ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト

NGO ひろしま市民によるカザフスタン共和国旧ソ連核実験場周辺住民(核被害者)への支援・交流

広報誌2013 Spring  

2013-02-12 13:23:19 | Weblog
2013 Spring                                      No.26
ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト
〒 733-0012 広島市西区草津東3-6-11-2(橋村宅)
TEL/FAX :082-274-1634 E-Mail: mashenka@fancy.ocn.ne.jp
 Blog: http://blog.goo.ne.jp/kazakhstan

ついに実現、ローザの歌声Zaman-ai~時代よ~ 
日本とカザフスタンの核被害者への鎮魂と平和への祈り
ザマナイのオリジナル歌手、ローザ・リムバエワ一行(3名)が2012年7月26日(木)から8月2日まで滞在した。広島市長、広島県知事の表敬訪問から慰霊碑献花、資料館見学、コンサート、交流会、「平和の灯火の集い」「講演会」などを行い広島での市民との絆がより強まった。来日者:ローザ・リムバエワ、息子マディ、姪マンシュック
7月27日:広島市長表敬訪問 緊張の面持ちの中、ローザが手慣れた様子で話題を提供、一気に場が盛り上がり、それからはスムースな対話が始まった。ベテラン通訳の橋村さんに助けられ、松井市長と皆で記念撮影。ローザ、読売新聞よりインタビューを受ける。広島県知事表敬訪問 カザフスタン訪問の経験がある広島県議会議員を中心にカザフスタンの豊富な地下資源等の話やセメイ市周辺のローザの親戚の被爆について会話が交わされた。姪マンシュックの両親が早くに亡くなられ、ローザが引き取り親代わりをしている事。また、ローザのパートナーも10数年前に亡くなり、すべてが現在も彼女の肩にかかっていることなどが告げられた。猛暑の中、平和公園で献花、サダコ像、原爆ドーム前で写真撮影。夕方歓迎会。共同通信の取材 約1時間。
7月28日:宮島見学 若者国際交流グループCANVaS同行案内。広島大学大学院留学生アネリが通訳を務める。
7月29日:第2回東日本大震災復興支援チャリティディナー(主催安芸コスモスゾンタクラブ)東京のカザフスタン大使館より3名参加。四国からも参加者があり皆様大満足で終了後にはサイン入りCDを購入されていた。8月にカザフスタンに初めて招待取材を受けて派遣される増田記者(中国新聞社)大使館関係者に挨拶に来られる。
7月30日:ザマナイ~時代よ~ローザと時代を歌うコンサート (主催ヒロセミ)MCは通訳なしで直接、丸子アナウンサーに行ってもらう事に変更。ローザと丸子アナウンサーの息も合い、コンサートの進行が遅れることなく進む。1部、2部、3部と順調に進む。終了後、出演者全員で記念撮影。
7月31日:「ゆいぽーと」にて東京からの共同通信             <松井広島市長を表敬訪問>
記者の取材を受ける。その後、講演の打ち合わせ 通訳:橋村、司会:田熊:講演後にザマナイを歌う事を確認「講座ヒロシマを語りつぐ 第4回 旧ソ連の核実験を止めた歌「ザマナイの歌の背景を語る」100名近くの参加者 (主催:ゆいぽーと)終了後、やはりザマナイの歌に感動する感想が多く寄せられていた。また、旧ソ連で核実験が秘密裏に400回以上行われていたことに多くの人が驚いていた。終了後タクシーにて平和公園に移動。18:30 平和公園にて「平和の灯火のつどい」歌のリハーサル:発電機をレンタルし音響を整備、ザマナイの歌声がリハーサル段階から平和公園に響き、行き交う人々が足を止め飛び入り参加を決めた外国旅行者も多く見受けられた。日本語のザマナイは道田涼子氏(元劇団四季メンバー)が受け持たれ、ローザさんにおおいに認められた道田氏であった。いつも残暑が厳しい平和公園が不思議と過ごしやすい夕暮。ロウソクをともしての皆の行進はあたかも日本の被爆犠牲者とカザフの被曝犠牲者の魂の共鳴が「ザマナイ」の歌声を通して聞こえるような深い感動を皆の心に呼び起こした。初めて参加された方は感激の涙を流されていた。
8月1日:写真家森住卓氏のパネル写真(フクシマ原発事故周辺村々の記録写真)とセミパラの展示を見学。ローザはセミパラの写真集に関心を寄せていた。せこへい美術館のオープニングに参加。リハーサルを丁寧に行う。マンシュックもマディも留学生マディナの民族舞踊や生徒たちのモダン、ヒップポップダンスを楽しむ。終了後、荷物の整理に急いで部屋に帰る。
8月2日:午前7:00過ぎ、バスセンターからリムジンバスで空港へ。旅慣れたローザは問題なくチャックインを通過。ローザから信頼と感謝の言葉を何度ももらう。カザフスタン訪問の際には再会することを約束して別れる。(8月27日 約束通り、アルマトイでローザ、マンシュック、マディと再会、夕食を御馳走になる。日     <次期留学生の家族とともに>   
本側:星、武市、野宗、小畠) 

核被害写真展を「せこへい美術館」で開催
 2001年8月6日に、世界の子どもの平和像(略称せこへい)が旧市民球場前緑地帯に建立除幕されて以後、高校生やサポーター市民によって、毎年「せこへい美術館美術館」が開催されてきた。その申し出を受けて、ヒロセミは、昨年2012年の夏、旧日銀広島支店で開催された「せこへい美術館」を共催し、「世界の核被害」の写真展を実施した。
 この写真展は前後2期に別れており、前期(7月18日~30日)は、カザフスタン大使館提供のセミパラチンスク各実験場の写真とフォト・ジャーナリスト森住卓氏のセミパラチンスク核実験被害の写真を展示した。あわせて、ヒロセミの歩みをパネルで紹介した。入場者は約2000名。後期(8月1日~7日)は、森住卓氏の「福島第一原発・風下の村」の写真パネルを展示した。入場者は約3000名。前後期で約5000名が入場した写真展の反響は大きく、入館者から    <せこへい美術館パネル写真展>
たくさんの感想が寄せられている。その一部を紹介したい。

〈前期〉「セミパラチンスク核実験」写真展の感想
①核実験で犠牲になった子どもたちの写真は、目をおおってしまいます。多くの国民が病気で苦しんでいるのですね。広島の被爆者も同じように苦しんでいます。何の役にもたたず、人の命まで奪う核などいりません。世界の人々と手をつないで、核のない平和な世界をつくっていきましょう。
②核・ウラニウムを完全に制御して人間が平和的に利用できるのが疑問であると思う。福島もセミパラチンスクもスリーマイルも、3つの発電所では起きるはずのない事故が起きた。その代償は余りにも大きい。原子力発電所はもうやめた方が良い。やめても原子力発電所の解体と使用済み核燃料と核のゴミ処分と保管にものすごい時間とお金がかかる。今となってはしかたのないことである。
③核被害というのは他の事故にない、とりかえしのつかない被害を人類にもたらすということをあらためて感じました。
④25年生きてきて、核被害と言えばヒロシマ・ナガサキ、今では東日本大震災しか知りませんでした。カザフスタンは核実験で日本以上の大被害にあっていたなんて知りませんでした。無知な自分が恥ずかしいです。今日立ち寄って写真や写真集を見て、少し知識を得られて良かったです。核ゼロの世界になるように願いつつ、自分は知識を得て、何かしら貢献したいです。
⑤核被害と言えば、スリーマイル島、チェルノブイリしか知りませんでした。あの大国ソ連のやることだから、どこか大ざっぱ、秘密にしてきたのか。自国の人間なのに人権はないの?せめてどこかに移住させてから実験すれば良いものを。核の強さ、大きさだけでなく、ついでに人間の被害も見られると思ったのでしょうか。何ともやれん気持ちです。日本の政治家達は知らないのでしょうか。原発なんか作ろうと思わないはず。広島のことも知らないのでしょうね。福島の原発の後処理も大変だ。
⑥核は本当にこわいですね。今日日本でも福島での問題もおそろしいことです。安全神話にとらわれていないで、みんなで大声をあげねばならないと思います。今回の旅は考えさせられることがいっぱいありました。カザフスタンも変わっていければいいですね。
⑦核実験での放射能被害。地元住民がいる中での実験。なにも知らされず、ずっと生活を続けることをしてきた。人体実験だと思った。この被害の実際を世界に明らかにすべきだと思う。核はまだ人知の制御できる時ではないと思った。
⑧1998年5月、日本原水協が派遣したカザフスタン核実験被害調査団の一人としてカザフスタンを訪問しました。私の訪問先はジャルケント(パンフィロフ)でしたが、そこで聞かされたことは、子どもたちがほとんど何らかの異常を持って生まれていると。「カザフは病気の子どもの国」と呼ばれているとも。ユーリー・クィデン氏が健在で、広島市長平岡氏への写真集を預かって戻り、平岡市長へ届けることが出来た。カザフの人々、特に核実験の被害を受けた人々が、我々と同じアジアの顔をもった人たちだったことに驚いたことを覚えています。カザフの人々のたたかいで、核実験を廃止させたが、被害は今も続いている。そのことをこれからも伝えていかなくてはならないと思う(セミパラ会員です)。
⑨セミパラチンスクで起きたことは、将来フクシマに起きないと言えるのでしょうか。かくされていた事実をどのようにして掘り起こし、実験場閉鎖へ持ち込んだのでしょうか。
⑩「世界の核被害のパネル写真展」、特に森住卓さんの写真パネルと写真集を見て、いろいろな真実が見えてくるようです。このことをもっともっと多くの人たちに見て、知ってほしいと思います。特に若い人たちにもっともっと見てもらい、今まで起こったことは他人事ではないということを感じて、過去のことを繰りかえさないように。そして、これからは、もっと美しいこと、楽しいこと、おもしろいことをはじめてほしいと思います。

〈後期〉森住卓「福島第一原発・風下の村」写真展の感想

①これを観て、まだ原発を使用したいと思うのか?政治家は目も耳も口もないのだろう。
②「ごめんよ。恨まないでおくれ」と牛を見送る婦人の姿。本当に謝らなければならないのは誰か!「安全・安心」を言い続けてきた人たち(会社・国・米国等)は、やはり金が先なのか。
③日常生活を侵す放射能の恐ろしさをいっそう感じました。原発が一刻も早くなくなりますように。いやなくさなければなりません(大阪・水野)。
④原発4号機建屋の5Fにいる人物。放射能汚染されているのに!とびっくり。何という状況でしょう。この方はいまどうしているのか気になります。どれも見て恐ろしい風景。そして悲しい風景です。
⑤テレビなどでは報道しないことが記録として残されていて、今尚事故当時と大きな変化のないことがわかります。政府はどこを見ているのでしょう。軽々と原発再稼働なんて。「私たちはイヤ!」なことは行動で表さなければと強く思います。
⑥昨日67年目のヒロシマでフクシマが沢山語られた。南相馬の馬場町長、事故前は原発推進の考えだったが、今は原発ゼロだ。これだけの放射能被害を出しながら、国は何もしない。にもかかわらず、福島を置き去りにして再稼働に理由はない。国は放射能被害者に原爆と同じように補償せよと、馬場町長は福島のすべての人々を代弁している。原発も核兵器もなくさなければならない。
⑦げんぱつのせいで耳のないウサギが生まれたのは、もはやウサギではないと思ったし、かわいそうだなとも思った。
⑧核の火を消せ。悲しみの連鎖はいらない。違った笑いはいらない。一つの笑い。同じ笑い。戦いという言葉は消しされ。本当の涙。本当の笑顔が、平和にする。そう願っている。
⑨今まだ福島は苦しんでいる。国の対応に信じられない位、憤る。写真を見て、心が涙で満ちてくる。やりきれない。
⑩復興と声高に唱えている割には全く進んでいない「復興」、人間の暮らし,人間らしい暮らしを以前のようにまた送れるようになるには一体何年かかるんだろう。人間だけじゃなく、その周りで生きていた犬、猫、牛、豚.......世話する人間がいなくなれば彼らも餓死するか野生化するしかないのに。行政は何もしない。それどころか、元の飼い主に殺処分の同意書を書かせて半ば強制的に命をムダにしている。こんなバカな役人、バカな行政、バカな政府でやりきれない気持ちでいっぱいです。確かに電気を使うのであれば、電力は作らなければならないだろうけれど......。40年、50年前にもっと違う選択ができていたらなあ.。
⑪遠い地にいるとニュースでしかフクシマの今を知ることができない。ニュースで伝えられることはとても表面的であることが実感できた。がんばれフクシマ!おうえんしています。
⑫福島第一原発事故は人災で事を学ばず、政府は収束を宣言し、原発再稼働を強行し、福島県民に解明できず道理がない。東電は事前に何度も対策を立てるチャンスがあったのに意図的に先送りし、安全対策を取ってこなかった。福島風下の村にしてしまった。
⑬壁に残された遺書、最後にしぼり出されたその言葉にリアルを見た。一人の人間を絶望させたモノを、僕は肯定することなどできない。
⑭原発事故とは、そこで暮らす人にとんでもないモノをもたらすんだと何とも言えない気持ちにさせられる。賠償はもちろん必要だが、数十年来の暮らしや夢が破壊され、とてもお金だけで換算できるものではないと、強く感じさせられた。


マディナさん第1位に―第23回日本語による世界平和弁論大会―
2012年11月18日(日) に、広鳥工業大学広島校舎で開催された財団法人ヒロシマ・ピース・センター(鶴衛理事長)主催の第23回日本語による世界平和弁論大会で、山陽女学園高校に留学中のマディナ・スマイルカノワさんが見事に第1位最優秀賞に輝きました。発表テーマは「私がヒロシマで考えたこと」です。発表原稿を紹介します。

 
私がヒロシマで考えたこと
 こんにちは。私はマディナと申します。17才です。私の故郷は、カザフスタン東部のセメイという町です。今、山陽女学園の一年生です。セメイの昔の名前は、セミパラチンスクです。私の町の近くにあるセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連の時代、1949年から89年までの40年間に450回以上の核実験がくりかえされました。その結果、私のまわりの人たちはひどい被害を受けました。
 私の母は、婦人科の医者です。母と話す時、私は聞いたことがあります。新しく生まれた子どもたちは、立つことができない。歩くことができない。話すことができない。笑うことができない。自分で食べることができない。そんな、かわいそうな子どもたちが、いっぱい生まれました。 核実験場の近くでは、生まれつき障害を持った人やガンの人が多く、核実験は、とてもたくさんの遺伝病に苦しむ人びとを生み出しました。たくさんの人びとの命を奪いました。そして、これらの病気の治療法はまだ見つかっていません。私の祖母の妹のアイマンおばあさんは、核実験場にとても近いドロンという町に住んでいて、7人の子どもを産みました。そのうちの一人は、目が見えません。もう一人はガンで亡くなりました。ほかの一人は元気ですが、その人から生まれた子どもは病気です。大人になった今でも歩けません。這って移動するしかありません。這って移動するので、体には傷が絶えません。親も子どもも、そしてその孫やひ孫も、放射能の影響下で生きていかなければなりません。親たちは、放射能に汚染された環境で暮らしながら、その影響を出来るかぎり減らし、健康な子どもと孫を育てなければなりません。親たちは、この課題に向き合い、そして確実にやりとげていかなければなりません。
 私は、今年の4月の2日、広島に来ました。桜がいっぱい咲いていて、広島はとてもきれいな町でした。広島に来た次の日、私は原爆資料館に行きました。私は、資料館の展示を見て、どんなひどいことがあったかを知りました。ヒロシマは、私の故郷セメイと同じ悲しい歴史を持った町でした。そして、今年の8月5日の朝、「原爆犠牲ヒロシマの碑」のセレモニーに参加して、私は被爆者のおばあさんの話を聞きました。被爆当時、彼女は小学校一年生でした。彼女のお姉さんは、原爆の熱線で背中にひどいやけどをして、亡くなりました。治療もなく、薬もなく、多くの被爆者が死んでいったそうです。この日、私は、高校生の平和集会にも参加しました。集会では、原発事故で避難生活を送る福島県の高校生の発言がありました。高校生は、「原発はふるさとを奪った」「ふるさとを奪われる人が、これ以上出てほしくない」と言いました。原発事故の影響はずっと長く続くと言われています。福島で放射能の不安におびえる日々が今も続いていることに、私は心を痛めています。 カザフスタンでは、1991年8月29日に、核実験場を閉鎖しました。その翌年には核兵器の廃絶を宣言しました。また2006年にセメイで開かれた会議では、中央アジアの5カ国が非核兵器地帯条約に署名し、成立させました。その後、国連総会は、セミパラチンスク核実験場が閉鎖された8月29日を「核実験に反対する国際デー」と決めました。私は、これらのことを、とても誇りにしています。
私は将来、外交官になって平和な世界をつくりたいという夢があります。私は、外交官になって、カザフスタンと日本で知ったことを、世界中の人たちに知らせたいと思います。アイマンおばあさんやその子どもたちや孫たち、セミパラチンスクで苦しんでいる子どもたちのような犠牲者を出したくない。ヒロシマのような悲しい出来事があってはならない。福島のような不安におびえる日々をなくしたい。世界中の人々が、安心して暮らせる世界にしたい。そのために、セメイとヒロシマとフクシマに学ぼう。そして広めよう。それが、私がヒロシマで考えたことです。ありがとうございました。


カザフスタンから3人の研究者が来広
  2013年1月末、カザフスタンから、セメイ国立医科大学のトレバイ・ラヒプベコフ学長とナイラさんとタチアナさんが、ヒロセミの招聘で、広島と島根を訪問しました。島根では、1月28日に島根大学とセメイ医科大学の被曝医療に関する交流協定を締結しました。広島では、1月31日~2月1日に、宮島コーラルホテルで開催された、第18回広島国際シンポジウム(シンポジウム・オーガナイザー:大瀧慈、星正治/広島大学原爆放射線医科学研究所放射線影響評価研究部門)に参加し、ナイラさんが、セミパラチンスク核実験場周辺住民への放射線の影響について報告しました。

 島根大は28日、カザフスタン・セメイ市(旧セミパラチンスク市)のセメイ国立医科大と交流協定を結んだ。旧ソ連時代に450回以上繰り返された核実験の被曝(ひばく)者への医療の質を高めるため医師を相互派遣するほか、福島第1原発事故で課題となっている低線量被曝について共同研究する。この日、島根大で調印式を開いた。
 核実験場が閉鎖された1991年以降も周辺でがん患者が増加する中、長年現地を支援してきた同大の野宗義博教授(62)=腫瘍外科=たちが仲介した。
 同大はがん専門医を現地に派遣して診断や治療、技術指導にあたるほか、現地の若手医師を同大に受け入れての指導もする。
 また、同医科大が保管する被曝者の資料やデータを活用。広島大原爆放射線医科学研究所(広島市南区)とも連携し、放射線被曝の影響や仕組みに関する共同研究も進める。
 協定調印後、島根大の小林祥泰学長は、同大が中国電力島根原子力発電所(松江市鹿島町)の10キロ圏内に立地することから「(放射線被曝の)正確な知識を蓄えることは非常に重要。医療での貢献と併せ、共同研究の意義は大きい」とした。
 同医科大のトレバイ・ラヒプベコフ学長は「広島と長崎で被爆を経験した日本の科学的な支援が必要だ」と今後の協力に期待した。
 両大学では、年内にも医師2人程度の相互派遣を計画しているという。(明知隼二記者 2013年1月29日中国新聞朝刊掲載 写真も)

【経過報告】
6月15日(金)・ローザ招聘 記者発表 市役所記者クラブ
6月22日(金)・広島友の会でカザフの話 マディナ
6月23日(土)・留学生の歓迎会  14:0 広島市留学生会館  カザフスタン(マディーナ)、フィンランド(イーリス)、オーストラリア(ヴェラ)  
17:00~ヒロセミPJ総会 せこへい美術館とも協力してヒロセミの写真展を今夏開催(旧日銀)
期間 : 7月18日~31日(1Fロビー)+8月1日~7日(1Fロビー・B1全スペース)
7月7日 世話人会 広島市まちづくり市民交流プラザ フリースペース 7月18日 ヒロセミの写真展
   7月18日~7月30日 カザフスタン大使館+森住さん写真(カラー4枚)
    7月31日~8月7日 森住さんのフクシマ写真40枚
7月26日(木) ローザ来日  広島空港
7月27日(金)ローザ広島知事、市長、表敬訪問、ローザ歓迎会 
7月28日(土)若者交流会 資料館見学 宮島 
7月28日 留学生 可部のまつり(神楽あり)に招待/可部の米田さん宅にホームステイ
7月29日(日)ローザ チャリティディナーコンサート「東日本震災復興チャリティーコンサート」(主催:安芸コスモスゾンタクラブ)
7月30日(月)ローザ コンサート 「ローザと時代を歌うチャリティーコンサート」(主催:ヒロセミPJ)
1部 子供たちの合唱(東広島の少年少女合唱団)
2部 平岡敬氏とアーサー・ビナード(詩人)のトーク 「核時代をいかに終えるか」
3部 ローザ・リムバエワ 歌唱
7月31日(火)ローザ歌「ザマナイ」の背景を語る、ヒロシマ平和の灯のつどい 
8月1日(水) せこへい美術館 オープニング 
8月2日(木) ローザさん帰国
8月6日(火) 原爆記念日 平和記念式典 
8月7日(火) 広島友の会の平和例会
8月18日(土)世話人会 17:00~19:00 広島市まちづくり市民交流プラザフリースペース
      ※当日は、川崎さんの誕生会と納涼会を兼ねて、会議終了後に食事会
8月23日(木) IPPNWユースサミット事前打合せ  
8月25日(土)  8/25(土) 14:30~16:30 IPPNWユースサミット(国際会議場ひまわり)
8月27日(月)カザフスタン訪問団出発  
8月28日(火)若者カザフスタン訪問出発
8月29日(水)アスタナで国際ジャーナリスト会議
9月20日(木)H24年度「国際交流・協力の日」の「公募3事業合同説明会」 広島国際会議場 3F研修室
9月29日(土) 世話人会  10:00~12:00 広島市まちづくり市民交流プラザ フリースペース
10月22日(月)「安芸コスモスゾンタクラブ」例会 小麻野(旧伊達)、二上がスタディーツアー報告
10月28日(日) 山陽女学園高等部の文化祭 マディナ9:00~9:05   マーチング.ファンファーレ
11月3日 (土)広島テレビは山陽女学園高等部の取材し、マディナも出る
「安芸コスモスゾンタクラブ」10周年事業
杉浦 圭子 NHKアナウンサー、今中 哲二 京都大学原子炉実験所)、
11月11日(日)「ボルゴグラードの日」/40周年記念
10(土)午前中より料理の準備(豆の煮込み、ブリヌイ、ペチー二)広島市留学生会館に集合。料理指導はナターシャ
11(日)セレモニー 13:00~16:00、広島市留学生会館ホール
11月18日(日)「国際交流・協力の日」 10:30~16:広島国際会議場 B1(展示場) 
11月18日(日)世話人会
11月18日(日)平和スピーチコンテスト マディナ出場 優勝
12月2日(日)日本語検定
12月17日(月)カザフスタン独立記念日レセプション
12月28日 合同誕生会 
1月26日(土)セメイ大学学長、ナイラ、タチアナの3名をヒロセミPJが招聘

【今後の予定】
3月2日(土)マディナの送別会 14:30~16:00 広島市留学生会館2Fホール
3月13日(水)ロシア少年少女舞踊団“ルスキエ・ザバヴィ”東広島公演
東広島市3月13日(水)開場18時00分 開演18時30分
東広島市中央生涯学習センター(旧 東広島市中央公民館)〒739-0015東広島市西条栄町7-48 090-6096-3647 (松井)
入場料/大人(前売り)1500円 (当日)1800円 小人(高校生以下)1000円
3月14日(木)ロシア少年少女舞踏団“ルスキエ・ザバヴィ”広島公演/日本ユーラシア協会広島支部主催 ヒロセミとして広島公演の後援を行うことを決定 日時・会場 : 3/14(木) 開演18:30~ 広島県民文化センターホール
チケット : 大人1,800円(前売)、大人2,300円(当日)、小人1,000(高校生以下)
ホームページ: http://fswl2013.webtm.ru/
3月16日(土)ロシア少年少女舞踊団“ルスキエ・ザバヴィ”三原公演
三原市3月16日(土)開場13時30分  開演14時00分
本郷生涯学習センター〒729-0417三原市本郷南六丁目25番1号 080-5505-4872(黒川)入場料/大人(前売り)1500円 (当日)1800円 小人(高校生以下)1000円
3月21日(木)留学生帰国国新幹線口7:00に合流、広島空港は8:00過ぎ、9:30頃フライト 3/19(火)にスーツケースを空港に送っておく
4月 次期留学生(マディナⅢ)の来日
 4/1(月)~4/4(木)の間で調整 入寮・制服合わせ 入学式・外国人登録
4月14日(日)⇒ 4/14(日) 10:00~12:00 『竹の子まつり』/真亀1丁目



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