1959、昭和34年4月10日。
馬鹿丸出しのおらは豊田小学校に入学した。小春日和の晴天だった。
入学式が終わると、おばに連れられ、村一番に入ったというテレビをみにいった。庭は広く豪農、屋敷は高台にあった。
東京での結婚披露街頭祝賀パレードの中継映像だった。
はじめてテレビをみた。
それからおらはおばと別れ山を超え増録に帰還した。
家族が住む家にはラジオもなかった。
物語に出会ったのは、豊田村の観音寺だった。観音寺は奈良時代につくられていた。
豊田村とは那須与一の兄である稗田九郎の都だった。
豊田小学校には体育館がなかったので、映画鑑賞は観音寺本堂まで歩いていった。
観音寺本堂の伽藍、そこに映し出される東映動画こそ、物語の出会いだった。
うまれてはじめて。
そこで上映されたのが、東映動画の安寿と厨子王だったのか、それとも、デズニィー動画の雪の女王だったのか、
覚えていない。
東映動画の西遊記は、矢板小学校の体育館でみたのだと思っている。
おらは小学3年の3月上旬に、豊田小学校から矢板小学校へ転校していた。
おそらく観音寺でみたのは、シベリアから北極、雪の女王だったのだろう。
しかし、記憶は混乱している。小学何年でみた映画名がなんであるかの詳細は思い出せない。
おれは物語に畏怖した。
小学4年になってクラス替えがあった。
おらのとなりの席は恵子だった。
恵子の横顔をみた。窓の外は黄土からの春風、校庭の砂が舞っていた。
恵子はゲルダだった。
昨夜は寒かった。夜勤の仮眠、過去の思い出の津波が押し寄せ、おれは潰される、凍える。
少年のころの心の葛藤とエネルギーが、いまのおれにはない、とほほ。
おれは共同体も共有空間も形成できなかった、哀れな孤独な老人だった。ひとり。
おれの心はすでに雪の女王によって連れ去られていた、冷たいシベリアを超え北極地点。
言論人の有名ブロガーは秘密結社安倍晋三による特定秘密法に絶望し、インターネットから去っていったが
おらは木簡竹簡に帰り、記述していこう。幼きままに。
インターネットは古代の漢字が記述された、木簡竹簡に帰還している。
ブログは下層へと流れる。
横軸にした木簡竹簡が下へと落ちていく。糸を編む。竹から生まれた月のかぐや姫こそゲルダだった。
幼き頃、少年の頃の記憶こそ、おらの共同体であり共有感覚だった。
部族の兄貴から電話がきた。
部族の母が。
日本人ひとりひとりとは、古代からの部族遺伝子によって、現在がある。
共同体は解体され壊滅されゼロとなった現在、個人も解体されセラミックの粒ひとつとなった今。
部族から部族連合へ。
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