愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

小泉政治はもう沢山

2006年02月23日 | Weblog
すかす、ワヤクチャさんのブログ「小泉政治はもう沢山」

http://ameblo.jp/wayakucha/

すごがんべ。1月の記事だけで980件だんべ。ランキングも90万人中の2千位でトップクラスだんべ。
すごがんべ。おらワヤクチャさんの情熱に敗北したと思っただ。
どうりで今年あたりから、阿修羅の投稿記事のアクセスが多くなったと思ったら
阿修羅投稿人がブログで阿修羅を宣伝しているんだんべ。
阿修羅掲示板とブログをつなぐネットワークがいよいよ存在力を発揮してきたんだんべね。

阿修羅  http://asyura2.com/index.html

ホリエモン・ライブドア事件とその裏1  http://asyura2.com/0601/livedoor1/index.html



積極的にどんどん検索でジャンプしてくる行動的なお客様は阿修羅にたどり着くんですけんどなかなかブログ提供会社サーバーの枠内で満ち足りているお客様は阿修羅にたどり着けないべ。

阿修羅を読んでいれば、小泉政権に騙されて、ライブドアの株を買って大損こくこともながんべ。

すかす、あれだんべね。
昨年の911総選挙の頃から株が上がっていたっぺ。

国際金融動物、財界、自民党、マスゴミ総ぐるみの郵政民営化総選挙911。
90年代から国際金融動物は日本国民の郵便局の貯蓄を収奪してやっぺと狙っていたがんね。
その工作員が小泉純一郎と竹中平蔵だったんべ。

マスゴミの小泉翼賛大宣伝で自民党勝利と郵政民営化勝利の見通しがたつと
株が一挙に上がったんべ。

これは国際金融動物にとって、郵便貯金を収奪できるプロセスが法制度として成立したもんで今度は、個人投資家拡張路線だっぺ。
マスゴミの洗脳麻薬を打たれた若い主婦や都市のサラリーマンや地方の旦那様方が株式市場に参入。
国民の有り金全部を収奪する戦略が911総選挙過程から発動。
ホリホリモンは工作員だったんべ。株式分割。実に仕組まれたプロセス。
国際金融動物と小泉政権、財界、そして東証とマスゴミによる総ぐるみの盗賊戦争論だったんべ。

日本にはすでに国際金融動物による盗賊経済が90年代から憑依していっがんね。すげぇ国際金融動物悪霊だんべ。

うかうかしていると騙されて、全部、国民は財産を収奪されてしまうがんね。

ホリホリモン逮捕は昨年から仕込まれていたんべ。
国際金融動物によりライブドア株の売り逃げ。
暴落で追証に追われる若い主婦がだんな様の結婚前の貯金まで手をだして証券会社に支払う構造の大量現出。

22万人のライブドア個人投資家は家族崩壊と地獄への道行きになってしまったんべ。
東証も国際金融動物の機関だがんね。マスゴミと東証にだまされてしまえば破綻するしかながんべ。

やっぱこの身包み全部盗まれるという盗賊経済は昨年の911総選挙過程から起動したんだっぺ。

民主党は自民党を補完する政党だっぺ。
自民党があぶなくなると、マスゴミ総ぐるみで「メール事件」というセンセーショナル喧騒を起動。
自民党と民主党の2項対立泥芝居。外資PR会社と電通さまの仕掛けだんべがね。
小沢一郎や自民党出身の民主党員は、毎日、自民党と電話で「次は何か」「何なすべきか」と話しているべ。
連絡しあいながら政治芝居をぶっているがんね。
もはや国会は自民と民主とマスゴミによるヒューマノイド劇場だんべ。

民主党代表の前原には国際金融動物も期待していっかんね。工作員小泉純一郎のあとがまは工作員前原だんべが。

だまされないためには、ひとりでもふたりでも
ブログから阿修羅に来てもらうしかながっぺ。



いやぁ、ポプラ小説大賞は高校生からの読者対象だもんで
どうもおらスケベで、必ずセックスシーンを挿入する小説を書かんと萌えないもんで
新潮新人賞に目標設定すますた、締め切りは3/31なんですけんど、ここでの応募投稿ができなかったら6/31締め切りの文学界新人賞に応募投稿してみっかと思っておりますだ。

ホリホイモンが東京地検特捜部に動物として捕獲されてしまったもんで
物語を練り直していますだ。
やっぱ、獄中から脱走したホリホイモンが今度はスターリン主義者となって
国家生活党総裁の結城純一郎総裁に逆襲するストーリがいいんだべが。

国際金融動物が今、起動させているのは北京オリンピックごろの中国バブル崩壊だんべ。
バブルを生成させ、それを破裂させ、すべてにおいて国家経済を盗賊してぺんぺん草の更地にするのが国際金融動物だんべ。
次は中国経済からインド経済への寄生移動だんべ。
やっぱダイナミックな小説にするためには北京あたりも登場させんとならんし。
どうも国家生活党結城純一郎総裁のヒューマノイド演説だけでは物語にならんですだ。

スターリンもシベリアから脱走しモスクワに帰ってきて逆襲したがんね。すげぇ根性だんべ。
毛沢東が指導した中国解放軍遠征も、延安にたどりついたときは、10万人から1万人になっていたべ。
延安からの逆襲もすげぇ根性だんべ。

ヒューマノイドへとおのれを自己改造した結城純一郎総裁と獄中でスターリン主義者へと改造した
ホリホイモンによる世代間死闘が面白いと思うんだけど、
小説を書くためには、まだまだ妄想が足りないんですだ。

ライブドアの熊谷史人も登場人物として書いていたもんで、彼も東京地検特捜部によって
動物として捕獲されてしまいますと、また小説のストーリ展開を練り直ししないとあかんし
これはどうも書けるのが秋ごろかもしれないですだ。すかすまんず年に1作は長編小説、書き上げますだ。

ヒューマノイド、スターリン、中国、台湾、うーーーーん。
長編小説には多角的なコンセプトの線を仕込んで絡み合わせていくもんですけん、それで布を織っていきますけん
書き始めるまで、うんうんうなりながら時間がかかりますだ。
まぁ、しょうがないですだ。長編映画を一本、ひとりでつくるようなもんですけん。

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ドキュメント戦後世界史私(わたし)たちが生きた20世紀(下)知られざるスターリンベルリン陥落1945スターリン家族の肖像スターリングラード連合軍の小失敗の研究逆撃スターリングラード制圧戦ハンガリー事件と日本革命の簒奪スターリン秘録


コラージュ表出運動

2006年02月23日 | 舞台

市街演劇
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/shigai01.html



PERFORMING JUNK
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tenmon01.html



ちはやふる(1)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tihaya01.html



ちはやふる(2)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tihaya02.html



ちはやふる(3)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tihaya03.html



仮想現実・演劇・人間(1)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru01.html



仮想現実・演劇・人間(2)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru02.html



仮想現実・演劇・人間(3)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru03.html



仮想現実・演劇・人間(4)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru04.html



仮想現実・演劇・人間(5)
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/iru05.html




だから表出運動を本当に理解するには、あらゆる心理・物理的平行主義と縁をきって、心理・物理的統一ということを土台にしなければならないだろう。人間の内側に起こることが外へ向けて投影される表出運動は、決して感情の外的な随伴現象ではなく、そのひとつの成分である。すでにできあがった体験をあらわすだけでなく、体験を自分のほうへ引きこむことで体験を仕上げていく。感情を表出することで感情に働きかえしていくことである。感情をありのままに表に出すことが感情の支えになる、感情自体に作用をおよぼすのは、私たちが実生活で絶えず経験することだ。こうして表出運動(ないし表出行動)と感情(ないし体験)とは、たがいに影響しあい浸透しあいながら、ひとつの統一を形づくっているのである。
          「演劇入門」 千田是也  1974/10 岩波新書
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 この人間が何ごとかをいわねばならないまでになった現実の条件と、その条件にうながされて自発的に言語を表出することのあいだにある千里の距たりを、言語の自己表出として想定できる。自己表出は現実的な条件にうながされた現実的な意識の体験がつみ重なって、意識のうちに幻想の可能性としてかんがえられるようになったもので、これが人間の言語が現実を離脱してゆく水準をきめている。それとともに、ある時代の言語の水準をしめす尺度になっている。言語はこのように、対象にたいする意識の自動的水準の表出という二重性として言語本質をつくっている。
  「定本 言語にとって美とはなにか 1」 吉本隆明 1990/8 角川選書
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あゐさい
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/gekiha01.html



 コラージュが登場したのは20世紀の詩と美術、ダダイズムとシュールリアリズム運動からであろうか? それらの感受は産業革命以降の爆発的展開と、人間が第一自然から追い出され、工場へと囲いこまれる場所と人間の分裂を表出する。



 土地から追われ都市へ吸収された人間の復讐が、「ねたみ」と異質なものの排外に組織されるとき、ファシズム運動は爆発した。われわれは産業革命以降の最後の人間であり、それまでの自然人とは違い、心理は二重性として分裂している。



 おのれの複雑な心理生成を制御できるかどうかが、日常生活の規範となる。彼がもしも、受信機という媒介を通さず、電波が聞こえると言えば、もはや彼は幻聴病として判断され、精神病棟におくりこまれるだろう。いまだこの社会は、機械器官という媒介に絶対的な信用を置いているのである。



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 これまで繰り返してきたように、享受し、喜び、楽観してしまうのは、まったく容易なことだ。裸体は我々を挑発し、我々はその仕掛けられた罠に、そうと知りつつ、自らの欲望を泳がせる。もっとも親しみのある部分・・・セックスそのものさえも、そしてオブジュ的に裸体を捕らえるときですら、我々は写真家の眼に頼り切りになっている。



 それは裸体写真が構築した、不可視な「権力」的構図であると言ってもいい。我々は見下し、安堵しながらも、その段階からすでに、裸体と写真の組み上げてきた「権力」に、組み敷かれてしまっているのだ。



 裸体は日常である。しかし、一度権力の配下になってしまった感覚にとって、網膜の映した光から、かつて見た裸体写真を締め出すことは不可能になってしまう。
   「裸体というエクリチュール」   高橋周平
   リアリズム変貌展         ツアイト・フォト・サロン
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何故、現代の表出運動そのものがコラージュという形態をとらざるえないのか? それはつまり、われわれの日常がリアリティの管理として器官化されているからである。この私の網膜はすでにあらかじめ写真機、ビデオ撮影機、そして映画やテレビのフレームによって愛情訓練されている器官である。



 深層には日常を支配するある制度の物語が「日本人」という一般の原理主義が幼児期から埋め込まれてきた。ロシア・マルクス主義の破産は国家革命からインターナショナルへの壮大なロマンその物語を、後景に退けた。



 こうして現在、宗教と民族主義そして高度資本主義国においては、経済の数字一元的価値観への原理主義が、自己同一化の要塞となる。世界は原理主義の変貌へと帰還しているのであろうか?



 一方にはイノベーションのマシンへと自己同一化する器官細胞。他方にはこの高度情報システムから排除され取り残された最貧国の宗教原理主義。これら不均衡の上に成立しているのが現代世界の原理主義である。コラージュはこうした内臓を提示することができる方法である。コラージュはフレームを切り裂くことによって、それを主体が編集することによって、この現在を確認することができる。



 もはやすべてが逆説的になってしまったのだ。これまでコラージュはある不均衡を提示した。メディア・マシンへの反抗として。その意味でウオホールの方法は、ダダイズム・シュールリアリズムの流れから切断されたところに位置する内容なき、メディア・マシンへの補完装置としてあった。



 コラージュの根源は情報操作システムを覆す意味の闘争として誕生した。ウオホールは、イメージの反復方法をマス・メディアの補完装置としたのである。「まったく同じものを何度も見れば見るほどそれだけ意味が消えていき、それだけ気分がよく、それだけからっぽに感じられる」と言う、空虚こそかれの主題であったのだろう。



 空虚およびからっぽといってもそれは快楽の構造にあり、すでに生存の闘争から離陸し高度消費社会の自由を謳歌する、アメリカUSAドル世界支配の通貨によって成立したのである。日本現代文学の空虚こそは、そのものまねに過ぎない。通貨としての「円」は世界経済のドルに変わりうる、貨幣には上昇することはできないが、強い貨幣であることは間違いない。



 その貨幣の帝国の言語形態は、言語が場所にへばりつきながら生活しているリアリティから離陸し、空虚が主題になっていく。実はこれこそが帝国衰亡をありあまるほど、表出しているのである。コラージュは権力によって日常的に生成させられている気分を転倒し、意味の闘争としてある想像力の階級闘争として出現する。



 コラージュとはイメージの編集であり、権力による物語と天上の言語からのイメージその表層皮膚をはぎ取り、再度、人工的なイメージへと編集する。その行為は物語に奉仕するのではない、物語の解体としてある。理論的にはアインシュタインが発見した崩壊物質M’およびM”であろう。原子を破壊したとき物質は、おそるべきエネルギーを放出る。それがヒロシマ・ナガサキに投下された原子爆弾である。つまりコラージュとは核兵器以降の崩壊物質M’M”をめぐる想像力のありようなのである。



 アメリカUSAポップアートなどは世界通貨ドルの補完装置でしかなかったのだ。崩壊物質M’M”の20世紀の想像力をなにひとつ提示することはできなかった。USAポップアートを賞賛してきた日本の人々は多かったが、それは太平洋戦争で壊滅させられ、USAのインダストリア・デザインに圧倒された物語上にあった。



 人間とは物語の動物である。つまり衣食住およびセックスのように、物語なしではやってはいけない動物なのだ。ある意味で物語をめぐる闘争は権力闘争でもあり、階級闘争でもある。いかなる物語で現在の人間の身体をとりこにするのかに、政策者たちは機関を全面展開する。こうして物語は身体器官を支配していく。こうした世界でコラージュを表出する人間とは書物をその手と腕で引き裂き、解体し崩壊させる人間である。書物は物語であり、そこには多くの多様な人々の労働の蓄積によって表層へと現出してきた世界だ。書物の解体はこうした労働のエネルギーを放出させる。
 
 もはやコラージュはこれまでの物語に奉仕はしない。物語を切断するのであるから。しかしながら、原子爆弾以降の崩壊物質M’M”の素描をわれわれの前に提示する。それはとりもなおさず現代をめぐる表出の身体でもある。




 
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舞踏への誘い

2006年02月21日 | Weblog
赤ちゃんこそ舞踏者の先生です。

舞踏者はいかに幼児的身体になるか、このために稽古の2時間は野口体操でからだをほぐしていきます。
おのれのからだのセンサーと対話することがからだを開いていくことです。

舞踏者はおのれが最初にこの地に両足で立ち歩行した記憶まで、たどっていきます。
こうして舞踏者の歩行はようやくにして1歩を踏み出すことができます。DNAへの帰還。

舞踏者のイメージは生命潮流の起源へと、とりつかれたように向かってまいります。故郷への帰還です。

キリスト教成立以前の身体感覚を自覚の下の層に波動させていく、これがヨーロッパが土方巽暗黒舞踏を受容した
理由ではないかと思います。

日本では60年代現代美術のひとつの潮流として土方巽暗黒舞踏は認知されております。
現代美術とは現代思想の造形でもあります。
身体美術をめぐる潮流として認知されているのかもしれません・・・
現代美術とは国民言語がいらない媒体です。それゆえに世界市場の共通項に参加できます。
舞踏もゆえに世界市場へと演劇よりも参加できます。

妄想が対話をするとき想像力は「人」「間」の交信応答として空間を生成させます。
想像力が言葉という形になるとき「私が産まれた日」です。
その私とは言葉です。
想像力の滝、御霊をもった竜神(水の神)、御霊=御魂=御玉とは地球です。

星の子である人間の想像力とは宇宙にも似て広大であり、4次元の世界を内包しております。




■■■ 舞踏への誘い ■■■





松竹 板東玉三郎/舞踊集(3)




松竹 板東玉三郎/舞踊集(3)


松竹 板東玉三郎/舞踊集(3)
坂東玉三郎が華麗に舞う歌舞伎の舞台をDVD化した第2弾。玉三郎のために夢枕獏が書き下ろした新作舞踏であり、憐れな最期を遂げた絶世の美女を玉三郎の美麗な舞踏により描く「楊貴妃」を始め、「高尾」「大蛇」「夕霧」「鐘ヶ岬」の全5作品を収録する。



板東玉三郎/舞踊集(3) スペック情報
品番/メディア DA201/DVDソフト
タイトル(原題)/公開情報 カラー
ビジュアル情報 [画]ビスタ [音]日・音声解説(日)・音声解説(英) [字]日
組数 1
収録時間 108M
アーティスト 板東玉三郎

監修・出演:坂東玉三郎





アイアン・メイデン/死の舞踏




アイアン・メイデン/死の舞踏

■CD
【発売日】2003年9月3日

ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル・バンド、アイアン・メイデンのアルバム。オジー・オズボーンがゲスト参加!

【収録曲】
1.ワイルデスト・ドリームズ
2.レインメーカー
3.ノー・モア・ライズ
4.モンセギュール
5.死の舞踏
6.ゲイツ・オブ・トゥモロー
7.ニュー・フロンティア
8.パッシェンデール
9.フェイス・イン・ザ・サンド
10.エイジ・オブ・イノセンス
11.ジャーニーマン





アイアン・メイデン/死の舞踏



土方巽の舞踏 肉体のシュルレアリスム身体のオントロジー





土方巽の舞踏



土方巽の舞踏

希代のアヴァンギャルドとして、同時代の数多の文学者・芸術家を熱狂の渦に巻き込んだ不世出の舞踏家にして、暗黒舞踏を世界の舞台芸術“Butoh”に昇華させた肉体の思想家、土方巽の活動の鮮烈な全体像が甦る。舞台記録映像と語りを収録。

【目次】
恩寵と重力―人形振りの土方巽/土方巽と暗黒舞踏―見出された肉体/舞踏年代史1 暗黒舞踏派結成は一九五六年/三島由紀夫・渋沢龍彦・瀧口修造のメッセージ/土方巽の怪奇な輝き/「土方巽DANCE EXPERIENCEの会」のパンフレット「土方巽氏におくる細江英公写真集」/コラム アングラの三角錐 土方巽・寺山修司・唐十郎/土方巽の舞踏とシュルレアリスム/舞踏活動一九五七年~一九六三年/オブジェを噛みくだく肉体の叛乱現代美術と土方巽〔ほか〕







 


舞踏大全 暗黒と光の王国




舞踏大全



舞踏大全

土方巽の「暗黒舞踏」に始まり、世界を震撼させた舞踏45年の歴史と記念碑的名舞台が、いま、蘇る。

【目次】
第1章 「暗黒舞踏」の成立/第2章 「暗黒舞踏」創始期から活躍するダンサー達/第3章 「大駱駝艦」七〇年代からの台頭と現在/第4章 八〇年代のパリに本拠地を築いた最初のグループ/第5章 土方巽、大野一雄、石井満隆、笠井叡に師事したダンサー達/第6章 八〇年代、舞踏の系譜の外からの挑戦/第7章 地方に本拠地を築いたグループとダンサー達/第8章 拡散する舞踏1/第9章 拡散する舞踏2(海外を本拠地にしたダンサー達)/第10章 拡散する舞踏3(若い世代の試みと、コンテンポラリー・ダンスとの融合)




暗黒舞踏論



暗黒舞踏論

土方巽・大野一雄の全貌。土方巽著『病める舞姫』をよみほぐし、言葉によって“舞踏”を再構築する試み。

【目次】
言葉の舞踏家―土方巽著『病める舞姫』を読む/『病める舞姫』を読み終えて/『美貌の青空』を読む/母性とカオスの暗黒舞踏―中村文昭著『舞踏の水際』を読む/大森政秀の舞踏から合田成男の批評の姿へ―わたしは合田成男の姿に土方巽の姿を重ねていた/大野一雄・母性とカオスの暗黒舞踏―暗黒舞踏を振り返る/キリスト者と舞踏―神様と一緒に遊ぶ舞踏家大野一雄/舞踏の神にすべてを捧げ尽くした大森政秀―舞踏公演「キリギリス」を観る








けものみち

2006年02月21日 | Weblog


けものみち

http://www.tv-asahi.co.jp/kemonomichi/


米倉涼子はダイナミックな女優になってきた。

女優にとって松本清張の世界は

くぐりねける過程としてある。



テレビ朝日系全国ネット木曜ドラマ「松本清張 けものみち」(主演:米倉涼子)の主題歌。帰れ...

いよいよ文明批評の出番だんべ。

いやぁ、ネット革命が起きているわぁ。
ブログ人口2千万人。


911総選挙はまんず日本小選挙区投票数においてよぉ。
小泉連立与党の自民党・公明党は3350万票。
反小泉票は3450万票。100万票も反小泉が多かったんべぇ。
3450万人が反小泉に投票決起したのが911総選挙の実体だんべ。

その頃、小泉翼賛マスゴミと外資自民党PR会社は大活躍。
911総選挙が終わって、反小泉3450万人はもはやマスゴミを信用しなくなったんべ。

マスゴミは正義面こいて、今年の1月から悪党ホリホリモンを叩いたんべ。
マスゴミの動物的習性は「もちあげて叩き落とす」だんべ。
それで自分のみが高給ギャラで延命するんだんべ。
高給ギャラのマスゴミ。

「もちあげて叩き落す」ほめ殺しのマスゴミ。
これで下流・B層の小泉支持派3350万人がマスゴミを信用しなくなったんべ。
マスゴミを信用しているのは、自民党・公明党・民主党の幹部と経団連だけだんべ。
ほら、マスゴミは大王様と国際金融動物のメディアだもんで、上部システム構成員どもは
マスゴミと三位一体だんべよ。

ブログ人口2千万人はいま、マスゴミの情報を信用せず
情報の実体を求めて、ネットサーフィンしているべ。
まぁ、これがネット革命だんべね。

下流・B層・愚民のおらでも変化は感じておりますだ。
いまの掲示板・ブログでは情報を追求している書き手にはアクセスが集中しておりますだ。
新たな書き手も登場しておりますだ。
列島全体にインターネット環境の家庭LAN接続インフラが形成されたんだべね。

まんず日本人は読み書きできるがんね。
今は携帯電話のキーボードで小説を書く時代だがんね。
LAN接続で家族ひとりひとりに1台のパソコンだがんね。
携帯電話のキーボードでメールが打てれば、パソコンのキーボードにも愛着もつべ。

情報はマスゴミからでなく、インターネットの掲示板やブログからの流れは
加速しているべ。

敗北したマスゴミテレビ局の報道番組の出演者はどの顔も人相が悪く暗がんべ。
よくまんず電通がデレビ報道番組の愚劣人間どもの人相悪さを許していんのが
不思議だんべ。マスゴミはいよいよ美的感覚を喪失してきたんべ。


いよいよ文明批評の出番だんべ。

いやぁ、ネット革命がきたもんで
どうも小説、書けなくなってしまっただよ。

ネット革命に対応し、どうにかブログを開設したんですけんど、どうになりますか。

あーーーーーーあ。
小説を書かんとぉ、これじゃぁ3/31締め切りまでに間に合わないがんべ。

すかす松本清張はすげぇ。人間のあくなき欲望とドラマツルギー。

満腔元年二月、雨。



松本清張初文庫化作品集(1)松竹 眼の壁黄色い風土清張通史(1)異変街道(上)江戸浮世風日本の黒い霧(上)新装版
砂の器推理作家になりたくて(第4巻)密教の水源をみる天皇と豪族バップ 火曜サスペンス劇場(2)鬼畜TVサントラ/砂の器花氷文士の意地(下巻)球形の荒野(上)新装版



寺山修司 - 空海

2006年02月19日 | Weblog
泥の中から出て来ながら、蓮は美しい花を咲かせる。

 だが、その蓮の花の鮮やかな赤色を、反逆者の血のしぶきと見るか、生身の喩えと見るか、エロチシズムの煩悩と見るかは、私たちの自由というものでなければならない。

 私が、死という言葉を口にしなくなったのは、ある夜、祖母と近くの蹄鉄屋の源二郎という毛深い男が、寝ているのを見たときからである。

 赤い蹴出しからころがりでた祖母の下半身は、私の思っていたよりもはるかになめらかで色白く、しかも祖母の鳩のなくような喜びのしのび声は雨戸のすきまから覗いていた少年の私をふるえあがらせた。

死ななければ見られないと思っていた地獄が、こんな間近で見られるのとは、何という素晴らしさだろう。

 私は、そのとき何の宗派にも属さぬ、自分のためのたった一人の密教の徒になっていたのかも知れない。

                     寺山修司 - 空海

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 綱領なき革命・経典なき密教という寺山修司の原光景なるテ-ゼは山岳仏教をきりひらいた空海を論じたこの文章に発見される。寺山修司哲学とはゆえに個人こそが根拠地であるとするのである。

綱領なき革命とはひとりの革命の徒であり、経典なき密教とはひとりの密教の徒である、そのような現在を生きている人間こそに現実原則とさまざまな真理は内在し物語が発生する。それゆえにダイアロ-グとしてアクセスする接続回路を赤い情熱が疾走する。

 思想の望郷・文学編を読んで私はやはり近代を思った。同じ東北の文学者である石川啄木と太宰治への批判はかつて吉本隆明が日本共産党員詩人であった壷井繁治の戦争協力詩の存在その転向を鋭く追及したような厳しさがある。詩人の批評とは革命綱領をめぐる党派闘争の兄弟殺しにも似ている。

 鶴見俊輔たち思想の科学研究会が編集した『共同研究・転向』は、1962年に初版が発行されて以来、60年代・70年代・80年代の革命家たちに読まれてきた。それは論理的に社会科学から展開されている。

それよりもすざましい兄弟殺しとしての階級が登場するのが文芸批評である。かつての70年代までの文芸批評は階級闘争が必ず生み出す兄弟殺しとしての党派闘争ががあらわれていた。

しかし寺山修司の文芸批評はおのれの個人的な独自的な思想の根拠地を生み出すためにあった。

 寺山さんは近代陣形の内面である壁に囲まれたとげとげしい四角の精神の呪縛から自由の基地を作った人であると思う。その言葉には綱領なき革命・経典なき密教が呪術のように内在化されている。ゆえになかなか概念化できないのである。自分を物語らねば寺山さんの言葉にアクセスできない。ハルキ文庫『石川啄木を読む-思想の望郷・文学編』は十三(とさ)の砂山の台本にある言葉の原光景が説明されている。鏡花を読む、そのファイルは土俗と密教が混在し、誘発された。寺山さんの台本の言葉はある土俗伝説ある文学ある消された住民の歴史が圧縮されている。そして批評の動物的眼光は詩人特有の鋭さがある。

 これまで私がまともに読んだのは83年国文社発行の寺山修司演劇論である。




監督:寺山修司

Story
架空の村を舞台に、タブーを犯していとこ同士で結婚したがゆえに村八分にされた夫婦を中心に、近代化の波を受けて変化していく村落を幻想的かつ呪術的な映画詩。47歳でこの世を去った寺山修司監督の遺作。...(詳細こちら


寺山修司ラジオ・ドラマCD 「恐山」/ドラマCD


寺山修司ラジオ・ドラマCD 「犬神歩き」「箱」/ドラマCD
<さらば箱舟

草迷宮

寺山修司の声が聞こえる

初恋・地獄篇 ◆20%OFF!

負け犬の栄光

討議詩の現在

望郷

ジェネオン エンタテインメント 田園に死す

「演劇実験室天井棧敷」の人々

異形の宴【CRBP-10022】=>異形の宴

不良少女入門

宇野亜喜良60年代ポスター集

寺山修司俳句全集増補改訂版

ポニーキャニオン 武田真治/身毒丸

サード ニューマスター版

誰か故郷を想はざる改版

抒情の世紀

われに五月を

寺山修司幻想劇集

911ブッシュ政権 2001/09/18

2006年02月19日 | Weblog
正式要請あれば米国に協力する用意ある=タジキスタン外相[ドゥシャンベ18日ロイター]戦争)09/18

  • タリバン「評議会」を延期 理由は明らかにせず〔18日・CNNJAPAN〕戦争)09/18


  • アラファト議長、反テロ包囲網参加を米に通告〔朝日新聞〕戦争)09/18


  • 米国のテロ報復には“具体的な証拠”が必要=中国[北京18日ロイター]戦争)09/18


  • 米国防総省、戦術核兵器の使用を検討戦争)09/18


  • 在パキスタン米外交官に退避認める 国務省戦争)09/18


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    9・11以後のアメリカ政治と宗教

    911ブッシュ政権とチェイニー副大統領

    2006年02月18日 | Weblog
    「911」 阿修羅 投稿 リンク (1)
    http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/760.html

    「911」 阿修羅 投稿 リンク (2)
    http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/763.html

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    http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/764.html

    「911」 阿修羅 投稿 リンク (4)
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    http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/766.html

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    「911」 阿修羅 投稿 リンク (7)
    http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/770.html

    「911」 阿修羅 投稿 リンク (8)
    http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/768.html

    「911」 阿修羅 投稿 リンク (9)
    http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/772.html


    【早撃ちディック】 911ブッシュ政権とチェイニー副大統領 
    「911」 阿修羅 投稿 リンク





    攻撃計画

    究極の大陰謀(上)

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    ブッシュの戦争

    【元警察庁亀井静香の逆襲】 ホリエモン逮捕は、やはり「反小泉の反撃」 【岸田 徹 】

    2006年02月17日 | 政治
    【元警察庁亀井静香の逆襲】 ホリエモン逮捕は、やはり「反小泉の反撃」 【岸田 徹 】
    TOP 【岸田コラム】 http://www.kishida.biz/column/index.html


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    ホリエモン逮捕は、やはり「反小泉の反撃」
    岸田 徹 【岸コラ】
    2006年1月25日(水)

    http://www.kishida.biz/column/2006/20060125.html

    悪い事をすると警察が来て捜査をするが、ホリエモンのところには検察の特捜部が来た。「警察」と「検察」はどう違うのか。この違いを知ることで、地検特捜部のライブドア捜査にゴーを出した人を類推することができる。

    警察は、「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当る」(警察法第2条第1項)のが仕事で、絶対に「日本国憲法の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない」(同第2項)と厳しく規定されている。

    このことから、警察は次の3つに当てはまる行動しか取らない。つまり、警察権の行使は(1)責任者に対してのみ、(2)私生活や民事上のことには不介入、(3)社会通念上許されない障害に対してのみ行なう。

    よく裁判になると責任能力があるかどうかが問われたり、警察署が家庭内暴力に対しては遠慮がちになったり、ささいな事には取り合わなかったりするのはこのためだ。

    これに対して検察は、「いかなる犯罪についても捜査をすることができる」(検察庁法第6条)のだ。そればかりか、警察は犯人を逮捕すると書類を送検して一応役目を終えるが、検察は「刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、かつ、裁判の執行を監督し、また、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、または意見を述べ、また、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う」(検察庁法第4条)と、刑事手続きの全段階にかかわる。

    さらに、検察庁は法務省内に置かれてはいるものの、検察庁の幹部である検事総長、次長検事、検事長については、法務大臣が首を切ることはできない。「検察官適格審査会」というところが認めないと首を切ることも辞めることもできない。

    警察は、国家公安委員会の下におかれ、委員会は5名の構成員(警察法第4条)で、現在の委員長は防災担当大臣の沓掛哲男氏だ。国家公安委員会は内閣総理大臣の下に置かれているので、政治的な圧力に屈しやすい。

    ところが、検察の「検察官適格審査会」というのは、法務大臣の下にはなく、独立している。審査会の委員は11名で、国会議員、裁判官、弁護士、日本学士院会員及び学識経験者の中から選ばれる(検察庁法第23条4項)ので、ある特定の勢力から圧力がかけられる可能性が少ない。現在の審査会長は東大名誉教授で日本学士院会員の塩野宏氏だ。

    とは言うものの、人間が各界から11人集まって、バラバラな主張を展開するから圧力がかからないというものではない。11人集まれば、主導的な立場を取る人が必ず現れる。今の検察官適格審査会は、政治的には極めて特色のある人たちの集まりになっている。【岸コラ】が分析した11人は次ぎの表の通りだ。

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    検察官適格審査会委員

    氏名     職業   所属           出身     大学

    柳沢伯夫 衆議院議員 自民党・宏池会(旧堀内派) 大蔵省官僚 東大法卒

    谷津義男 衆議院議員 自民党・伊吹派(旧亀井派) 群馬県議 法政大法卒

    太田誠一 衆議院議員 自民党宏池会(旧堀内派) 経済理論専門家 慶大大学院卒

    松本 龍 衆議院議員 民主党 日本社会党 中大法卒

    田村公平 参議院議員 自民党・津島派(旧橋本派) NHK 早大政経卒

    松井孝治 参議院議員 民主党 通産省官僚 東大教養卒

    島田仁郎 最高裁判所判事 裁判官 裁判官 東大法卒・ロンドン大大学院卒

    梶谷 剛 日本弁護士連合会会長 弁護士 弁護士 成蹊大政経卒

    塩野 宏 日本学士院会員 学者 行政法権威 東大法卒

    松尾浩也 東京大学名誉教授 学者 刑事訴訟法権威 東大法卒

    北島敬介 弁護士 弁護士 元検事総長 東大法卒
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    一目瞭然で、団子になれる勢力は、自民党の議員だ。議員は全部で6人いるが、2人は民主党議員。その他の5人は学者や裁判官や弁護士で、法曹界を守る団子にはなるかもしれないが政治的意思を持った活動はまずしない。

    話を戻して、自民党の議員4人だ。衆議院議員が3人に参議院議員が1人。柳沢さん、谷津さん、太田さん、田村さんだ。見事に全員が抵抗勢力の派閥に属している。柳沢さんと太田さんは、宏池会の谷垣派でない堀内派。堀内光雄元自民党総務会長は今回の総選挙で、郵政民営化に反対し、自民党の公認を外された人だ。派閥には、抵抗勢力の象徴古賀誠氏がいる。

    谷津さんは、ホリエモンを刺客に送られた亀井さんの派閥の中でも亀井グループで本流。田村さんは、小泉さんに目の敵にされた橋本派だ。

    この4人の中でも象徴的なのが柳沢さんだ。柳沢さんは、森内閣でデフレ時代に誰も引き受けたくないと言われた初代金融担当大臣をやり、小泉内閣になってもそのまま金融担当大臣を引き受けた。しかし、その時に民間から竹中平蔵氏が経済財政政策担当大臣になり、金融政策は塩川財務大臣、柳沢金融担当大臣、竹中経済財政政策担当大臣の3人で行われることになった。

    不良債権処理は進まず、デフレが深刻で、小泉内閣では竹中さんに批判が集中した。初の改造内閣にあたっては、3人とも交代だとの議論がなされた。しかし、結果は塩川大臣、竹中大臣は留任したが、柳沢大臣は「更迭」された。(2002年9月30日)

    柳沢さんの代わりになったのが、竹中さんで、竹中さんは金融財政政策担当大臣と金融担当大臣を兼務することになった。柳沢さんと竹中さんのそりが合わなかったのは、銀行に対する公的資金の注入で、柳沢さんが銀行の自主判断に任せ注入すべきでないと主張したが、いつまでたってもそれでは不良債権は処理できないと竹中さんは強制的に注入することを主張した。

    柳沢さんの主張は、明らかに業界寄りの旧大蔵省の立場だ。「更迭」と騒がれたが、柳沢さん自身は意見が合わな過ぎるから辞めたいと総理に話したという。本当のところはどうだったのか不明だ。

    この更迭劇以降、竹中さんは金融再生プログラムを打ち出し、周囲から総スカンを食らいながらも、小泉人気の加護の下どんどん力をつけていった。柳沢さんがいい思いをしていないことは十分想像できる。

    検察官適格審査会のメンバー11人中4人もが強力な反小泉・反竹中の環境を持っている自民党議員だ。検察官の人事権を握る検察官適格審査会にあってこの4人は実に特異な存在だ。この人たちが積極的にホリエモン逮捕を主導したとは証拠資料がないので言えないが、少なくとも、検察トップが指令を出した時にストップをかけるはずがないことは誰の目にも明らかだ。

    http://www.kishida.biz/column/2006/20060125.html

    【元警察庁亀井静香の逆襲】 ホリエモン逮捕は、やはり「反小泉の反撃」 【岸田 徹 】



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    東映 仁義なき戦い 代理戦争

    仁義なき戦い山守義雄/金子信雄


    獄中から出所してきたホリホリモン

    2006年02月17日 | Weblog
    未来から過去へ落下する、そういう感じで行こうかと思う。
    新潮新人賞締め切り3/31。なんとしても応募に投稿しなくてはと思う。

    100枚くらいは昨年の夏、猛暑にうんうんうなりながら書いたボリュームがあり、これが料理の鍋となる。
    どういう料理をつくるのかが、まだ体から出てこない。

    小説とは追い詰められ、やはり書かねば・・・とあきらめかけたときから、書けるようになるのだろうか。

    三作目は70年代を書こうかと思う。
    記憶装置をたどりノートにメモという作業。

    二作目の応募投稿を書きながら、三作目の応募投稿を構想するというのが継続かもしれない。

    小説の方法論とはまた生活の方法論でもある。

    昨年の夏に書いたものは試作品であるが
    ライブドアのホリホリモンを登場させた。
    今年1月からの急展開、強制捜査から逮捕という事件簿が
    自分のなかでどういうことなのか、意味不明のまま。
    ゆえに、その試作品をふくらませ、3/31締め切りめざして
    書こうと思っても書けないのである。

    小説が現在に敗北してしまったのである。

    獄中から出所してきたホリホリモンを書けばいいのであろか?
    そのとき彼はもはや復讐に燃えた革命家である。
    そしてホリホリモンは政党を結成する。
    経団連と自民党への復讐ゲリラ闘争が開始される。
    そのような小説展開も面白いかもしれない。

    ホリホリモンは東京拘置所の門の外に出た。
    待ち構えていたのはマスゴミのゴキブリどもだった。
    そのとき、マスコミのゴキブリどもへ
    バルサンがいくつも投げ込まれた。
    マスコミのゴキブリどものひとりが叫んだ。
    「ゲリラだ!逃げろ!」

    もうもうとした煙のなか
    ホリホリモンの姿は消えていた。
    ホリホリモンは地下へ潜ったのである。

    やはりこのような刺激的展開にしないと
    小説を書いても面白くないだろう。

    監督:石井輝男

    Story
    第1作の予想外のヒットにより急遽2週間足らずで撮影された『網走番外地』の続編。網走刑務所を出所した橘真一は、途中で銀行強盗事件に巻き込まれ犯人にされてしまい、無実を証明すべく自ら真犯人を追う。...(詳細こちら
    監督:石井輝男

    Story
    「網走番外地」シリーズの名コンビ、高倉健主演、石井輝男監督で贈る第9弾。網走刑務所でのかつての友人・鬼寅を訪ねて九州にやって来た橘は、不条理な理由で暴力団からリンチ制裁を受けて死んでしまった友のために...(詳細こちら
    監督:石井輝男

    Story
    「網走番外地」シリーズの名コンビ、高倉健主演、石井輝男監督で贈る第9弾。網走刑務所でのかつての友人・鬼寅を訪ねて九州にやって来た橘は、不条理な理由で暴力団からリンチ制裁を受けて死んでしまった友のために...(詳細こちら
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    雪よ 誰のためにふる

    2006年02月04日 | Weblog
    マザースカイ

    1976年11月
    アルバム・レコード マザー・スカイ Mother Sky ポリドールより発売

    森田童子
    http://www.geocities.jp/papillon4006/music/douji/douji_frametop.htm

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    西会津 春先
    死者を囲み青春を歌った友らは嗚咽上げ涙する
    なごり雪よ 誰のためにふる
    あなたを担ぐ 麻で編んだ武士衣装 
    悲しみ映す 黒い道 白い雪

    森田童子の歌を始めて知ったのは1978年4月だった。
    死者が根元で眠る桜の花はなごり雪で凍りついた。


    1978年4月に入り、わたしの友人、長谷川さんが死んだ。
    胃がんである。日本革命運動の闘士だった。
    彼は大企業の電器会社の工場で働いていた。彼は青年組織の
    指導者であった。だからいつもしめつけが工場内では
    厳しかったのである。1977年反動の季節、日本列島は
    変革をきらい、復古が反復していた。あらゆる組織は
    つぶされようとしていた。わたしはふるさとでの運動から
    逃亡した。長谷川さんを残し。


    その長谷川さんが病気で倒れ、1978年正月、栃木県
    矢板市の塩谷病院に見舞いにいった。部屋から出るとき
    彼の情念と執念がこもった視線に刺された。
    「おまえは逃亡したのだ」と。


    そして4月最初、工場の同志から電話がかかってきた。
    「長谷川さんが亡くなった、葬式が長谷川さんのふるさと
    である西会津である、待ち合わせは、明日の朝8時、
    塩谷病院玄関前で」わたしはすぐ電車に乗った。上野駅近く
    の深夜喫茶で東北本線下りの始発を待つ。


    矢板駅についた。塩谷病院玄関前で待っている。まだ誰もきていない。
    病院の前の道、高校生の頃新聞配達のため毎日、
    自転車で販売所に通った道だった。
    やがて恵子さんがあらわれた。恵子さんはわたしの幼なじみである。
    東京から敗北して戻ったのは1974年だったが、うたごえ喫茶にいったとき彼女がいた。
    そして長谷川さんと出会う。音楽が生きがいの人だった。
    彼のギタ-伴奏に合わせ、おもいきっり、喫茶店で歌うのある。

    雪が降ってきた。なごり雪である。やがて友人たちが集合してきた。
    10人くらいである。それぞれ分散して車に乗る。西会津をめざす。
    国道四号線を福島へ北上するのである。

    長谷川さんの家に着いたのは昼頃である。葬式にはまにあった。
    工場の党員同志たちも着ていた。
    「この子は、みなさんに何か迷惑をかけていませんでしたか?
    お金をかりたとか、あればいますぐ言ってくさい」
    そう長谷川さんのお母さんが言った。会津武士の厳格さがあった。
    「長谷川さんはそういう人ではありませんでした、お母さん」
    山梨出身の工場労働者同志が言ってくれて、わたしたちは救われた。


    冠の前で、青春を歌った、友らは嗚咽をあげ涙する。
    わたしはバランスが崩れる、自分の精神と身体を保守するに精一杯だった。
    わたしは、長谷川さんに謝るのに精一杯だった。


    やがて長谷川さんは墓へと運びだされる。
    雪はふるふる。雪に積もる白い西会津の村。雪が溶ける
    黒いアスファルト道路。麻であんだ武士衣裳、村人男たち、
    長谷川さんのお兄さんが冠を運ぶ。男たちは野辺送りの唄をうたいながら
    裸足である。会津戦争で敗北した会津の死者たちは、薩長官軍
    によって埋葬することを禁じられた。死者を愚弄した明治維新官軍
    をいまだ会津はいまだ許していない。歴史は雪に埋もれている
    に過ぎない。だから雪が溶けた黒い道を男たちは裸足で
    共同体の青春途上の無念な若き死者を弔うのであろうか?


    なごり雪よ誰のために降る


    長谷川さんは土深く埋葬される。わたしたちは村人から
    教えられる。土を手で墓のなかに入れてかぶせてあげるんだよ。
    わたしは一握の土を手に取る。凍った土である。
    長谷川さん体が入った冠に投げる。


    「暖かいお茶を飲んでいきなさい」
    近くの家で、わたしたちはこたつに入れてもらい、お茶をよばれた。みんな沈黙の悲しみにあった。

    わたしたちは長谷川さんの村から帰る、隣の県へ。西会津から会津若松へ、そして猪苗代湖へ。
    雪は激しくなってきた。郡山に入るとますます激しく。わたしは車の窓からただ路上の街灯をみていた。
    雪が舞う。白河を過ぎ、国境へ入る。一台の車がとうとう動かなくなったので、おいていく。

    車から歌が流れていた。
    ----------------------------
    ビラビタール 森田童子

    悲しい時はほほを寄せて
    寂しい時は胸を合わせて
    ただ二人は息をこらえて
    虫の音を聞いていました
    そんな寂しい夏の終りでした

    悲しい時はほほを寄せて
    寂しい時は胸を合わせて
    ただ二人は目を閉じて
    眠るのを待っていました
    そんな寂しい愛の形でした

    悲しい時はほほを寄せて
    寂しい時は胸を合わせて
    ただふたりは夜のふちへ
    ふるえて旅立つのでした
    そんな寂しい ふたりの始まりでした
    ------------------------------

    わたしはその歌を聴きながら目を閉じていた。
    川が流れている。彼岸には夏草の香り。
    長い髪の少年と少女が黙って川を見ている。
    語りえない内なる優しさは抒情の裏側にある現実の重みだった。

    「誰の歌?」
    わたしは運転している友に聞いた。
    「森田童子」
    友は答えた。
    長谷川さんとの告別を葬式で確認したわたしたちは重く深い
    悲しみの深淵に漂流していた。
    わたしはその歌い手の名前をすぐ忘れてしまった。


    わたしは黒磯駅でおろしてもらった。東京のアニメ-ション会社の職場に戻っても、わたしは沈黙の
    悲しみにいた。言葉少ない日々が続いた。
    あのときのあの歌は誰が歌った歌なのだろう? わたしはその歌い手を探していた精神の漂流者だった。

    ちいさい仕事場にはいつも音楽がカセットデッキから流れていた。
    それは同僚が日曜日にNHKFMの音楽番組を録音したテープだった。

    「忘れ物を取りに教室に戻ったら誰もいませんでした。窓から午後の日差しがさしていました。
    わたしはしばらくひとりたたずんでいました。森田童子さんの<海を見たいと思った>をお願いします」
    女子高校生のリクエストをアナウンサーが読み上げ<海を見たいと思った>が流れてきた。

    森田童子、その歌い手の名前はわたしの心に深く刻印された。
    ようやく探し当てたと思った。季節は陽光の五月になろうとしている。
    昼休み、池上本門寺まで散歩した。
    並木道の樹木、若葉たちは風に踊っていた。わたしは25歳の逃亡者だった。

    27年前の季節。
    真っ白に積もった重たい雪のなかで、芽ばえている若葉は
    五月になると街を彩る。

    わたしは青春途上の死者たちを今でも忘れてはいない。
    その記憶の案内人こそ森田童子である。

    個人による個人のための個人へ
    表現はこの世界に現有するもうひとりの自分へと
    向かっていく。それが身体の糸である。

    そして表現とは
    いかなる時代になろうとも、何十年が過ぎようと
    人の営みのなかでくりかえしくりかえし反復していく。