愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

物語を求めて

2013年12月25日 | 歴史

1959、昭和34年4月10日。

馬鹿丸出しのおらは豊田小学校に入学した。小春日和の晴天だった。

入学式が終わると、おばに連れられ、村一番に入ったというテレビをみにいった。庭は広く豪農、屋敷は高台にあった。

東京での結婚披露街頭祝賀パレードの中継映像だった。

はじめてテレビをみた。

それからおらはおばと別れ山を超え増録に帰還した。

家族が住む家にはラジオもなかった。

物語に出会ったのは、豊田村の観音寺だった。観音寺は奈良時代につくられていた。

豊田村とは那須与一の兄である稗田九郎の都だった。

豊田小学校には体育館がなかったので、映画鑑賞は観音寺本堂まで歩いていった。

観音寺本堂の伽藍、そこに映し出される東映動画こそ、物語の出会いだった。

うまれてはじめて。

そこで上映されたのが、東映動画の安寿と厨子王だったのか、それとも、デズニィー動画の雪の女王だったのか、

覚えていない。

東映動画の西遊記は、矢板小学校の体育館でみたのだと思っている。

おらは小学3年の3月上旬に、豊田小学校から矢板小学校へ転校していた。

おそらく観音寺でみたのは、シベリアから北極、雪の女王だったのだろう。

しかし、記憶は混乱している。小学何年でみた映画名がなんであるかの詳細は思い出せない。

おれは物語に畏怖した。

 

 

 

小学4年になってクラス替えがあった。

おらのとなりの席は恵子だった。

恵子の横顔をみた。窓の外は黄土からの春風、校庭の砂が舞っていた。

恵子はゲルダだった。

 

昨夜は寒かった。夜勤の仮眠、過去の思い出の津波が押し寄せ、おれは潰される、凍える。

少年のころの心の葛藤とエネルギーが、いまのおれにはない、とほほ。

おれは共同体も共有空間も形成できなかった、哀れな孤独な老人だった。ひとり。

おれの心はすでに雪の女王によって連れ去られていた、冷たいシベリアを超え北極地点。

 

言論人の有名ブロガーは秘密結社安倍晋三による特定秘密法に絶望し、インターネットから去っていったが

おらは木簡竹簡に帰り、記述していこう。幼きままに。

インターネットは古代の漢字が記述された、木簡竹簡に帰還している。

ブログは下層へと流れる。

横軸にした木簡竹簡が下へと落ちていく。糸を編む。竹から生まれた月のかぐや姫こそゲルダだった。

幼き頃、少年の頃の記憶こそ、おらの共同体であり共有感覚だった。

 

部族の兄貴から電話がきた。

部族の母が。

 

日本人ひとりひとりとは、古代からの部族遺伝子によって、現在がある。

 

共同体は解体され壊滅されゼロとなった現在、個人も解体されセラミックの粒ひとつとなった今。

部族から部族連合へ。

 

 

 


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