愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

おーるさんを弔いながら、応募投稿

2006年03月27日 | Weblog
郵便局の窓口に出してきた。
新潮新人賞応募投稿。
まだ校正と推敲が完全ではなかったが
今日出さないと、機会を逃してしまうと思った。
214枚。
どっと疲れがきた。
郵便局に行く、裏道は河べりで桜並木があった。
枝に花があった。夜桜の路地。
満開は4月に入ってからだろう。

夜桜を見ながら、おーるさんのことを考えた。
おーるさんはぎりぎりのところで表現をしてきた。
インターネットを表現母体とした
サイバーアーティスト、そしてサイバージャーナリストの死だった。
そしておーるさんはインターネットという街頭の詩人だった。
たたかいながら死んだおーるさんは伝説となるだろう。

サイバー村人はおーる神社を建設するだろう。
インターネットにおける、おーる神社である。


小説らしきものは未完成として70年代の末から書いてきた。
書いておいてよかったと思う。
そこでのコンセプトを今、まとめているように思う。
とにかく3年間は応募投稿して行こうと思う。

賞金をめざして、金が入ることを夢みて
書くのだが、ほとんど病気である。
憑かれたように書けば、いつか賞を獲得できるだろう。
自分の小説はいつか本になるだろう。
それを信じて書くしかない。

今回はおーるさんを弔うための応募投稿となった。
次は6/30締め切りの文学界新人賞の応募投稿をめざそうと思う。
100枚以内。
とにかく書いていくことが
おーるさんの弔い合戦だと思う。
生活と表現でたたかうことが、おーるさんの表現に応える道だと思う。

わたしたちはインターネット表現者だと思う。
おーるさんは最後まで表現しながら死んでいった。

ブログで書いて表現していく民衆の声が聞こえる。

インターネットサイバーおーる神社が出来たら
その境内から「新じねん」の神輿が出発する。
神輿が民衆によって担がれ、山車が街頭を練り歩く。
「ワッショイ、ワッショイ」
街頭こそインターネットでありブログだ。
その街頭は世界に接続している。

おーるさんはインターネット表現の可能性を刻印してきた。
権力者どもに負けてはならない。


民衆のジャーナリズムその体現、おーるさんが残した表現

2006年03月26日 | Weblog
新じねん

http://csx.jp/~gabana/index.html


自分は無力である。
【新じねん・日々雑感】の製作者おーるさんが亡くなって、虚脱状態に
なってしまった。
おーるさんが亡くなった記事を発見したのは
23日の朝だった。
最初は信じられなかったが
【きっこの日記】( http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060323
を読んで実感してきた。

3月は小説書きに没頭していたので
【新じねん】にあまりアクセスしていなかった。

おーるさんがつくった図解を転載ばかりしてきた。
おーるさんは赤貧のなか、何匹もネコを育てていた。
自分は貧乏人だが
ネコのエサ代をすこし助けるくらいは
カンパできたと思う。

もうすこし、おーるさんに遠慮なくふみこんでいければと
無力な自分を後悔している。
何ひとつ、おーるさんを助けることはできなかった。

今、新潮新人賞に応募投稿する小説にピリオドを打った。
最後の盛り上がるシーンを書かねばならなかったのだが
おーるさんの死に虚脱になり酒を飲み寝込んでしまった。

おーるさんとは図解の転載をめぐり何度かメールで交信させて
もらった。
おーるさんの図解は日本インターネット文化における優れた表現であると
動物的直感してきた。
財界展望4月号でも図解は掲載されていた。
テレビ朝日の「モーニング」でも図解は映像として、一瞬だけだが
登場していた。
今年からおーるさんの図解はジャーナリズムに波及していった。

おーるさんのインターネットにおける表現は
民衆のジャーナリズムその体現だった。

とにかく自分は3/31までに小説を応募投稿しようと思う。
それができたら
おーるさんが残した記事と表現をどうインターネット界に保存して
いけるのか、それを考えようと思う。



中嶋夏&とんでも舞踏団「霧笛舎」舞踏公演 「根も葉もなく…夢と廃棄」

2006年03月15日 | Weblog
中嶋夏&とんでも舞踏団「霧笛舎」舞踏公演

Natsu Nakajima & Mutekisha's Performance of Butoh



「根も葉もなく…夢と廃棄」
No Roots No Leaves…Absurd Day Dream








(日時)


2006年4月6日(木) 4月7日(金) 開場19:00 開演19:30

6 April 2006 (Thu) OPEN19:00 START19:30
7 April 2006 (Fri) OPEN19:00 START19:30

(会場)


●北沢タウンホール


Kitazawa Town Hall

(交通)
小田急線「下北沢」駅下車




(料金)
前売券3,000円 当日券3,500円

(問合せ)
霧笛舎 http://www.geocities.co.jp/Hollywood/3028/


財界展望4月号は年次改革要望書特集

2006年03月15日 | Weblog

H_0604





財界展望4月号は年次改革要望書特集(財界展望サイトから) http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/503.html





<siname></siname>投稿者 ロエンヒ 日時 2006 年 3 月 03 日





http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/



ブッシュの「命令書」~米国「年次改革要望書」の正体
 朝日、読売、毎日、日経、産経が黙殺した米国の「日本の資産乗っ取り計画」



「年次改革要望書」を一行も報道しない大マスコミの大罪
http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/01.html
小泉政権の方針は、米国が毎年日本に“通達”してくる「年次改革要望書によって定められている。この重大な主権侵害と内政干渉について日本の大マスコミはなぜ、積極的に報道しようとしないのか。
ジャーナリスト 荒井香織



 政治・経済の世界にグローバル・スタンダードはそぐわない
「米国の病理」を見習う「小泉・竹中オタク連合」の悪辣
http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/02.html
米国の国益を図るために突きつけられる「年次改革要望書」。その要求を得々と受けいる「小泉・竹中コンビ」。その先に待ち受けているものは何か。
フリーライター 倉田 大道



 韓国では6人に1人が多重債務者に陥った!
米国「金利規制緩和要求」で“内蔵を売れ”が横行する
http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/03.html
米国政府が最新版の「年次改革要望書」を通じて日本に要求している「金利規制緩和」が実現すると、はたしてどのような現実がやってくるのだろうか。日本の隣国、韓国にその重要な前例がある。今回レポートする“戦慄の事実”は実際に起きた事実であり、決して他人事ではない。
ジャーナリスト 北 健一



 米国企業の“手先”と化すホワイトハウス──
世界一の長寿国「ニッポン」の医療制度を米国がブッ壊す!
http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/04.html
診療報酬の引き下げが決定し、小泉改革の本丸は「医療界」にターゲットを移した。医師を“生贄”に差し出すスタイルは、郵貯改革の時の郵便局と重なる。小泉版「医療改革」の熱心な後援者は、ほかならぬ米国とその出先機関「経済財政諮問会議」である。市場原理主義者に「国民の命」を捧げることを断じて許してはならない!
本誌編集部・真鍋雅亮



 米国製薬業界の「欠陥システム」までもが押しつけられる
製薬大国アメリカの露骨な干渉に揺らぐ厚生労働省・製薬メーカー
http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/05.html
世界的M&Aにそなえ業界の再編成が進む製薬メーカー。そこへまた、米国の「年次改革要望書」。国もメーカーも慌てふためく。
ジャーナリスト 島野 清志



 瀕死の自動車帝国が仕掛ける最後の手段
日本車メーカーに迫る米国自動車業界の「産業テロ発動」Xデー
http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/06.html
米国産業の象徴でもある自動車メーカーGMが経営危機にある。もちろん米国側が、現状を見過ごすはずがない。手段を選ばない反攻に出る日が、刻々と近づいている。
ジャーナリスト 井上 学



 ライブドア事件で急降下
竹中失脚を危惧する「ブッシュ政権」の滑稽
http://www.zaiten.co.jp/mag/0604/07.html
米国流改革を次々に実現させてきた竹中総務相。だが、ライブドア事件をきっかけに、日本国内では竹中批判が噴出。その影響力低下で気をもむのがブッシュ政権--。
ジャーナリスト 真野 響




はめられた寝方

2006年03月04日 | Weblog




劇団SCOT「リア王」感想

 (122行)  1993/2/14 藤沢湘南台市民シアター公演

 http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/ria01.html                           

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         三十代の男優たちと舞台の上で実際に取っ組み会いのけんかを
         してみると分かるが、やはり男性の力は強く、体も大きく、向
         き合うと恐怖心を感じるものである。手加減されるのは悔しい
         が、本気でこられると死んでしまう。残念ながら女性の力は弱
         いのだ。
            渡辺えり子 (1993,02,17 東京新聞 芸能TY蘭)
---------------------------------------------------------------------------

 開演を待つあいだ私は劇場の構造を椅子に座りながらながめていた。私の席は舞
台中心から左対角線上に位置している。できれば前のほうに座りたかった。役者の
汗と息づかいをうけとめるのが私は好きなのである。そのほうがより幻想が増幅さ
れるからである。後ろを振り返ると、対角線右上に鈴木忠志が照明オペレーション
の前に座っていた。鈴木忠志はあえて観客席のはるか頭上にあるオペレーション・
ルームを使用せず、照明・音楽操作機器を観客席に持ち込んだのであろう。それは
どんなハイテク装置があらかじめ設定されている劇場であろうが、富山県利賀村の
合掌造りの劇場「利賀山房」仕様を、どこまでも貫くと言う体系にある。

 日本の一般その画一化の市民社会はイデオロギーと言う言葉を嫌悪する。文化か
ら政治まで、イデオロギーとは鬼のイメージで悪者とされていく。しかし思想およ
びイデオロギーとは教条の代名詞ではない。それは方法意識と実践から出力された
蓄積による体系なのだ。コンピュータ言語に換言すればデーターを蓄積しながら、
ソウトウェアを構築する実践としての体系性を内包する言語世界と思考世界なので
ある。鈴木忠志は演劇言語のソフトウェアを構築してきた人間である。ゆえに場所
のこだわりはその演劇展開の中心軸となる。

---------------------------------------------------------------------------
 我々が、もし世阿弥に教えられるところがあるとするならば、どんな場でも、人
間的な事象に対する内省の徹底性さえあれば、人間の象徴的な在り方を鋭く射抜く
ということであろう。思想の恐ろしさとは、経験や学識の広さではなく、自分の
経験した事物が、何を言わんとしているかを徹底的にときあかす、その情熱の深浅
にある。そして、自分の経験の本質を追求することが、どれだけ他人や、他人の
行為まで及ぶ普遍性を獲得しているかだけが問題なのだ。

          鈴木忠志演劇論集「内角の和」 而立書房
---------------------------------------------------------------------------

男は初対面の男と対面するとき、まず彼はおのれにとって、敵となる存在か、味方
になる存在かを、会話あるいはその表情、しぐさによってリアルタイムで判断しなけ
ればならない。まずその緊張は女には理解できないであろう。男性社会とは男にと
って、競争闘争関係にあり、女はこうした男のやわらかな慰安対象であるのが、歴史
に私的所有と権力制度が誕生してから日常生活であった。すなわち男達の役者だけの
舞台は、ある緊張を圧縮し暴力的に放水するのである。劇団SCOTはこうした我々
の日常たる政治関係と言うものを表出したと思う。「リア王」は政治演劇であった。

 政治とはなにも選挙や議会工作、党派闘争だけのことではない。私は政治には無感
心であります、とそれが大衆社会のある共通言語に同化し安心している男はすでに
多数者であるが、このセリフを吐く男こそ政治的人間なのである。実は彼は多数者と
市民社会の気分に自己を迎合することが、自己存在の安定につながることを、計算
する、おのれの身の安全をつねに状況から計算する動物的本能に規定された、政治
的人間なのである。市民社会とはつまり政治的人間の競争闘争社会なのである。

 政治とは精神よりも肉体構造に存在し、下半身によって規定された日常である。
また政治とは肉体労働と言ってもよかろうと思う。よく女は政治の話しをすると、
なんか高度なお話ししていますのね。わたし、ついていけないー、アハッハ。と
言う。それは女の本能である快適なものを求める欲望が、なまぐさく肉体的なののを
意味嫌うからであろう。実は女こそ政治とは直感で、身体排泄器官の日常であること
を理解しているのだろう。おんなもやはり男以上に政治的人間なのである。こうして
おんなは家庭を清潔に浄化するごとく、男性権力社会のくそまみれになった政治議会
を快適にすべく登場してきた。

 劇団SCOTが「リア王」の娘を男優たちが演じ、男の役者のみの舞台であったと
は、はっきりしている。政治と言う人間の動物としての身体に規定された、やっかい
な裸力としての暴力的日常を、むきだしにせんとした戦略であったからだ。やはり
女だけの舞台、男だけの舞台は暴力演劇となって都市に襲いかかるのである。不均衡
は緊張をもたらし、緊張は暴力を呼び寄せる。設定は精神病棟の内部における劇中劇
であったが、じつは舞台を眺めている観客こそ、新世界秩序と言う、いまや秩序が
解体された無秩序の精神構造に存在しているボーダーレスの表層にいきづいていた。

 こうしてわれわれの都市は、あらかじめ失われた建築様式と、雨戸の透き間から
差し込んでくる朝の陽によって、目撃される。鈴木忠志の照明は役者の身体の位置
から、役者にあて、さらに、天井に釣られた格子戸を、あてることによって、なつ
かしい、庶民の日本建築様式の記憶を立ち上がらせる。
 私はもはや失われた時となった、幼少のころ遊んだ農村の家屋を記憶に呼び出す。
厚い漆喰の壁の蔵に入ると、ひんやりとして真夏は気持ちがよかった。その窓から
陽が差し込んでくる。光線はいっそう闇をここちよくするのである。

 親父が生まれた親戚の農家とその庭でよく私たちは、かけづりまわって遊んだ。
わらふき屋根のその建築家屋は100年の歳月をえてきていた。裏にまわると屋根
から、木が生えている。それが私には不思議でしかたがなかった。さらにその家には
牢座敷があったらしい。そこはみたことがなかったが、裏のある一角だけは内部から
は行けないのである。しかし外の裏にまわると、そこに内部の部屋があることがわか
る。「リア王」はこうした、もはや日本の農村には存在しないだろう、牢座敷の内部
に閉じこめられた物語を表出したのではないだろうか? 消却された牢座敷の代替え
として、制度としての近代精神病棟は存在しているのである。

 劇団SCOT男優の身体のかまえは、私に鳶職人の身体を類型入力させた。
つまり武装せる身体であったのである。危険な労災事故といつも隣り合わせにある
建築労働者や危険な機械を操作する工場労働者の身体は、日常としての、気をゆる
せば確実に大ケガをすると言う、緊張した肉体労働である。そこに危険と精神が
格闘する武装せる身体が誕生する。SCOT男優の静止する演技は、激しい動きに
耐ええられる訓練による、空間美を体現できるのだろう。鳶職人の足のように。

 さらに私が注目したのは、SCOT男優の額のひろい美しさである。それは彼ら
の情報装置がつねに作動していることなのだ。異質なものとの出合い、他者との
出合いは、情報装置が全面的に展開していく日常となる。安定した日本言説の額と
は、在る意味で位相の額かもしれないと直感した。彼らが立つ場所は、快適都市に
ずっぷりと浸りながら、退屈に滅んで行く「島」ではなく、異質な出合い、他者と
いかにコミュニケーションを成立させることが可能なのか?それとも不可能なのか
を問われる場所に立っていたのだろう。おのずからそこは緊張した世界と呼ばれる。

 オリジナルティとはおのれとおのれたちの生成の原点と体系を生涯の名において
他者に投企していくことにある、と、私は最近教えられた。ゆえに舞台様式は、い
かなる劇場であり、利賀山房の空間が創造されていくのである。かつて鈴木忠志は
人間関係とは恐ろしいものである、と演劇論に書いていた。普遍・真理とは人間関
係をぬきにしたところ、つまり物神のごとく教条として存在しているのではない。

 普遍とはやはり関係を成立させ、他者の身体空間に表出し、そのことによってのみ
獲得される内容であるのだろう。普遍・真理とは固定ではなく生成していくと。
鈴木忠志・寺山修司・太田省吾・佐藤信・唐十朗たちは演劇の方法意識を、言語と
格闘しながら、演劇の現場に生成している方法を記録し、模索してきた。それは
独自な演劇論へと展開されていく。すでに教条は内容なき死体だったのだろう。

 演劇論が表出できぬ現場とは、おのれとおのれたちの経験を言語にできぬこと
にある。それはイデオロギーを鬼のごとく、あらかじめ排除しているからである。
イデオロギーは教条の代名詞ではない、戦略と方法を生成させる力だと言うこと
を、腹で感じとれぬものは、リアリズム反映論の下請けであった新劇のごとく、
おのれたちの現場に生成するソフトウェアを演劇論として出力できぬであろう。

 ハードウェアは目に見える舞台装置・演劇技術の集約であるが、目にみえぬ舞台
の生成はやはり演劇論として言葉によって表出されるほかはない。

 劇団は劇団との競争関係にあるが、批評者は批評者との競争関係にないのが、
朝日新聞の劇評である。かれらはいまでも客観的批評が通用すると妄想している
安定した教条のスターリン科学と真理の体現者なのであろう。そのような人々に
みえない舞台の生成と世界を発見してくれと、おねだりするのが、そもそも歪曲
の構造に敗北しているのだろう。

 演劇を語る言葉が貧しくなった、と、言われている。演劇が快適に消費されて
いくシステムを突き破るためには、イデオロギーが鬼として登場するしかないと
私は妄想しているのだが・・・。演劇のソフトウェアはいったい何か?

 劇団SCOT「リア王」の観客席に座っていた私は、もはや直感力を喪失した
動物的本能が欠落し、ずぶずぶと滅んでいく緊張感なき、たるんだローマ帝国の
市民であった。私の自己感受能力が摩滅していることを感じとった。それはすでに
身体が武装を解除して、ぶよぶよになっているからである。美に対する感動が欠落
しているのだろうか?私はやはり一番前に座り、役者たちの汗と言葉をはく唾を、
まのあたりに体験したかったのである。

                 1993,02,24

http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/ria01.html



特捜検察の闇リア王

TV報道番組の言霊

2006年03月04日 | 政治
日本病理マスゴミの総力をあげて小泉政権の支持率低下を阻止しろ!


工作員 岸井成格


工作員 平沢勝栄




逆風だが潮目変わらず  【岸井成格】

 TBS系テレビ「みのもんたの朝ズバッ!」は来月末で1年になる。番組は好調だ。

 みのさんが腰の手術から復帰した1月16日はライブドアに強制捜査が入り、翌17日にはヒューザーの小嶋進社長の国会での証人喚問

と続いた。ライブドアの堀江貴文社長が逮捕されると、スタジオは昨年の総選挙で「ホリエモン」を刺客として送り込まれた亀井静香元自

民党政調会長(1月24日)、防衛施設庁の官製談合に絡んでは額賀福志郎防衛庁長官(同25日)の生出演になった。

 それにしても、昨年の総選挙の圧勝がうそのように、小泉純一郎内閣には逆風が吹き荒れている。

 耐震データ偽造、ライブドア事件、米国産牛肉輸入再開トラブルと、野党は通常国会冒頭から3点セットを争点に攻勢に出た。

 そこへ防衛施設庁事件、さらには皇室典範改正をめぐる政府・与党内の足並みの乱れが露呈するなど、3点は4点、5点と、火の手は拡

大するばかりだ。

 政権末期特有の現象という側面もあるが、ポスト小泉の権力闘争も絡んで、政局は複雑な展開を見せている。

 今月5日朝のTBS系テレビ「関口宏のサンデーモーニング」は、5点を順次取り上げるだけで、時間がいくらあっても足りない状態だ

った。

 政界やメディアは、小泉内閣がいつまで持つかに注目している。9月の任期切れを待たず、立ち往生して早期退陣の事態はあるのかどう

かだ。

 私は「着陸寸前に乱気流に突入したが、墜落はないだろう」との見通しでコメントしてきた。

 その根拠は(1)自公連立与党が衆院で3分の2以上の圧倒的多数を制している(2)内閣総辞職か解散・総選挙か、となれば小泉首相

は迷わず「公務員改革」で解散に打って出る(常識外だが)--と見る。

 特に(2)については、ロッキード事件30年の「記者の目」(3日朝刊)で、意外に知られていない「ロッキード政局から学んだ首相

の発想と政治手法」について触れた。

 以前、この欄で政局の変化の読み方について(1)風向き(2)潮目(3)風景--の順序があると書いた。現時点では、風向きは明確

に強烈な逆風の中にあって、立ち往生してもおかしくない。しかし、潮目が変わるほどの“致命傷”になっていないため、野党の“息切れ

”もある。

 今後のポイントは、国会の攻防に加え、捜査の進展で政界への波及はあるか、国民世論の内閣支持率の低下に歯止めがかかるかどうかに

絞られてくる。

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 岸井成格のホームページはhttp://www.mainichi-

msn.co.jp/seiji/kishii


毎日新聞 2006年2月7日 東京朝刊

target="_blank">http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kishii/tv/news/20060207ddm012070090000c.html


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小泉純一郎と日本の病理

改革者か独裁者か
Kobunsha paperbacks

著者:藤原肇
出版社:光文社
サイズ:単行本/337p
発行年月:2005年10月

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ISBN:4334933688
本体価格 952円 (税込 999 円) 送料別


国民は貧しくなればなるほど強いリーダーを求める
たとえ、彼が「ニセ改革者」であろうと
そして、「独裁者」であろうと

■国民を地獄へ導く「ゾンビ政治」と「資本主義」

 2005年9月11日は、日本国民にとって最悪の日である。それは、小泉純一郎首相がついに最大の権力 power を手に入れた日だからだ。

「9.11」は、アメリカにおいても民主主義 democracy が死んだ日とされるが、日本においても民主主義が死んだ日として、今後は永遠に記

録されるだろう。

 小泉政権 Koizumi administration は発足以来、すでに4年半以上が経過したが、本当に国民のためになる改革が行われてきたのだろう

か? そして彼は、本当に「改革者」 reformer なのだろうか?

 今の日本はゾンビが支配する国(ゾンビ政治 zombie politics の国)ではないのか? 財政破綻による「国家崩壊」が放置され、病状は

日ごとに悪化している。そして、日本経済には「資本主義」 pariah capitalism が蔓延し、倫理 ethics なき利潤追求ばかりが行われ

、社会は階層化している。これは、下層民と支配階級 ruling class が厳然と分かれて生きていた「近代以前」の社会の再現ではなかろう

か?

 ゾンビ政治と資本主義が日本を崩壊 crash down に導いており、この流れを加速 accelerate させているのが小泉政権である。この

ままでは、あなたは確実に地獄に導かれる。そして、気がついたときには、すでに手遅れとなる日が迫っている。

藤原肇[ふじわら・はじめ]

1938年東京生まれ。フランス、グルノーブル大学理学部博士課程修了。理学博士。専門は地質学で、アフリカや中東で資源開発ビジネスに

参加した後、カナダに移り、ユニオン石油、ペトロフィナ社などの多国籍石油会社で石油開発を担当。その後、カンサスとテキサスで石油

開発会社を経営。現在は、ビジネスからは引退して、フリーランスのジャーナリスト、コメンテーターとして世界で活動する。著書に『石

油危機と日本の運命』(サイマル出版会)『日本不沈の条件』(時事通信社)『日本脱藩のすすめ』(東京新聞出版局)『アメリカから日

本の本を読む』(文藝春秋)『平成幕末のダイアグノシス』(東明社)『間脳幻想』(東興書院)『ジャパン・レボリューション』(清流

出版)など多数。現在、カリフォルニア州パームスプリングス在住。

【光文社】

http://item.rakuten.co.jp/book/3666106/























小泉純一郎と日本の病理




トリノの恋人たち 空中遊泳の祝祭

2006年03月01日 | 舞台

空中遊泳1


空中遊泳2


空中遊泳3


空中遊泳4


空中遊泳5



空中遊泳には驚いた。


演者はトリノにあるサーカス学校の人たち。


吊り上げではなく


下からの風圧による遊泳。風の情熱である。


イタリアはやはり職人の国。



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トリノ冬季五輪:最終日 最新テクで空中浮遊実現--閉会式

 <torino2006>



 【トリノ安藤由紀】聖火が消え、17日間の祭典が終わった--。トリノ冬季五輪は26日、「謝肉祭」をテーマにした閉会式で幕を閉じた。全力を尽くし、重圧から解放された選手たちは晴れやかな笑顔で行進し、喜びや悔しさを味わった思い出の地に別れを告げた。



 日本が獲得したメダルは、フィギュアスケート女子の荒川静香(プリンスホテル)の金1個だけ。冬季五輪史上、最高の成績を収めた長野五輪から8年。地元開催の遺産を食いつぶし、4年後のバンクーバー(カナダ)へ向け、何よりも若手の発掘が急務となっている。インスブルック大会以来となるメダルゼロの屈辱は免れたが、大きな課題を残した大会だった。



 ◇最新テクで空中浮遊実現



 〇…人間が空中に浮かぶ--。そんな不思議な光景が現実に起きた。


 これは空気力学の最新テクノロジーを駆使したもの。垂直方向に空気のトンネルを作った状態にし、下から強烈に吹き上げることで、人体を浮上させることに成功した。白い衣装を着た男たちがスキーやスノーボードを履いて空中で自由に動き回り、会場には大きなどよめきが起こった。【共同】


毎日新聞 2006年2月27日 大阪夕刊


http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/gorin/news/20060227ddf035050014000c.html






サーカスがやってきた!君のうた 僕のうた(10)リベレーション・ミュージック・オーケストラ/チャーリー・ヘイデンスリー、モンスター DVDサーカスパラマウント ホーム エンタテインメント 地上最大のショウダレン・シャン(第1巻~第3巻セット)タイフーン/旅立ちサーカス団の家族 (564×790mm)現代風俗・興行江戸妖花帖望郷子守唄乙女の儚夢(ろまん)イベントコスチューム 大道芸人パーテイーピエロスーツレインボー昭和の演芸ジャグリング南京玉すだれ中世のアウトサイダー

トリノ市民が参加した祝祭の舞台

2006年03月01日 | 舞台


冬季オリンピック2006イタリア・トリノ。
閉会式をTVでみた。

道化の登場。トリノ市民が参加する祝祭の舞台である。
カーニバル。天使と悪魔の仮面。

裏方スッタフ。イタリアのオペラ・演劇・ダンスそれら総じて舞台裏方技術陣の総力をあげた祝祭。

オリンピックの開会式と閉会式は国家予算を投じたダイナミックな舞台となる。
ゆえに見るべきものは裏方スッタフの技術と場面転換における展開である。

1996年、暗黒舞踏公演でミラノに行った。和紙を持っていった。その和紙でミラノの舞台裏方スッタフは緞帳を作ったのである。職人の究極をそこに見た。

イタリアは職人の国。



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トリノ冬季五輪:閉会式 イタリアらしさ、鮮烈にアピール--製作総指揮者
 <torino2006>

 トリノ冬季五輪の開会式に続き、26日の閉会式を製作総指揮したのはマルコ・バリチさん(43)。開会式は「情熱のスパーク」をテーマにしたが、閉会式は「カーニバル(謝肉祭)」をテーマに、冬の祭典をにぎやかに締めくくった。

 開、閉会式とも地元トリノとイタリアをいかに世界へアピールするかにこだわった。「謝肉祭はイタリアの伝統的な祭り。郷愁と狂気の美、それにイタリアとトリノを重要な要素とした」と語る。伊映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ監督を意識し、道化師や仮面を多く登場させたところは、心憎い演出だ。

 ベネチア生まれ。80年代半ばからテレビ番組の共同製作を始め、ピンクフロイド、ホイットニー・ヒューストンら大物ミュージシャンのコンサート製作に携わった。

 02年ソルトレークシティー冬季五輪の閉会式ではトリノを紹介するパフォーマンスの製作を担当。それ以来、トリノ五輪の開閉会式の製作案を練りに練り、2年間かけて本番に臨んだ。両方の製作費の総額は2800万ユーロ(約38億5000万円)。故ジョン・レノンさんの妻オノ・ヨーコさんを登場させて平和のメッセージを伝えた開会式は、世界から共感を呼び「素晴らしい仕事ができた。満足している」と話していた。【海保真人】

毎日新聞 2006年2月27日 大阪夕刊

http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/gorin/news/20060227ddf035050013000c.html




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荒川静香、おのれのプログラムを修羅の場で演じる舞姫

2006年03月01日 | 舞台

荒川ティアラ


地元のピエモンテ州などからティアラを贈られた荒川






荒川4



「自分のプログラム」


「自分が美しいと思うものを表現する」



久さしぶりに美しいものをTV映像でみたのだった。



荒川静香のコスチューム


荒川静香はこれまでの黒や白を基調としたコスチュームから


トリノではすっきりしたデザインだった。


「シンプルと基礎そして優雅」の荒川らしさが出ていたと思う。


荒川1



SPでは「赤を基調として流れるような白い首飾り」赤と白の高貴さがあった。



荒川02



フリー最終組がアップに氷の舞台に出てきた。


荒川静香の衣装は新鮮な旅人だった。なぜか大人の高貴さがあった。


精神性が貫く時間と空間に荒川静香はひたすらおのれと対話していた。


表現における世界精神と自己、ひとつひとつの演技が解析され採点される修羅の舞台へ。



フリーでは「藍と浅黄」相対象のデザイン。


「青い氷の女王」スピンでの腕が美しい。首飾りと両腕を通す袖のデザイン。


まさに衣装が流れるように踊っていた。衣装と風の遊行。





荒川3


荒川03



エキシビジョン


それは紫か藍か群青か、荒川静香の身体美。そして照明と衣装デザイン。



村主3


エキシビジョン


村主章枝、赤の照明が基調での演技。



競演01

エキシビジョン


バイオリン生演奏 エドウィン・マートンの演奏で演技する


ペア金  トトミアニナ、マリニン組



競演02


エキシビジョン


バイオリン生演奏 エドウィン・マートンの演奏で演技する


プルシュンコ


競演03


エドウィン・マートンの演奏で演技する


プルシュンコに、なんとしても観客を満足させるという


強さをみた。当日のチケットは1枚5万円。


エキシビジョンはプルシュンコの演技によって成功した。


ひとつのプログラムを成功させる、


それが裏方スタッフの努力に応える道であるとプルシュンコはプログラムで証明した。


金をとれる選手とは、全体プログラムへの執念と精神の強さを持っている。


エキシビジョンでも真剣勝負だった。



トリノ・オリンピックのテーマは「情熱はここに息づく」


フィギアスケートをTVで見ながら自分が学んだのは


おのれのプログラムを修羅の場で演じる人間である。




フィギアスケートは華麗であると同時に修羅の場。

それは柔道に似ている。投げられ組押さえられ敗北した選手は惨めである。


フィギアスケートも回転に挑戦し、失敗すれば氷に尻がつく。


それは全世界にライブ映像として配信されてしまう。


演技は解析され採点され数字の結果として表示される。



コーエン1


コーエン、フリーでの転倒



スルツカヤ1


スルツカヤ、フリーでの転倒




コーエン2


エキシビジョン  コーエンの演技



スルツカヤ2


エキシビジョン  スルツカヤの演技



トリノ冬季五輪閉会式 祝祭のスタジアム

2006年03月01日 | Weblog




















トリノ冬季五輪閉会式 祝祭の照明デザインは電気エネルギーによるライティング
だけではなく、火と花火が全面展開された。
「まさに炎の情熱ここにあり」と世界に宣言したかのようだった。
イタリア舞台裏方技術陣の総力をあげた祝祭イベントとなった。

やはりイタリアは職人の国であると思った。
オペラ劇場で出来ないことを、トリノオリンピックスタジアで体現したかのようだった。

閉会式には中世の民衆演劇
そしてイタリア未来主義が情熱の息吹として現出していた。
混沌の渦から形は未来に誕生すると宣言するかのように。



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