神との対話 ニール・ドナルド・ウォルシュ 訳 吉田和子
図書館のリサイクル本、もらってきて、すこしづつ読んでいるっぺ。とほほ。
母権から父権への転位説明がいいよね。
ニール・ドナルド・ウォルシュが対話する神は母なる宇宙の女神だよね、いいよね、おおらかで。
ユダヤ旧約聖書の世界観は一神教で父権だかんね。
戦争の神だよね。
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も。
母なる宇宙の女神と対話しないとね、とほほ。
女に相手にされなかった男が、共同体に不安をあおり、男をひきよせ、陰謀でもって
共同体の母権制度をくつがえし、権力たる父権制度を確立していったんだよね。
そして戦争の絶対神たる
ユダヤ旧約聖書の世界観は地球規模グローバルなって支配貫徹、これが西洋文明だよね、とほほ。
アメリカ様は単独でもシリアにトマホークをぶちこむべね。
トマホークがそろそろ賞味期限だかんね。
トマホークとは謀略世界戦争軍産複合体の大量消費兵器だけんね、とほほ。
もう、うんざりだよ。アメリカのトマホーク空爆は。
ユーゴスラビアを破壊し、イラクを破壊し、アフガンを破壊し、文明を次々壊滅させるのが、アメリカ様、とほほ。
地球が、もうアメリカ様はいらないといっているよ。
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今日も暑いね、ブールにでも行きたいよ、とほほ。
60歳になって前進する人、拡張する人、どんどんやればいいと思うよ。
おらは過去にもどるよ、ノスタルジアの反乱だよね、とほほ。
神があたえてくれた時間なんだよね。
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村上龍文学を一点において集約した批評者は加藤周一であると思っております。
彼は「限りなく透明に近いブルー」とは
アメリカ合衆国と日本の関係項であると、一点において批評しました。
>近代主義の言葉では日本とは何かを探求できず失敗してしまう。
>日本とは何かを思索することは日本常民の課題である。
>日本には何層にも渡って、「もうひとつの日本」が生成している。
>その日本とは、村上龍「5分後の世界」である日本ではない。
>古代、中世、近世からの呼び声が現代とリンクしている葦の原、沼である
ここにおける、自分の根は
鶴見俊輔たち思想の科学が出版した「共同研究・転向」にあります。
軍人、革新官僚、文学者そして革命者の「転向」の動向が解析されて
おります。
>近代主義の言葉では日本とは何かを探求できず失敗してしまう。
わたしのカオスは、戦前における「近代主義」の行方にも
あります。
転向者は時の絶対天皇制度に屈服したとゆうより、牢獄で
「もうひとつの日本」を、日本とはいくつもの層によって生成していることを
発見したのではないでしょうか。
北一輝にしても「最終戦争論」を書いた協働主義の石原にしても
最後は「法華経」を語るのですが
彼らは日本と宇宙の接点をみたのかもしれません。
<牢獄と化したかのような均質で閉じられた共同体としての日本国家>をめぐる
思索と言葉は、現在の日本国家自己運動の根幹を
表出したと感じました。
自分は1989年以降の日本制度とは
ドームに囲まれた雰囲気であると感じております。
つまり、日本とは資本主義=社会全体主義国家であり
東欧からソビエト連邦の崩壊は確実に日本と連動した、内面の崩壊90年代であったのですが
日本における90年代の特徴こそ
自己省察の力を喪失した10年間であったと実感しております。
90年代こそ個と内実が問われていたと思います。
内実としては柄谷行人「他者の発見」とは違う
「自己完結」閉じられた世界へと収束されてきたと実感しております。
その集約的国家言語こそが
「イラクに派兵された自衛隊は自己完結な組織ゆえ安全である」とする
小泉純一郎と公明党の自己表出言語です。
自分の場合、個の落下をえた言葉を希求しております。
自分ははてしない崩壊したルサンチマンではありますが
近代的自我の形成に失敗した、そのつど崩壊の危機をかかえながら生活していく
愚者の実態とカオス生成、それが自分です。
何故、自分の場合、反近代主義なのか?
日本革命から転向し、芸能の場所に転位したからです。
芸能におそらく普遍はありません。
しかし自分が実感する芸能史においては
「もうひとつの日本」が生成しているのです。
それは石川啄木「一握の砂」「時代閉塞の現状」に通低する言葉として・・・
「日本とは何か」
自分の感覚で言えば、それは個の場所に生成する身体と意識の
応答実態にあり
個と個の応答によって現出する、層であると思います。
層がある集合的応答関係によって、いま現在に出現する場所こそ
日本かもしれません。
<牢獄と化したかのような均質で閉じられた共同体としての日本国家>の層とは
表層にもならず深層にもならない
きわめて中途半端な代物であると判断しております。
個を通過した代物ではないからです。
舞台ではベニヤ板でつくった背景を書割と呼びます。
その物質は舞台照明を浴びると、実相という幻想を観客に投影します。
舞台照明を浴びた日本国家
つぎに来るのは「目潰し」
舞台から観客に向けて照明を浴びせます。これで舞台裏方の仕事は見えません。
日本の68年~72年の運動は
明治維新100年をはさみ
アジアでの大日本帝国による拡張戦争を内省いたしました。
自己否定の落下まで。
しかしアメリカ合衆国と西ヨーロッパのベトナム反戦運動は
おのれたちの植民地収奪、原住民を抹殺し土地を奪い取った歴史を
自己省察するまで、個が自己否定するまで落下しませんでした。
ゆえにクリントンは大統領になり
フランス五月革命の闘士たちも、政権に入ることができたのです。
それが日本と西欧における自己を問う深化の違いであったと思います。
現在、自分は日本は自己否定まで落下していった、そこに希望があると思います。
ゆえに一遍上人が見なおされているのだと思います。
日本は過去を革命によって破壊した西欧と違って
過去の歴史と過去の人物と応答関係が可能となるのです。
そこに希望があると思います。
「自己否定」という問いは、消して無駄ではなかったのです。
68年~72年、この時代は、消して無駄ではなかったと、強い心で言えます。
「自己否定」こそ親鸞上人に出会い、柳田国男に出会い
「もうひとつの日本」を発見する旅の結節となったのであると思います。
そしてそれは日本に自己完結することはない、「自己否定」でした。
他者を発見できる「自己否定」であたっと思います。
日本もまた他者であるからです。
ゆえに他者としての日本は
「日本とは何か」として問いつづけていく個が
層との回路を・・・
帝国と個人、そして人間としてのメディア。
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現場に行く朝、すき家で、280円の朝食、かぐや姫の「妹」が有線放送から流れていた。
妹が死んだのは2004年5月20日だった。
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綱もとを、初めてやったのは、1997年3月の博品館劇場だった。
泉狂花・原作、寺山修司・脚色、白石征・構成演出の『瓜の涙』。
本番で失敗をした。
綱もととは、劇場天に吊ってあるバトンの上げ下げ、吊り天井の構造である。
日本舞踊に仕込みで民芸の佐々木さんが教えてくれた。
嬉しかった。
これまでは誰も教えてくれなかった。
日本伝統芸能の舞台裏技術にはイタリア職人性がある。
おのれの必死など根性をみせれば、誰かが基礎を教えてくれる。
そして日本伝統芸能にはイギリスから独立したアイルランドのど根性がある。
ガンで死生観の葛藤に生きる妹の面会に行って来た。
「動物的生命力を引き出せ!がんばれ!」
アメリカ合衆国日本州首都東京永田町から、シニカルな笑い声が聞こえる。
彼らは日本の土着によって逆襲を受けるであろう。
日本において近代的自我は成立することなく破綻。
無自我と存在の物質主義、これがひのもとである。
十字軍侵略以来、アラブの内面を残酷に徹底的に焼き尽くし殺し尽くし破壊し尽くしてきた
西洋とアメリカ合衆国とイスラエル・ゆだや。
日本を筆頭に東アジアはいまだ、西洋の侵略を半分にとどめている。
ヨーロッパ精神とは他者の内部を破壊しおのれの物化とする精神主義である。
その精神とは内部なき即物と呼ばれている。
破壊につぐ破壊こそヨーロッパでありアメリカ我執国である。
我執の亡者こそ西洋でありアメリカ合衆国なのである。
徹底的に基礎を破壊されたアフリカと南アメリカ・・・・
これを悲しき大陸という。
日本は基礎を壊滅されていない希望がある。
それが綱もとの基礎である。
2004年5月4日の日記。
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妹が5月20日(木)夜、永眠いたしました。
みんなで、いくのはそっちではない、こちらにもどってこい!がんばれ!
息をしろ!
大きな声でみんなで呼びかけました。
妹は最後までがんばりました。ひとすじのほほにつたわる涙を最後に流し
永眠いたしました。
自分はその夜から東京に泊り込み、無事、通夜・告別式を終え
このアパートに帰ってまいりました。
2004年5月26日の日記
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暑いよね、暑いよ、まるはだかで、書いているっぺ、とほほ。
まんず、おらも、仕事が少なくなり、ますます貧乏ですけんど、閉じこもるべと思ってんだぁ。
4年間くらい、63歳まで、生きていればの話ですけんど、60年間を総括しないとね、いい時間だったよね、1970年代。
21世紀、2001年から2010年のゼロ年代も総括しないとね、とほほ。
阿修羅はすごいよね、投稿記事がそのまま残っているから、時代の記憶倉庫、書き込み図書館だよね。
感謝しないとね。
まんず、パソコンの前にしがみついて、立体的方法論でも探求模索していくべかと思うよ、とほほ。
神との対話もはじめるべ、60年も生存できたのは、神に殺されなかったからだよね。
これ以上、解体はされないと思うよ、とほほ。
徹底した貧乏はおらのキャラクターだけんね、とほほ。
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貿易協定と国家統合
2013年8月12日 田中 宇
http://tanakanews.com/130812trade.htm
アメリカ帝国様に従属し、TPPによって、既得権益を守り永遠に生存する国民殺しのシロアリ軍団日本国家官僚機構。
田中 宇さんによる、日本シロアリ軍団総括だよね。
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日本シロアリ軍団に負けない、生命力と生存力をはっきしていかないとね、とほほ。
最低貧乏の知恵とは、立体的方法論、カオスでありコラージュだよね、どこまでも解体されていきましょうよ、とほほ。
あなたの神と対話しましょうね。
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歯はボロボロ、金がなくて歯医者に行けず、
それでも健康保険料、支払ってきたよ、とほほ。
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このあいだ、鎌倉の自主映画作家と飲んだんだよ。
春画の撮影、終わったみたい。
「サイバー・パンク」は終わったよね、という話になったよ。
やっぱ、表現者と飲むと、元気がでるよ、アイデアも生まれるよね。
おら、もうもう、ツイッターには興味がなくなったべんよ、とほほ。
鎌倉の自主映画作家に朗読してもらった、宮沢賢治 春と修羅 根源からの声だったよ。
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おれは、過去の共同体には振り向かない、前へ、行くだけだ、そう思った。
1970年12月の大田原だった。17歳だった。おれはすでに社会主義青年同盟栃木県委員会県北支部に参加していた。
日本労働者革命の現代史しかなかった。
その年の11月、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自決した。
冬の風が、大田原の街に吹いていた。
日本労働者革命現代史から求められいたことは、大学に行くことでなく
高校を卒業したら、現場労働者になることだった。
砂の味、摩滅した心、もう、マンガは描けなくなっていた。
近世民衆百姓の歴史は白土三平「カムイ伝」から学んでいた。
来年は1971年、必ず百姓一揆を起こしてやると、おれは大田原の街を歩いていた。
路地。
そこに
社会主義青年同盟栃木県委員会県北支部のアジトがあった。
アパートだった。名を桃源荘という。
一階は中華料理屋だった。
おれは矢板から自転車にのって、やってきた。
おれは政治少年であったが、同時にエロキチガイだった。
青年マンガを読むためにはエロ漫画雑誌を買う必要があった。
「こんなの読むなんて」と矢板の大庭書店の奥さんに言われたことがある。
しかたがなかった。
手塚治虫の虫プロが発行していたCOMや青林堂が発行していたガロに掲載された
注目マンガ作家は、ほとんどエロ雑誌に作品を発表していたからだ。
とほほ。
写真はほとんど女体の裸体の祭り。
おれはエロに興奮していた政治少年のエロ動物でもあった。
とほほ。
革命的マスターベーションの匂いで、女子高校生からは「気持ちが悪い」と
いつも嫌悪されていた。とほほ。
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おれはエロスと革命、百姓一揆の妄想に歪んでいた。とほほ。
1970年、昭和45年の12月だった。世間様は三島由紀夫の首に呪縛され、
矢板の書店でも豊穣の海が平積みになっていた。
おれは革命的マスターベーションのやりすぎで、矢板の街を幽霊のごとくさまよっていた。
とほほ。
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無実のシリアを空爆する
2013年8月28日
田中 宇
http://tanakanews.com/130828syria.htm
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