愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

小説とは水道の蛇口

2005年10月25日 | Weblog
10とか20とか、アラビア数字で書いていた。
漢字の数字にあわてて変換する。

三島由紀夫、五木寛之、高橋克彦の小説などを参考にしながら
漢字数字の使い方を学んでいる。
模倣からはじまる。

ワープロソフトより
テキストエディタソフトで横書きの方が
自分には合っている。

小説は細部を書くことが勝負なのだろうか……

50枚を越えたら、リズムが出てきた。
小説とは物量である。
すこし300枚以上の展望がでてきた。

ひたすら書けるまで待つしかない。

演劇には「劇中劇」を入れる方法がある。
小説にも「劇中劇」という入れ子装置の方法があると思う。

三島由紀夫・豊饒の海第二巻・奔馬には
「劇中劇」がある。
なんでも模倣からである。

これまでの小説仕様が自分に合わなかったら
独自の書式、様式、仕様で書くしかない。

トリック、マッジク、ロジックによる時間の流れを
「文」というカメラワークで切り取っていく
それが小説であろうか。

批評が小説のなかに挿入されると、カメラワークとは
異質の世界が入り込み、小説は破壊されてしまうのだろうか。

批評文体にカメラワークを入れたらどうだろうか。

小説はほとんどあれやこれやと、ない頭で模索する考える
時間が莫大に長く、書く作業は短い。
書けるまで待っている時間が長い。

待っていると必ず物語の方向が出てくる。

たんたんとした平凡のなかに、ホラーサスペンスの水滴が
すこしづつ落ち、
ラストに向かって、蛇口が開かれ、勢い吐き出される、
小説とは水道の蛇口である。
しかし、小説とは何か? などと講釈してもしかたがない。

ただ、書くしかない。

工藤丈輝×若林淳 「虚空華」

2005年10月21日 | Weblog
東京戯園館
工藤丈輝×若林淳 「虚空華」



虚空華
工藤丈輝と若林淳(大駱駝艦)の共演によって、未聞の花が咲く!
齋藤徹によるサルプリと身体のコラボレーション。

■工藤丈輝 若林淳(大駱駝艦) 齋藤徹

■スタッフ
舞台監督 真嶋大栄
照明   鈴木洋次
装飾   湯澤幸人
衣装   伊丹路恵
宣伝美術 川村格夫



制作  東京戯園館  
      松岡真弥
  
協力  元藤がら
     望月泰江
     とりふね舞踏舎



若き舞踏者、工藤丈輝と若林淳の舞踏をみてきた。

劇場は神楽坂だった。





「戒厳令の夜」

2005年10月15日 | Weblog
書くうちに、どうしても行き詰ってしまう。
登場人物の年表をつくることにした。
図書館から日本史年表をかりてくる。

何故、行き詰まり、苦しいかというと
読者からみて、納得する整合性が必要だからだ。
事件の背景、人物の動機に必然性がないと
「なんだこれは、文の流れがおかしい」と
読者は読むのをやめてしまう。
読みながら頭が混乱してしまう文など読者は読みたくない。

小説とは現在進行形の文によるドラマである。
時間は読者のテンポとリズム、体内時計によって進行する。

小説を読む読者はくつろぎながら、頭をほぐすために娯楽として
小説を読んでくださる。

五木寛之「戒厳令の夜」下巻を半分くらい読んだ。
海の民と山の民の遺伝子、面白かった。

寺山修司演劇も現在進行形の演劇だが、小説も
現在進行形のドラマである。

小説を読む人は、テレビばかり見ている人ではない
それなりの知識を持っている。
「なにかを発見させてくれる」「うろこのめが落ちた」
「知らなかったことを教えてくれた」
「このような人間も世界に存在していた」
小説を読む読者とは、社会と人間と世界への好奇心に満ちている。
さらには本を読む人は批評能力の感性のレベルが高い。
好奇心に衝撃を与えない小説は、最初から読まれない。

小説を書き、ゼロから世界を構築していくのは
自分とのたたかいでもあり、読者とのたたかいでもある。

演じる人は台本というテキストがある。

ゼロからテキストを構築していくたたかいが苦しい。

舞台は空間を創造するが
小説は時間と人間を創造する。
その世界は仮想現実であるが、現在進行形の時間である。

うまく書く方法などはない。
書きはじめ起動させた「文」の連結による世界の時間を
一秒一分とつくり、重ね合わせていくしかない。
記憶をつくっていくのである。

読者は更地になった記憶喪失者として、記憶の物語を読んでいく。
読者とは「いつも事件は他人様ばかり」と他人様の記憶を読んでいく。
読者とは他人様の家をのぞき見する好奇心の欲望を抑えることができない。
読者に他人様の家庭内事件を提供するのが、小説書きである。

読者は他人様の時間をのぞき見したいのである。
しかし、読者に、他人様のさらけだす時間をつくるのは、たんへんだんべよ。はうはう。

書きながら、その書いたものを冷酷な読者となって読みながら、
「文」を検証していく。次の展開にいくための連結。
自己表現による自己批評の悪無限時間の繰り返し。反復。
どつぼにはまる。逃げ出したくなる。
徹底して付き合ってやると、ど根性をだす。

かたちにしてやると、執念をだす。


ブログをつくっている人は、どんどん懸賞稼ぎに応募しよう!

2005年10月14日 | Weblog
縄文と小説の同期化、物語の表出へ・・・
ブログをつくっている人は、どんどん懸賞稼ぎに応募しよう!

22枚まで書いた。
締め切りの12月31日まで、あと278枚以上、書かなくてはならない。
日経小説大賞応募規定は300枚以上600枚以内。


自分がめざしているのは、東北蝦夷アルティの反乱を書いた高橋克彦の
「火怨」のようなダイナミックな小説である。


ゴミだし分別がまた細かくなった。
買い物ビニール袋などは、燃えるゴミから別になった。
ほとんどゴミノイローゼぎみである。
生活をするには、情報取得と世の中の流れに負けない
ど根性だ。

舞台などの集団創造から
ひとりになったとき、表現者の真価が問われる。
ひとりでも表現できる人間が表現者としての強さをもっている。

小説を書くのは、読者が読んで、納得する整合性ある
世界をゼロから構築していかなくてはならない。
だからとても苦しい作業だ。すぐ行き詰ってしまう。
まさに「行」による一行を書いていく作業。
孤独な自分との全面的対話による世界構築、自分から逃げ出したくなる。

小説では寺山修司演劇のように、シュールな展開はできない。
読者が混乱をしないように、人物の実生活と事件に至る動機と
人物関係の展開を緻密に書いていかなくてはならない。

ひたすら人物の実生活歴史をたんたんと冷酷に書いていく。
小説の世界は作者によって、徹底して客体として観客化されていく。作者は戯曲と観客の複合マトリックスのなかで、文を
つなげていく。まるで植物の縄たる「つた」である。

小説家とは植物縄文時代という原点から、「縄」の「文」を
つなぎ、すこしづつ世界を「ゼロ」から「有」に転化していく。
小説作りは、縄文土器の製造である。
おのれの部屋はその工房である。
縄文土器を焼く釜は、おのれの創作情念である。


最初を乗り切ると、リズムが出てくると思う。
セリフの応酬で展開すると
枚数が稼げるのだが、
最初は読者をひとつの世界に「人生案内」しなくてならない。



読者をひとつの世界に導入する導入部……
たんたんと書いていくしかない。
世界をゼロから構築していくしかない。
ほとんど大工である。

ゴミ闘争の方は
毎週、出していこう。
舞台につかえると思って、これまで、様々なものを
町のゴミ集積所から拾ってきた。
自分の住むアパートの部屋とその周りが
近所世間様から「ゴミ屋敷」として認知され通報される前に
かたずけなくてはならない。

あせらず、すこしづつ、やって行こうと思う。

風呂は1週間に2回入ることにした。
原油高騰でプロパンガス代が高くなる。
徹底した生活コスト削減である。
最低貧乏生活闘争とは、それなりに面白く楽しいものである。

ブログをやっている人は、どんどん写真とか小説の応募に
挑戦して賞金稼ぎにアッタクすべきである。
「公募ガイド」がとても参考になる。

ブログがどんどん、テレビドラマになっている。
「電車男」はインターネットから登場した、新しい文学形態だった。

インターネットで文章なり写真を日々投稿する投稿生活とは
現代の「縄文土器」製造でもある。手作業の原点。
インターネットは縄文時代の原点へと帰還し、そこから出発しようとしている。

「文」という「縄」が植物の「つた」のように伸びていく。

ブログとは植物情報体である。

おのれの表現を社会で試してみるのが
さまざまな「公募」への応募である。


第9回山頭火フォトコンテスト 、締め切り迫る 10/31

2005年10月12日 | Weblog
2005年  第9回山頭火フォトコンテスト


http://www8.ocn.ne.jp/%7Ecm-ogori/photocon/pc9/photocon9.html




 山頭火の句碑は全国で400基を越え、静かなブームが続いています。没後65年が過ぎても、山頭火の心のつぶやきが私たち現代人に共感するものがあるからでしょう。

 自由律を旨とした山頭火の1万句を越える作品の中から、ひとりの旅僧の魅力やあなたの共鳴する人生観をカメラを通して再現してください。

第8回フォトコンテストの入賞作品はこちらです

応募要項

※※ あなたの好きな山頭火の句を写真で表現してください ※※

1、応募資格

 不問(プロ、アマ問いません)

2、題材

あなたの好きな山頭火の句をテーマに写真を撮ってください。

3、応募作品規定

白黒、カラーとも四ツ切(254×305mm)、または、ワイド四ツ切(254×365mm)サイズの単写真。デジタル写真可。(台紙なし、A3サイズ不可)

4、応募方法

 作品の裏に山頭火の句、氏名(ふりがな)、住所、電話番号、撮影場所、撮影年月日、コメントを明記した応募票(自作も可)を作品1点ごとに貼って下記へ直接、もしくは郵送で提出してください。

5、参加料

 無料

6、提出先及び問い合わせ

〒754-0002
山口県吉敷郡小郡町大字下郷609-3
小郡町文化資料館
TEL 083-973-7071
FAX 083-973-7091

7、応募期間 

平成17年6月1日~10月31日(当日消印有効)

8、主催

小郡町・小郡町教育委員会

9、審査並びに賞

主催者及び主催者が委嘱した審査員により審査し、次の賞を贈呈します。

最優秀賞 (1点) 賞金 10万円
優秀賞 (2点) 賞金 3万円
入選 (5点) 賞金 1万円
佳作 (15点) 記念品

10、発表

審査後、入賞者には直接ご連絡します。なお、入賞作品は、平成18年1月7日~1月29日に小郡町文化資料館ギャラリーで展示します。

11、応募上の注意

(1)応募作品は未発表の自作品とし、同一または類似作品が発表予定のないものとします。
(2)入賞作品は返却しません。選外作品の返却希望者は、返信用封筒(宛名、切手貼付)を同封し、応募票に「返却希望」と朱書してください。
(3)入賞作品の著作権は主催者に帰属し、作品を主催者の判断で多目的に使用することがあります。
(4)入賞作品の、ネガ、ポジ、デジタルデータ(CD-Rに焼いたもの)等を提出してください。(不提出の場合は入賞を取り消します。)
(5)応募点数は1人3点までとし、入賞は1人1賞とします。
(6)被写体の人物には、撮影者が了解を得てください。

http://www8.ocn.ne.jp/%7Ecm-ogori/photocon/pc9/photocon9.html

改革ファシズムを止めるブロガー同盟の紹介

2005年10月11日 | 政治
改革ファシズムを止めるブロガー同盟の紹介です。

2005年9・11総選挙でおらが住む神奈川では直接選挙区で
野党の議席が敗戦後、はじめてゼロになりました。

小泉自民党の議席圧倒勝利は、マスメディアのファシズム的小泉翼賛
宣伝の成果でもあります。
しかし全国投票数においては、反小泉が上回っております。

小選挙区制度はアメリカUSAの代理人である
小沢一郎が導入いたしました。
民主党岡田も国際金融動物の代理人でありました。

あまりにもできすぎたレースとゲームプレイヤーたち・・・

日本は今後、どうなるのでしょうか?

日程に上った憲法改正で、自衛隊は「国際社会への奉仕」で
ますますアメリカ軍の下請け機関になります。

アメリカ・日本支配層は
「米軍原子空母の母港化」へと横須賀は強行されてしまうのでしょうか?

日本列島はアメリカ軍の空母基地列島へと変貌していくのでしょうか?

心配です。

今、小泉自民公明党の検証が必要であります。


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「世に倦む日日」
http://critic2.exblog.jp/


STOP THE KOIZUMI - 改革ファシズムを止めるブロガー同盟
http://nokoizumi.exblog.jp/


「小泉改革」の政治に抵抗し抗議するブロガーのネットワークを呼びかけたい。と思ったのだが、それでは一体何をやればいいのか。思い返せば、私には政治の経験が全く無い。地域での身近な署名活動みたいなものさえ参加したことがなく、あらためて自分が政治的な組織や運動とは縁の遠い存在であることを思い知らされた。仕方なく、何かネットで提案して実行できるアクションはないかと考え、とりあえず反小泉のバナーを作って貼り付けることを呼びかけてみようと思い立った。プリミティブだが、動きが広まれば面白いアクティビティになるのではないか。善は急げで、拠点となるブログを一個別に作ってみた。全てはBlogでなければならない。HPでは駄目だ。ここを反小泉のバナーの収集、展示、配布の基地とし活用し、ユニークな画像やバナーをストックする。バナーを貼ったブロガーにはTBで連絡してもらい、トップページに運動に参加したブロガーの名前とブログ名を載せ連ねて行く。