愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

物語の飢餓 2

2013年12月25日 | 歴史

矢板小学4年のクラス替えで恵子に出会えたことは、おれの人生に灯火を心にもたした。

体育館での東映動画 西遊記 の映画上映会、入口でおらたちは並んで待っていった。

ほくろがあると、恵子がいった。

おらはなんだかわからなかった。

ほくろがあるとかわいいのよ、と恵子がいった。

あなたは短気ね、と恵子がいった。

おれはなんだかわからななかった。

短気な人はすぐ怒るのよ、と恵子がいった。

恵子はおらが知らないことをすでに知っていた。

だから恵子は、おらが好きであったことは知っていたはずだ。

手を洗う校舎の水道の前でクラスメートが並んだときがある。

おらの前は恵子だった。

おらは男根を恵子の尻に押し付けた。

それが小学4年か小学5年か小学6年か、記憶は定かでない。

小学卒業までクラス替えはなかった。

おらの人生でとても幸福なときだった。恵子がいたから。

恵子はうしろをふりむきながらバカといった。

西遊記 予告編


物語への飢餓

2013年12月25日 | 小説

 

安寿と厨子王丸 予告篇

 

アニメと漫画は、馬鹿丸出しのおらにとって物語への出会いだった。

人は物語なしには生きていけない。

人の物語への飢餓に風をふかすのが

シナリオライターであり脚本家、劇作家の東京地検特捜部であり

最高裁判所事務総局。

 

 

矢板小学校の図書館でおらは安寿と厨子王の本をかりた。

矢板小学4年の春、クラス替えで、おらはアニメ動画のあこがれのような恵子と隣席になり、おれの人生は明るくなった。

 

日本人の情感は中世時代に形成されたと思っている。

遊行寺での中世説経節公演などを手伝いながら、おらは確信した。

 

 

おらには敵が多い。

動画などをアップすると、すぐに通告される、まんず、しかたがながんべよね、とほほ。

<攻め抜いて、出し抜く> 上海の戦略から学ぶべよ、とほほ。

中国の民衆は古代から官僚中央集権政府など信用していないがんね。

知恵をしぼり生存してきたんだよね、とほほ。

シナリオライターであり脚本家、劇作家の東京地検特捜部であり

最高裁判所事務総局。マスゴミがすぐさま全面展回だべよ、とほほ、がちょん。

すかす、物語とは推理小説ばかりではないよね、とほほ。

物語の起源は放浪芸である中世説経節だべよね、とほほ。

 

物語への飢餓とは人の心が飢餓海峡だからだんべかね、とほほ。

 

倭人降臨。

 


物語を求めて

2013年12月25日 | 歴史

1959、昭和34年4月10日。

馬鹿丸出しのおらは豊田小学校に入学した。小春日和の晴天だった。

入学式が終わると、おばに連れられ、村一番に入ったというテレビをみにいった。庭は広く豪農、屋敷は高台にあった。

東京での結婚披露街頭祝賀パレードの中継映像だった。

はじめてテレビをみた。

それからおらはおばと別れ山を超え増録に帰還した。

家族が住む家にはラジオもなかった。

物語に出会ったのは、豊田村の観音寺だった。観音寺は奈良時代につくられていた。

豊田村とは那須与一の兄である稗田九郎の都だった。

豊田小学校には体育館がなかったので、映画鑑賞は観音寺本堂まで歩いていった。

観音寺本堂の伽藍、そこに映し出される東映動画こそ、物語の出会いだった。

うまれてはじめて。

そこで上映されたのが、東映動画の安寿と厨子王だったのか、それとも、デズニィー動画の雪の女王だったのか、

覚えていない。

東映動画の西遊記は、矢板小学校の体育館でみたのだと思っている。

おらは小学3年の3月上旬に、豊田小学校から矢板小学校へ転校していた。

おそらく観音寺でみたのは、シベリアから北極、雪の女王だったのだろう。

しかし、記憶は混乱している。小学何年でみた映画名がなんであるかの詳細は思い出せない。

おれは物語に畏怖した。

 

 

 

小学4年になってクラス替えがあった。

おらのとなりの席は恵子だった。

恵子の横顔をみた。窓の外は黄土からの春風、校庭の砂が舞っていた。

恵子はゲルダだった。

 

昨夜は寒かった。夜勤の仮眠、過去の思い出の津波が押し寄せ、おれは潰される、凍える。

少年のころの心の葛藤とエネルギーが、いまのおれにはない、とほほ。

おれは共同体も共有空間も形成できなかった、哀れな孤独な老人だった。ひとり。

おれの心はすでに雪の女王によって連れ去られていた、冷たいシベリアを超え北極地点。

 

言論人の有名ブロガーは秘密結社安倍晋三による特定秘密法に絶望し、インターネットから去っていったが

おらは木簡竹簡に帰り、記述していこう。幼きままに。

インターネットは古代の漢字が記述された、木簡竹簡に帰還している。

ブログは下層へと流れる。

横軸にした木簡竹簡が下へと落ちていく。糸を編む。竹から生まれた月のかぐや姫こそゲルダだった。

幼き頃、少年の頃の記憶こそ、おらの共同体であり共有感覚だった。

 

部族の兄貴から電話がきた。

部族の母が。

 

日本人ひとりひとりとは、古代からの部族遺伝子によって、現在がある。

 

共同体は解体され壊滅されゼロとなった現在、個人も解体されセラミックの粒ひとつとなった今。

部族から部族連合へ。

 

 

 


孔子 を みる。

2013年12月25日 | 歴史

孔子

 

中国5千年 陳舜臣 を 読みはじめる。

中国の古代は日本の10倍規模、100倍規模、千倍規模だけん。

中国で革命とは、天命による刷新。

日本で革命をおこすと、共同体から排除され、個人は壊滅され

無残にもゼロへと置換されてしまうべよね、とほほ。

共同体に敗れ

おまえを探したが、おまえはいなかった。

たまらく淋しい

一月の旅だった。

とほほ。がちょん。