地の「ゲルマン化」のため。ドイツ系住民を入植させる。
 食糧収奪の「飢餓計画」。絶滅戦争。国民統合のための「差別」。統合のための道具であったはずのイデオロギーが現実の絶滅政策の推進力に。
 「出動部隊」、ユダヤ人をはじめ、ナチのイデオロギーが「敵」とみなした人々を殺戮する親衛隊の特殊部隊。およそ七十万人を虐殺したとされる。
 「コミッサール指令」。国際法に違反するソ連政治委員の殺害。ホロコーストへの動因。ソ連側も、ナショナリズムと共産主義を融合させ、戦争のイデオロギー化をはかる。独ソの相互作用により、戦争は交渉による和平がきわめて困難な妥協のないものとなっていく。

【書籍の紹介】
「ばらまき 河井夫妻大規模買収事件全記録」中国新聞「決別 金権政治」取材班 集英社 2021年12月20日1760円 
内容:始まりは、週刊文春2019年11月7日号の「もう一人の菅側近も『疑惑』のデパート 法務大臣夫婦のウグイス嬢『違法買収』」でした。広島の市民561人らの刑事告発を広島地検が受理したのが、2020年1月15日。
 2019年3月~7月 首長・議員等100人に対して2901万円が案里・克行から渡された。
 同時期、五回にわたり安倍首相から1億5千万円が河井陣営に渡された。

●2019年2月28日 16時05分~同20分安倍首相・河井克行衆議院議員(面談時間15分)○3月13日 案里広島県議 自民党公認●2019年3月20日 16時49分~17時13分安倍首相・克行(24分)○4月15日 自民党より1500万円案里代表政党支部へ●2019年4月17日 15時12分~同32分安倍首相・克行(20分)○5月20日 3000万円案里代表政党支部へ●2019年5月23日 15時28分~16時03分安倍首相・克行(35分)○6月10日 3000万円案里代表政党支部へ○同日 4500万円克行代表政党支部へ●2019年6月20日 17時56分~18時16分安倍首相・克行(20分)○6月27日 3000万円克行代表政党支部へ
■東京第6検察審査会に被買収者100人に対して、また広島第1検察審査会に溝手陣営・小島陣営に対して検察官への異議申し立てがされている。

【「映画『氷雪の門』への考察(19回目)】

(1)1945年8月前後の動き(承前)(2)日露・日ソ間の条約(その18)1941年12月8日の太平洋戦争開始(英領マレーシア・コタバル侵攻、タイ侵攻、ハワイ真珠湾奇襲攻撃)に関わる対外関係をとりあげます。vi)カイロ宣言、1941年8月14日大西洋憲章、1942年1月1日連合国共同宣言、1942年2月23日米英武器貸与協定後の連合国の動きとして、vii)米ソ武器貸与協定をとりあげました。ix)「テヘラン会談」。x)ヤルタ秘密協定 xi)「●ソ連の中立条約不延長通告(一九四五年四月五日)」「●日ソ中立条約廃棄に関するソ連覚書」xii)米華英のポツダム宣言(前回まで)

xiii)今回より「NHKスペシャル 戦争の真実シリーズ② 樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇(角川書店)」を読んでいきます。

【炭本さんのボルゴグラード紀行(12回目)1978年訪問1998-06-09記述】次号以降に

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2021 Summer No.37   

2021-07-24 18:46:38 | Weblog
2021 Summer          No.37
            
ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
〒 733-0861広島市西区草津東3-6-11-2(橋村宅) TEL/FAX:090-2002-7385
E-Mail:mashenka@fancy.ocn.ne.jp  Blog: http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan

【2020年度の活動記録】
2020年3月上旬から新型コロナウィルス感染拡大にともない、緊急事態宣言が発令され、三密につながる行動が大幅に制限されました。そのため、世話人会を開くことも出来なくなり、6月になってやっと世話人会を開くようになりました。しかし、セメイ市内しないで開催を予定していました、基町高校の美術部員が被爆証言をもとに描いたヒロシマの被爆の絵を展示する計画は、渡航不可能なため開催を断念せざるを得ませんでした。
   
2020年度の主な活動を報告させていただきます。
●6月7日(日) 第1回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
  →令和元年度の収支報告の確認と令和2年度の活動計画(①広報誌発行、②総会の開催、③せこへい美術展への出展、④大学生をカザフスタンに派遣し原爆の絵を展示する事業は、カザフスタン共和国東カザフスタン州のロックダウンにより渡航が不可能なため中止を決定)
●7月5日(日) 第2回世話人会及び総会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→令和元年度の事業報告・決算報告、令和2年度の事業計画・収支予算、世話人改選及び広
報用パンフレット&展示用パネルを更新することを確認。
●7月23日(木) 広報誌「ヒロセミ」No.36の印刷と発送(A4版8ページ、250部印刷+100部発送)
●8月8日(土)~8月16日(日) せこへい美術展参加(於:旧日本銀行広島支店)
→ヒロセミPJのパネル展及び日本ユーラシア協会「カザフの子の作品」の展示

せこへい美術展でのセミPJの展示風景
●10月3日(土) 第3回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→ 在カザフ日本大使館経由での小児病院への医薬品(10万円)の贈呈を検討するが、長期にわたる東カザフスタン州のロックダウンのため、在カザフ日本大使館員も現地に入ることが出来ないことから、今年度の贈呈は断念する。
●11月15日(日) 第4回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→多山報恩会の助成金精算の確認を行う。また、日本で勉強及び仕事を始める元留学生たちの近況を確認。
● 2021年2月27日(日)第5回世話人会(於:広島市まちづくり市民交流プラザ3F)
→ 1月22日 核兵器禁止条約が発効し、グローバルヒバクシャ(セミパラチンスクの核実験の実相)の発信と県内の平和団体との学習等の連携強化を進める
●3月7日(日) 『国際女性デー』 (於:ひとまちプラザ)
→ 道田 涼子 若い世代の平和活動報告

道田涼子世話人と娘さん(かのん)と二人で一緒にカザフスタンの核実験の歴史とヒロシマセミパラチンスクプロジェクトとカザフの人々との相互訪問や活動について報告しました。
特に、「ザマナイ」の映像に多くの方が感動していました。(2019年カザフスタン訪問時、セメイ市の国際会議開催時のオープニングセレモニーにて道田氏本人が歌唱)
ヒロセミPJの写真パネル展示(期間:2021年3月3日~3月10日)
3月7日国際女性デーの様子(於:ひとまちプラザ)

【2021年度の活動予定】
今年は、カザフスタン共和国独立30周年の年に当たり、現地訪問などを計画したいところですが、特に東カザフスタン州のコロナ禍によるロックダウンは長期に続いており、昨年に続いて今年も現地訪問及びセメイ市内の小児病棟への医薬品の贈呈も出来ていません。
なお、小児病棟への医薬品の贈呈については、現地訪問以外の方法も含めて検討して行きます。また、今年度の活動も今予定されているのは、以下の二つです。
●「せこへい美術館」への出展  8月17日~8月22日 於、旧日銀広島支店
●カザフスタン独立30周年記念によるセメイ医科大学とのリモート会議  8月28日
【元留学生3名、東京・新潟に再留学、山口に就職】
■アクマラル(第2期留学生) 家族で日本にやってきました
アクマラル(2期留学生)は、主人と子供4人で2019年11月に来日しました。
アクマラルは、東京外国語大学言語学、博士課程に合格し、2019年9月に来日し、11月から主人と子供4人も来日しお、家族一緒に生活しています。
現在東京外語大学大学院、博士課程に留学(5年間)、言語学を専攻しています。

子供たちは中学生の長女ナゼルケを先頭に元気に日本での生活を楽しんでいるそうです。
Amangali Nazerke (12歳)
アマンガリ ナゼルケ
Amangali Ingkar(11歳)
アマンガリ インカル
Amangali Aisha(7歳)
アマンガリ アイシャ
Amangali Magzhan(3歳)
アマンガリ マグジャン
■マリカ(第10期留学生) 新潟事業創造大学大学院に入学
マリカ(10期留学生)は、2020年12月に来日し、新潟事業創造大学院大学に入学しました。
WFWP(世界平和女性連合で国連NGOの日本支部)より、日本語弁論大会で表彰されたとの報告がありました。
■ヌルダナ(第11期留学生) 萩市のIT関連会社に就職
ヌルダナ(第11期留学生)は、IT関連会社の株式会社Phone Appliに就職が決まり、2021年1月に来日しました。
自主隔離後、アプリ開発センターのある山口県萩市の明倫学舎で仕事をしています。

ヌルダナからのメッセージ :
広島での留学によって、多くの大事な体験を身に着け、たくさん学ぶことができました。
現在は日本のIT関連会社で働いていて、ワクチン予約システムなどの現在必要とする技術を提供できることを誇りに思っています。ヒロシマセミパラチンスクプロジェクトの皆様に心より感謝しております。
いつも平和を大切に!
写真は、2019年8月4日に「ハチドリ舎」で行われた、トークイベント「カザフスタンの核実験被害のこれまでとこれから」の様子。
左から、平岡敬元広島市長、ヌルダナ(第11期留学生)、アイダナ(第12期留学生)、詩人アーサー・ビナード。

【2021年、カザフスタン共和国独立30周年を迎える】
1949年8月29日に、ソ連邦による最初の核実験がセミパラチンスク核実験場で行われ、その後、1989年10月19日までの最後の核実験まで456回の核実験が行われました。
核実験場の閉鎖を目指して、カザフスタン作家同盟第一書記のスレイメノフ氏は、1989年3月22日に反核団体「ネバダ・セミパラチンスク」を結成し、世界のヒバクシャと連帯し、核実験の中止・核兵器の廃絶、ヒバクシャの救済を求めて活動を開始しました。
また、1990年5月17日に「ネバダ・セミパラチンスク」主催で、中国放送(RCC)⇔カザフスタンTVを衛星中継で繋ぎ、両ヒバクシャが体験を語り合い、海外にセミパラチンスク核実験場を知らせる最初になりました。また、スレイメノフ氏らは1990年8月に広島で開催された原水爆禁止世界大会に参加し、「セミパラチンスク」の実情を訴えました。
1991年8月29日、カザフスタン社会主義共和国第一書記ナザルバエルは、セミパラチンスク核実験場の正式な閉鎖を宣言しました。なお、この行為を記念して国連は、8月29日を「核実験に反対する国際デー」としました。
カザフスタンは、1991年12月16日(国家の祝日)に独立を宣言し、2021年12月16日で30周年を迎えることになります。

この30年間で起きたカザフスタン共和国の出来事及びヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの主な活動を振り返り紹介します。
※1991年12月16日、カザフスタンは独立共和国となる。
1994年8月、広島市でアジア競技大会に向け、公民館活動を通じて「一館一国運動」がはじまり鈴ガ峰公民館を中心に「広島カザフ友好の会」が発足し、その輪が広がっていきました。
1997年に日本ユーラシア協会主催の日本文化週間で、広島から12名の代表がセミパラチンスク核実験場跡地を訪れ、世界では核実験によって多くのヒバクシャが生み出されていることを知らずに過ごしていた事への自責の念を強く抱いた。
※1997年12月10日、アルマティからアスタナ(現ヌルスルタン)に遷都。また、1998年4月からアスタナ新首都設計がスタート。27チームのコンペの結果、黒川紀章案が第1位となる。
1998年9月7日、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトを発足。1997年に現地を訪問した人たちは、ソ連崩壊後の混乱している状況から、緊急に現地への医療支援が必要であることを実感し、その為の募金活動や市民レベルの交流を進めるために広く活動参加を呼びかけ、プロジェクトの発足にいたる。
1999年8月、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト発足後初のセミパラチンスク(セメイ)を訪問。健診車両として使うためにトヨタハイエースワゴンを寄贈する。
医療支援活動では、エコーなどの検査機器と武市先生や野宗先生による甲状腺検査や医療技術向上のためのセミナー開催を行い、2013年からはセメイ市内の小児病棟への医薬品の贈呈を続けている。
2000年4月から山陽女学園高等部でセメイ市からの留学生の受け入れが始まり、2018年19期留学生のアイーダが25人目の留学生となり、これをもって留学生の受け入れを終える。
※2001年10月、日本の円借款によりイルティッシュ川橋梁(6車線、750m)完成、建設工事は(株)IHI。
※2006年9月8日、中央アジア5カ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)によって「中央アジア非核兵器地帯条約」が調印され、2009年3月21日に発効。
2009年8月7日、NHK総合テレビジョン「ノーモアヒバクシャ~核兵器のない世界を目指して~」が放映。ローザ・リムバエバ氏による「ザマナイ」の歌が紹介され、日本語通訳をアケルケ(第1期留学生)が行った。
2012年7月、カザフスタンの歌手であるローザ・リムバエワ氏を広島市に招聘し、各会場でコンサートを開催。
2014年8月29日、ネバダ・セメイ国際反核運動25周年のセメイ市内で開催される国際会議に広島から代表団を派遣。広島市からは、平和文化センターの小溝理事長が出席。
2016年11月9日、ナザルバエフ大統領、広島平和記念館を視察・訪問、「ザマナイ」の合唱で大統領を出迎える。
2018年7月、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト20周年企画としてセメイ医科大学のナイラ博士と第1期留学生のアケルケを招聘し、基調講演及びこれまで関わってきた方々からの報告を頂いた。
※2019年3月19日、ナザルバエフ大統領辞任表明し、翌日、トカエフ上院議長が大統領に就任。また、2019年3月23日、トカエフ大統領は首都名を「アスタナ」から「ヌルスルタン」とする大統領令に署名。
2019年7月、11期留学生のヌルダナ、12期留学生のアイダナを招聘し「旧ソ連の核実験から70年、カザフと日本の若者を中心としたシンポジウム」を開催。
2019年8月、セメイ医科大学主催の国際会議「環境・放射線・健康」に代表団を派遣。
※2019年8月29日、カザフスタン共和国は核兵器禁止条約に批准し、26か国目になった。その後も批准国は増え続け、2020年10月24日に批准国が50カ国に達し、その90日後の2021年1月22日に条約は発効された。
2022年1月12日~14日の日程で、オーストリアの首都ウィーンの国連施設で第1回締約国会議が開催される。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和1年度 (第22期)定期総会開催のお知らせ

2020-06-10 10:33:48 | Weblog
 定期総会開催のご案内       2020年6月10日

毎年、郵送にて告知していました総会をSNSにてお知らせします。
コロナ禍の各種公共施設の閉鎖により、広報誌の作成、総会の告知が遅れましたことお詫び申し上げます。
世界的なパンデミックにより、遅れていましたカザフスタンのコロナ感染者も上昇の一途です。
現在も外出禁止が続いています。今夏のカザフスタンとの相互訪問等は困難となっています。
しかしながらSNSにて元留学生たちとの交流は続いております。


2020年、第22期定期総会の開催
⇒ 日 時 : 7月5日(日) 16:00~
⇒ 会 場 : 広島市まちづくり市民交流プラザ3Fフリースペース
⇒ 内 容 : 第2回世話人会及び総会(2019年度の活動のまとめと2020年度の活動計画)

今年度は主に来期に向けての準備期間となります。
総会にご参加いただき皆様からのご助言をいただければ幸いです。

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヌルダナさんアイダナさん来広

2019-09-03 16:10:48 | Weblog
ヌルダナさんアイダナさん来広

 
 今夏、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(略称ヒロセミ)の招聘で、ヌルダナさんとアイダナさんが来広した。ふたりは、ヒロセミが広島へ招いたカザフスタン留学生OG。2000年から18年までの19年間にヒロセミが招いた留学生は25人。ヌルダナ・アディルハノワさん(24)は、第11期(2010年)の留学生。アイダナ・アシクパエワさん(25)は、第12期(2001年)の留学生である。今回の広島滞在は7月25日から8月8日までの2週間。滞在期間中、「平和への祈りコンサート」(7月27日)、「ヒロセミ20周年記念講演&シンポジュウム」(7月28日)、「ヒロシマ平和の灯のつどい」(7月31日)、「友の会平和例会」「平岡敬・金平茂紀対談」「ハチドリ舎平和イベント」(8月4日)、「平和祈念式典」「ユニタール平和イベント」(8月6日)など、多彩な行事に参加・出演した。
 以上の活動のうち、7月28日のヒロセミ主催の「記念講演&シンポジュウム」におけるふたりの発言を紹介したい。その前に、当該イベントのあらましを述べよう。

 ヒロセミは、旧ソ連のセミパラチンスク核実験場のヒバクシャ支援を目的として、1998年に発足した。以来20年、ヒバクシャへの医療支援のみならず、広島市とセミパラチンスク市(現在はカザフスタン共和国セメイ市)の市民交流に努めてきた。留学生支援はその一環である。このたびのイベントは、ヒロセミのこれまで20年間の支援活動・交流活動を振り返り、これからの国際連帯のありかたを考えるものである。会場は広島市内の東区民文化センター。2019年7月28日(日)13時半開会。第1部は記念講演。野宗義博さん(広島国際大学教授)の「ウクライナ・カザフ・福島で続ける甲状腺検査」と星正治さん(広島大学名誉教授)の「内部被曝の検証」。ふたつの講演は、核被災地の医療支援活動を通じて学ぶべきことを明らかにするものであった。第2部はシンポジュウム。コーディネーターは広島大学平和センター長の川野徳幸さんで、5人の若者たちが報告した。日本の若者である井上日南子さん(22)は、高知大学生。国立カザフ大学に1年間留学した体験を報告した。同じく日本の若者である廣目千恵美さん(34)と渡部久仁子さん(38)は、2016年のヒロセミのカザフスタン・スタディ・ツアーに参加した体験を報告した。そして、ヌルダナとアイダナが発言した。

 ヌルダナの発言要旨。1991年8月29日セミパラチンスク核実験場がカザフスタン政府によって閉鎖された。8月29日は国連の「核実験に反対する国際デー」だ。カザフスタンは自発的に核兵器を放棄した国のひとつ、中央アジア非核地帯のリーダー、核兵器禁止条約の批准国だ。だが、カザフスタンの現在の政策は、原子力の平和利用を肯定している。ヌルダナが働いていたカザフスタンの原子力協会の主な目的は、原子力の平和的利用に関する情報を国民に広めることだった。2015年に開設された原子力情報センターの目的は、原子力の平和利用と技術分野における教育を促進することだが、カザフスタン国民は、原子力に対して否定的な態度をとっている。今年4月にロシアのプーチン大統領は、カザフスタンのトカエフ大統領に、カザフスタンの原子力発電所の建設を提案したが、この提案は国民の抗議の波を引き起こした。その後の記者会見で、トカエフ大統領は原発の建設はまだ計画されていないと述べた。カザフスタンの反核運動は、「ネバダ・セミパラチンスク」の30周年記念の枠組みの中で、継続している。一人ひとりの行動の積み重ねが世界を変える。
 アイダナの発言要旨。2014年に、ヌルダナと一緒にマーシャル諸島の首都マジェロで行われた「グローバル被爆者ワークショップ」に参加した。日本、マーシャル、オーストラリア、カザフスタンの若者や研究者は、自国の原爆実験や歴史について語り、他国の悲劇について学んだ。マーシャルの「ブラボー」核実験の「核犠牲者追悼記念日(ビキニ・デー)」にも参加した。東カザフスタンのように、ビキニ環礁で実験が繰り返されたが、最も酷かったのは、それらの爆発がどれほど危険であるかについて、人びとは知らなかったということだ。病気になった人びとは、自分の病気の理由が何であるかさえ知らなかった。マーシャル人から聞いた話は、セミパラチンスクに住んでいる人の話に似ていた。セミパラチンスクの核実験のせいで娘を失った私の祖母は、いま私たちが出来ることは、悲劇について覚えていること、将来それを繰り返さないことだと言っていた。「ワークショップ」に参加して、さまざまな国の若者たちとともに、世界の核の状況を知った。未来は私たちの世代の手の中にある。核被害のことをもっと学び、私たちの知識を同世代の若者に広めるべきだ。

旧ソ連最初の核実験から70年、最後の核実験から30年。核被害のない世界、核も戦争もない世界の実現を目指して、私たちに出来ることは何か。そのような目標をかかげて開催された今回のシンポジュウムで、ヌルダナとアイダナは重要な役割を果たしたようだ。そのことに私は感動した。そして、彼女たちの活躍に感動したのは、私だけではなかったようだ。彼女たちを見守ってきたヒロセミの世話人たちもきっと同じだったにちがいない。7月25日から1週間、ヒロセミの代表団が、核実験終結30年記念イベントがあるカザフスタンを訪問する。ヌルダナやアイダナたちとの再会もきっとあるだろう。こんなふうにして平和は紡がれていくのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧ソ連の最初の核実験から70年 記念講演とシンポジウム

2019-06-19 11:38:42 | Weblog
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カザフ語のザマナイ 

2019-06-02 10:05:04 | Weblog
 
元、劇団四季団員 道田涼子氏がザマナイのCDをリリースしました。!!
カザフスタン反核の歌「Заман-ай" 」】

昨年、5月に初めてカザフスタンに行かせていただき、ザマナイ作曲者のT. Muhamedzhanov さんと、作詞者のUlugbek Yesdauletさんとお会いできた事をきっかけにもっとこの「ザマナイ」を多くの日本人にも聴いてほしいと願いました。

カザフスタンは旧ソヴィエト時代(1948年~1989年)約40年間、空、陸、地下で456回の核実験が行われ、多くの周辺住民が何も知らされないまま被曝し、今もなお癌や白血病などの病気に苦しんでいる、、1989年に核実験場閉鎖を求める「ネバダ・セミパラチンスク」運動の中で多くの住民に歌われ、大きな力となった「ザマナイ-時代よ-」。。。

日本語共同訳は、長きに渡りカザフスタンへの医療支援、留学生受け入れなどの活動を行なってきたヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの小畠 知恵子氏と、留学生としてヒロシマに一年間留学されたAkerke Sultanovaさん。(著書「核実験地に住む」カザフスタン・セミパラチンスクの現在)

http://www.kadensha.net/books/2018/201807kakuzikkenti.html

カザフ語発音指導をしてくださったNurdana Adylkhanovaさん、Aida Makhanovaさんありがとうございました。

https://youtu.be/clRxNdbyNQo

YOUTUBE.COM
zamanai-時代よ-
カザフスタン国民的歌手ローザ・リムバエワによって歌われたカザフスタン被曝者のための鎮魂歌。1989年に旧ソ連の核実験場閉鎖の実現した市民運動・…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若者たちの対話と専門家報告

2019-05-23 10:36:07 | Weblog
記念講演&シンポジウム

・ 日 時 : 7月28日(日) 13:30~16:00
・ 会 場 : 東区民文化センター スタジオ2 (広島市東区東蟹屋町10-31)
・ 参加費 : 無料(定員80名)

■ 記念講演 : 核実験場の医療支援活動を通じて核の問題に向き合う
・ 広島国際大学     野宗 義博  ウクライナ、ガザフ、福島で続ける甲状腺検査
・ 広島大学名誉教授  星 正治  内部被曝の検証~原爆直後に発生したマンガン(放射性微粒子)~

■ シンポジウム : 核実験から70年、核実験場閉鎖から30年、次の世代に核兵器を残さないために
・ 元留学生(山陽女学園:2010年4月~2011年3月)   Nurdana Adyikhanova              
・ 元留学生(山陽女学園:2011年4月~2012年3月)   Aidana Assykpayeva                  
・ 日本の若者  井上 日南子 高知大学生 国立カザフ大学に1年留学
・ 日本の若者  廣目 千恵美、 渡部 久仁子 2015年カザフスタン訪問
☛ コーディネーター  広島大学平和センター センター長   川野 徳幸






主  催 : ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)
協  力 : 在日カザフスタン大使館、国立セメイ医科大学
お問合せ先 : ヒロセミ事務局(090-2002-7385 橋村)又は(090-2298-4393 小畠)
E-Mail : mashenka@fancy.ocn.ne.jp
〒 733-0861広島市西区草津東3-6-11-2(橋村宅) Blog : http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする