愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

小説  新昆類   (1) 【日経小説大賞応募投稿 第1次予選落選】

2006年11月02日 | 小説 新昆類

第1回日本経済新聞小説大賞応募 2005年12月31日

                      2006年10月18日発表

        【第1次予選落選】

 

 第1次予選落選となりましたので、校正と推敲のうえ、ブログに掲載させていただきます。
458枚の長編ですので、41回連載というかたちにさせていだだきました。

この小説を、2006年3月21日、朝方、最後の「日々雑感」を更新して、買い物に出かけ、
スーパーマーケットの駐車場で亡くなった
【新じねん】おーるさんに捧げます。

【新じねん】
http://csx.jp/~gabana/index.html

【新じねん保存サイト】
http://oriharu.net/gabana_n/

-------------------------------

■2006/03/23 (木) 追悼、おーるさん

きっこの日記
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790&log=20060323

--------------------------------

【おーるさんの最終図解】 安晋会を核とするライブドア浸透相関図 【新じねん・日々雑感】

http://www.asyura2.com/0601/livedoor1/msg/659.html

--------------------------------------------------



           新昆類     


       序

 追われていた。大人の女に追われていた。女は少年の名前を連呼している。少年は山道
を逃げている。山道は丘の野原に出たが行き止まりだった。下は崖だった。向こうから大
人の女が走ってくる。女は少年を育ててくれた母の姉だった。その叔母を少年は、ばあち
ゃんと呼んでいた。叔母の長い髪は怒髪天のように風に乱舞していた。少年は叔母に追わ
れる理由がわからなかった。優しい叔母が突然、恐ろしい鬼になって、少年を追ってくる
理由がわかならかった。叔母の名前はミツ子と村から呼ばれていた。夢だった。

 増録村にある日、巨大な壁ができた。村の少年たちは里に出ようとよじ登っている。誰
かがボウジボッタッレの仕業だと言った。村は暗黒につつまれていた。いやオカンジメの
仕業だと誰かが言った。村を閉じこめる壁ができたのは、山頂のデイアラ神社、裏外壁と
横の木枠の中に一列の並んで納まっていた神社の刀を盗んだからだと少年は思った。それ
はブリキでつくられた刀だった。山頂は村のこどもたちの遊び場だった。おらたちが村に
呪いを呼びこんだんだべか? 神さまの罰だっぺか? 高くでかい壁ができたのは、おら
たちのせいなんだべか? くりかえし、何度も夢をみた。

 そこからは暗い山道だった。幼児は後ろ髪を引かれるように里をふりかえる。なだらか
な三月の田園、大地が遠くの山並みまで広がっていた。さあ、とミツ子が幼児をうながし
た。急な山道を登る。道の幅は狭かった。樹木の根っこが階段になっていた。だいじょう
か、ミツ子が幼児に声をかける。幼児がうなずく。登りきったところからは、なだらかな
山道が暗い奥へと続いている。陽光は高い樹木の群れ、枝と葉の繁みによって閉ざされて
いる。山は静寂が広がり独特の音を発していた。木と木が話している音だと幼児は思った。
幼児はまだ四歳であったが考えていた。ばあちゃん、おらを連れて何処へ行くんだべか?

 このあいだ里にきて、母ちゃんだよとおらの前に笑顔で立った人のところだんべ、そう
幼児は予測していた。突然、上空で不気味な音がした。枝と枝の間を黒いものが飛んでい
く。猿か、むささびだんべ、そうミツ子が幼児に声をかけた。山に呑まれていく……

 恐怖の信号が幼児のからだに走った。幼児は叔母の手をにぎった。
 
「さあ、行くべ」

 ミツ子は幼児の手を引き、高い杉林、枝と枝の間にある洞窟のような小道を歩き、山を
抜けていった。幼児の名前は泥荒。東から西へと山道は続き、やがて二人の前の向こうに
あふれる光が見えた。まぶしかった。青い空が見えてきた。二人を迎えたのは増録村の情
景だった。


小説  新昆類  (2)  【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月02日 | 小説 新昆類
      1
 
 女と幼児が増録の山に入ったという波動はすぐさま、山全体へ、植物情報体となって伝
えられた。増録の山頂にあるデイアラ神社のイチョウの樹木が小刻みに振動し枝がゆれる。
葉がざわざわと音をたてる。音信は高原山中腹にある寺山修司寺のイチョウの大木に送ら
れた。山の樹木は生命体でもあった。高原山は過去と未来を規定し人間の運命も左右して
いた。そして高原山の畏怖とは古よりの隠された伝承にあった。

「野に伏し、山に伏し、我、木霊と言霊の残響の裂け目より、現れ出ん。役小角(えんの
おずね)五行陰陽道の古来、修験。空と海と山岳よりの密なる教え、修行に司どる寺山の
修司なり。我の修司は豊穣の山より与えられん。「修」「司」より得た霊応、験(しるし)
の力、内密を、親、兄弟といえでも、一切他言してはならぬ。我、山と野の自然智衆、真
言の本と行なり。日、月、火、水、木、金、土の道を陰陽暗黒歩行せん。山と野にて、朝
を迎えん地下人に仏在り。山は豊穣の源泉と源態なり。我、生と死の裂け目、表徴なりて、
恐山と木霊する高原山の寺山にて仏とともに在り」

 近世まで修行を司る下野国山岳修験道の道場、それが高原山の寺山修司寺だった。


 明治元年、古来よりの日本宗教を壊滅崩壊せんと、明治維新政府がイギリス帝国の命令
により、「神仏分離令」を布告した。これにより、修験道は生存の危機に突入した。明治
維新とは、イギリス帝国の工作によって成立した代物だった。坂本龍馬もイギリスの政治
工作員であった。植民地政策を貫徹するイギリス情報機関によって、徳川幕府転覆のプロ
グラムが秘密裏に起動していった。それに乗ったのが岩倉具視だった。岩倉具視の陰謀計
画を実行したのが、テロリスト山県有朋と伊藤博文だった。幕末の孝明天皇と皇太子であ
った睦仁親王は、山県有朋と伊藤博文によって暗殺された。ここで万世一系天皇の血の系
譜は切断されてしまった。明治天皇にすり替わったのは長州の大室寅之祐だった。嘘と欺
瞞を隠蔽するため、大室寅之祐は強権による絶対天皇制の現人神、近代の大帝、近代の神
となった。

 大室寅之祐を睦仁親王に代わる「玉」として長州から連れてきたのが三条実美だった。
三条実美と岩倉具視こそはクーデターによって、長州とともに明治維新革命政府を樹立し、
万世一系の古来よりの天皇、血の系譜を切断した公卿だった。大室寅之祐は天皇の血を継
承していない成り上がり者だった。成り上がり者はおのれの歴史を嘘で記述していく。強
権の明治維新政府が南朝後醍醐天皇系譜を大々的に教育勅語として、国家神道を貫徹した
のは、大室寅之祐を近代の帝、大日本帝国軍の神とするためだった。


 明治、大正、昭和へと日本破壊は計画的に進行し、大日本帝国はイギリス帝国の代理機
関として東アジアの侵略戦争立国になり、強権により支配貫徹された軍隊国家となった。民
衆は強権によって虐殺され、戦争に狩り出され、その結末がヒロシマ・ナガサキへのアメ
リカ軍による原爆投下だった。大室寅之祐王朝は21世紀の現在の「平成」まで続いてい
る。その基礎をつくったのが高原山を支配したテロリスト山県有朋だった。

 高原山の寺山修司寺は、真言宗智山派へ所属することを選択し、山県有朋による高原山
修験道壊滅と高原山支配、明治維新政府の日本破壊、宗教弾圧の近代暗黒時代を生き延び
ることができた。


 悲惨なのは寺院よりも神社だった。強権によって明治元年から、全国の神官は神社から
追放され一掃された。神社を守ろうと追放に抗った神官は、長州黒百人組によって暗殺さ
れた。明治維新政府の大室寅之祐王朝国家神道建設は計画的に江戸時代まであった神社を
潰していった。全国の神官と全国四割の神社が明治維新政府によって消滅させられた。残
された神社には、明治維新政府から派遣された神官が居座った。神社の頂点に明治維新政
府が創設した靖国神社の祖が居座った。その祖こそ大室寅之祐である。

 江戸時代までの神社研究は禁止された。こうして明治に大室寅之祐王朝国家神道は強権
によって成立したのであった。昭和の敗戦後も神社研究はマッカサーによって禁止された。
イギリス帝国が明治維新クーデターによって擁立させた大室寅之祐王朝を第二次大戦後も
日本の象徴として守るためであった。その象徴とは日本破壊だった。

 日本の寺院と神社は徳川幕藩体制によって守られてきた。明治からの近代とは日本破壊
だった。




 はるか遠い昔、高原山には鬼人が住んでいたという。鬼人とは縄文人の蝦夷だった。高
原山は黒曜石の生産地であり工房があった。黒曜石は天然のガラスで、矢尻やナイフへと
加工される。狩猟にはなくてはならない道具だった。高原山の黒曜石は坂東各地や峠を越
え会津地方にまで行き渡っている。

 大和朝廷は坂東各地や下野国に、新羅人、高句麗人を送り込んでいった。
 
 江戸時代に那須湯津上村で発見された那須国造碑には、先祖が公氏という滅んだ中国後漢
王朝の血統にあり、持統三(六八九)年、直韋堤が野国那須評(こおり)の長官に任命され
た、と刻まれている。そして、持統天皇が藤原京に遷都した翌年の文武四(七〇〇)年、
直韋堤が死去し、その子、意斯麻呂が建碑したと彫られている。

 那須湯津上村の百姓が開墾した畑から那須国造碑を発見したという知らせは、領主であっ
た水戸藩主二代目の徳川光圀に上奏された。徳川光圀はただちに那須湯津上村へと馬に乗り
駆けていった。後を追う家臣団。那須国造碑は徳川光圀に衝撃を与えた。徳川光圀はそこで
古来からの声を聞いたのだった。日本古代の文物に光圀は憑依されてしまった。光圀は家来
に那須国造碑の永久保存を命じた。水戸に帰ると徳川光圀は「大日本史」の編纂に傾注して
いった。



 下野国は渡来人国造によって、律令制度が整備されていった。天武二(六七三)年には、
すでに下野薬師寺創建されたとされている。続日本書紀には持統元(六八七)年に新羅人
が朝廷から下野国開墾に送りこまれている記事がある。霊亀二(七一六)年には、下野国
などの高麗人を武蔵国に移し、高麗郡を設置という記事がある。渡来人は国造りの屯田兵
だった。

 日本書紀には景行天皇の項に、武内宿禰による日高見国の蝦夷報告がある。
「武内宿禰東國より還りまゐきて奏言(まう)さく、東夷中、日高見國有り。其の國人男
女並に椎結(かみをあげ)、身を文(もとろ)げて、人と為り勇桿(いさみたけ)し。是
を総べて蝦夷(えみし)と曰ふ。亦土地(くに)沃壌(こ)えて曠し。撃ちて取るべし」

 撃ちて取るべし、それは蝦夷の土地を奪い、そこに渡来人による水田稲作を広げ、土地
を奪われる原住民の抵抗という荒魂を静め、無抵抗な良民とする精神支配の仏教を布教さ
せることであった。水田稲作には労働力が必要である。律令制度とは水田稲作開墾と仏教
布教の国づくりだった。

 原野を開墾し水を土地に流すためには集約労働力としての奴隷が必要だった。水田稲作
開墾とは徹底して人間の労働による自然への造形である。山野と原野を切り開きそこに水
の排水と排出をコントロールするという人工と工作の強靭な意思貫徹である。軍事と造作
の律令制度とは社会主義制度でもあった。坂東と陸奥そして出羽には屯田兵が送り込まれ、
奴隷となった蝦夷は水田稲作開墾の労働力として大和朝廷の支配地へと送り込まれた。ス
ターリンの命令によって住民まるごと遠地へと国替えさせられる、それと類似したことが
展開されていった。

 和銅二(七〇九)年、右大臣藤原不比等の命令で、高原山の鬼人たる蝦夷を退治したの
が、下野国府軍と派遣された大和朝廷軍だった。総大将は下野国造の渡来人下毛野古麻呂
だった。彼は大宝一(七○一)年、「日本」という国号を定めた大宝律令を、藤原不比等
とともに編纂している。彼は天武天皇死後、持統天皇に仕え、藤原不比等の信任あつく、
陸奥国建設の前線基地下野国を統治すると同時に兵部卿に任命され、東国である坂東を律
令制度の要として抑えていた。

 朝廷軍との戦に敗北した高原山の蝦夷は、再び高原山に暮らすことを許されず、下毛野
古麻呂によって帝都に連行され、奈良平城京建設のための奴隷労働の俘虜とされた。帝都
に凱旋した下毛野古麻呂は元明天皇から、式部卿正四位下という、現在でいえば国務大臣
級という高い地位を授かった。しかしまもなく平城京建設を指揮するおり、突然倒れ、病
死してしまった。朝廷内で下毛野古麻呂式部卿の病死は、坂東蝦夷の聖地である高原山の
怨霊に呪われ祟られたという噂が流れた。

 和銅三(七一〇)年、元明天皇が平城京に遷都すると鬼怒一族は、九州、四国や西国の
水田稲作造りの奴隷俘虜として各地国造に引き取られていった。

 蝦夷や隼人の奴隷俘虜労働によって建設された奈良平城宮は、和銅三(七一〇)年から
延暦三(七八四)年までの大和朝廷の帝都となった。奈良は百済語で故郷を意味する、渡
来人の都だった。

 藤原不比等が六十三歳で死去した養老四(七二〇)年、不比等の子、二男の藤原房前は
高原山の怨霊を封鎖するため祈願したという。神亀元年(七二四)年、行基は、鬼怒
一族の荒魂が復活せぬよう、高原山剣が峰の麓に法楽寺を建てた。

 不比等の長女宮子は文武天皇の側室となり聖武天皇を生んだ。若い女に産ませた不比等
の娘、光明子は聖武天皇の妃となった。長男の武智麻呂(南家)、次男の房前(北家)、
三男の宇合(式家)、四男の麻呂(京家)はいずれも朝廷の要職に着いている。

 不比等が死去し、房前が高原山の怨霊封鎖の祈願勤行をした年、九州で隼人の反乱、東
北で蝦夷が反乱した。行基が高原山に法楽寺を建てた年には、東北日高見の蝦夷が再び反
乱をした。藤原不比等の三男藤原宇合が持節大将軍に命ぜられ、坂東から三万人の兵士を
徴用し、朝廷派遣軍は陸奥国建設、蝦夷討伐の前線基地として多賀城を設置した。大和朝
廷の藤原一族は高原山の怨霊を恐れていた。藤原不比等死去の真相は、平城京に潜入して
いた高原山の鬼怒一族による暗殺であったからである。鬼怒一族は平城京建設に奴隷俘虜
として従事していたので、藤原不比等邸の構造を把握していた。

 藤原不比等の死は病死として朝廷内で発表された。







【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (3) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 不比等死後、不比等の地位だった右大臣になり名実共に政権トップとなった長屋王は、
行基と藤原一族の陰謀におとしめられてしまった。天平一(七二九)年、長屋王は聖武天
皇を呪術で呪ったという嫌疑をかけられ、自決した。不比等の子、光明子が妃から聖武天
皇の皇后となることによって、藤原四兄弟による宮廷での地位は固まり、藤原一族は権力
を把握した。そして藤原一族の陰謀に加担した行基は大和仏教の統帥僧侶へと上昇してい
った。

 東北、出羽国と陸奥国の蝦夷を統治するためには、坂東、下野国の蝦夷反乱は壊滅され
ている必要があった。下野国の北部は陸奥道への入り口であり、ここが安全でなくては、
多賀城に東山道や東海道から万余の軍隊を派兵することはできない。下野国は奥州侵略の
前線基地だった。各村からは家族ごと農民が、蝦夷の領域であった地帯へ、屯田兵として
入植させられていった。蝦夷への遠征のたびに、若い男は兵士として動員され、下野国は
疲弊し、たびたび飢饉に襲われていた。前線基地での百姓反乱は、どんな小さな動きでも
許されなかった。百姓を監視する役割が高句麗・新羅から移植してきた渡来人屯田兵だっ
た。屯田兵によって河川周辺の土地を奪われ、山奥へと蝦夷は追われていった。渡来人に
とって蝦夷は意味不明の不気味な山岳の鬼だった。

 鬼とは古来から日本列島に居住していた縄文人だった。そして朝廷軍の軍神、坂上田村
麻呂のルーツは、「おもいかね」として神話に登場する公孫氏だった。2世紀後半、後漢
の地方官だった公孫度が遼東に国を築く。公孫氏は朝鮮半島まで浸透していくが、やがて
公孫氏は魏に滅ぼされた。逃れた一族は朝鮮半島の南部へとやってきた。そこで伽耶諸国
を創建する。公孫氏は金属の生産と加工に優れた技術を持っていた。さらには軍事技術が
あった。やがて公孫氏は伽耶諸国から日本列島に移住を開始する。そして歴代朝廷軍の主
力勢力となっていった。公孫氏坂上田村麻呂の系譜は、アテルイの反乱から二百五十年後
に勃発した前九年合戦で、安倍貞任、藤原経清ら安倍一族軍を鎮圧した、陸奥守源頼義と
その子八幡太郎義家に流れていた。渡来人系譜源氏の奥州征伐への執着は、源頼朝による
奥州藤原氏平泉炎上によって帰結した。

 雄大な高原山を拝める盆地には木幡神社があった。延暦十四(七九五)年、蝦夷征伐に
向かう坂上田村麻呂によって創建されたという。この地と古代那須国を結ぶ佐久山街道の
豊田には坂上田村麻呂の将軍塚がある。豊田将軍塚は、坂上田村麻呂将軍が宿泊したと伝
えられる、由緒ある場所とされている。そこで坂上田村麻呂は、延暦十四(七九
五)年、鬼怒一族に暗殺されたという異史がある。その伝承によると将軍塚は田村麻呂の
墓であるというのだ。田村麻呂の暗殺に驚愕した朝廷は、田村麻呂の死を隠蔽し、彼の弟
を田村麻呂将軍として祭り上げた。朝廷の自作自演が必要だったのは、東北蝦夷征服
の最後の切り札が田村麻呂将軍であったからである。朝廷軍は東北蝦夷征伐の遠征軍を派
兵するたび敗北していた。この地は東北反乱の蝦夷と切っても切れない関係にあった。木
幡神社には朱色の業火に焼かれ、逃げ惑う鬼たちの地獄絵が本殿の内壁に描かれている。
その鬼こそ高原山の縄文人である鬼怒一族とされている。木幡神社は大和朝廷軍が滅ぼし
た鬼怒一族の怨霊を永遠に封じ込めるための呪術神社とされているが、異史によると木幡
神社も鬼怒一族の社であったというのだ。鬼怒一族は社を未来永劫に残すために、坂上田
村麻呂将軍によって創建されという風説を下野全土に流した。蝦夷の知恵だった。

 前九年の役より二十五年後、頼義の子八幡太郎義家が奥州清原氏の内乱に介入した
のが、後三年の役だった。この後三年の役が東国における源氏の覇権と、武家の頭領と
しての地位を固めた。

 坂上田村麻呂系譜である、源氏の関東、東北支配を許すまじと、奥州アテルイの系譜で
ある安倍一族の反乱に呼応し、高原山鬼怒一族の同盟軍でもある八溝山の蝦夷岩獄一
族は、北坂東蝦夷の部族反乱を八幡太郎義家源氏軍に対して起こした。下野、常陸、奥
州にまたがる山脈こそ八溝山だった。

 鬼怒一族も八溝山に入り、北坂東蝦夷山岳ゲリラ軍の中枢を担ったのだが、源氏の家来
である那須貞信軍の亀裂な謀略によって、八溝山蝦夷軍は鎮圧されてしまった。那須貞信
は相模国から遠征軍を募り、総勢五千の鎮圧軍を形成した。八溝山の蝦夷討伐によって那
須貞信は朝廷から源氏の一党として那須国を与えられた。那須貞信は新興那須家の祖とな
った。

 新興那須氏二代目の那須資道は、八幡太郎義家の家来として、奥州征伐「後三年の役」
に従軍している。新興那須家の「那須国」は、源氏による奥州侵略の要基地となった。

 平家と源氏の「屋島の合戦」で、義経に命じられ、海の小船、平家の女房が持つ扇を射
止めたのが、弓で有名な那須与一。古来よりの那須国を奪った、貞信の系譜である。


 敗北し、屈辱的に殺された八溝山蝦夷軍の大将、岩獄丸は怨霊となった。



 木幡神社には八幡太郎義家が、奥州征伐へ向かう途中、戦勝祈願している。

「鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろし
や」(白河法皇)

 白河法皇は源氏の頭角を恐れた。八幡太郎義家は白河法皇の陰謀によって、力を削がれ、
孤立化していった。最後は病死した。鬼怒一族の怨霊にやられたのだろうと白河法皇は、
院政の御所で薄く笑ったという。

「下野の高原山、その山が見下ろす里、木幡神社は源氏の軍神、坂上田村麻呂が奥州蝦夷
征伐祈願のため、建てたというが、実はのう……鬼怒一族が建てた怨霊社であるとか、結
界に入った蝦夷討伐の覇者は、復讐の霊に呪われるという、恐ろしや、木幡神社の云われ
をけして源氏に教えてはならぬ、宮廷の公卿にも知らせてはならぬぞえ」

 白河法皇は言葉に出さす自分を戒めた。
 
 鎌倉幕府を開いた源頼朝も那須野が原の狩のおり、先祖ゆかりの木幡神社に祈願したと
いう。その後、源頼朝はある日、相模川から鎌倉への帰途落馬し、御所で死んだ。

「もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」(源実朝)

 兄、頼家が追放されたあとを継ぎ、鎌倉幕府三代将軍になった源実朝も那須が原での狩
のおり、先祖ゆかりの木幡神社に祈願した。

 その後、実朝は、兄頼家の子である公暁に、鶴岡八幡宮の社前で正月拝賀の際暗殺され
た。公暁は、北条義時ら幕臣に実朝が父のかたきであると聞かされていた。兄弟を皆殺し
にした源頼朝の征夷大将軍系譜は消滅した。院政の後鳥羽上皇は、鬼怒一族の怨霊とは恐
ろしや、木幡神社に祈願するたび源氏が死んでいく……鬼怒一族を味方に引き入れなけれ
ばならぬ。かつて朝廷が滅ぼした山の民蝦夷を味方にせねばならぬと胸で誓った。そして
後鳥羽上皇は、今が鎌倉幕府打倒の好機と、京都守護伊賀光季を討ち、執権北条義時追討
の宣旨を発令し承久の乱を起こしたのだが、鎌倉幕府軍に敗退してしまった。後鳥羽上皇
は隠岐に流された。後鳥羽上皇の意思を蘇らせたのが後醍醐天皇だった。

 高原山と八溝山の源氏への怨霊をおそれた鎌倉幕府北条執権は、自らを平氏の出自であ
ると宣言するようになっていた。鎌倉幕府最後の執権である北条高時を裏切ったのが、
源氏の出自である足利尊氏だった。


 奈良時代に高原山から農耕奴隷として西国各地に流された鬼怒一族の末裔は、鎌倉時代
末期になり、後醍醐天皇による北条鎌倉幕府打倒の綸旨に応じ、後醍醐天皇の王子である
大塔宮が指揮する山岳ゲリラ軍に参加し、安芸の山の民である有留一族と共に、みごと北
条鎌倉幕府軍を敗退させる一翼を担った。しかし、山岳ゲリラ軍の将軍である大塔宮は朝
廷内の陰謀により、足利尊氏軍に引き渡され、鎌倉に送られてしまい、足利尊氏の弟であ
る足利直義の命令によって暗殺されてしまった。大塔宮を鎌倉から奪還し、山岳ゲリラ軍
の再建を計画していた鬼怒一族と有留一族は、大塔宮の死により展望を喪失し、西国に帰
還した。やがて朝廷が分裂し後醍醐天皇と足利尊氏の内戦が勃発した。鬼怒一族と有留一
族は吉野の山に入り、今度は楠木正成軍に加わる。しかし楠木正成軍は足利軍に敗れてし
まう。生き残った有留一族は一度四国に逃れ、そこから安芸の故郷に帰還。鬼怒一族は足
利軍による敗軍残党狩りを恐れながら流民となって西国を脱出し、坂東下野北部に向かっ
た。坂上田村麻呂将軍塚があり鬼怒一族の聖地高原山を拝める豊田村を開拓し住み着いた
という。豊田村の東には裏高原山の塩原から箒川が流れていた。箒川は那須国の那珂川へ
と合流する。






【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (5) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
      2

 昭和二十八(一九五三)年三月末、朝鮮戦争のまっだなか、泥荒は東京の調布飛行場近
くの都営住宅で産まれた。木造の長屋だった。その年、ソ連邦のスターリンが死んだ。ス
ターリン暴落が日本経済を襲ったという。泥荒という名前を付けたのは、父のノブだった。
泥荒は三番目の男の子だった。故郷の神社の名を子供につけたのである。ノブは占領軍憲
兵隊員が監視する機関銃を造る工場で働いていた。ノブは旋盤工だった。ある日、叫び
ながら家を飛び出し、調布の田園を走っていったと母のテルは言う。気が弱いノブは、何
者かの監視下の労働に、もはや耐えれなかったのだろう。そしてノブは精神病院に入院
した。

 昭和三十(一九五五)年、朝鮮戦争は終結した。それを期に日本共産党は地下・非合法
活動から、再び街頭に登場し、分裂していた左右社会党も、日本社会党として統一されて
いった。さらに保守党のつらなりは、闇の巨大資金によって、自由民主党として合流して
いく。日本経済がこの戦争によって、復興し、昭和初期の経済を越えたことは、言うまで
もない。この時期の青春像のトーンは絶望であった。

 泥荒は二歳になっていた。いつも都営住宅、長屋の濡縁から、調布飛行場の飛び立つ飛
行機を見ていた。いまだ彼の記憶装置は作動していなかった。その瞳はただブッラクホー
ルとして、草原が広がる飛行場の風景を吸い込んでいた。長屋の木造都営住宅の濡縁で、
泥荒は五十年代の空気を吸っている。その表情は魚のようでもあり、蛇のようでもあった。
内部というものが欠落し、すっぽねけているように、ただ濡縁から外をながめていた。飛
行機の爆音が泥荒のちいさな体を揺さぶっていた。

 その年、八月に泥荒はテルの姉であるミツ子にあずけられることになった。ノブの発病
により生活が行き詰ったからである。テルは日雇い労働のニコヨンの仕事をしながら、ノ
ブの退院を待つことにした。長男のトモユキは調布小学校に入学したばかりなので、手元
に置くことにした。次男のヨシヒコはすでにノブの実家に預けてきた。

「姉さん、どうかよろしくお願いします。あの人が良くなったら、必ずこの子を迎えに行
きますので……」

 そうテルは、栃木県北部からやってきたミツ子に頭を下げた。
 
「テルも大変だな、私には子供ができなかったので可愛がって育てるよ、それにしても、
東京はなつかしい、やはり田舎と違って活気があるね」

 ミツ子はそう言いながら麦茶を飲んだ。
 
「東京はわたしも姉さんも娘時代に暮らしたところだもんね」

 テルが笑顔で答えた。

 テルとミツ子の父は治之助、母はサヨと云った。サヨは広島県広島市安佐にある鎌倉寺
山の麓、有留村にある小さな寺の娘であった。治之助は広島県呉の造船会社で働く技術者
の息子だった。治之助の父は有留村の出身だった。治之助とサヨは広島で見合い結婚をし
た。治之助は石炭の鉱山を発見する技術者だった。治之助は、十二人の子供をサヨに産ま
せた。ミツ子は八番目、テルは九番目の娘であった。家族は治之助の赴任で、各地の鉱山
へ転々と移動した。テルが産まれたのは大正九(一九二〇)年二月、しんしんと雪ふる福
島県西白河郡金山村の白川炭坑社宅だった。外からは酒を飲んで歌う坑夫たちの常盤炭坑
節が聞こえてきた。

 テルが産まれてすぐ、治之助は白川炭坑の東京本社に戻された。治之助の家族は日暮里
の貸家に住むことになった。テルは日暮里の高等小学校を卒業すると、姉のミツ子のよう
に洋裁店の針子として働いた。ミツ子もテルも二十歳を過ぎたが、若い男は皆、戦争に駆
り出されて恋の縁もなかった。昭和二十年三月十日の東京大空襲で江東区・墨田区・台東
区が炎上し、多くの犠牲者が出た。治之助は「お前たちは疎開した方がいい」と、娘たち
を栃木県太田原の佐久山の薬局に嫁いでいる長女のヤエのところに疎開させた。イネ、ミ
ツ子、テルが佐久山に疎開していった。東京に残った治之助とサヨは五月二十四~二十五
日にかけての東京大空襲の爆撃で死んだ。ヤエの夫も南太平洋戦線で戦死した。

 テルは敗戦を栃木県太田原市佐久山の岡本薬局で迎えた。居候の身分で肩身が狭かった。
姉のイネは、宇都宮連隊の解散によって、陸軍から帰ってきた次郎と見合い結婚をした。
次郎の村は佐久山の隣村である福山だった。長女のヤエに子供がいなかったので、イネと
次郎が店を引き継いだ。ミツ子は隣村の豊田へ後家に入った。ミツ子の相手は十四歳上の
廣次だった。薬売りの商売で、ヤエは妹たちの結婚相手情報を仕込んでいた。

 豊田の廣次は先妻のハツエを昭和十九(一九三九)年の八月に失った。ハツエが死んだ
のは四十八歳だった。廣次は四十五歳で三十一歳のミツ子と敗戦の年に再婚をした。廣次
は九人の子供をハツエに産ませたが、大正から昭和にかけて七人の子供を幼児のまま失っ
た。輝(一歳)、寿(二歳)、貢(五歳)マツミ(二歳)、掌(二歳)、昇(三歳)、生
き残ったのは娘のサトとトモエだけだった。サトはトモエの姉だったが、知恵遅れの娘だ
った。廣次がミツ子と再婚したとき、トモエは十四歳の多感な時期だった。どうしてもミ
ツ子を母親として認めたくなかった。

 テルは岡本薬局で、岡本薬局製造販売の「神皇丸」という漢方薬つくりや、家事の手伝
いをしていたが、ミツ子が農作業の手伝いに来ないか、と誘ってくれたので、今度は豊田
の廣次の家にお世話になることにした。昭和二十二(一九四七)年、テルは二十七歳にな
っていた。

 三十歳を過ぎたら、わたしもミツ子姉さんのように、後家さんに入るしかないと、テル
は覚悟をしていた。春と秋に忙しい農作業の手伝いの仕事も暇になると、テルは矢板の町
に勤めに出ることにした。仕事は木材加工会社「秋木」の製材工員だった。朝、テルは廣
次の家から豊田村の隣村である沢まで歩いていって、沢の停留場から東野バスに乗って、
矢板の町まで通った。沢には佐久山から矢板をつなぐ街道が通っていた。歩いてバスに乗
るたび、テルは早く、東京に戻りたいと願った。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (6) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 テルがノブと出合ったのは沢のバス停留場から豊田の廣次の家に帰る途中だった。ノブ
は矢板の金属会社に旋盤工として勤めていた。ノブは豊田の寛の家から自転車で矢板の町
に通っていた。テルとノブはいつも通勤途中の豊田の道で会っていた。ある日の帰り道、
テルが沢の停留場で降りて歩いていたら、後ろから自転車でノブがやってきた。ノブはテ
ルに帰り道が一緒だから自転車の後ろにある荷台に乗れと誘った。テルは恥ずかしかった
が、乗せてもらうことにした。それから急にテルとノブは親密になっていった。数日後、
またノブは会社からの帰り道、テルと出合い自転車の後ろに乗せた。そしてテルに今度の
日曜日、映画を見に行がねぇげ? とテルを映画館に誘った。テルは同意した。日曜日に
ふたりは矢板の駅で待ち合わせ、駅の近くにある東映の映画館に入り時代劇の映画をみた。
映画がはねてノブはテルと食堂で飯を食った。矢板からの帰り道。テルはノブの自転車の
後ろに乗った。二人乗りの自転車は、山を越えて、沢まで行きそれから豊田への道を帰っ
ていくのだが、ノブは山の中へとテルを誘惑した。ノブはテルの子宮へと射精をした。

 テルはその山の中の契りによってノブの子を宿すことになった。テルはノブに結婚を迫
ったが、ノブの家が強烈に反対をした。テルは廣次の家でノブとの子である長男のトモユ
キを産んだ。テルの生存する道はなんとしてもノブと結婚することだった。ノブも家が反
対しているがテルと結婚するしか責任をとる人の道はないと強く思っていた。ふたりは相
談して東京に駆け落ちした。最初はノブが旋盤工として勤めた品川の職場近くのアパート
に住んでいたが、運良く調布にある都営住宅が当たった。ふたりは長男のトモユキを連れ
て調布飛行場がすぐ前にある長屋の都営住宅に引っ越した。そこで次男のヨシヒコと三男
の泥荒が産まれた。

 栃木県那須郡野崎村大字豊田五六四番地で、ノブは産まれた。大正十四(一九二五)年
六月だった。父は寛、母はトキだった。ノブは次男だった。寛の家は豊田で豪農の地主だ
った。寛は矢板農学校を卒業した。寛はトキに五人の子供を産ませた。四人が息子で末っ
子が娘だった。寛は廣次の兄だった。次男の廣次には痩せた土地しか与えられなかった。
貧困の廣次は七人の幼子を失ったが、地主の家を継いだ長男の寛は子供を死なせることは
なかった。寛は豊田でも傲慢な男だった。軍隊に行って近衛兵を務めたことが寛の自慢だ
った。軍隊では上官まで出世した。兵役が終了し、村に帰ってくると、寛は軍人癖が抜け
きれず、いつも地主として威張っていた。

 矢板町からやってきた共産主義者の農民オルグが、小作人を煽動し、寛の家の庭で騒動
を起こしたが、大田原警察からやってきた警官が鎮圧してくれた。昭和五(一九三〇)年
の豊田小作人騒動事件だった。首謀者は捕まり大田原警察の監獄にぶちこまれた。その後、
小作人を農民運動に組織する栃木県北部の共産主義者は根こそぎ、治安法違反で逮捕され
たので、寛はひとまず安心した。矢板の川崎村からは日本共産党の青年団体である共産主
義青年同盟中央委員会の幹部になった人間が出た。それは寛が出た矢板農学校の同級生の
高橋吉次郎だった。「東京に出て、あいつは赤になったんべよ」という噂が寛の耳にも入
っていた。豊田の地主は寄り合いを持ち、町の大田原、佐久山、野崎、矢板からの赤が豊
田に潜入しする街道を監視する対策を話し合った。見知らぬ男を見かけたら、すぐ沢の駐
在所に通報することにした。

 寛の家は、小作人から「あすこはヒト・ゴ(五)ロ(六)シ(四)番地だんべ」と陰口
を叩かれていた。マッカーサーによる農地解放令によって、寛は多くの農地を手放すこと
になった。喜んだのは、それまで寛にいじめられていた小作人だった。寛の家は没落した。
周りの百姓は「いい気味だ」と冷ややかに、寛の家の没落をながめていた。農業では小作
人がいなくなり没落したが、寛は親から譲られた山を持っていた。その私有地の山は豊田
一番だった。寛の家の裏から増録村へと続く広大な山の領地は寛のものだった。増録村と
成田村の境界の山も寛のものだった。成田村のデイアラ神社近くまで寛の山だった。

 ノブはおとなしい子供だった。小作人の子供は尋常小学校に入学する頃は、家の手伝い
をしたが、ノブは地主の子供だったので、家の仕事はしなかった。小作人からノブは「ノ
ウちゃん」と呼ばれ、可愛がられた。寛の子供が寛のように尊大に威張る人間にならない
ように、小作人たちは、寛の子供に表面的な愛情を注ぎ込んだ。ノブは関東軍の謀略で満
州事変が勃発した昭和六(一九三一)年、豊田尋常小学校に入学したが勉強は得意ではな
かった。ただ駆け足が得意だった。家ではいつも寛が家長として威張っていたので、いつ
も寛の前ではビクビクしていた。母のトキは優しかった。トキは小柄な女だったが、全面
的な愛情を子供たちに注いだ。矢板農学校を卒業していた寛は、自分たちの子供の成績が
あまり良くなったので、トキに「おまえがバカだから、おまえの血を引いんだんべ」と悪
態をついた。豊田ではほとんど同族結婚だった。

 長男のマサシは弟のノブを可愛がった。ノブの下に弟のカズ、サブ、マモルが産まれた。
最後に妹のムツコが産まれた。寛とトキの子供は、トキのおだやかな性格の遺伝子を継承
し、いずれもおとなしく人が良い気質があった。しかしその底には、寛の冷たい冷酷な利
己主義の遺伝子が眠っていた。ノブが豊田尋常小学校に入学すると、すぐ番長を決めるケ
ンカが休み時間に校庭で始まった。豊田尋常小学校の伝統だった。おとなしくスローテン
ポだったノブは最初のケンカで敗れた。もともと番長になる野心がなかった。番長にのし
上がったのは小作人の子であるグンジだった。グンジの親父は豊田の小作人騒動の時、大
田原警察の留置所にぶちこまれたので、寛の家には恨みをもっていた。

 小学校の生活に慣れた尋常小学三年の六月、ノブは放課後、グンジに呼び出された。
 
「番長がノブちゃんに用があんだど」そう東豊田のトヨジがノブを校庭の前にある小山の
奉安殿に連れていった。昭和天皇の御真影と教育勅語が厳重に保管されている神社風の奉
安殿の前にグンジが腕を組んで立っていた。グンジはノブを奉安殿の裏に連れていった。

「おめぇのうちは山の主さまと威張っているが、あの山はもともと村のものだったんだん
べ、おめぇ知っていたげ?」

 グンジがノブに質問した。
 
「……」ノブはなんのことか分からなかった。

「おらが教えてやるべ、もともと村のものだった山を、おめぇのじいさまが、山県有朋に
とりいって、自分のものにしてしまったんだんべよ、おめぇのじいさまは悪人だんべ、村
じゃ、みんな知っていっぺ。おらの父ちゃんも、山に入って落ち葉や薪をとって
来るのにも、いちいち、おめぇのいえに、ことわりに行かなくちゃなんねえ、ふざけんな
このやろ!」

 ノブはグンジのゲンコで頭を殴られた。そして地面にノブは倒され、ゲンジの尻がノブ
の腹に乗った。グンジはノブのシャッツのえりをつかみ言った。

「いいか!地主だからっと言って、ガッコウでは調子こくんでは、ねえど、わかったがよ、
おらの父ちゃんは、おめげのおかげで留置所にぶちこまれたんだんべよ、おらだって、警
察なんか、おっかなぐねえんだ、この、でれすけやろう!」

 ノブは泣きながら、分けもわからず「ワガッタ、ワダッタ、かんべんしてぐれや」とグ
ンジに哀願した。グンジはノブの体から離れ、立ち上がった。ノブは泣きながら起き上が
った。

「いいか、兄貴や親に告げ口したら、どうなるか、わがっていっぺな」

 そうグンジは捨てぜりふでノブを恫喝した。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (7) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 その日からノブはグンジの子分になった。世の中で生存するためには、めだたないよう
におとなしくしていること、「金持ち、ケンカせず」これがノブが現実から学んだことだ
った。村の大人社会では寛が小作人をいじめ村を監視していたが、尋常小学校では寛の子
供が小作人の子供たちにいじめられ、監視されていた。大人社会の現実と子供社会の現実
の力関係は逆転していた。ノブは早く尋常小学校を卒業したかった。

 ノブが尋常小学五年になったとき、グンジは村からいなくなった。満州開拓団としてグ
ンジの一家は満州に行ったとの噂だった。ノブはグンジがいなくなったので安心した。学
級では、次の番長を決めるケンカが始まった。「おら、にがてだんべ、ケンカはぁ……」
そう言って、ニコニコすることにした。親密な笑顔こそ、学校で生存する唯一の方法であ
ることをノブは学んでいた。

 ノブが豊田尋常小学校を卒業し、野崎尋常高等小学校へ入った昭和十二(一九三七)年、
日中戦争が全面的に勃発した。寛は「これから戦争景気がやってくっぺ、お国のために、
一生懸命、働け」と、小作人たちに説教していた。ノブは満州に行ったグンジを「今頃、
どうしていんだんべ」と、縁側から遠くの田んぼを眺めながら思い出していた。

 昭和十四(一九三九)年の三月末、ノブは野崎尋常高等小学校を卒業し、同じ五人の卒
業生と一緒に、東京大田区大森にある軍需工場へ、旋盤工見習いとして集団就職した。野
崎駅から他の親に混じって母のトキ、兄のマサシ、弟のカズ、サブ、マモル、妹のムツコ
が見送ってくれた。「ノブ、おめぇは頭、よくないが、みんなと同じようにやれば、大丈
夫だんべ……、からだに気をつけるんだど」トキが涙を流しながらノブを励ました。そし
て「これ、電車の中で食え」と新聞紙に包んだ油揚げの寿司をノブに渡した。「ノブ、正
月休みには帰ってこいよ」そう兄のマサシがノブの肩をたたいた。弟のカズ、サブ、マモ
ル、妹のムツコは、ただ羨望のまなざしでノブを見上げていた。ノブはそのとき、家族で
はじめて東京に就職する英雄でもあった。集団就職に付き添ってくれるメガネをかけた国
民服の教師が、見送りに来た家族に「それでは」と深いお辞儀をして、ノブたちを列車に
乗せた。

 野崎駅から上野行きの列車が出発した。次の駅である矢板駅からも、東京への集団就職
の少年たちが引率の教師に導かれ乗車してきた。矢板尋常高等小学校の生徒と、野崎尋常
高等小学校はよく箒川にかかる野崎橋の下の河原で石の投げ合いのケンカをした。ノブは
いつも石の補給係だった。

「おめぇも東京へ行くんが、おらもだんべ」

 矢板尋常小学校の番長だった斉藤平八郎がノブを車両で見つけ、近寄って言った。
 ノブはニコニコしながら、
「ああ、そうげ、おらたちは大森の工場だけんど、おめぇは?」そう質問した。

「おらがぁ、おらは品川の工場だんべよ、東京で会うこともあるがもしんねけなぁ、そう
したら、おめぇ、おらの子分にしてやっぺ、あははは」斉藤平八郎は笑った。

 「斉藤、席を離れるんでない」向こうから、矢板尋常高等小学校の引率教師が怒鳴って
注意した。

「またな、これ、おらが就職する工場の住所だがらよ、休みの日に訪ねて来たらよがんべ、
遊ぶべよ」と言って平八朗はノブに紙の切れ端を渡し席に戻っていった。

 ノブは故郷を離れることに不安もあったが、帝都東京で働き暮らすことに新鮮な嬉しさ
があった。なによりもいつも家長として威張りくさっている寛から自由になれることが嬉
しかった。寛はいつもノブを「このバカ野郎!」とののしっていたのである。

 鬼怒川鉄橋を越え、宇都宮駅を列車が出た頃、引率の教師がノブたちに説教した。
 
「おまえたちの注意しておくことがある。向こうに付いたら、上の人の教えをよく聞いて、
早く工場の仕事に慣れなさい。寮ではきちんと生活しなさい。だらしがないのは嫌われる。
早寝早起きを守りなさい。野崎尋常高等小学校の後輩が、これからお前たちが働く工場で
も就職できるようにしっかりやってくれよ。それから東京には陰謀を企む共産党という国
賊の赤が、どこにいるかわからないので、変な話にはだまされないこと、いいな」

「ハイ!」とノブたちはかしこまって応えた。

 列車はやがて利根川を越え、関東平野を南下し、帝都へと滑り込んでいった。

 




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (8) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
   3

 昭和五十七(一九八二)年の八月だった。ノブの息子、泥荒は朝からひとりで、下地塗
りのシーラーを塗っていた。仕事はモルタル壁の塗装だった。現場は横浜市戸塚の高台に
ある住宅地だった。住所は横浜市戸塚区戸塚二六七五番地の渡辺寛之邸だった。施工仕様
は、吹き付けではなくローラー工法よる合成樹脂エマルジョン系のアクリル樹脂弾性タイ
ル塗装だった。親方は次の現場の下見に行っていた。

 十時になった。施主の若い奥さんが、お茶にしたらと声をかけてくれた。家の主人はNEC
の製造工場に勤めている人とのことだった。泥荒は足場から下に降りていった。玄関口に
奥さんが立っていた。

 奥さんが、今日はひとりなの? と声をかけてきたので、親方は午後にはきます、泥荒
は答えた。増録村出身の泥荒は二十八歳になっていた。横浜市戸塚の前田塗装店でペンキ
工として働いていた。

 若いのにがんばるわね、あなた、いい仕事をすれば、あたしお友達に紹介してあげるわ、
お茶、玄関のところに用意して置いたから、どうぞ、そう若い奥さんは紅い唇で言った。
甘い声だった。ありがとうございます、そう泥荒は奥さんの後から玄関に向かった。夏の
午前中の陽光が奥さんのうしろ姿に反射する。泥荒にはまぶしかった。泥荒は玄関に座っ
た。外は暑いからここの方がいいでしょう、そう言いながら色気が爆発しそうな奥さんは、
泥荒に氷が入った麦茶を泥荒に差し出した。そのグラスを受け取るとき、泥荒は奥さんの
乳房に目を奪われてしまった。泥荒の情感に、奥さんの乳房が侵入してきた。奥さんの乳
首は、つんと今にもTシャッツを破るかのように突き出ていた。奥さんの首の肌にはちい
さな汗の玉があり、玉は窓からの陽光に反射している。きれいな肌だ、泥荒はごくりと唾
液を飲み込んだ。その恥ずかしさを一挙に麦茶ととも飲み込んだ。

 ねえ、手相をみてあげる、奥さんは泥荒の右手をつかんだ。その感触は柔らかさに舌に
なめられているようだった。泥荒の指と手のひらをつつんだ奥さんの手は自分の乳房まで
持っていった。泥荒の手を乳房に押しあてる。ノーブラであることが感触でわかった。泥
荒の心臓に熱いものが手のひらから伝わってきた。奥さんの首には細い紫色の血管が見え
た。おんなの乳房は紅い血液が白い乳液になる不思議な器官、柔らかい感触は気持ちがよ
かった。泥荒の脳天はぐらんぐらんしてきた。

 つぎに奥さんは泥荒の手をおんなの花園へと導いた。スカートの上から泥荒の手を花園
へと押し当てる。奥さんは、おまんこをやる気だなと泥荒は確信する。恥骨を感じるまで
強く奥さんは泥荒の手を花園に押し当てた。泥荒の指は恥肉の草むらを感じる。柔らかい
肉の洞穴は、どこまでも吸い込む宇宙だった。ここもノーパンだった。泥荒は奥さんの爛
熟した火照りに反応した。奥さんを下から抱きしめ、その紅い唇に自分の唇を押し当てた。
奥さんの唇が開いた。そこに泥荒は紅いあかい舌をべろんべろんとかき回すようにいれる。
奥さんの顔はうしろにだらんとのぞける。おんなのからだはもうどうにでもしてと放心し
ていた。泥荒は奥さんの唇から今度は耳に紅い舌を入れた。そして熱い吐息を吹きかけて
みる。ああんと奥さんが子宮からしぼりだした声をだす。

 あなたに塗ってもらいたいところがあるの、どうぞあがってちょうだい、奥さんはく
らくらしながら子宮から言葉を出した。泥荒は作業足袋を脱いで玄関から床に上がった。
奥さんを真正面から抱きしめ勃起した下半身を奥さんの熱い下半身に押し付ける。ぐぐっ
と女の中心に熱い男の中心棒で圧迫していった。泥荒の両腕は奥さんの腰へ、両手は奥さ
んの柔らかい御尻に食い込んでいた。熱いものが放出され内部では女と男の中心軸が交流
電気の火花を散らしていた。奥さんは泥荒の手を強く握りしめ風呂場へと案内した。ここ
の壁を塗ってもらいたいの、いいでしょう、そう言いながら奥さんは泥荒のベルトをはず
し、ズボンを下に降ろした。奥さんは膝をついてパンツの上から泥荒のきんたまを右手で
まさぐる。左腕は泥荒の腰に回している。こんなに大きくなって、たくましい、ねえ、お
休みはいつなのと奥さんは甘い声で聞いてきた。日曜日ですと泥荒は答えた。日曜日、塗
りに来て、主人はゴルフでいないから、ねぇ、お願い、そう言いながら奥さんは泥荒のパ
ンツを降ろす。わ・か・り・ま・し・た、泥荒は一音づつ区切りながら言った。奥さんは
塗れた白いタオルで泥荒のきんたまを拭いた。そして今度は食べるように泥荒の勃起した
肉棒を右手の親指と人差し指でつまむ。そして奥さんは肉棒を口のなかに入れてしゃぶり
だした。しゃばしゃば、くっぱくっぱという激しく連続の音がする。奥さんの左手は泥荒
の尻にまわし、その中指が黄門に侵入してくる。泥荒は、ううと声をあげる。その声を聞
いて奥さんが泥荒の顔を下から見上げる。隣に聞こえるから、大きな声は出さないでね、
そう泥荒に命令する。奥さんの瞳が泥荒には水晶のおまんこに見えた。泥荒は上半身を沈
め奥さんの左の瞳を唇でふさいだ。うううと奥さんが乳房と子宮からしぼりだした声をあ
げる。泥荒は奥さんを湯船に座らせ、Tシャッツをまくりあげ奥さんの左の乳房に吸い付
いた。舌で乳首をころがし唇で強く圧迫する。右の乳房に泥荒の指が食い込む。そして柔
らかくもむ。指と手のひらと唇と舌による強弱の圧迫により奥さんの乳首は勃起してきた。

 泥荒は奥さんのTシャッツを脱がした、奥さんの両腕がだらんと上にあがる、Tシャッ
ツは顔を通り抜け髪を引きづりながら奥さんの上半身から抜け、泥荒はそれをバスルーム
のドアに放り投げた。きれいな、いいおっぱいだと泥荒はみとれた。スカートはいじらな
いで、自分でやるから、あなたも全部脱いで、奥さんが甘く命令する。ああと泥荒は了解
した。奥さんがスカートを脱ぐ、やはりノーパンだった。泥荒もTシャッツと足にからん
でいた作業ズボンとパンツを脱いだ。軍捉も脱いで裸足になった。泥荒は奥さんの花園へ
飛びついた。

 なんともいえない花の雌しべのような匂いがした。おまんこの毛は逆ピラミッドだった。
よく手入れされている芝生だった。泥荒はぺろぺろと花園の草をなめまわした。花園の茶
色い土手を舌が走る。奥さんは湯船に座り股を大きく広げている。ふとももには紫色の血
管の道がある、それがいっそう白い肌を浮き出させている。すでにクリストルはめくれあ
がり勃起していた。泥荒はそこを攻撃的に舌で刺激を試みた。あふうと奥さんのあえぎ声
はからだの奥底からの木霊だった。

 花園には濡れた割れ目の洞穴がある。泥荒は割れ目を舌で上下にくりかえし舐めてみる。
舐めてなめて舐め尽くすと、アマテラスの岩戸のように割れ目は開いてくる。泥荒はすぐ
さま舌を入れた。続いて鼻を花園の開いた割れ目に入れかき回してみる。花園は男の最高
の遊び場だった。泥荒の両手の指は奥さんのまろやかなまるい御尻の肉につきささって食
い込んでいく。続いて指は桃割れの路にそって上から下へと上下になぞる。指は肉の彫刻
をなでまわしている。顔を上げると奥さんは自分の両手で左右の乳房を揉んでいた。さら
なる快楽を求め自分で刺激を楽しんでいる。泥荒は右手の中指を奥さんの黄門に入れてみ
た。ううと奥さんは鳥のような声を出した。次にはうふううと低音の息を出した。密室のバス
ルームは不倫に蒼ざめた男と女、桃色吐息、興奮したふたりだけのパーティになった。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (9) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 ねえ、して、と奥さんは泥荒に結合を哀願した。泥荒は湯船に腕をつっこみ水を抜く。
ざざあと勢いよく風呂水が落とされる。その音に誘導され泥荒のきんたまは奥さんのおま
んこのなかに入っていく。手で穴に誘導しなくても自然に肉棒が花園へ入っていくのに泥
荒は驚いた。奥さんの花園は器官が食植物のように獲物をなかに入れたのである。歓迎の
器官運動に泥荒はすごいおまんこだと感激した。風呂水が湯船から落ちる音、ざざあ、ざ
ざあ、男と女の中心が摩擦し圧迫し離れてはまた奥へ入る、花園が奥へ向かえては肉棒が
引かれまた奥へ迎えられる音、ばっこん、ばっこん、ぶっちゅん、ぶっちゅん、ぐっちゅ
ん、ぐっちゅん、奥さんの両腕は泥荒の背中にしがみつき、男と女の腰が求心力と遠心力
の快楽運動の時間、そして音は振動していた。すでに湯船からは水が落ちていたが、奥さ
んと泥荒は激しくもみあっている。そして泥荒は一度きんたまをおまんこから抜いた。

 泥荒は女体を湯船のなかに入れた。どうするのと奥さんが息の声で泥荒に聞いた。泥荒
も湯船のなかに入る。うしろからと泥荒は息で答えた。

 空のバスのなかんでなんか主人ともしたことがないわ、うふふと奥さんは息で笑う。奥
さんは腕を広げ湯船の壁に手をつき御尻をつきだす。泥荒は奥さん背中から右腕を乳房に
まわし揉みはじめる。左手はきんたまをつかみ奥さんの桃割れの道を往来させる。きんた
まによる中心軸への愛撫は刺激があった。いい感じよ、あなた、と奥さん。はやく、ちょ
うだいと奥さんがせがむ。きんたまは自然におまんこのなかへ迎えいれられる。

 燃えろ、いいおんな、泥荒は奥さんの耳へ熱い息声をふきかける。大きな声を出すこと
ができない世間様への禁止事項がかえって奥さんを激しくさせる。あうん、あうん、息の
声は壁を溶かすかのようだった。泥荒のからだはロックを演奏していた。ばっこん、ばっ
こん。奥さんはとうとう立っていることはできず、ずりずりと落ちていく。

 麻薬が脳に分泌してきた。泥荒は湯船の底に落ちていった奥さんを今度は風呂場のドア
の方向に向けさせた。奥さんは湯船をつかみ犬の姿になる。突き出した奥さんの桃割れの
御尻を泥荒は両手で支え、またバックからきんたまをおまんこに入れた。ばっこん、ばっ
こん、ぐっちゃん、ぐっちゃん、ぶっしゅん、ぶっしゅん、ぺっちゃん、ぺっちゃん、汗
だらけの裸体の摩擦と結合の肉音のみが風呂場に反響するのは麻薬の分泌を増幅させ加速
させた。泥荒も奥さんもからだの深部がくらくらになった。外は夏だった。ぎらついた陽
光がバスルームに窓からさしこんでいる。太陽は昼間の頂点に到来しよとしていた。

 あうん、あうん、もっと、もっとついてえ、こわしてえと奥さんは御尻をゆさぶり突き
出す。奥さんは泥荒のピストン運動と連動して腰を激しく動かしている。泥荒は腰を回転
させながら円運動とピストン運動で突きまくる。奥さんは、崩れながら、なかに出さない
でと息声で哀願する。うううきたあ、と泥荒はきんたまをおまんこから抜いた。奥さんは
身震いしながら湯船の底に落ちていった。泥荒は奥さんの乱れた黒髪、脳天に真上から精
液を発射した。乳のような白い精液の玉は黒髪に吸い込まれ、頭皮に浸透していった。奥
さんは麻薬中毒患者のように身震いしていた。そして虚脱の奥底へ沈んでいる。はあはあ
とふたりのからだは呼吸を整えようとしていた。からだはパーティから日常に戻ろうとし
ていた。奥さんと泥荒の汗のしずくはぽたぽたと湯船の底に落ちて、風呂場には祭りの終
焉の音が反響していた。外からは道路で遊ぶ夏休みのこどもたちの声が聞こえてくる。

 奥さんは舐めてと哀願した。泥荒は奥さんを起こし、湯船に座らせた。奥さんはまた両
足を開いていった。自分のきんたま入れかき混ぜたおまんこを泥荒は舌で舐めた。それは
祭りの後、女の花園を男がテッシュで拭いてやる行為にも似て、祭典の閉会宣言でもあっ
た。奥さんはうっとりとからだを開いていた。泥荒はただで塗ってやるよと言った。あり
がとう、これでバスルームもきれいになるわ、奥さんが甘ずんだ息の声で言った。外から
また、こどもたちの声が聞こえてきた。くらくらした頭で泥荒は、親方がそろそろ現場に
戻ってくる時間だと危惧した。

 脱ぎ捨てたパンツをはき作業ズボンに足を通す、Tシャッツに腕を通す、そして泥荒は
急いで外に出た。再び足場に上った。奥さんは黒髪を指ですいている。指にべっとりとか
らんだ男の乳色の精液を小瓶の口にからませ、底に落としていた。彼女は声を出さず笑い
収集家のように満足していた。泥荒の精液は「新昆類」のエサとなる。その家の二階の小
部屋には、大きなガラスの槽があり、そこには茶色のゴキブリが蠢いていた。彼女は主人
の命令で、若い男の精液を収集していたのである。そこは人間の精液をエサとしてゴキブ
リに食べさせ、新世代を誕生させていく「新昆類」の実験場でもあった。家の主人の名前
は渡辺寛之、彼の職業はコンピュータ開発技術者だった。そして彼は秘密結社に属し、密
かに生物情報体を研究していた。渡辺寛之は、大和朝廷に滅ぼされ、その復讐として平城
京で藤原不比等を暗殺し、下野北部箒川の豊田で坂上田村麻呂将軍を暗殺した鬼怒一族の
末裔だった。ゴキブリが蠢くガラス槽は「新昆類」概念の展開だった。足場に戻った泥荒
は仕事に力が入らず、ペンキとローラーが入った容器を屋根に置き、住宅地を見下ろして
いた。真夏の太陽に肌を焼かれ、ひたすら風を求めていた。

 ──親方にバレたら、おれは首だろう……
 
 渡辺寛之の妻、真知子は裸体のまま、二階にあがり、白い小皿に、先ほど収集した泥荒
の精液を小瓶から移すと、ゴキブリの棲家であるガラス槽の底に置いた。

「さあ、おまえたちのご飯だよ、人間のエキスをしっかりとお食べ」

 真知子は小声で「新昆類」にささやいた。
 
 それから一階に降り、バスルームでシャワーを浴びた。男のエキスと女のエキスが摩擦
で混合され独自の匂いを発するセックス祭りの後の臭覚を洗い流した。バスタオルで水滴
を肌からふき取ると、真知子は寝室の桐タンスの引き出しを開け、洗濯されたパンティと
ブラを身に付けた。彼女は白いTシャッツを着て、薄布の夏用ロングスカートをはいた。
真知子は自家用車のキーをハンドバックに入れ、玄関から外に出た。

「出かけますので、あと、よろしくお願いしますね、冷たい麦茶を魔法瓶に入れ濡縁に置
 いときましたから」
 
 サングラスをかけた真知子は何事もなかったように足場に上がっている泥荒に声をかけ
た。泥荒は真知子を恥ずかしそうに見下ろし、ただうなづいた。真知子の胸とくびれた腰
まわりが悩ましく真夏の太陽に反射している。真知子は車庫にあったホンダシビックに乗
り高台の住宅地を降りていった。車が視界から消えるまで見ていた泥荒は、親方に仕事が
遅いと注意されるを怖れ、塗装前の下地つくりのシーラーを壁塗りしていった。

 真知子のホンダシビックは新横浜国道を藤沢方面に向かっている。真知子は遊行寺の坂
を降り、藤沢橋交差点を直進して茅ヶ崎方面に車を走らせた。道路は正月二日にいつも行
われる大学駅伝のコースだった。開けた窓から乾いた潮風が踊りこんでくる。海は近かっ
た。真知子は湘南海岸通りに出て、江ノ島方向へと左折した。やがてレストランの「すか
いらーく」の看板が見えてきた。真知子は「すかいらーく」の駐車場入り口に車を進めた。
車を駐車場に止め、外に出ると、海岸道路の歩道には、海水浴の水着姿で若い男女の群れ
が歩いている。鵠沼海岸は太陽の季節だった。真知子は「すかいらーく」の店内に入って
いた。そして待ち合わせている知人を探した。奥に目当ての老人と若い女がいた。老人の
名前は有留源一郎、若い女は彼の弟の娘で十九歳の有留めぐみだった。有留源一郎に育て
られた有留めぐみは、源一郎を、おじいちゃんとよんでいた。

 真知子はふたりの前に座り、やってきた店員にアイスティを注文した。店は昼の食事時で
にぎわっていた。有留源一郎はあごヒゲを右手で撫ぜながら、左手でパイプ煙草を持ち、
ゆったりと煙を口から吐き出していた。有留めぐみは海をみていた。真知子は源一郎の娘
だった。有留一族の故郷は広島県広島市安佐北区白木町大字有留、鎌倉寺山の麓にある村
だった。真知子は、有留一族と鬼怒一族との古来からの同盟永続、世代間継承の証として、
鬼怒一族の渡辺寛之と結婚した。有留一族と鬼怒一族は秘密結社として、もうひとつの現
代史に棲息していた。






【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (10) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 親方は昼前に帰ってきた。足場に上がってきた親方は、泥荒の仕事の進み具合に何も言
わなかったが、顔を不機嫌にしかめた。それを察して泥荒は、すいません、親方、今日は
体の調子が少し悪いもんでと謝った。

「おめぇ、おまんこの匂いがするぞ、昨日の夜、やったな」

 親方はしょうがねぇな若いのはという表情で苦笑い顔で言った。泥荒はどきっとして一
瞬凍った。

 昼時になって、濡縁で弁当を食っていると、神奈川リフォームの営業マンである、関塚
茂がアイスコヒー缶をふたつもってやってきた。塗り替え外装工事をしている渡辺寛之邸
は、訪問営業による関塚茂が契約したのだった。営業マンは工事管理もしていた。毎日現
場に顔を出し、施主にあいさつをする、施主とのコミュニケーションをうまくやらないと、
必ずクレームやトラブルが発生し、工事終了後に待っている工事代回収がうまくいかなか
った。

「親方、お世話になっています。次の現場、見てもらいましたか?」

「さっき、見てきたよ」親方が関塚に応じた。

「木部が多い現場ですが、よろしくお願いします。奥さん、いらしゃいますか?」

 関塚が小指をたて、親方に聞いた。
 
「さっき、車で出かけたよ、なぁ」親方は泥荒にふった。

「はい」

 泥荒は下を向いて弁当を食いながら答えた。親方である前田塗装店にペンキ工として職
を紹介してくれたのは、同じ矢板の出身である関塚茂だった。昼前の出来事が知れると、
大変な問題に発展してしまうと泥荒はびくびくしていた。

「おめぇ、今日、調子が悪そうだな、顔が青いぞ……」

 関塚が泥荒に声をかけた。
 
「昨日、女とやったんだってよ、あんまり寝てねぇんじゃ、ねえか、あっははは」

 親方が笑いながら言った。
 
「チッ、おめぇ、女もいいけどよ、仕事にさしつかえるまでやるなよ」

 関塚も笑いながら泥荒に注意した。泥荒は苦笑いをしながら頭をペコペコした。
 
「それじゃ親方、よろしくお願いします」

 関塚は親方に頭を下げると、カバンを持って訪問営業へと歩いていった。
 
 
 翌日の朝、大雨が降っていた。有留めぐみが住むアパートは小田急線片瀬江ノ島駅から
鵠沼海岸駅方向に歩いていく裏道沿いにあった。それは江ノ島が見える大きな海岸通りの、
ひとつ裏の道だった。車は一車両しか通れなかった。海岸通りにある「すかいらーく」の
裏、住所は藤沢市片瀬海岸三丁目十三番地になる。有留めぐみはアパートのドアを開けた。
隣の部屋に住む関塚茂も丁度、雨の様子を見ようとドアを開けたとこだった。一階の一○
一号室にめぐみ、一○二号室に茂が住んでいた。アパートは二階建て四世帯のセキスイプ
レハブ住宅だった。ふたりは顔を見合わせた。おはようございますと茂が言った。その
声を聞いてからめぐみは、おはようございますと挨拶をした。めぐみはビニールゴミ袋、
ふたつを手に持ち、雨傘を開いた。

「田舎から、おじいちゃんが来ているので、ふたり分のゴミが出ちゃいました、エヘヘ」

 可愛い笑顔でめぐみは茂に言った。そして近所のゴミ集積所まで歩いていった。

 雨傘をさした群青のジーンズ、めぐみのうしろ姿を見ながら茂は、いいけつしているな
と欲情した。ああいう女学生と一発やれたら、最高だんべよ、バックでガンガン突きまく
るイメージに茂は朝から勃起した。あぁ、仕事なんぞせず、こういう雨の日は朝からおま
んこをやりたいもんだと茂は思った。泥荒もいいもんだな、寝ないで女とやれるなんてよ
と昨日の現場での会話を思い出した。

 そうだ、おれもゴミを出さねば・・・だいぶたまってしまったからな、今日は燃えるゴ
ミの日か、茂は部屋に戻った。どうせ今日は一日中雨だから仕事にもならない、そう茂は
ずる休みをする決意をするのだが気持ちの奥底では迷った。雨の日に休むと根性無しと認
定されてしまうのが怖かった。雨の日はお客さんが玄関の外に出てこない。それで営業マ
ンは車の中や公共施設のなかで昼寝をしているのがおちであった。みんな朝に顔を出し、
大声で気合の合唱をしてら訪問営業に飛び出すのだが、雨の日は夕方まで時間をつぶすし
かなかった。

 ゴミ袋を持って外に出ると、ちょうどめぐみが帰ってきたところだった。だいぶ、降っ
てきましたね、そう茂はめぐみに声をかけてみた。えぇ、雨の日は憂鬱だわ、そうめぐみ
は茂に笑顔で答えてみた。

「もしよかったら今度飲みに行きませんか? 鵠沼海岸駅通りに『ラ・メール』という面
 白い店があるんですよ」
 
 茂はそれとなく、めぐみを誘ってみた。
 
「あ! その店ならわたし一度、行ったことがあります。素敵な店ですね」

「飲みに来る店のお客さんが面白い人ばっかりなんですよ。今晩どうですか?」

 茂は会話のかけひきに押してみた。
 
「そうですね、行きますか」

 めぐみが承諾した。
 
「じゃあ、夜八時、鵠沼海岸駅での待ち合わせでどうですか?」
 茂は約束を取り付けようとした。
 
「わかりました。行きます。じゃあ、そこで」

 あっさりとめぐみが約束に乗ったので、茂は歓喜したが表情には出さなかった。めぐみ
は茂に頭をちょこんと下げ、自分の部屋の玄関に入り、そしてドアを閉めた。

 めぐみの表情とからだには十九歳とは思えない色気と人をひきつけてやまないオーラー
があった。いいおんなだ、今日はいい日だと茂は雨のなかを濡れ踊るようにゴミ出しに歩
いていった。憂鬱なずる休みの誘惑などすでに消えていた。茂の体には今日も仕事でがん
ばるぞ、契約をとってみせるぞという気合が生まれていた。夜が楽しみだった。

「おじいちゃん、誘惑に成功したじゃけんね」

 めぐみは部屋の中央に座っている有留源一郎に報告した。源一郎は満足そうにうなづい
た。有留一族の目的は「新昆類」のエサとなる男の精液エキスの収集だった。八十年代か
らの世代交配の反復により、二十一世紀には、新たなる新世代のゴキブリが誕生するはず
だった。「新昆類」昆虫情報体である。その開発とは広島がアメリカに原爆を落とされた
怨霊のなせる業でもあった。もうひとつの日本に有留一族は息を潜めて、ひたすら「新昆
類」昆虫情報体の新世代開発に勤しむ長期戦略があった。それはもうひとつの日本で潜水
している進行でもあった。出来事は二十一世紀ゼロ年代の中頃、日本列島各地にある在日
アメリカ軍に向けて、「新昆類」昆虫情報体が放されるはずである。原爆投下への復讐だ
った。秘密結社の棟梁、源一郎はめぐみの部屋で、タンスの上のガラス槽を見ながらゆっ
くりとパイプ煙草をふかしていた。そして彼はお茶をすすった。ガラス槽には、夜、活動
する茶色い昆虫が眠っている。彼にとってそれは沈黙の生物兵器だった。昭和五十七年、
夏の雨、広島原爆記念日はとうに過ぎ、晩夏の匂いがする朝だった。めぐみもアルバイト
に出かけひとり有留源一郎は、海岸通りにある「すかいらーく」裏のアパートで、二十一
世紀を夢想していた。






【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (11) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
    4  

     ウィルス・イデオロギー               渡辺寛之
     
 平成十二(二〇〇〇)年十二月二十四日~平成十三(二〇〇一)年二月六日にかけて書
く。ウイルス・イデオロギー概念とは、沈黙の兵器である。
 
 
 ----------------------
  ところで精神が、戦争に関する基本的思想のあいだを遍歴して身につけたものは、か
  かる精神のうちに開顕された光明にほかならない。そしてこのことこそ理論が精神に
  寄与するところの利益なのである。理論は、諸般の課題を解決する方式を精神に指示
  することはできない。理論は、精神の行くべき道を、その両側に立て並べた原則によ
  って必然性という狭い一筋だけに制限することはできない。要するに理論の効用は、
  精神を訓練して夥しい対象とこれらの対象相互の関係を徹見させ、そのうえで再び精
  神を行動の領域に送り出すにある。しかしこの場合の行動の領域は、以前よりも一段
  と高次なのである。
  このとき精神は、こうして自然的に得たところの力の大小に応じて、かかる精神的諸
  力を糾合し、真実なものや正しいものを、一個の明白な思想として感得するのである。
  するとこの思想は、あらゆる精神的諸力の与える総体的印象から生じたものであるに
  も拘わらず、思考の産物というよりはむしろ感情の所産であるとさえ思われるほどで
  ある。

  「戦争論 第8 戦争計画」 クラウゼヴィッツ  訳/篠田 英雄  岩波文庫
 ------------------------

 一九九一年に勃発した湾岸戦争は、やはり九十年代の中心軸であろう。その年の八月に
旧ソ連邦においてクーデター、一挙にソ連邦の解体。湾岸戦争の世界的勝利によって、自
信を回復したUSAは、経済戦争へと移行。無知な日本閣僚の言語が集約され、ジャパン
バッシングが展開されたのである。

 数字は臨界点に達すると一挙に転げ落ちる。だが牧歌的な日本語は崩壊をイメージによ
って隠し、幸福な市民生活と城内平和の仮想現実によって意識をみせかけのベールでおお
いつくす。

 通貨「円」は都市をめざましく変貌させサイボーク環境を非連続的に生成させる。労働
し生活する人間の肉体的知覚は全面的であるがゆえに、この数の多元的変貌にレイプされ
無防備で受け入れるのだが、一面的な思考はこの数の闘争 に追いつけない。

 かくして潜在的知覚である肉体的知覚(目の裏・耳の裏・足の裏・ 手の裏・皮膚の裏・
頭の裏)と意識思考との不均衡は拡大し、平衡と安定をめざす人間の動物運動を利用した
メディア機関による架空とカオスのとりこになり、イメージによって操作される奴隷が誕
生するのだが、無防備な国民ほど美しいとは三島由起夫の言葉である。

 日本語による単一言語帝国の内部には、圧倒的な詩人(俳句・短歌の巨大人口)と、圧
倒的な評論家(新聞・雑誌の発行部数・電波メディアを読み見ながら、他人事に評論する
巨大人口)が存在する。

 日本語の感受性は王朝詩人から「よみひとしらず」といった民衆詩人によって、数の形
式に規定する型に圧縮することによって、あたかも自然であるごとく生成してきた。だが
これは、個人による個人のための個人への記号でもあったのである。また、誰でも歌える
この自己感受性の叫びの記号表出は、階層を寓意とするカオスとして自然=生成してきた。
ゆえに主体は隠されあいまいとなる記号へとおさまる。主体の論理構造をかくす記号とし
ての日本語は一音一表記が自立し組み合わせることによって 組織し造形する数のDNA
言語である。またイメージのモンタージュ言語である。非主体として装いながら実は強力
なウィルスがそこには自然生成している。わたしがときあかすウィルス原論の迷宮がここ
にある。

 数の型に圧縮され自然生成してきたモンタージュ言語としての日本語は、数字言語によ
るデジタル回路が表記するコンピュータソフトが自己完結したといえよう。だがこれは他
者を存在認知し、前提として意識する空間の闘争そしてコミュニケーションの道具として
生成しないのであれば、デジタルが内包する自己完結はナルシズムの用具と化す。
 第一自然と人間の関係を変貌させることによって成立するデジタル言語は、脳の知覚と
ダイレクトに結合することにより、ある種の快適さを人間に感受させる。アニメティ空間
の機器はやさしく真綿であなたの首を……

 他者の確認あるいは自己の位置、これら空間の世界意識は闘争がなかったかのように、
「和」によって融合させられる戦略的部品としての日本語は、最終的解決としての数との
和解をめざす。これが情としてのDNAの発生。矛盾・疎外を消却した「和」の感情を国
民の琴線を鳴らす爪として自然生成させる歌の発生、語るべき物語は数の秩序意識によっ
て連結させられ、その浸透のスピードはウィルスの進化として伝染する。微妙な戦略的部
品を連結させ感情を伝導させながら吸入・排出する国民的言語とは印刷機である。

 不均衡衝動のシステムに自然生成する数のDNA言語であり、戦略的部品を連結・連動
させる印刷機としての日本語は、第一自然が崩壊死をとげた九十年代世界システムへの対
応能力を失い絶句する。歌の始原、歌の発生にかかわるエネルギーと語るべき物語を語る
エネルギーこそウィルスである。


 一三四七年九月から十五世紀初頭までに全ヨーロッパは、その人口の四分の一を黒死病
たるペスト・ウィルスの餌食とされた。ヨーロッパ言語はやせた土壌に規定される凶作・
飢餓と格闘し、ペスト・ウィルスと格闘。その動物的闘争はペスト・ウィルスに侵食され
ながら、暗黒の出口を外部・他者に向ける。その当時、世界の中心であった豊かなイスラ
ム世界を敵と設定し、十字軍遠征・レコンキスタ運動を開始する。ヨーロッパの誕生とは
何か。ローマ帝国とヨーロッパが継続していると思い込むのは誤りである。ローマ帝国の
植民地であったヨーロッパは蛮族とローマ帝国市民に蔑視されていた。蛮族こそローマ帝
国軍隊の雇い兵士であり、彼らは戦争の方法のみをローマ帝国から学習した。西ローマ帝
国を滅ぼすまで、ローマはヨーロッパ蛮族の敵であった。かれらは植民地独立をかかげ西
ローマ帝国に勝利したのである。敗北した西ローマ帝国市民は東ローマ帝国である現在の
トルコの首都へと逃亡する。ゆえに現在のイタリアとローマ帝国は遺伝子において継続し
ていない。世界は古代以来、市民か蛮族かに分岐する。市民主義とはギリシア文明以来、
帝国城内のステータスであり市民主義の核こそ帝国主義の秘密である。帝国に所属する人
々こそ市民と呼ばれる。文明とはこうして帝国と市民による興亡史を織りなす。

 ローマの地下洞窟で帝国の奴隷であったヨーロッパがなぜキリストを受け入れたのか。
キリストは倫理革命者として、ただひとりローマ帝国に抗拒した神徒であった。奴隷解放
と植民地解放をかかげヨーロッパは地下洞窟でキリストを受け入れる。ヨーロッパのエネ
ルギーの象徴である十字架にキリストの受難肉体を貼り付けるモンタージュによって、キ
リスト教は誕生した。

 西ローマ帝国に勝利し、市民を東へと追いやり植民地解放をなしとげたヨーロッパ。ロ
ーマは政治軍事統合の首都からキリスト教の帝都となった。ローマ帝国のソフトは投げ捨
てられた。ハードとしての遺跡のみが残る。ローマ帝国に勝利したイデオロギーたるキリ
スト教こそソフトであったが、宗教は文明を勃興できない。次なる外部の敵を発見するま
で長い停滞が続く。

 敵はついに浮上した。イスラムとそのソフトを生成させるユダヤである。イスラム文明
と帝国という他者を発見したとき、壮絶なイデオロギー戦争は、ローマ教皇から全ヨーロ
ーッパに発令された。ヨーロッパ言語のDNA、その自然生成とは何か。

 イスラム・そのソフトとしてのユダヤという他者に対し、壮絶なイデオロギー戦争を仕
掛け、貧困なヨーロッパは、その戦争を通し、これらの他者から実践的に学習した。ヨー
ロッパ言語のDNAとは、方法・思想・イデオロギーを他者から動物的本能と闘争心で学
ぶ。それこそ戦争を通して戦争を学ぶ他者を前提としたところの戦略的体系のDNA言語。
ゆえにそれは空間と他者を前提とした数学と哲学思考の音声言語でなくてはならない。神
と人間の闘争と契約に歌の始源・歌の発生・語るべき物語のエネルギーはあり、外部の空
間と他者が存在しなければヨーロッパDNAは自壊する。






【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (12) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 「スペインから始めよう・情熱のボレロ……」
 
 日本語は恐怖に蒼ざめ絶句する。虐殺の堕天使の耳に唸っていたのはあのボレロだった
とは!その反復旋律こそ古代道教の遺伝子をゆさぶる。そして九二年・平成四年と二九年
・昭和四年、この数学的類似性のシミュレーションこそ驚愕すべきである。他者を排除し、
己の血液の延長によって他者の空間を蹂躙してきた「単一民族」の共同幻想たる今日の日
本システムが過去の模倣子。他者を発見できね自己遺伝子こそは自己模倣子である。他者
を認知し自己遺伝子を他者に似せて改良するのだが、それは自己遺伝子の延長と増殖のた
めにあるがゆえに、あるうしろめたさがつきまとい、自己遺伝子の歴史は閉じられる。自
己生活史のみの市民主義こそ帝国。

 欲望・心理・ギャンブル・予測・推論・自己模倣子増殖を推進するのは、数字の前衛た
る資本主義リアリズム。模倣子はある極限を表出し、数字言語の場と空間を支配する。九
十年代の模倣子たる日本経済を支配しているのは、見えざる神の手ではない。ヨハネ黙示
録によって記録されてきた数の獣たる見えざる怪物の額によって支配されている。

 虐殺の堕天使イザベル女王のスペイン軍がグラナダを攻め落とし、ヨーロッパの地から
イスラム世界を追い出したのは一四九二年。同時に彼女の援助によりコロンブスはこの年、
新世界アメリカ大陸を発見する。その五百年後こそ一九九二年。

 ローマ帝国植民地の轍から脱出し、その後ローマ教皇のもとで王権の配合によって支配
ソフトを蓄積してきたヨーロッパ各国は、十字軍遠征の過程で再度、軍を再建しローマ法
をとりいれた制度の構築、ユダヤ人を呼び寄せ、財政国庫の構築、農業の革命(氷河時代
の石をとりのぞく土地整備)、あの四分の一人口は絶滅したペスト危機内と外との他者と
の戦争事態によって、世界の中心へと周辺から浮上する。その文化的象徴としてイタリア
・ルネサンスと再度イスラムを回路にして習得したギリシア哲学の学習として文芸復古は
あった。ダンテ「神曲」の力強さこそ、ペストへの勝利宣言。

 内延的発展こそが自己遺伝子、その本能としての遺伝子はよりペスト・ウィルスの試練
を受けて、大西洋にくりだす。中南米、南北アメリカ大陸、アフリカの文明を壊滅させ、
インド・中国・イスラム商人たちの貿易ルートを剥奪し、世界をつなぐ円環世界システム
を完結させる。今日、アフリカと南アメリカがいまなお経済的に低迷しているのは基層文
化が根底からヨーロッパによって破壊されたからだ。マザーボードなしのハードウェイは
ありえない。アジアはヨーロッパによる基層文化破壊を半分にくとめることができた。ゆ
えに経済は自立できるのであろう。

 近世からの世界システムを円環として完結させ地球を誕生させたヨーロッパDNAのす
ざましいパワーをシミュレーションしないかぎり、現代世界システムを支配するイギリス
・USA(アングロサクソンによる二重帝国)・金融ユダヤネットワークを理解すること
はできない。文明とは帝国と城内領域の市民に他ならず、ゆえに領域をめぐって文明は衝
突する。人間の顔をした自己遺伝子と模倣子こそ文明の衝突である。戦略的部品としての
日本語はあらかじめ文明意識が欠落し、強烈な危機意識もなく、おめでたく自己遺伝子と
模倣子が自壊している敗北の過程にある。不良債権としての国債にたよってリスクを未来
に先延ばししながら生活する「わが亡き後に洪水よ、来れ」の死を取り込んだ孤独な老人
となった。閉じられた文明の衰退。日本市民主義の終焉として死の教室がやってきた。

 死の踊り、死の教室はウィルスに感染した虐殺の堕天使たちによって、表土喪失上の第
三自然たるデジタル数字言語がシミュレーションする仮想現実によって表出する。一九九
二年三月五日朝、高知市で女子中学一年生が三歳年上の姉・私立高校一年生によって刺殺
された疑い。「妹が陽気で自分と余り性格が違い、ねたんでいた。包丁を準備していた」
と姉は自供する。メディア機関の報道に日本語は恐怖に震撼する。続いて三月五日夕刻、
市川市で十九歳の少年による一家4人殺害事件がおきる。またしてもマスメディアがたれ
流すテレビのブラウン管映像に日本語は打ちのめされる。おそらく姉は性格分析の心理学
の本でも読んだのであろう。心理学とは近代が誕生させた資本主義数字ゲーム・ギャンブ
ルにあった。

 忘れてならないのは、八十年代の十年間、日本住民の日本語はテレビ局がたれ流すサス
ペンス殺人事件のシミュレーション・ドラマを脳天に刷り込まれてきた。テレビとは印刷
機。殺人の方法と死体を毎日・毎間昼間・毎夜中、テレビのブラウン管・閉ざされた四角
のフレームから、見せられ聴かされ、日本語は死の教室で飼いならされてきた。耳から電
波が印刷機として脳天に刷り込み・書き込み・データー改竄洗脳しCMは東京株式市場一
部に上揚されている企業提供。

 リブングルームは死の教室・ネクロフェアの香り、無防備のまま周波数によって飼育さ
れてきた虐殺の堕天使たち。殺人が日常であり、幼少の頃からその心に殺意が蓄積され、
最終解決は刺殺、他はなしとする虐殺の堕天使は八十年代が産み落とした日本周波数の産
物であろう。かつて日本軍兵士は中国大陸を「殺し尽くし、奪い尽くし、焼く尽くす」三
光作戦を展開した。血債の復讐の女神は八十年代において虐殺の堕天使たちを日本市民社
会におくりこんだのである。

 彼・彼女たちが日本鬼子としてシミュレーションを現実の出来事に転化する最終解決で
ある死の舞踏を開始するやいなや、その衝撃によって資本主義リアリズムの不均衡数字心
理は株式市場に感染し、九二年三月十六日、日経平均は二万円を割り、ずるずると崩落し
ていく。性格を分析する近代心理学の破綻である。

 こうして心理学は九十年代事象を説明・分析できずに破綻を証明してきた。家族関係に
おける抑圧を古典的に説明するが、現代社会の病状を説明することはできない。日本株式
崩落と少年・少女殺人事件は連動しているウィルス周波数である。日本文明の壊滅と全的
滅亡が現出しているのだ。秩序なきモラルが展開される。

 テレビ電波のウィルス(周波数)によって基層文化が破壊された虐殺の堕天使たちの日
本語は、その不均衡衝動がきわめて簡単に殺人に自己完結する。その自己遺伝子の心のか
たちは、まろやかな円または球ではない。四角の牢獄、テレビ画像・フレームのように閉
ざされた四角としてのハイパーモダンである。つねにギスギスと角張って、画一化された
トレンドとして日本語から自己遺伝子を防衛すべく、己の感受性を疎外する「もの」を殺
すのである。

 日本の国旗は現在、日の丸としての紅い円であるが、それはうそである。白地に紅い四
角それが現在の日本精神を正確に表出する国旗であろう。四角のフレーム・四角の帝国に
われわれは閉ざされ、日本語のウィルスに犯されながら、死の舞踏を開始しろと、情熱の
音楽「ボレロ」によって耳から浸入する周波数によって強制されている。
 
 ひとつの文明が全面的展開として崩落する、それが近代の終焉としての現在であり今日
も嵐が丘から死者たちの呼び声が聞こえる。あれは復讐の女神。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (13) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 他者が発見できぬ文明は自壊する。アステカ王国・インカ帝国が滅んだのはイタリア・
ルネサンス以後である。なぜか? システムが自己完結した神話にあった。やがて海の向
こうからまれびとはくるスペイン人の白い人。世界史とは西ヨーロッパが戦争によって形
成した円環である。

「スペインから始めよう・情熱のボレロ」

「やっぱり私と同じ気持ちの人がいるんだとうれしくなった」

 虐殺の堕天使たちの表層皮膚にウィルスは確実に自己遺伝子戦争として陣地を拡張して
いる。十六世紀のヨーロッパによる新大陸十字軍遠征。

 アステカ王国、インカ帝国文明を壊滅し、北アメリカ大陸の先住民を壊滅状態に追いや
ったのは、ヨーロッパから持ち込まれたウィルスであった。ヨーロッパはアメリカ大陸か
ら種をもちこんだジャガイモ、さまざまな穀物の遺伝子によって食糧事情は革命的に発展
した。ヨーロッパ農業革命は南北アメリカ大陸の農業遺伝子に依存している。他者の自己
遺伝子を奪還し己の自己遺伝子に移植する、これがヨーロッパの動物的学習能力である。
なぜか? 対象を主体化できる・おそるべきイデオロギー戦闘力が内在しているからだ。
ルネサンスによってギリシア哲学を復興させたエルルギーこそ、ペストとの死闘が生成さ
せた。ホワイトハウスによる各国の国力ランキングにおいては、イデオロギーが軍事力と
同じレベルで評価されている。イデオロギー・思想なるものを蔑視し、思考する者を排除
してきた日本。

 黒死病たるペストウィルスとの死闘は、六・七・八世紀の三百年間続く。そして世界
の終末を予感する一〇〇〇年、古代、植民地解放をなしとげたヨーロッパは、暗黒の森の
なかでひっそりと生き延びてきた。暗黒と孤独と絶望のなかで、ヨーロッパは神と対話し
てきた。内面の対話こそイデオロギー力である。こうしてヨーロッパは暗黒の森のなかで
強靭な内面と思考を形成する。戦闘的個人の誕生。

 一〇〇一年、世界を継続させてくれた神への感謝として、ヨーロッパは教会を建設する。
広場の誕生とコミュニティが誕生する。そして深い森の中に街が。中世は明るい希望に満
ち溢れたかにみえたが、十四世紀、再度、ペストウィルスがヨーロッパを襲う。またして
も中世は暗黒となった。「世界は暗黒だった、はじめに光が誕生した。光こそ言葉だった」
ヨーロッパは古代から中世、九百年間をかけて、言葉を主体化したのである。言葉はペ
ストウィルスに打ち勝つ強靭な自己遺伝子となった。ペストウィルスとの死闘こそヨーロ
ッパを周辺から中心に浮上させ大航海時代を生成させるのである。モンゴル帝国への旅を
記録した書物こそバイブルとなった。記録する力としてのイデオロギ-、ある世界観をも
った言葉こそ、ヨーロッパが暗黒の九百年間を生き延びてきた自己遺伝子である。それ
は他者システムを評価する力でもある。ヨーロッパは大航海時代を他者を発見するイデオ
ロギー戦争としてかまえた。その前衛こそ宣教師である。ヨーロッパが黄金を求めて航海
したというのはうそである。ヨーロッパは食料の品種を求めて航海したのだ。

 事実、アフリカ・アメリカ・アジア大陸から持ち帰った新食料の種は、ヨーロッパを飢
餓から解放した。いまだ氷河期の残像を残すヨーロッパの土地は貧しかった。

 一九九一年湾岸戦争とソビエト連邦解体をもって、五十年代からの冷世界大戦、強烈度
各個撃破戦争にUSA・イギリスは中途半端のまま勝利した。新世界秩序とはアナクロニ
ズムと反動的要素の反復としてあり、USAに国際政治で追随する日本語は天皇制結婚フ
ィーバーの入管言語となる。「戦争が終わったなら天皇制である故郷の丘に帰ろう」これ
が日本語の琴線であり、美しい和音の調べである。幕末内戦後明治維新における明治天皇、
三千万人の中国人・朝鮮人・台湾人・香港人・マレーシア人・ベトナム人・カンボジ
ア人・フイリピン人・シンガポール人・インドネシア人をぶち殺した大日本帝国の敗戦に
おける昭和天皇、朝鮮戦争休戦後における平成天皇結婚式、ベトナム戦争終戦後における
昭和天皇、そして昭和史と敗戦後四五年間を気分としてふりかえる天皇代替わり、冷戦終
結・湾岸戦争の国際政治と日本国内の動揺をひとつの感情に統合する皇太子弟結婚・皇太
子結婚祝祭。

 この自己遺伝子は七世紀からの古代律令体制による血液主義に原点がある。
 
 自然生成する虐殺の堕天使たちの不均衡衝動と政治支配統合を推進するシステム成員たち
の日本語は、あますことなく現在の日本精神である極限的な四角の心を表出する。他者と
しての世界を理解するのでなく、己の感受性を四角の監房に閉じ込め、外部との回路を封
鎖する。日本の国是はいまなお天皇制自己遺伝子にあり、日本語の故郷はこの人間不在の
中心なき権威ある場所である。堕天使たちは人間不在のウィルスに犯される。そのウィル
スは日本語として無防備な耳から浸入する周波数だった。

 大日本帝国による大東亜共栄圏を自己実現させ、アジアによって敗北をとげた日本語は、
一九四五年八月十五日、再度、己を人種差別主義者として自然生成させるべく天皇制自己
遺伝子に組織された。その日、虐殺の堕天使たちは全員、ラジオの前に座らせられ昭和天
皇の声をはじめて聞かされたのである。メディア神学の誕生だった。

 敗戦という事実の前に虚脱化された日本語の存在と無は、耳から浸入した天皇自己遺伝
子によって再組織・再システム設計の書き込みを印刷された。周波数によって書き込みさ
れるのは、堕天使たちの脳天内部にあるハードディスク。ラジオこそがWINDOWS。
どのソフトが堕天使たちの脳天に印刷機をオフセットするのか。これがイデオロギーの本
性たる自己遺伝子の記録装置の容量をめぐる、見えない闘争であろう。そして堕天使のハ
ードディスクはスキャンディスクできない。すぐさま天皇自己遺伝子である日本語によっ
て書き込まれるそのプログラム言語とは周波数である。

 目は批判能力を持つが耳はあまりにも無防備である。耳の内部にあるバランス装置は起
動し、人は立ち歩行をする。耳はシステムディスクである。耳は空間で人が生き延びるた
めのセンサーであるから、マザー基盤にあるCPU。日本語のウィルスは耳を制度化し、
次に目を制度化する。堕天使たちのバランス感覚と中枢神経は日本語によってシステム設
計されてきた。

 一九四五年八月以降、すぐさま労働運動の先頭をきって闘ったのは、強制連行され収容
され労働を強いられていた中国人・朝鮮人・台湾人の人々だった。治安維持法を撤廃せよ
と刑務所におしかけ、日本政治犯を出迎えたのも、その人々だった。日本人は虚脱にあっ
た。朝鮮と台湾は日本の植民地であり、中国の満州と呼ばれた東北部は日本が生成させた
擬似国家である。中国人・朝鮮人・台湾人は大日本帝国の臣民とされた。しかし、恐怖し
た天皇自己遺伝子は、すぐさま植民地から連行してきた日本臣民を外国人登録法の天皇命
令による成立によって、植民地臣民を外国人と法律として制度化したのである。この大日
本帝国最後のそして敗戦後最初の法律施行は、敗戦後日本国是として、今日まで規定して
いる。ゆえにいまでも在日外国人は税金を納めているが市民権も選挙権もない。

 外国人登録法の成立と天皇戦争犯罪責任皆無は、敗戦後日本の人種差別政策を、システ
ム化し、敗戦後日本の主体として自然生成する。犯してはならない神聖な価値観は軍国主
義から経済主義へとみごとに転回された。すでに、耳の制度化によって天皇自己遺伝子に
よって再組織されていた日本語は、外国人登録法に反対する運動を表出できなかったばか
りか、みずからが戦争の被害者であったとする生活人へと転回する。日本市民主義の誕生
である。豊臣秀吉以来の侵略戦争として展開した大東亜共栄圏という世界イメージの奪還
に失敗した日本語は、憎悪したUSA・イギリス・鬼畜米英にひれふした。自己遺伝子を
笑ってかくしながら経済戦争へ一億総決起していった。模倣子が再起動する。倫理と論理
なき動物的本能たる自己遺伝子の方向がシステム設計される。

 自己遺伝子は己の都合の悪い事実を消却し、現在の自己解釈物語を模倣子によってコピ
ーする。模倣子とは学習能力であり、ハードディスクという世界を認知、自己遺伝子を送
り込むための前線である。ヨーロッパの自己遺伝子と模倣子は「植民地」である。ローマ
帝国からの植民地解放こそヨーロッパの自己遺伝子であり、大航海時代以後、ヨーロッパ
は植民地を形成する、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸、太平洋・オーストラリア・オセ
アニア、東南アジア、そしてヨーロッパからの入植者自身が母国に対し、植民地解放・自
主独立国家建設を、ヨーロッパの原点であるローマ帝国からの植民地解放を反復するので
ある。太平洋・太平洋に囲まれた新大陸にふたたびヨーロッパ諸国が誕生する。スペイン
・ポルトガルからローマ教皇の指導のもとで、南アメリカ大陸に植民者による独立国が誕
生する。スペインとの戦争に勝利したイギリスからUSAがカナダが、太平洋のオースト
ラリアが、ニュージランドが植民者によって自主独立国家が誕生する。イギリス教会の王
に指導されたアングロ・サクソン族の世界連邦である。ヨーロッパの自己遺伝子と模倣子
はまず植民地を形成し自主独立する、この再起動である。反復こそが動物的本能としての
自己遺伝子と模倣子、これが民族と文明の衝突だ。

 洗練された西ヨーロッパが倫理と論理において隠しているのは、おのれ自身が動物的本
能として内臓しているシステム設計としての遺伝子と模倣子。イギリス王族が教皇である
イングランドと、いまなおイギリス島を支配したアングロサクソン族に屈服していないロ
ーマ帝国時代からのアイルランドの死闘こそは、スペイン・フランスに類似する。世界は
古代部族なのだ。

 人類解放の理想が葬り去られた社会主義以後の資本主義を世界モデルとして絶望として
表出したのが、ユーゴスラビア解体と民族主義による戦争であろう。第二次世界大戦、ド
イツ軍を敗北させ、バルカン民族の恒久平和の理想として誕生したのが、チトーと共産主
義者同盟に指導されたユーゴスラビア連邦だった。ユーゴスラビア共産主義者同盟は、自
主解放したインド、中国とともに、第三世界の希望の星だった。

 一九七三年の春、わたしは三田にあるNECの工場に高卒としてつとめていた。その頃
の三田工場は外見は古びた工場だったが内部はやがて来るコンピュータ社会に向けた技術
開発の活気に満ちていた。朝はいつも駅から工場へいく路地にある店の立ち食いうどんだ
った。五月になると、仕事が終わる五時は、まだ明るかった。地下鉄の三田駅へ工場の門
から、細い路地を通っていくのだが、路地にはいつもいく喫茶店があった。ある日、遅刻
したのでNECの工場にはいかず、そのまま喫茶店に入った。日本共産党が発行している
「世界政治」は月二回の発行だが、よくそれを読んでいた。わたしは二十歳だった。

 その頃の「世界政治」必ず掲載されていたのが、ユーゴスラビア共産主義者同盟とチリ
共産党の政策文章であった。ソ連共産党と中国共産党の全体主義とは違う、自主独立の路
線と第三世界運動に希望があった。しかし七三年の晩夏だったかもしれない、チリ民主連
合政府はクーデターによって転覆されてしまうのである。わたしは落胆する。そしてまた、
冬季オリンピックの街、ユーゴスラビア連邦の理想を体現した都市は、内戦によりズタズ
タに切り裂かれてしまう。世界イメージと文明の全的滅亡は、理想を捨て、民族主義の自
己遺伝子と模倣子という動物的本能を全体主義として表出したとき、九十年代現実として
自然生成したのだ。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (14) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類
 八十年代、世界イメージを希望として推進したのが、ポーランド労働運動である「連帯」
だ。八九年十一月、ベルリンの壁が解体する、そして十二月末、民衆によってルーマニア
の独裁者は処刑された。ミラノ広場で処刑されたムッソリーのごとく。わたしはルーマニ
ア民衆蜂起のテレビニュース映像を、戸塚にある自宅で妻の真知子とみていた。九〇年か
九一年、岩波書店が発行する月間雑誌「世界」で読んだポーランド「連帯」活動者の言葉
は衝撃だった。「社会主義以後の資本主義とはなんだろう」

 人類解放、これが倫理革命として一世紀に浮上したキリストの理想だった。そして十九
世紀、論理革命として浮上したマルクスの人類解放と共産主義の命題。二十世紀、レーニ
ンによる社会主義革命の浮上。八九年革命以降、十年が経過し、バルカン半島の現実が
表出した九十年代、人間とははたして類的存在なのかこれらが、思想としてわたしに突き
つける。マルクスが解明したように、資本主義とは動物的本能の世界である。八九年革命
以後、人間の地球世界そこでの地勢はより動物的本能である自己遺伝子と模倣子が、理想
というシステムを削除して書き換え、システムを設計してきた。部族を止揚する共産主義
とは古代以来からの人間の理想でもあった。理想を喪失し思想の混迷としてわたしの90
年代はあった。

 資本主義・市場主義などは貨幣の運動として古代から存在していた。八九年世界革命に
よって、「市民」などという概念が占有した。市民とは市場に依拠するがゆえに、おのれ
の動物的本能をかくす。日本の動物的本能を解明するのは詩人の任務である。詩人とは個
人としての思想者。

 七九年の春、わたしはNEC工場での仕事が終わると田町駅から御茶ノ水駅まで電車で
行き、明治大学がある駿河台の坂を降り神田の古本屋によくたちよった。土曜日は半ドン
だったので、十分に古本屋さん回りができた。発見したのは敗戦後すぐ出版された「新生」
だった。七十年代を総括することは敗戦後からの、そして二十世紀を総括することだった。

 そこで発見したことは、大東亜共栄圏から帰還した兵士にとって、おそろしかったのは、
自然であったことである。中国大陸で日本兵士は中国共産党のゲリラ戦に悩まされていた。
南方戦線では先住民のゲリラと、USA・オーストラリアニュージランドの各個撃破戦略
によって殲滅させらてきたのである。戦争の自然こそ帰還した兵士の恐怖だったに違いな
い。そして大日本帝国軍隊は三千万人のアジア民衆を虐殺してきた堕天使であった。
関東軍であり陸軍である。

 世界通でありモダニストがそろっていた海軍はなにゆえに真珠湾攻撃を発動したのか?
山本五十六大将はUSAの工業生産力と国力を認知していたといわれている。その当時大
東亜戦争は中国、朝鮮、アジア各地の反日ゲリラ戦争によって泥沼に入っていた。海軍は
大日本帝国を救わんとしたのだ。フイリピンはアメリカの植民地だった。南太平洋戦線は
いずれUSAと制海権と制空権をめぐって衝突する。USA軍が出てくる前にUSA太平
洋艦隊をつぶそうとしたのだろう。敗戦後、日本語はアジア侵略戦争を太平洋戦争と置換
することに成功した。

 帰還した虐殺の堕天使たちは、おのれが行使した殺人と暴虐の快楽と後味の悪さを帰還
してから、おのれの個人的な沈黙闘争を起動した。永遠にかれらの内部に現場は閉じ込め
られたのである。なぜか。すでに日本は敗戦として戦争から経済に絶対主義価値観が変貌
し転回していた。もはや虐殺の堕天使たちが「おれは中国人の首を何人切って落とした」
とか「中国人の女を何人犯した」などの英雄武士凱旋は過去の物語となったのである。

 こうして敗戦後、物語としてその唇と言葉によって物語となったのは、戦争による被害
者としての市民主義である。歴史とは古代以来、動物的本能が起動する自己遺伝子と模倣
子を恥かしい「もの」としてかくしてきた。倫理と論理はかくされ自己解釈の講釈のみが
歴史として自然生成してきた。

 帰還した兵士たちと戦争をシステム設計した戦争企画者たちが、もっとも個人的に恐怖
したのが、アジア民衆の復讐である。こうして占領軍とマッカーサーは、日本の自己遺伝
子と模倣子によって、取り込まれた。USA占領軍隊がアジア復讐の女神から本土を防衛
してくれる。本土決戦の代替わりをした沖縄の悲劇は、敗戦直後の日本の言説に登場しな
い。知識人も帰還したが、かれらはフランス哲学に向かった。あるいは再度、ドイツ哲学
へ。もはや現場を分析できる思考は皆無であった。しかし抽象は言葉のゲームができる。
自分の貌たる虐殺の堕天使・日本鬼子と対話することなく……

 日本は原爆が落とされ、大空襲の被害にあった、戦争被害者の国として自然生成する。
やがてこれらは文学として登場するが、戦争時、少年か少女であった人が体験した物語と
して自然生成する。実際に戦争を担った年代は総沈黙である。沖縄は米軍治世下となり、
「原爆投下はしかたがなかった」これが天皇遺伝子とその権威によって、日本動物的本能
をかくし継続することに成功した大東亜戦争設計者のコンセプトであり、吉田茂の世界戦
略であろう。

 サンフランシスコ条約によって、日本は独立するが、日本USA安保条約を、積極的に
望んだのは、日本システム設計者の側であろう。USA駐留軍はアジアを犯した罪、その
呪いとしての復習の女神から自分たちを守ってくれる。中国共産党による中国革命と中国
国民党の台湾遷都は、日本システム設計者にとって都合がよかった。中国現代史の一時的
切断と分割は、自分たちのことがせいいっぱいで、中国共産党も中国国民党も日本に対し、
戦争賠償金を請求する余裕がない。そしてすぐさま幸運がまたやってくる。金日成・主体
思想に指導された朝鮮労働党による朝鮮革命と朝鮮戦争である。自由主義をかかげUSA
は共産主義軍と全面戦争に突入する朝鮮戦争の勃発、マッカーサー将軍の作戦。朝鮮戦争
は休戦となり朝鮮半島は三十九度で分割された。その戦争と境界線の緊張が日本経済を復
興させ、資本の原資蓄積を達成した。五十五年体制といわれた日本システムは設計された。
敗戦後から十年の出来事。日本遺伝子と模倣子はみごとに冷戦を取り込むことに成功した。
共産主義と自由主義の緊張した世界戦争その戦争は全面戦争でなく各個において体現され
る、これが冷たい強烈度戦争としての冷戦構造だった。この世界構造を逆手にとって利用
し、経済戦争において占有する、これが満州国を建設した革新官僚と革新経団連のシステ
ム設計であった。ここに日本権力構造の謎があった。日本民族主義の担い手は大日本帝国
から反転して、右翼から日本共産党・日本社会党の左翼となる。

 この現出が一九六〇年の日本・USA安保条約改定へ反対する安保闘争だった。「帝国
主義から抑圧された民族は自主独立しなければならない」レーニン民族論の命題によって、
国会を包囲しエネルギーシュに闘われたが、日本システムによってつぶされ、運動は挫折。
ここでも日本システムの模倣子は学習能力を起動した。つまり左翼民族主義闘争を利用す
ることである。安保条約に反対する国民的運動は、USAに対して「共産主義の脅威」と
説明できる。USAはこうして自民党を保護し日本システムを擁護してきた。USAの関
心事項を優先課題を政治緊張へともっていき、そのすきまをついて、世界市場に乗り出す。

 USAの労働者・民衆を侮蔑した元衆議院議長桜内の発言は、制度化された日本の労働
運動にとって全く問題にならないばかりか、己の問題としてとらえ返すことはできない。
他人事にニュースを楽しんでいるかのようである。無神経な桜内発言は、日本の人種差別
システムを全世界・特にUSAの労働者・民衆の前に表出し、彼らを深く傷つけたという
点が重要であり、その傷は消して消え去ることはない。しかし日本で「桜内はただちに辞
任しろ!」という声は、どこからも上がらない。規制野党からも労働組合からも街頭から
も聞こえない。それがいっそうUSAをイラだたせる。「日本には顔がない」というUS
A・ヨーロッパからの批判は、日本政府や経団連だけを指しての言葉ではない。それはす
でに日本システムにより戦略的部品として自然生成された、ひとりひとりへの批判。世界
に通用する人権意識が前提として欠落している。

 日本語の論理構造は「その最後を言ってしまったら論理の和が崩れてしまう」ことによ
り、なにものかをかくすことによって自然生成する。しかしながら日本語の詩的構造に生
きるのは、庶民である民衆詩人たちである。短歌と俳句人口は圧倒的であり、最後に残さ
れた日本語によっていやされ、圧縮され磨ぎ落とされた言葉の意思によって生きようとし
ている。しかし日本システムの言語はある事実をかくすことによって自然生成する。なぜ
か? 圧倒的人口として存在する詩人と思想者の帝国において、言葉は前線であるがゆえ
に二重言語となり、ダイレクトな現場は排除され記号へと向かう。動物的本能である自己
遺伝子と模倣子によって、バランス感覚という秩序を強力に組織するためには、風景と過
去はふだんに消却され、日本システムが既成事実として出現させた巨大要塞によって設定
されるからだろう。日本の二十世紀とはスターリン資本主義。事実と人間の思想は虐殺の
堕天使たちが沈黙したように、アンダーグランドに潜伏する。こうして個人による個人の
ための個人への表現と思想は、古代以来、もうひとつの日本を建設する。





【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】

小説  新昆類  (15) 【第1回日経小説大賞第1次予選落選】

2006年11月01日 | 小説 新昆類

 日本人とは血液主義制度によって証明され、日本語を話し読み書きして、日本語によっ
て思考し、日本語によって表出、唯我構造によって、異質を侮蔑し、なおかつ他者の方法
を己の拡張にとりこみ、「日本人はまったく」と発言するときは、すでに自己は歴史的存
在という主体を忘れ、現在に敏感に反応する原生動物と退行する。民衆を侮蔑するシステ
ム設定者は己と天皇自己遺伝子との結合が模倣子によってなされ幸福感の絶頂をあび、琴
線が故郷の草原と丘から饗宴する肉体的同一、これが日本システムにおける個人であろう。

 悪魔的な狡猾を秘めた元衆院議員議長桜内の顔こそ、現代日本の貌として世界の人々は
知覚している。日本システム設定者は己が血を流すことはけしてしない。大東亜共栄圏戦
争設定者は現場ではなく、摩天楼にいた。そこから大本営指令をだして、満州国建設、東
南アジア侵略命令を出していた。実際にシステム計画と設定したのは革新官僚たちであっ
た。満州国建設を構想し中枢神経として起動していたのは、A級戦犯でありながら、敗戦
後、総理大臣になった岸信介である。六十年安保条約を締結した人物。その弟が佐藤栄作、
池田隼人から政権をもぎとった人物。いずれも長州人。敗戦後、吉田茂からの保守主流派
を七〇年代田中角栄が戦闘集団として形成する。自民党とは一九五五年、満州国建設で暗
躍した大陸浪人児玉機関による資金によって誕生した。その児玉機関に資金を提供したの
が共産主義の拡張を阻止するUSAのCIAである。

 自民党とは日本において共産主義を阻止するためにUSAによって飼育され擁護されて
きた政権党。冷戦構造の産物。この権力党が今日まで四十五年間、権力を自民党としてシ
ステム設定してきた。ゆえにスターリン資本主義国家なのである。その中央集権の密度は
社会主義国家を超越している。そこでは官僚が分配し再分配する特権階級制度が定着して
いる。すでに問題解決能力はない。四十五年間である。腐食するのはあたりまえだ。US
Aに飼育・擁護されてきたゆえに、つねに民族主義のフラストレーションが蓄積される。
突然、ストレスが爆発し、「日本は天皇の国家である」などと発言し、アジアから弾劾さ
れるのはそのためである。システム設定において二重言語で書き込みするなら、シテム設
定は永遠にゼロに戻る。OSと記憶容量のメンテナスはできない。日本の国是が明治憲法
にあるのか昭和憲法にあるのか、いまでも現実において日本は設定できず、あいまいな二
重言語にある。ゆえに国家めぐる政治言語の領域は抽象となる。一九五五年以降四十五年
間国会とはつねに日本語自己解釈をめぐる二重言語ゲームとして自然生成してきた。

 朝鮮戦争の特需によって復活した日本経済シテム、五十五年体制とよばれる日本政治シ
ステムの成長神話によって、二十一世紀の〇一年代を生き延びようとしている、日本シス
テム設定者は血を流した経験がないから悲しみを知らない。USAが親として擁護してく
れたからである。ゆえに安保軍事体制とIMF経済体制によって、USAの世界戦略と深
く結合したにもかかわらず、人間的苦悩としてのUSAを理解することはできない。日本
システム設定者の感受性は、冷戦期、世界中でもっとも満たされてきた部族だからである。
大東亜戦争の泥沼を突破するため、USAに戦争宣言したとき、当時の戦争計画者はヒッ
トラーと同様、USAを侮蔑していた。一九五五年体制とは総力戦体制としてシステム設
定された一九四〇年体制の反復である。侵略戦争から経済戦争へ領域を転回したシステム
設定者は、USAに擁護されていたにもかかわらず「アメちゃん」などと根源として他者
を侮蔑してきた。その感受性に戦前・戦後のフレームは存在しない。

 資本主義の前衛とは証券・金融市場に表出する数字が集約する。そこではイノベーショ
ン・シミュレーション・予測する欲望・数字人間のあらゆる活動形態の全面的展開がリア
ルタイムで市場の祭壇にデジタル数字によって点滅する。市場の見えざる神の手とは、数
字人間の心理のコンセプトである。何よりも重要なのはこの心理なのである。その意味で
資本主義の前衛とは数字戦争である。数字は物質による形によって均衡を保つのだが、市
場の数字に形はない。抽象としての不均衡でしかない。それは常に流動する。この数字を
朝鮮戦争以来、システム設定者たちは、あるシナオリによって操作してきた。

 毛沢東戦略による中国革命、朝鮮革命とUSA軍の介入による朝鮮戦争、一九五三年三
月スターリンの死、東南アジア植民地解放による独立の嵐、第二次世界大戦後の植民地解
放と戦争に対応するUSAを中心とした共産主義封じ込め世界戦略。日本自己遺伝子と模
倣子は東アジアの激動を狡猾にとりこみ、大航海時代に誕生した世界システムとしての帝
国主義とスターリン主義の二元世界分割を利用し、経済絶対価値観による自己遺伝子と模
倣子の拡張によって今日まで生き延びてくることに成功した部族こそが日本システム設定
者である。

 その基礎こそ朝鮮戦争であった。朝鮮戦争こそは、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下による
核戦争以後の限定された地域、強烈度戦争としての第三次世界大戦である。USAが総動
員体制をとるときは世界戦争となる。帝国と世界は同義語である。第四次世界大戦とはイ
ンドシナ・ベトナム戦争であり、第五次世界大戦とは湾岸戦争である。これまでの世界大
戦規定は、ヨーロッパが戦場になったということによる、ヨーロッパ世界史とヨーロッパ
中心史観によるコンセプトである。

 核戦争をはじめて表出させた第二次世界大戦以後、それがプルトニウムであれ、ウラン
であれ、水爆であれ、核爆弾を使用すれば世界の終わりというピリオドに絶対規定され、
戦争は核弾頭ぬきの地域強烈度戦争として現出する。湾岸戦争で発射されたトマホークも
核弾頭巡航ミサイルとして八十年代当初、ヨーロッパ・アジアに配備される予定だったが、
世界的な八十年代の核配備反対闘争によって中止されたのである。核弾頭をはずしUSA
は大量生産したトマホークを湾岸戦争で消費することができた。資本主義による最大消費
こそ現代では地域強烈度戦争として生成する。

 八九年革命によって「東側」は崩壊した。世界核戦争による世界の終わりへの恐怖は消
えた、ゆえに世界的なUSA軍事体制への反対運動はヨーロッパからもアジアからも消え
たかのようである。社会主義以後の資本主義は最大消費としてユーゴスラビア内戦で出現
する。世界終末の恐怖と絶望は全世界から地域強烈度へと転回した。

 人類史・世界史・地球史の終末から規定されたことによる軍事戦略として現出する地域
強烈度戦争はUSAドルを中心とした世界システム設定者にとってもぎれもなく世界戦争
である。ローマ帝国の反復としてUSAはもうひとつの世界であり、USA軍に攻撃をあ
びせられる当事国の民衆は、世界の真っ只中・現場にいる。ローマ帝国以来、帝国の意味
に変わりがない。韓国朝鮮の民衆は、核弾頭という世界終末から逆規定された地域強烈度
戦争という世界大戦を体験し、この型はその後の戦争の基本システムとなった。

 戦争の限界をヒロシマ・ナガサキの人々は身をもって体験した。その想像力・シミュレ
ーションは、世界と地球と人間の終わりに限りなく近づき、われわれの破滅を予感する。
侵略戦争を推進した日本帝国の帝都であり、日本システムの中心地であった東京は、ヒロ
シマ・ナガサキ・オキナワの破滅を体験していない。B二九の空襲により十万人の住民
が殺されたが、皇居の森と中心地は焼けることはなかった。下町に爆弾は計画的に落とさ
れた。ヒットラーは自殺とげたが、昭和天皇は一九八九年まで生き延びた。そして帝都東
京はベルリンの荒廃と悲しみを体験していない。帝都東京が体験したのは空襲と敗戦後の
飢えである食欲としての「物欲」だ。

 民衆の血は流れたが、システム設定者の自己遺伝子と模倣子は血を流していない。その
経験はベルリンではなく、ドイツの空爆によって一定程度破壊されたロンドンの体験であ
り、ドイツ軍の占領を受けたパリの体験である。そのパリであれ解放後、ドイツ軍兵士と
関係をもった女性は、頭髪を刈られ街頭で糾弾され引き回されたのだ。ののしられる女性
も指弾する側も精神の血はどくどくと流れていた。そのような不条理な体験から、人間の
本性を冷酷にみすえたイデオロギーは生まれる。フランス哲学はドイツ軍占領の時代ファ
シズムへのレジスタンス・パルチザン都市ゲリラ戦争の体験によって、抵抗としての実存
主義を表出する。すでに人間の不条理・不均衡をみすえながら。ナチス・ファシズム体制
にからめとられていった詩人と思想者のドイツ哲学は、敗戦後、沈黙する。

「君たち日本人は、日本の戦争犯罪よりも、ドイツの戦争犯罪の知識欲に熱心だね」

 このようなわれわれに対するドイツ人の皮肉には根拠がある。イタリアはファシズムと
レジスタンスによる内戦を経験した。そして北部は連合軍にたよらず自主解放した。ミラ
ノ広場で独裁者は民衆によって処刑された。

 ファシズム同盟、イタリアとドイツは血を流し総括したが、日本はついに総括できなか
った、これが「失われた九十年代」の骨格である。




【第1回日本経済新聞小説大賞(2006年度)第1次予選落選】