ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの設立趣旨
● 1949年8月29日、米国の核兵器に対抗して、ソ連(当時)は初めてセミパラチンスクで核実験を実施しました。以来、米ソの核軍拡競争が激化する中で、セミパラチンスクでは核実験場閉鎖までの40年間に、4百数十回に及ぶ核実験が行われた結果、大地は荒れ果て、蓄積された放射能によって、多くの周辺住民が健康被害に苦しんでいます。
● 60年前、一発の原子爆弾によって壊滅した広島市は、内外からの多くの援助と、市民の不屈の努力によって再起することができました。被害に打ちひしがれ、焦土に呆然と立ちつくす広島市民に、生きる希望を与えてくれた内外からの励ましを、私たちは忘れることはできません。
● セミパラチンスク核実験場周辺に住む、多数の住民が放射能被害で苦しんでいるのを知った人たちが医療支援に立ち上がり、セミパラチンスクの被害者に救援の手をさしのべたいと思う市民参加によって、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトは、1998年9月7日に発足しました。
● 被爆後60年を経て、地球上には2万発とも3万発とも言われる核兵器が存在していますが、核軍縮は遅々として進まず、核拡散の危険性はますます強まっています。また、イラクなどテロ対策を口実とした戦争も連鎖的に拡大する危険性をもっています。
● 私たちは、セミパラチンスクの被害者を支援し、彼らと連帯していくことは、ヒロシマが訴える核兵器廃絶を実現し、地球上から核による悲劇をなくすための重要な行動になると確信し、広島市民の責務として活動を進めています。
● 1949年8月29日、米国の核兵器に対抗して、ソ連(当時)は初めてセミパラチンスクで核実験を実施しました。以来、米ソの核軍拡競争が激化する中で、セミパラチンスクでは核実験場閉鎖までの40年間に、4百数十回に及ぶ核実験が行われた結果、大地は荒れ果て、蓄積された放射能によって、多くの周辺住民が健康被害に苦しんでいます。
● 60年前、一発の原子爆弾によって壊滅した広島市は、内外からの多くの援助と、市民の不屈の努力によって再起することができました。被害に打ちひしがれ、焦土に呆然と立ちつくす広島市民に、生きる希望を与えてくれた内外からの励ましを、私たちは忘れることはできません。
● セミパラチンスク核実験場周辺に住む、多数の住民が放射能被害で苦しんでいるのを知った人たちが医療支援に立ち上がり、セミパラチンスクの被害者に救援の手をさしのべたいと思う市民参加によって、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトは、1998年9月7日に発足しました。
● 被爆後60年を経て、地球上には2万発とも3万発とも言われる核兵器が存在していますが、核軍縮は遅々として進まず、核拡散の危険性はますます強まっています。また、イラクなどテロ対策を口実とした戦争も連鎖的に拡大する危険性をもっています。
● 私たちは、セミパラチンスクの被害者を支援し、彼らと連帯していくことは、ヒロシマが訴える核兵器廃絶を実現し、地球上から核による悲劇をなくすための重要な行動になると確信し、広島市民の責務として活動を進めています。