愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

非人間概念序説 (1)

2005年02月15日 | 政治
間概念序説

1、

 近所に昨年12月、巨大な集合マーケットが出来ました。そこは数年前に閉鎖された工場跡地でありました。
広大な空き地でした。おらはそこに塀を乗り越え、拾ってきた木製の食堂机と椅子を持ちこみ
何時間でもボーとしておりました。風がとても心地よかったのであります。
「ひとりがいい」と昔つくった歌を口ずさむのであります。

 集合マーケーットの2Fには大きな書店が出来ました。
このあいだ行ってきました。いろんな本がありました。まず、さがすのは世界陰謀関係の本です。
それからあちこちカテゴリーごとに本を手に取りながら鑑賞するのでした。

おもしろい本がありました。値段は2500円です。買えないので、立ち読みしました。
亜人種イラストを描くための解説書でした。
亜人種とはおそらくいまアニメ絵ということでトレンドなのかも、そう思いました。

亜人種のここが魅力!
http://hizashitei.net/ak/fantasy/pcrace3.html

亜人種解説書をめくりました。
まず概念です。
マトリックス概念が説明され
そこから:並列:というコンセプトを選択します。
並列こそ亜人種つくりの概念でした。

人間の腕と手は植物となる、または猫の手となる、
そのように人間身体と植物や動物を並列させ、合体させる方法であります。

合体は日本のアニメーションにおいて70年代から伝統があります。
「ガッチャマン」やロボットの合体、そして車の合体。
おらは1977年頃、アニメーション会社で働いていたのですが
とにかく合体したときの彩色はたいへんでした。
彩色はセルの裏に塗っていきます。細かい作業であり、撮影に出す前の
色チェックはたいへんでした。

合体のコンセプトは「合体による超人的なエネルギーの集合による世界への拡張」です。
合体によってこそ敵を倒すことができるわけです。

しかしこの超越への変貌も日本の少年ドラマには伝統があります。

おらが小学校の頃は貧乏でテレビがないものですから、近所のテレビがある大きな家に
みんなでテレビ番組鑑賞に行っておりました。日曜の夜など、そこに近所の大人たちも
加わりますので、まるで小映画館のようでありました。

「少年ジュット」という少年ドラマがありました。オートバイに乗って、悪党をやっつける
正義の味方であります。突然「ウーヤーター」と意味不明の言葉を叫ぶと
敵は倒されてしまうのであります。

「白馬の童子」「笛吹き童子」という忍者の少年ドラマもありました。
両手の指である結界をつくります、呪術であります。すると敵は倒されてしまいます。
忍者ものでは「隠密剣士」もありました。
いずれも突然、超越としてのエネルギーで逆転させるのであります。

小学校の頃読んだマンガでは「少年マガジン」であります。「少年サンデー」「少年キング」
「冒険王」などもありました。
ゼロ戦・隼・戦艦大和が活躍する戦争物語には夢中になりました。
忍者物語・野球物語にも夢中になりました。少年たちはゼロ戦とか戦艦のプラモデルをつくって
おりました。60年代前半の時代、東京オリンピックの頃です。

その頃、手塚治虫は21世紀のSF物語を描いておりました。
石森章太郎は超能力のSF物語を描いておりました。
白土三平は忍者物語でありました。
さいとう・たかおはスパイ物語でありました。

少年マンガにも少年テレビドラマにも超越的な魔球を放り投げることにより、敵味方の彼我関係を
逆転するという明確な意思表示が提示されておりました。

その情念が少年たちを夢中にさせるわけです。
作家たちは第2次世界大戦を少年時に体験した人々でありました。

その情念の深部にはやはり、USアメリカ軍によって占領されたいる現実が渦巻いていたと思います。
奇蹟の超人的なエネルギー波動によって立場を逆転させる最後の情念には、有史はじまって以来の
外国軍による敗戦占領における深部からの意識だったのであります。
敗戦後のマンガ家は一貫としてそれを表現して行ったのであります。

その少年マンガを読んで育った少年たちはやがて70年安保闘争の怒涛に突入していきます。
反米・反安保・沖縄・ベトナム反戦闘争は全国各地で壮大なエネルギーを現出させました。
マンガ少年少女たちは、小学校の頃に見たテレビドラマやマンガにおける奇蹟の逆転波動を
70年安保闘争の幕を切って落とす、何十万の隊列のなかに幻視したのであります。

大学の叛乱も高校の叛乱もマンガ少年少女たちによる行為でありました。
彼・彼女たちは革命を幻視し、敗戦占領国から、植民地意識から脱し、おのれの主体と独立した自我を
希求して行ったのであります。
マンガ少年少女たちはマンガを捨て、そのかわりに思想書を読むようになったのであります。
それが落とし穴でありました。

青年になっても大人になってもマンガだけ読んでいればよかったのでありますが
マンガ少年少女たちは故郷を離れ、西欧近代啓蒙思想に憑依されてしまいました。
当時、マルクスを語れない人間は「世の中に遅れている人間」として蔑視されてしまったのであります。
こうしてイルミナティ・マルクス・ウィルスは彼・彼女の身体に浸透していったのです。
不幸のはじまりでした。自滅への道です。党派闘争・内ゲバ、政治主義と権力意識が
マンガ少年少女たちを変質させてしまったのです。

日本が独立する最後の希望であった70年安保闘争の幻視は
いくつかの急進主義グループを産み出し、頓挫してしまいました。

時代は68年から72年でありました。
1973年になりますと、すっかり都市の空気は変わっていました。
植民地都市の光景が新宿に広がっておりました。

屈折した感情はグロテクスへと向かうしかありません。

何十万の隊列という70年安保闘争の幻視に向かわず、孤立を求めて、ひとりマンガを描いていた
少年少女たちは微熱をかかえながら、貧乏に耐え歩いておりました。
彼・彼女たちが向かったのはアニメーションでありました。

「不正義によって占領された現状を転覆する正義の味方は必ずやってくる」
「奇蹟の呼び声は敵味方彼我の関係を逆転させる、それが場所の転移であり想像力だ」
70年アニメーション世代は敗戦後マンガ作家たちの情念を継承したのでありました。

彼・彼女たちが産み出したメカ・マシンの合体こそ
70年安保闘争の十万の隊列であったのであります。
経験とはデモ隊に参加したことが経験ではなく、思いという精神の自己対話こそが経験です。
70年安保闘争を経験したのは、マンガを捨て西欧マルクス革命者に転向した人々ではなく
マンガを守り、ぼんやりと四畳半あるいは喫茶店にひとりぽつんといた人々だったのです。

やがて21世紀になりました。
彼・彼女たちの師である手塚治虫のSF到来でありました。
21世紀の幻視はまたしても破水されてしまいました。世界権力による911でした。
椅子に座りながら20世紀の黄昏をながめていた老人。
20世紀の晩夏の風を頬に受けていた老人。
「おれはひとりの修羅なのだ・・・」これが21世紀の幕開きでありました。

彼・彼女たちは亜人種を産み出しました。これが間概念序説であります。
マトリックス概念における並列配置。既成の権力意味を転倒するコラージュ。
草木一本一本に神が宿る草木主義による身体憑依。

亜人種こそ敗戦後マンガの深部に流れていた占領軍と植民地意識の屈折・複合意識を打開するため
の問題解決能力として登場したのでしょうか。
妖怪人間フリーメーソン・ベン。
奇蹟の呼び声、超人的な正義の味方は「まれびと」として21世紀日本にやってきた亜人種。

敗戦後20世紀マンガ作家から21世紀アニメーション作家たちの深部に流れていた情念の河とは
問題解決能力をもった身体でありました。

「鉄腕アトム」「超能力」「忍者」「ゴルゴ」
「宇宙戦艦ヤマト」「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」

占領軍と売国奴による植民地統治形態におきましては、たとえば
「日米安保と憲法第9条」のように「絶対矛盾における並列」が、日常の自我を支配コントロールする
制御装置となっております。

この社会では論理を建設していくという思考が困難となっていきます。思考する行為が苦しくなってしまいます。
リアリズムを相対化するしか想像力の出口はないと
作家は日常を異化し日常をイメージにおいて転覆する戦術が必要となります。

70年安保闘争に向かう全国各地での工場・大学・高校の叛乱怒涛の68年~72年。
手塚治虫「火の鳥」白土三平「カムイ伝」それからの「ギリシア神話シリーズ」
手塚治虫は歴史の下降と上昇に向かい、白土三平は歴史の下降と向かいました。
歴史とはまた非人間的でもあるとする情念であります。

ここでも間概念序説が敗戦後マンガ史において1970年に登場しております。

ダイナミックな時代を経験する者
それがマンガ・アニメーション少年少女たちでありました。

老人となったおらはアパートでゴキブリと同期化しまして
昆虫情報体へと退化いたしました。亜人種へと人類退化したのであります。
おのれは何者か? と、ふとなにげなく思うときがあります。

それで間概念序説を自己言及してしまったのであります。
これから即席ラーメンと納豆で晩御飯を食べようと思います。冬将軍に負けず生存していこうと思います。


猿田彦大王の山から 日本国民概念序説

2005年02月03日 | 政治
安永九庚子年十一月 「二十三夜供養」 猿田彦大王の山から 日本国民概念序説


寒冷のおり御身たいせつに、がんばってください。


 結論からですが、自分にとって日本国民とは庶民です。近所の旦那さんそして奥さん、そして子供たち。
親戚家族、これまでの仕事や事業で出会った人々。事業とは革命運動、演劇運動、舞踏運動などです。
これらも「まつりごと」として経済を躍動させていきます。

なんとしても国民とは幼少時から育ててくれました親と兄弟姉妹の家族が基点であります。
また幼友達、学校での級友、サークル活動で出会った友人。別れた恋人。

いままで96年にイタリア、2002年にスロベニアに暗黒舞踏公演に行き、そこで現地の若い衆たちと
共演といいますか、舞台に一緒に立ちました。
ホテルの従業員の方とは劇場スッタフの方とも話しました。外国で出会った人々も何故か、おらのなかでは
擬似共同体としての日本国民です。

人との出会いのなかに日本国民は流れております。人生こそ日本国民です。
日本国民の定義とは民草としての根でもあります。

おのれの根がない「世界市民」「地球市民」は国際主義の美学にありますが
国際主義に幻想はもっておりません。

おのれの根っこがある人間、それが日本国民であり、根がある人間は外国語が話せなくても
現地の人々と身振り手振り片言でコミュニケーション可能となります。

日本国民の定義におきましては、かなり長文になります。

「敗北主義」と受けとられると思いますが、もはやユダヤ世界権力を凌駕することは、この21世紀において
できないのではないかと思っております。
自衛するしかありません。

選民様は京都を世界大戦で爆撃しませんでした。古代、東方をめざしたオリジナル・ユダヤ人が日本に来まして
つくったのがエレサレムとしての平安京であるとする言説もあります。
現在のユダヤ人は「ハザール王国」の末裔であります。
エレサレムであった平安京たる京都をゆえに選民様は爆撃しなかったのであります。

ゆえに21世紀、選民様による日本壊滅から日本を防衛するためには、首都を京都に遷都する必要があると
思っております。

世界権力である選民様には勝てない、しかし負けない戦略をゴイム日本は模索していかざるえません。

その自衛のための概念こそ日本国民であります。

この日本国民とはもはや国際主義と天皇主義から脱却した根のある人間であります。


マルクス・レーニン主義概念から定義いたしますと、
1、国民意識は国民国家を形成した近代ブルジュア革命によって誕生した、制度概念であるから、
  帝国主義戦争に動員されてしまう。国民主義は労働者階級にとって害悪である。

2、労働者階級に国境はない、祖国敗北主義で、侵略戦争を内乱へと転化せよ。
  内乱を革命戦争へと転化せよ。
  
3、反戦闘争とは自国帝国主義を打倒することである。

4、国民主義に対置して国際主義をスローガンとせよ。

となります。国際主義への美学でもありました。

68~72世代は、1965年中国文化革命の起動から世界的街頭運動に参加いたしました。
日本におきましてはベトナム反戦運動と大学・高校におけるバリケード闘争。学園から街頭へ、
そして首都決戦により、首相官邸へ進撃せよ、など。

ベトナム戦争と入管闘争のなかで、自国帝国主義に対する自己不定運動もかなり深化いたしました。
ここで登場いたしましたのが、反日武装戦線でありました。
反日武装戦線は三菱ビルは爆破したのですが、昭和天皇が乗った列車の爆破は失敗してしまいました。
思想といたしましては東アジアとおのれ日本との歴史諸関係における実存的決起であったと思います。
おのれの「根」とは何かを、極限まで問い詰めた思想と行為であったと思います。

68~72世代はマルクス国際主義にかなり影響されましたから、「日本=国家権力」として
日本への憎しみ、日本への呪詛が感情としてあると思います。

12月に北鎌倉をデジカメで撮影してきたのですが、円覚寺入り口近くにありました掲示板に
「全共闘世代よ、故郷に帰れ」というイベントのチラシが貼ってありました。
全共闘世代が、「男と女のだましあい」でもある人生最後の恋愛に燃えあがるのも帝国市民の
自由ではあるのですが、今、全共闘世代はひとりひとりおのれの故郷に帰還してほしいと
願っております。

1985年のプラザ合意から、1989年には金融自由化。80年代後半には
「満州調査部=電通」が「開かれた国際主義」を大宣伝いたしました。
どこもかしこも国際主義のオンパレードでありました。資本の国際主義と国際化へと。
こうして国鉄は民営化され、敗戦後の日本労働運動を形成してまいりました国労は分断され
ちいさな労働組合にされてしまいました。
国際金融家にとって戦闘的労働組合はどうしても民族主義要素であり、完全植民地にする場合は
抵抗勢力になりますので、はやく壊滅したかったのであります。
こうして総評の財産を収奪いたしました「連合」が誕生いたしました。
国際金融家のために奴隷労働者を大量生産するための中間管理前衛組織こそ「連合」でした。

小泉純一郎と彼の裏方であります「満鉄調査部=電通」は、「抵抗勢力」という悪者概念を
つくりだすことに成功いたしましたが
日本完全植民地化に反対する抵抗勢力は80年代から90年代前半において予備壊滅させられました。

これまでの阿修羅の論議におきましても
マルクス・レーニン主義の国際主義はロスチャイルドの世界戦略を促進するイデオロギーであることが
語られてまいりました。マルクス・ウィルスとレーニン・ウィルスは、世界共産主義運動によって
全世界の労働者階級へと伝播いたしました。
共産主義革命党は労働者階級の前衛党ともよばれ、またそれはロスチャイルドの世界戦略を可能にする
前衛組織でもありました。前衛は労働者階級を組織いたします。
ロスチャイルドの世界戦略とは世界近代化でありました。

国際主義とは国際金融家によって操作される美学でありました。
悪魔は端正な顔と深い瞳と人を魅了する微笑で、人をだまし詐欺をいたします。
革命詐欺です。

日本および国を語る場合、どうしても天皇制がからんでまいります。
阿修羅の論議では、明治維新が欧米の介入によって形成され、明治天皇もイギリスから全面的に補給された
薩長によって、とくに長州によってつくられたと語られてまいりました。
明治維新も国際金融家によってつくられらた詐欺でありました。

明治維新は国際金融家の介在によってなしとげられた革命ではありましたが
「国民国家=共和制」ではありませんでした。
「大日本帝国=絶対天皇」でありました。
ここで庶民は日本概念のリアリティを剥奪されました。

徳川幕藩体制の方が日本のリアリティがあたっと思います。

近代の明治維新で臣民である庶民に刷りこまれたのは、「自我=天皇」でありましたから
日本を語ることは天皇を語ることとなりました。忘我における絶対自我でした。
しかしこれは絶対矛盾でもありました。
「国民国家」としての近代革命でありながら国民国家ではなく天皇国家であったからです。
絶対矛盾のリアリティを見えなくさえるために、絶対自我の刷りこみが必要でありました。
そのための絶対天皇制度でした。

明治維新は日本がロスチャイルド・システム=国際金融家に敗北しました
第1の敗戦でもありました。
敗戦とは革命後に進行いたします。第1の敗戦が終了したのが明治45年でした。
45年にわたる敗戦システムであります。
国際金融家は日本をまず近代化いたしまして、これをアジア近代化の基地といたしました。

大正1年から15年は、日本が東アジアにおいて植民地を形成した時期であります。
「大正デモクラシー」とは帝国市民の育成でもありました。

昭和1年から20年は、東アジア、東南アジアを近代化させるために、国際金融家は
アジア侵略戦争を起動させました。

USアメリカを戦争国家として育成するために、わざと国際金融家は海軍に真珠湾攻撃を
やらせました。

第2の敗戦は1945年8月でした。
ここで昭和天皇は人間宣言いたしまして、日本と日本国民の象徴となりました。
ここでも庶民は国概念のリアリティを剥奪されました。
第2次世界大戦の敗戦後は徹底して、日本なるものは
明治維新の寺院仏閣破壊のように、憎悪され破壊の対象となりました。
あらゆるこれまでのものが封建主義として否定され、民主主義が謳歌されていきました。
日本を否定破壊する国際主義の紅衛兵は教育工場から送りだしました。

第2の敗戦とは近代化から現代化でありました。
現代化とは国際金融システムとの同期化であります。
第2の敗戦は昭和64年で終了いたしました。

第3の敗戦が開始されましたのが、平成1年の金融自由化であります。
日本完全植民地への道程が開始されました。
90年代は「失った10年間」と言われております。
この期間も「満鉄調査部=電通」はさかんに国際主義をあおりました。

この過程でようやくロスチャイルド・システム赤い盾が見えてきたのであると思います。

結論ですが、日本を語ることは天皇を語ることではなく、近代天皇制も国際金融家の世界システムに
よってつくられたのであり、近代天皇制機関とは日本人の自我を管理操作するための
呪術装置であったことが、いまや明確になったのであります。

天皇制の呪縛から脱却できない民族主義党派とは、歴史既得権
それは「自我=天皇」である絶対自我と忘我の明治近代主義者であると思います。
ゆえに彼らの聖地は明治維新神社靖国なのです。彼らのノスタルジアは
日本が植民地を経営していたころの第1敗戦過程にあります。
大東亞主義者でありながら、「東アジア共同体構想」不在の絶対矛盾にあります。
その絶対矛盾こそ海外からみれば「日本的グロテクス」とうつります。

ロスチャイルド・システム、国際金融家システムとその前衛組織の役割がみえてきた
この21世紀、近代天皇制をあがめる民族主義とは近代の破綻概念のひとつとなっております。
明治天皇がそれまでの血統から切断されたところによる、工作の意思によるすり替えこそ
彼ら特有の詐欺であり、詐欺を現実化できるのは、ユダヤ哲学が古代以来ひたすら人間と人類の
性根を怜悧に分析解析してきたたからこそ、実現できたのであります。

これまでの民族主義者は、おのれとおのれの一族そして共同体史から、つまり明治近代以前へと
落下せずに、短絡として明治天皇を受け入れ、近代主義者として上昇せんとしてきたのです。
ゆえに既得権右翼、利権右翼、総会屋右翼にとって、神は植民地経営の神でなくてはならなかったのです。

民族主義=天皇ではなく、民族主義は反近代天皇でしか、いまや、成立は不可能です。

何故、国際金融家は明治維新において、絶対矛盾を絶対自我の成立として刷りこんだのかは
おのれとおのれの身近な経験をめぐる思想を言及できなくさせるためであります。

第2の敗戦である1945年以後、この絶対矛盾は、憲法第9条の解釈をめぐって再度、起動して
まいりました。武装戦力を完全否定しながら自衛隊を創設、戦争を否定しながらイラク侵略戦争に派兵。
この絶対矛盾こそ自我において日本人を管理操作するための詐欺戦略であります。
国会は50年間も憲法第9条をめぐるレトリック・ゲームに終始してきました。
「壮大な詐欺」であります。
ここに平和天皇制の絶対自我でありました。
国際金融家は自我生成において、日本庶民を絶対矛盾の論理で支配コントロールしております。
絶対矛盾をかかえた自我は、ひたすら自律神経が奪われ植民地精神へと固定化されていきます。

「国際諸問題は評論家として多いに語ることは許されるが、日本の内面はあまり語れない」
「北朝鮮のことは多いに語るが、日本の実態は語れない」
おのれが絶対自我として植民地化されているからです。
そこでは国概念も日本概念もひたすら「あいまい」になっていきます。

日本人はと語るときはおのれが日本人ではなく、日本と語るときは、おのれが日本ではなく
マッカーサーのように「だから日本人はだめなんだ、だから日本は遅れているんだ、だめなんだ」と
語ります。この自虐こそ、現在に日々刷りこまれております「絶対矛盾」の自我への刷りこみから
起動している鬱積であります。自虐史観が原因ではなく、在日米軍によって監視下にある現在が
原因なのであります。しかしその事実を認めるのことは恐怖なのであります。

おのれの国の方向決定ができない植民地精神はどうしても、現在のリアリティではなく
日本が植民地経営していたころへのノスタルジアに向かい、そのロマンに酔いしれ、
日本列島がまだ在日米軍によって占領されていなかった時こそ、おのれの姿であるとします。
日本の侵略戦争を語るのは「自虐史観」であると攻撃するのですが、その自虐とは
在日米軍によって植民地化されている、おのれの姿を感情として露出しているのです。
なにひとつ在日米軍の撤退を主張できない植民地根性、これこそが自虐です。
在日米軍基地の前の恐怖を忘却してくれるのが「北朝鮮」であります。
ゆえに「自虐史観」と攻撃し、「北朝鮮は悪である」と語るのであります。
こうした絶対矛盾からくる心理構造はあまり分析解析されてきませんでした。
為政者はおのれの目の前の在日米軍をみるのが恐怖なのです。その前では
おのれが植民地政治家であることが刻印されてしまいますので・・・
ゆえに日本のことは日本の実態は語ることができないのであります。

植民地である日本はその自我の構造において北朝鮮よりも
絶対矛盾に落下しているのですが、これまでやってこれたのは
ただひたすら経済大国をめざしてきまして、大経済主義が価値観であったからであります。
その大経済主義が頓挫してしまった今、ここでの日本国民とは
おのれの自我を呪縛している詐欺近代天皇制から脱却するしかないと思っております。

「天皇制は草木一本一本に宿っている」と教えられてまいりましたが
それは嘘であります。近代天皇制のでっちあげであります。

草木思想は明治維新のはるか前にあった民衆思想だったのです。


昨年の12月末、おのれが育った山とちいさな村である増録村に行って写真をとってまいりました。
昔住んだ家はいまはもうなく、宅地住宅が建っておりました。
ちいさな村である増録へ入る道は、開かれた田園地帯である成田村から、ちいさな山を越えていくのでありすが、
その山の近くに来たとき、犬を連れた婦人に出会いました。
東京の近郊住宅地にある犬と買主が散歩する風景であります。

道路は「矢板~烏山線」で増録村に入る基点には、昔、バス路線の停車場「宮田」があったのですが
今はもうありません。

おらが住んでいた頃は60安保の頃であります。
開かれた田園地帯である里の成田村に出るためには、獣道を登り下りました。
しかし、宅地住宅となり、大きな道が出来ておりました。

その道から山に入り嶺ぞいに歩き、おらたち増録村の子供たちが遊んだ、ちいさな神社に出ました。
神社はまだありました。
おらはその前に土下座をして、イスラムの民が祈るように、頭を大地につけ
「ただいま帰ってまいりました」と山の神々に報告いたしました。

増録村に入ると、宅地住宅を造成した「斎藤建設」の人間がうろうろしておりました。
おそらく村の土地を物色していたのであると思います。
今、地方は「カニバリズム - 人間は如何にして人間を食べてきたか」という
カニバリズム資本主義に突入しております。

うかうかしておりますと山も田んぼも畑も家も、だましとられてしまいます。
銀行が融資をしない、デットロックの社会とは生き抜くために
他人の財産を収奪する意思的行為としての資本主義本来の動物性が現出しております。

世界諸問題への「思考停止・判断停止」よりも深刻なのは
日本諸問題への実情が現実のリアリティが都市生活者は見えなくされていることであります。

おらは上野駅から矢板駅まで電車男としてやってきて、金がないので歩いて増録までやってきたので
ありますが、道路は車が何台も疾走しているのですが、人は歩いておりません。
地方は車社会が貫徹しております。貧乏人は都市に追い出されるしかないのです。

増録へ行く前、矢板駅周辺を歩いてまいりました。
70年安保の頃に家族で住んでいた長屋はもうなく、「小堀建設」の建造物がそこにはありました。

おらが中学生のとき新聞配達をしておりました末広町は区画整理で、一切の面影はなく
東京近郊の風景へと変貌しておりました。
貧乏人はどこかへ追い出されてしまったのであります。
土地がない貧乏人は追い出す、これが日本の地方政治であり現実でありました。

おらは増録村に入り、子供の頃、いつも遊んだ「まさちゃん」の家にあいさつに行きました。
家の人々は最初、おらをまた土地を物色にきた人間かもしれないと警戒しておりました。
以前、前に住んでいた人間として名を告げたら安心してくれました。

おらは70年代~80年代、
成田空港に反対する三里塚農民支援活動などをやっていた時期があったのでありますが
農地を強制執行で収奪された三里塚農民の現実が90年代におきましては全国的現象となった
のでしょうか・・・

さて、おらは増録村から親戚がある豊田村に向かいました。山道であります。
おらたち増録村の子供たちが1時間ほど歩きまして豊田小学校に通った山道です。
増録村の山はおらの親戚である本宅が所有していたのですが、その山を売ってしまったのです。
都市生活者の別荘なども造成してありました。
建設会社の重機置き場や廃物としてのゴミ置き場にもなっておりました。
「ちくしょう」と親戚への憎しみがわいてまいります。

おらの親父とお袋が山を切り開き畑にしました日向山の場所も、建設会社の場所となって
おりました。

おらは山の獣道を下り、豊田村に出ました。
一族の頭領であった本宅にはよりませんでした。

豊田村のお寺に行って、「まんどころ」の墓参りをしてきました。
幼少時のおらを育ててくれました、ばあちゃんと、いとこが眠っております。
「まんどころ」とはやはり親戚でありまして、一族の分家でもありました。
おらは「まんどころ」に1歳から3歳まで預けられておりました。

「まんどころ」にあいさつに行き
「ちいさい頃育ててくれまして、ありがとうございました」と頭をさげてまいりました。
「まんどころ」はいま、80歳のおじさんがひとりで住み、歴史を守っておりました。
おじさんから、一族の頭領であるべき本宅の話しを聞きました。
「本宅は山も田んぼも畑もすべてとられてしまったんべ」
「おらは、むこに入ったもんで、意地があるもんで、売らなかったよ」
そう話してくれました。
おじさんは死んだ息子が残した1000万の借金を
この12年間、支払ってきたのであります。

「なにもいいことはなかったよ・・・」そう話しておりました。

おじさんに別れのあいさつをして、自分は再度
山を越え増録村をめざしました。
ちいさな道はまだありました。その山は買収されておりませんでした。
山には木野子の「しいたけ」を生産する木々が並べらておりました。
人が仕事ために入っている山は実に美しいのであります。
幼少の頃にみた道沿いの木々・・・

増録村に出たおらは。そこから喜連川町の河戸に向かいました。
60年安保の頃はまだおらも小学1年制でありましたが、よくお袋にたのまれ
河戸にある雑貨店に「醤油」「塩」「砂糖」を買いにひとりで行きました。
そのお店がまだ現存しているかどうか確かめたかったのであります。

増録村に帰る前、増録村周辺地図はインターネットで調べておりました。
お店はありました。
おらはそこから、烏山~矢板線の道路を矢板に向かいました。
路線バスも廃止されておりますので歩くしかありません。
ちょうど、山に囲まれた増録村を回りこむ形になる道路であり、成田村から
増録村に入る入り口である、基点にもどることになります。

道路沿いの神社などを撮影しながら歩いていきました。夕暮れが近づいております。

増録村入り口の基点にもどりました。
帰る前にもういちど、幼少の頃遊んだ、神社におまいりしていきたいと思いました。
獣道のような神社への登り道。村人に忘れさられてしまったかのような道。
道の入り口になにか刻まれている石がありました。


「安永九庚子年十一月 二十三夜供養」
そこは草木塔の神社であったのです。「安永」とは江戸時代です。

「草木に神々が宿る」それは民衆思想であったのです。

日本国民の概念とはおらにとって、明治維新以前の時、そこにおける民衆思想から
復活することであります。

長文になりました。



東京首都圏からは日本は見えないばかりか、深刻な実態がかくされております。
今と今の今、日本のリアリティに接近する方法概念こそ日本国民であります。
世界の諸問題に接近する方法こそ日本国民の概念であります。

草や樹木が根を記憶装置の大地にはり、立ち上がっているように
人間も身体から根が大地にはって生きているのであります。
人間の根は地球の中心へと向かい、その波動は裏側へと到達いたします。
おのれをまた世界の中心軸を形成している、これが実存の根拠であり
根のある人間は根源へと旅だっていきます。そこで出会いますのが日本国民であります。

 



日本の基礎は道教

2005年02月01日 | 政治
はじめまして今年もよろしくです。

日本の基礎は道教が形成していると思います。
ですから「あいさつ」礼が基本です。

相撲道でも柔道でも剣道でも、礼儀の作法から勝負は開始されていきます。
「勝負あった」後も礼儀の所作で終了いたします。

日本人はおのれの人生道を極めようと生活いたします。
道教が日本の基礎であるからです。
道教は古代である邪馬台国の時代から今日の21世紀まで日本文化と社会の基礎を
かたちつくっております。
日本民衆の基層を形成しております。
ゆえに日本では「あいさつ」ができない人間は生存していけません。
「あいさつ礼儀」によって他者の人格を瞬時に判断し評価いたします。

また謝罪とお礼は重要であります。
間違ったときとか他人様に迷惑をかけたとき、「すいませんでした」と
あやまることができない人間は、日本で生存できません。

毛沢東による「持久戦論」「抗日戦論」にはみごとに
日本民衆の基層が分析解析されております。
日本民衆とは日本軍兵士でもあります。

「日本民族は自尊心が強度なので、これを犯したり踏みつけてはならない」
これが大日本帝国陸軍を中国本土から追い払い、抗日戦争に勝利した人民解放軍の
ガイストでありました。
毛沢東は日本民衆の精神史を分析したのであります。
毛沢東は日本民衆の基層が道教にあることを解明しておりました。
さらに明治維新以後「植民地からの解放の道」をつかむべく
孫文をはじめ、当時の中国青年たちは日本の留学をめざしました。
貧乏のなか、血と汗がにじむ労苦につぐ労苦で勉強いたしました。
具体的な日本はこのとき分析されたのです。
その成果は毛沢東に継承されております。

毛沢東と人民解放軍はけして捕虜となった日本軍兵士の自尊心を犯したり踏みにじったりは
しませんでした。
また日本の婦人と娘を犯したりはしませんでした。
ゆえに中国から帰還した日本兵士は「殺されずにすんだ」と
中国の大きな気持ちに感謝しております。

東南アジアが戦場となりましたアングロサクソンとの戦争である南方戦線では
90%の日本兵は壊滅殲滅されてしまいました。

当時の日本陸軍兵士は「中国戦線なら生きて帰れるが、南方戦線では生きて帰れない」そう
判断していたと、若いとき東京神田の印刷会社の職場で
中国戦線を経験した年配の旦那さんからから聞いたときがあります。
その方は会社を退職され、パートで統括部の雑用仕事をしておりました。
国鉄ストなどで、職場に泊まったとき、話しをしてくれました。1979年でした。

あの頃は国鉄ストのときはおらたち印刷工も職場に泊まり、酒を飲んで
職場の交流と団結が実現できました。
まだ総評が生存していたころはおもしろかったです。

総評の財産をすべて収奪して「連合」を捏造いたしました
労働官僚と労働貴族どもが東京と日本をつまらなくしたのです。

日本は「漢字」という中華文明も継承しております。

満州帝国が崩壊し関東軍は日本住民を置き去りにしましていちはやく撤退いたしました。
「ハルピンの悲劇」とは男性はソ連軍によって、強制労働収容所に送還され
女性はソ連軍兵士に犯されました。
ソ連軍は日本民衆の自尊心を犯し踏みにじったのであります。

ゆえにソ連・ロシアは日本民衆に嫌われてまいりました。
スターリンと赤軍は日本民衆の精神史を分析解析できなかったからであります。

戦後、日本革命をめざしましたレーニン・共産主義革命党は日本民衆の多数派の人心を
とらえることはできませんでした。レーニンがロシア人であったからです。
日本民衆の多数はロシアを信用しておりません。ソ連・ロシアは
日本の基礎である道教を理解できなかったからです。
「ロシアはあいさつができない国」として日本民衆は判断評価しております。

日本共産党が選挙で勝てないのは「道教」を毛沢東のように
理解していないからです。
道教を理解しております国民政党の自民党はおのれの選挙カーが敵対陣営と
道路で出くわしたときは、「○○候補のご健闘を祈っております」と
必ず礼儀のあいさつをウグイス嬢がマイクで言います。

これを聞きました近所世間様は「さすがに道義をわきまえている」と判断評価いたします。

おろおろするのは日本共産党宣伝カーです。
彼らは党中央しか頭にないですから
自分たちもおなじようにあいさつしたら、党中央に報告されてしまうと
おどおどしてしまうのです。

また自民党は毛沢東「遊撃論」を猛勉強いたしました。
日本共産党候補を選挙で落とす戦術なのでありますが
選挙になりますと彼らのマイクボリュウームはとにかく、団地でも駅頭でも商店街でも
マイクの音が巨大なのであります。

そこで自民党遊撃隊はネクタイと背広姿で登場いたします。
「選挙でおさわがせしております。わが党の候補者が演説いたしますときは、もっと配慮いたしますので」
そう商店街をあいさつして回っております。
商店街様は「さすがに国民政党は道理がある」と惚れ込みます。

選挙とは宣伝カーで票が読めるというのが定説であります。
敵対陣営の宣伝マイク騒音が環境公害であるかのように、言いふらしていくのであります。
敵対陣営の選挙演説を逆利用する選挙戦術であります。
これは流言戦術とか言われおります。
政治とはいかに敵を落としこめるか、いかにだますかの生存競争であります。
性戦略に換言いたしますれば「男と女のだましあい」であります。
政治の本来の意味は「性戦略」なのであります。

日本共産党が選挙で勝利できるためには、まず党員総学習運動で
道教をおのれの指針にしなければ、永遠に日本民衆の基層と触れ合うことはできません。

しかし日本共産党もふくめ西洋かぶれしました近代政党である左派は
永遠に国民政党にはなれないでありましょう。
いまだにアニメ「サザエさん」が国民アニメとして愛されていることが理解できないからであります。
アニメ「ササエさん」にはかならず「おはよう」「こんにちわ」「おかえりなさい」とか
家族どおしのあいさつ、そしてワカメとカツオが通う小学校でのあいさつ、
マスオさんと波平が通う職場や町でのあいさつ、タラちゃんのあいさつ、
近所世間様とのサザエさんのあいさつ、サザエさんのお母さんのあいさつなどが挿入されて
おります。

「サザエさん」は道教の談笑によって構成されました、国民アニメであります。
今日もアニメーターと人物のコスチュームや町の文物に色を配色します色指定者は
町を取材に歩いております。
アニメ「サザエさん」スッタフは道教を基礎に現代都市のトレンドを回収しているのであります。
ゆえに視聴者でありますお客様にあきられず長期番組となっております。

毛沢東が中国革命を成功できたのは
10万人いた人民解放軍が1万になってしまった「長征」にあるといわれております。
この敗北につぐ敗北のなかで毛沢東は
「人民必勝不敗」「刻苦奮闘」という道教のコンセプトをつかんだのであります。



朝鮮・韓国は騎馬民族儒教が基礎であると思います。
朝鮮半島からイベリア半島までのユーラシア大陸は古代以来抗争を繰り返して
まいりました。
ユーラシア大陸とは「革命と戦争の大陸」です。
革命と戦争によって不断に解体され再編されていきます。
儒教は戦争によって不断に荒廃されてしまう人倫の再建をうながす孔子の思想であります。
ゆえにそこでは政治権力と人民の諸関係を説きます。

国民政党である自民党諸君がよく孔子の「論語」を援用いたしますのは
「論語」とは自民支配秩序の理念があるからです。
自民党が国民政党になれましたのは、毛沢東論集を学習したからであります。

毛沢東は会談で田中角栄に古書「楚辞集注」を贈呈いたしました。

自民党の組織論は「論語」によって貫徹されておりますが
儒教の国韓国ではどうでしょうか。

軍治独裁政権が打倒されましたのが80年代後半であります。
これが「勝利した80年代世代」といわれております。
リベラル左派による革命が成功いたしました。
その後におけます政権がかわるたびに前政権大統領一族の追い落とし追及は
すざましいものがあります。
強靭な騎馬民族戦闘精神の遺伝子を内包しておりますので
朝鮮民族の闘争は強烈であります。

先日のソウル駅におきます野宿労働者の抗議の決起をみましても
そのエネルギーは、現在の日本の労働運動以上であります。

USアメリカにおきましてもコーリアン街は
リトル・トウキョウ以上の活気に満ちていると聞いたことがあります。

さて、在日韓国人、在日朝鮮人でありますが
1945年8月15日の敗戦後、すぐさま法律化されましたのが
外国人登録法であります。
これはそれまでの大日本帝国の国民であった
朝鮮人の方々と台湾人の方々の国民権利を剥奪しまして
外国人と規定しました法律です。

戦前、多くの朝鮮人と台湾人そして中国人は、日本の炭坑で働らかされておりました。
かれらは日本の植民地となりました朝鮮・台湾から連れてこられた人々でした。
大東亞共栄圏のもとで、朝鮮人の方々と台湾人の方々は大日本帝国の国民であったのですが
当時の日本人から蔑視されておりました。

日本政府は戦争に敗れ、
日本列島各地で日本のために働いておられた方々を、今度は国民としての最低権利を
奪いとり、在日外国人としてのであります。

ゆえに在日外国人には税金はとられるのですが、選挙権も健康保健もありません。
生存権を剥奪されているわけであります。市民権がないのであります。
家の外に出るときは外国人登録証明書を持って行きませんと
警察官に逮捕され監獄ににぶちこまれてしまいます。

「戦時体制の産業生産のためにさんざん働かせておいて、今度は何の権利もない
在日外国人かよ」
これが在日朝鮮人と在日韓国人、在日台湾人、在日中国人の本音だと思います。

在日朝鮮人の方々は市民権をめざし、多くの方々が北朝鮮に帰りました。
しかしここでも金王朝独裁政権のもとで迫害されてしまいました。
まさにいいことなどなにひとつありません。
ひどい話しです。

市民権のない方々が生存するためには、商売に励むしかありません。
日本の企業も雇ってはくれません。

同胞どおしで金をつくり学校も建てなければなりません。
そのためには必死に働かなくてはなりません。


「迫害するならどんどん迫害しろよ! おれはあんたがたの迫害には負けないよ」
「反朝鮮主義をどんどん煽れよ! おれはあんたがたの敵視には負けないよ」
これが在日外国人の方々のエネルギーに満ちた本音だと思います。

反朝鮮主義は日本への憎悪を蓄積いたします。
朝鮮騎馬民族の遺伝子をあまり兆発しないほうがいいと
おらは判断しております。

日本の平和ボケは世界に誇る素晴らしい内容です。
世界中が戦争だらけでは、平安の国がないと、世界の人々はたまりません。
平和ボケこそ日本経済と日本社会の指針であります。

平和ボケ主義をののしり戦争と緊張をあおる人々こそ
「サワナで死のう」とイラク戦地にいきまして、自衛隊と交代すれば
いいのですが・・・

テレビで緊張と「対朝鮮戦争」をあおる反朝鮮主義者と反平和ボケ主義者は
他人を国民を扇動するばかりで、おのれの利益のみを考えております。
彼らはいかにも愛国主義者のようにテレビでよそおっておりますが
「今日の出演料はいくらだんべ」と頭は計算している売国奴であります。

小泉純一郎も金正日も【ともだち教】イルミナティ世界権力機構の
奴隷労働者であります。ともだち同志で緊張と戦争をあおっているのです。
儲かるのはいつもロスチャイルド「死の商人」であります。
軍産複合体の防衛商品が日本に売れますから。ほくほくであります。

昔、アラブに行きました重信房子の日本赤軍でありますが
彼らは日本資本主義エネルギー戦略前衛部隊でありました。
日本の石油産業プラントがアラブやイランで建設できるために
彼らは活躍したのであります。

中東におきましては、昔から、「よく日本はアメリカと戦争をした」と
評価されてまいりました。
そこに日本赤軍伝説がさらに加速いたしました。
「よくイスラエルと闘った」と。
これで日本の商社はアラブとイランに迎えられ、商談を成立させることが
できました。

「日本赤軍には足を向けて眠れないよ」当時の日本商社マンの言葉であります。

いまや20世紀の昔話であります。
世紀の裂け目、いまも「嵐が丘」ではヒースクリフトとキャサリンが亡霊となって
叫び声を呼び声をあげているのでしょうか・・・

それを聞く旅人こそ2015年体制の出発である2005年なのでしょうか・・・
日本の庶民は小泉・竹中政権によって苦しみ
「たえがたきをたえ、しのびがたきをしのんで・・・」まいりました。

庶民の怨念が爆発いたします。それが2005年の情勢であります。

そのとき政治者は道教に帰還し道教から復活する必要があります。

おらも京都遷都を実現すべく、知り合いにうったえかけていきたいと思っております。
首都を東京から京都に遷都しなければ日本は10年後に廃墟とされてしまいます。
国際金融家によって、日本列島はすべて買収されてしまいます。

京都と鎌倉の二重権力下で
元の襲来と戦い日本をみごとに防衛いたしました北条執権のど根性がいまほど
必要なときはありません。

鎌倉に遷都できないかと、昨年12月鎌倉を歩いてまいりましたが
鎌倉は小さすぎて、日本の首都には無理であります。

年末から年始にかけまして京都に行ってまいりました。
京都は巨大であります。日本の安泰を願いまして毎日朝5時から勤行しております
京都仏教界の寺院も多数あり巨大であります。

また日本を守る神社も多数あり巨大であります。

また京都は世界都市として東京よりも有名であります。
なんとしても石原軍団と石原慎太郎を打倒して、京都遷都実現に向けて刻苦奮闘です。
日本庶民は必勝不敗であります。
日本を防衛しておりますのは空からインフルエンザを散布する在日米軍とその下請けの
自衛隊ではありません。

日本を防衛しているのは、毎日、古代から一日も休まず日本安泰を願い声を出しております
寺院仏閣であり神社なのであります。
京都仏教界にがんばっていただき、なんとしても京都遷都を実現したいと願っております。
京都の偉大なる政治家・野中公務さんには、小泉政権打倒の悪魔のごとき執念で
決起してほしいと願っております。

西洋かぶれした近代の明治維新神社靖国には日本の神々がおりません。
ゆえに天皇は祈祷にいかないのであります。


ありがとうございました。
これからもご指摘ご批判よろしくです。

冬将軍の2月がやってまいります。
寒冷のおり御身大切にがんばってください。