司馬遼太郎は人間と文明と文化を思考する人である。
アメリカ文明とは世界現代文明である。
日中友好条約を成立させた周恩来を中国の人々は愛したが
日中友好条約を成立させた田中角栄を日本の人々は排除していった。
田中角栄は東京地検特捜部によって牢獄にぶちこまれてしまった。
小沢一郎も総理への道を日本の人々によって壊滅されてしまった。
なぜか?
いま、司馬遼太郎と永井路子を集中的に読んでいるのは
その排除における深部を文明と文化と人間を観察することによって解明したいからだ。
読書とは思考による素描でもある。
おれは政治活動家ではない。
町に埋もれた、一握の塵芥である貧困者に過ぎない。
敗戦後日本とは岸信介たち昭和革新官僚がつくりあげた満州国でもあった。
その加速度は三島由紀夫が自決した1970年11月以降激しくなり、日本深部は満州国へと突進していった。
日本の人々は笑うであろう。
思考の巨人、司馬遼太郎はそれを観察していた。
原発とはエネルギーによって食われた満州国象徴なのか?
瞬間的感性と思考はスケッチブックの鉛筆の線なのである。
安倍晋三戦争内閣は満州国総仕上げのために登場し、2013年に二度目の戦争内閣をつくることに成功したという。
日本の人々は小沢一郎勢力をゼロに陥れ、安倍晋三戦争政権が圧倒的力を持つことを選挙で選択したのである。
それが今年の熱帯であった7月25日の参議院選挙だった。
パソコンのOSやCPUがアメリカであるように、現代世界文明とはアメリカである。
アメリカを観察しなくては生きていけない、それが生存の条件でもある。
読書とは生活のなにかを犠牲にしなくては時間がつくれない。
読書人も小説家のように時間を創造する。
<日本語が滅びるとき>を書いた人は、読む人を主題とした。
いったい、日本語を話す、ある様式生活をもった日本の人々とは何か?
おれも日本の人々のひとりだった。
1970年11月、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自決したとき、おれが選択したのは<平凡>への生活思想だった。
平凡という週刊誌が発行されていたが、そのマスメディア内容ではない。
個人メディアとしての平凡思想である。
おれは三島由紀夫の自決という非凡その特異性を選択せず、平凡な人生を思想として選択したのだ。
平凡とは人の尊厳でもある。
三島由紀夫の政治自決を総括した滝口弘人論文から、貴族的死生観を凌駕する民衆の平凡な死生観を学んだのだった。
平凡とは民衆の死生観でもある。
人は平凡な母の子宮から全世界へと産み落とされる。その全世界とは人類の戦争と競争だった。戦乱と乱世だった。
おれはそのころ、肉筆回覧誌の漫画雑誌を発行していた。ガリ版謄写版印刷によるミニコミ誌を仲間とともに発行していた。
17歳だった。新聞配達をしながら高校の授業料は支払っていた。
おれが個人メディアの原点を平凡として確立したのは、1970年、高校3年のときだった。
そのころの風土は大学に行かない、労働者への道を選択することだった。
独学していくしかなかった。
読書とは第2の子宮でもあった。
読書しろと教えられたのは石森章太郎の<漫画家入門>であり、手塚治虫の<漫画の描き方>だった。
社会とは自己を鍛えてくれる父であった。社会こそが大学であった。
社会現場の人々は教授でもあった。
読書とは第2の母でもあった。
おれは小沢一郎支援運動でさまざまな人々に出会った。
個人メディアは実践的身体感覚の記憶装置を読書との出会いによって総括する。
おれはひとりだ、孤独に強い、平凡な町に棲息している貧困者であり崩壊した人間だ。
だが発信できるデジタルパソコンがあった。
1993年とはいまから20年前である。
パソコン通信の時代、電話回線、23時からNTTの電話回線は安くなり、深夜にてアクセス、誰もが寝不足になった。
ひとつの画像をダウンロードするにもアップロードするにも5時間はかかった。
そのころ大容量の動画が個人メディアで配信されるなど、誰もが夢にもみていなかった。
草の根ネットはインターネットの登場により、1995年以降、打倒されていった。
安倍晋三戦争政権と竹下登三宝会は<平凡>を甘く見ている。
そこはすでに他者なき自己完結のカラッポでしかないマスメディアの残像でしかない。
デジタルパーソナルコンピュータとは、あまりにも平凡だ。
そこから平凡な個人メディアはガリ版印刷を継承し、打倒され打倒されまくり、復活するのだろう。
読書という第2の子宮、第2の母によって。現場社会という父に鍛えられながら。
鋼鉄はいかに鍛えられたか、それは黄土による百姓土工高炉であった。無駄ではなかった。
農民は鉄をつくり、耕作物を腐らせてしまった。これが毛沢東の矛盾論だった。
黄土とは東アジア文明と文化の中原であったからである。
黄土の砂を一握として言葉にしたのが時代閉塞の現状を書いた石川啄木の北帰行だった。