愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

日本が誕生したのは弁韓が移転した筑紫城だった。九州王朝は白村江海戦で滅ぶ。

2013年12月21日 | 歴史

『新唐書』日本伝

 

 

 日本、古倭奴也。去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居、東西五月行、南北三月行。國無城郛、聯木為柵落、以草茨屋。左右小島五十餘、皆自名國、而臣附之。置本率一人、檢察諸部。

 

 日本は、古の倭奴なり。京師から一万四千里、新羅の東南にあたり、海中に在る島に暮らしている。東西には五カ月の行程、南北には三カ月の行程。国に城郭はなく、連ねた逆木で柵落と為し、草茨で屋根とする。左右の小島は五十余り、皆、自ら国と呼んでおり、これに臣下が付随している。本率を一人置き、諸部を検察させている。

 

 其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。

 

 そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

 

 彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。次曰綏靖、次安寧、次懿、次孝昭、次天安、次孝靈、次孝元、次開化、次崇神、次垂仁、次景行、次成務、次仲哀。

 

 彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。次は綏靖、次は安寧、次は懿、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、次は孝元、次は開化、次は崇神、次は垂仁、次は景行、次は成務、次は仲哀という。

 

 仲哀死、以開化曾孫女神功為王。次應神、次仁、次履中、次反正、次允恭、次安康、次雄略、次清寧、次顯宗、次仁賢、次武烈、次繼體、次安閑、次宣化、次欽明。

 

 仲哀が死に、開化の曾孫娘の神功を王とした。次は應神、次は仁、次は履中、次は反正、次は允恭、次は安康、次は雄略、次は清寧、次は顕宗、次は仁賢、次は武烈、次は継体、次は安閑、次は宣化、次は欽明。

 

 欽明之十一年、直梁承聖元年。次海達。次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通。次崇峻。崇峻死、欽明之孫女雄古立。次舒明、次皇極。

 其俗椎髻、無冠帶、跣以行、幅巾蔽後、貴者冒錦;婦人衣純色裙、長腰襦、結髮于後。至煬帝、賜其民錦線冠、飾以金玉、文布為衣、左右佩銀蘤、長八寸、以多少明貴賤。

 

 欽明の十一年は、梁の承聖元年(552年)に当たる。次は海達。次は用明、また目多利思比孤といい、隋の開皇末に、初めて中国と通じた。次は崇峻。崇峻か死ぬと、欽明の孫娘の雄古(推古)が立った。次は舒明、次は皇極。

 その俗は椎髻(不明)し、冠帯はなく、裸足で歩き、幅広の巾で後を隠し、貴者は錦の帽子、婦人の衣は純色(鮮明な色)の裙(もすそ)、長い腰襦袢で、髮を後に結う。

 煬帝に至り、その民に錦線冠を賜り、金玉で飾り、文様入りの布を衣と為し、左右に銀蘤を佩びる、長さ八寸、多少は貴賎が明確となる。

 

 太宗貞觀五年、遣使者入朝、帝矜其遠、詔有司毋拘歳貢。遣新州刺史高仁表往諭、與王爭禮不平、不肯宣天子命而還。久之、更附新羅使者上書。

 

 太宗の貞観五年(631年)、遣使が入朝、帝はその遠きを不憫に思い、詔を以て有司に歳貢を免除させる。新州刺史の高仁表を行かせて諭したが、王と礼を争い不平があり、天子の命を宣することができずに帰還した。久しく経って、改めて新羅の使者に付して上書す。

 

 永徽初、其王孝即位、改元曰白雉、獻虎魄大如斗、碼瑙若五升器。時新羅為高麗、百濟所暴、高宗賜璽書、令出兵援新羅。未幾孝死、其子天豐財立。死、子天智立。

 

 永徽初(650年)、その王の孝が即位、改元して白雉という。一斗升(ます)のような大きさの琥珀(こはく)、五升升のような瑪瑙(めのう)を献上した。時に新羅は高麗と百済の暴虐の為す所となり、高宗は璽書を賜い、出兵を出して新羅を援けさせた。幾ばくもせず孝が死に、その子の天豊財が立った。死に、子の天智が立った。

 

 明年、使者與蝦蛦 人偕朝。蝦蛦亦居海島中、其使者鬚長四尺許、珥箭於首、令人戴瓠立數十歩、射無不中。天智死、子天武立。死、子總持立。

 

 翌年、使者が蝦夷人とともに来朝。蝦夷もまた島の中で暮らしており、その使者は鬚の長さ四尺ばかり、箭を首の耳輪の辺りに構え、人に瓠を載せて数十歩先に立たせ、射って的中せざるはない。天智が死に、子の天武が立った。死に、子の総持が立った。

 

 咸亨元年、遣使賀平高麗。後稍習夏音、惡倭名、更號日本。使者自言、國近日所出、以為名。或云日本乃小國、為倭所并、故冒其號。使者不以情、故疑焉。又妄夸其國都方數千里、南、西盡海、東、北限大山、其外即毛人云。

 

 咸亨元年(670年)、遣使が高麗平定を祝賀。後にやや夏音(漢語)を習得し、倭名を憎み、日本と改号した。使者が自ら言うには、国は日の出ずる所に近いので、国名と為した。あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。またその国都は四方数千里だと妄りに誇る、南と西は海に尽き、東と北は大山が限界となり、その外は、すなわち毛人という。

 

 長安元年、其王文武立、改元曰太寶。遣朝臣真人粟田貢方物。朝臣真人者、猶唐尚書也。冠進冠、頂有華蘤四披、紫袍帛帶。真人好學、能屬文、進止有容。武后宴之麟殿、授司膳卿、還之。文武死、子阿用立。死、子聖武立、改元曰白龜。

 

 長安元年(701年)、その王の文武が立ち、改元して太宝という。朝臣の真人粟田を遣わし、方物を貢献した。朝臣の真人は唐の尚書のようである。進冠を冠り、頂に華蘤四披があり、紫の袍に白絹の帯。真人はよく学び、巧みに文章を書き、動作に偉容があった。武后は麟殿での宴席で、授司膳卿を授けて、かれを還した。文武が死に、子の阿用が立った。死に、子の聖武が立ち、改元して白亀という。

 

 開元初、粟田復朝、請從諸儒受經。詔四門助教趙玄默即鴻臚寺為師。獻大幅布為贄、悉賞物貿書以歸。其副朝臣仲滿慕華不肯去、易姓名曰朝衡、歴左補闕、儀王友、多所該識、久乃還。聖武死、女孝明立、改元曰天平勝寶。

 

 開元初(713年)、粟田が再び来朝、諸儒に沿った経典を拝受したいと請うた。詔を以て四門学の助教「趙玄默」を鴻臚寺での師と為した。大きな幅広の布を謝恩の礼として献じ、あらゆる賞・物・貿・書を持って帰る。その副の朝臣仲満は中華を慕い、帰らず、姓名を変えて朝衡という、左補闕、儀王友などを歴任して多くの知識を備え、久しく経って帰還した。聖武が死に、娘の孝明が立ち、天平勝宝と改元した。

 

 天寶十二載、朝衡復入朝、上元中、擢左散騎常侍、安南都護。新羅梗海道、更�墹明、越州朝貢。孝明死、大炊立。死、以聖武女高野姫為王。死、白壁立。

 

 天宝十二載(753年)、朝衡が再び入朝、上元中(760-761年)、左散騎常侍、安南都護に抜擢した。新羅が海道を塞いだ、改めてデマだと明白になり、越州に朝貢。孝明が死に、大炊が立った。死に、聖武の娘の高野姫を王となす。死に、白壁が立った。

 

 建中元年、使者真人興能獻方物。真人、蓋因官而氏者也。興能善書、其紙似繭而澤、人莫識。

 建中元年(780年)、使者の真人興能が方物を献じた。真人とは、官に因って氏とする者である。興能は書を善くするが、その紙は繭に似て光沢があり、人には知られていない。

 

 貞元末、其王曰桓武、遣使者朝。其學子橘免勢、浮屠空海願留肄業、歴二十餘年、使者高階真人來請免勢等倶還、詔可。次諾樂立、次嵯峨、次浮和、次仁明。仁明直開成四年、復入貢。次文、次清和、次陽成。次光孝、直光啟元年。

 

 貞元末(805年)、その王は桓武といい、遣使が来朝。その学子の橘免勢、仏教の空海は留学を願い、二十余年を経て、使者の高階真人が来朝し、免勢らを伴って帰還することを請う、詔を以て勅許す。次に諾楽が立ち、次は嵯峨、次は浮和、次は仁明。仁明は開成四年(839年)にあたり、再び入朝して貢献。次は文、次は清和、次は陽成。次は光孝、光啟元年にあたる。

 

 
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寒い、昨日は豹、あられ。
 
今朝は青空。
 
辰韓から生まれたシラギ様の韓国統一教会様が、高句麗様の若き王の人形を紅蓮地獄にして、東アジア戦争を挑発。
 
韓非子と儒教の高句麗様、怒髪天。
 
辰韓から生まれたシラギ様の韓国統一教会様もすごすぎ過激だよね。
 
統一教会はシベリア侵略戦争を準備している秘密結社安倍晋三の心臓部隊だけんね。とほほ。
 
反日のシラギ韓国様も
 
<鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス>
 
徳川家康様から学ばないとね、とほほ。
 
官僚腐敗まるだしの李氏朝鮮時代がどうであったかを
 
対象化するべよ、とほほ。
 
 
いやぁ、夜勤から貧しいアパートに帰還して、焼酎を飲む。
 
それから冷えきったからだを温めようと、風呂に入ったら、水風呂だったんべよ、とほほ。
 
ますます体が冷えきり、あわててふとんのなかへ、とほほ。
 
極限の馬鹿丸出し。
 
帝都にも行けなくなってしまったんべよ、とほほ。
 
これでまた信用ガタ落ち、とほほ。
 
 
 
 阿蘇山 (18-Aug-2012) Mt. Aso.
 
 
 
LANの再構築ねぇ、とほほ。
 
だましていかないとね、WINDOWS7様をば、ほとんど自動で、XPより愚劣に劣化しているべよ、とほほ。
 
XPではわかりやすかったよね、とほほ。
 
マイグロソフトWINDOWS7様をば、だますためにはLANの過程で、古代の機器をいろいろ接続だんべよ、とほほ。
 
満州族の獲物を捕獲する全体情報戦争から、森全体をだます、方法から学ぶべよ、あんたさま、とほほ。
 
中華文明の儒教こそ我にありと誇っていた高句麗様も
 
満州族によって、とほほ。
 
 
九州王朝のごとく滅ぶ日本様マスゴミはいま、帝都の知事選で爆裂報道らしいよね、とほほ。
 
シベリア侵略戦争を準備している秘密結社安倍晋三のプログラムだべよ、シナリオと脚本さべよ。
 
 
猪瀬、430万票史上最大の不正選挙、昨年12月の総括は、バカ丸出し、とほほ。忘却の彼方へ。
 
君の名は。
 
帝都の都民馬鹿まるだしが主体的に加担した猪瀬、430万票史上最大の不正選挙を忘却するためにがよ、こんちくしょう、とほほ。
 
すごすぎ過激のバカ丸出し帝都都民とマスゴミの蜜月、とほほ。がちょうん。
 
今度の冬季オリんぴっくはロシアだんよね、そこでマスコミははふはふ報道大爆裂。
 
その裏こそ特定秘密、秘密結社の安倍晋三、しくしくとシベリア侵略戦争準備。やっぱマスだけんね、とほほ。特定秘密。
 
日露戦争終結交渉のときでも、日本様マスゴミ様がマスを洗脳して、うかれ帝都都民の馬鹿丸出したちが日比谷暴動だよね、とほほ。
 
あれから、日本は狂気へと滑走していったぺ、とほほ。
 
不正選挙、史上最大、430まん、猪瀬をかつぎテレビの指示でとうひょうした、うかれ馬鹿丸出し都民は、ファシズムだけん、ひとりひとり監視せんとね。
 
日本はまた焦土だんべよ、とほほ。
 
うかれ馬鹿丸出し帝都の都民は来年早々の帝都、
 
都知事選挙にもえもえ、利権で、よだれをたらした、ほとんど動物まるだしだよね。