愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

気合の身体

2004年08月24日 | Weblog
夕方、軍事植民地日本に、ぼうぜんどよめきが走った。「まさか・・・」
女子レスリング重量級準決勝戦で浜口選手が中国18歳の王選手に敗れた。
それは日本市場を追い上げる中国市場の現在を物語る象徴でもあった。
世界市場における競争構造こそレスリングである。

採点表示板のミスは吉田選手の勝負のときもミスがあった。

怒鳴り声あげるアニマル浜口。武装系警備員がアニマル浜口を取り囲んだ。
まさに観客席から身を舞台に飛翔するかのようであった。
制止する「浅草応援団」の女性。
軍事植民地日本市場と世界市場の激突は回避された。

<燃えろ! 気合だ! 浅草だ!> 浅草からカザフスタン航空でアテネに乗り込んだ京子応援団。
アテネ空港ではさっそく「気合だ!」の怒鳴り声を10回発声練習する。

脳天にまいた「てぬぐい」は<京子>で染め上げ
Tシャツのロゴは<万雷気合>
浅草からの呼び声がバスに乗って、世界市場に乗りこむ。

日本世間様がびっくらこいたのは
日本選手団がアテネに向かう成田空港であった。
「オリンピックにのまれるな!」アニマル浜口の怒髪天をつく怒鳴り声。
まさに前近代からの「ダミ声」に
「なんだ? あれは」と快適生活の日本世間様はおどろく。
「このうだうだ猛暑にあんな元気な男が、この日本にまだ生存していたとは・・・」

成田空港の地下から出現する死んだ三里塚農民の叫び声のごとくであった。

アテネ日本選手団の活躍はアニマル浜口によって、出発日に気合を入れられたからである。

世界レスリング市場の会場。
浅草京子応援団の出現に恐れをなす、ヨーロピアン・アメリカン記者たち。
浅草京子応援団の映像は世界に配信された。
「あれは前近代が日本で復活している象徴か?」

おらが注目した選手は伊調馨選手だった。
女子マラソンで優勝した野口選手のごとく計算展開力身体を感じたからである。
「アメリカのメディアは日本選手がアテネでとる金メダルは7個だと言っている。
 そこには自分の名前は無かった。
 なんでアメリカにわかるんだよ」
 そこにおらは伊調馨選手の執念を感じた。
気合の身体であり、身体の世界観である。

「組織に殉じ組織に死ぬ」組織死生観はすでに21世紀の日本市場において死滅している。
日本経済の底で奮闘しているのは家族経営である。
従業員を雇うと経費で圧迫されてしまう。もはや家族でがんばるしかない、
これが追いこまれた日本経済の底力となっている。

おのれを守り励ましてくれるのは、おのれがどん底になった場合
家族のみである。
日本市場が90年代の「失われた10年間」で発見したのは「家族の物語」であった。
ゆえにアテネオリンピックでは「家族の物語」が全面展開している。
近代とは組織であった。しかし個人を強固な組織が支える幻想は終焉したのである。
日本市場においては「近代の破綻」が進行してきた。

「家族崩壊」が全面現出したのは
70年代・80年代・90年代の30年間であった。
「個人と家族」は今後30年間の日本市場の基調旋律でもある。

「家族崩壊」の危機とたたかいながら、家族は復活する。
これが21世紀日本市場の基調でもある。

アニマル浜口と浅草京子応援団の怒鳴り声こそ
軍事植民地日本が独立する復活の呼び声であり喝である。
「家族の復活」からおのれの原点と基点を確認していく作業。

真夜中の軍事植民地日本市場。
「京子、がんばれ」「しのげ」「たえろ」「がんばれ」「浜口がんばれ」
テレビの前で応援する両手を握ったこぶしたち。
それは日本労働運動が産んだ歌「がんばろう」に類似していた。
九州の炭坑に生きた森田ヤエ子と荒木栄による現場からの歌であった。

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「がんばろう」
森田ヤエ子作詞・荒木栄作曲

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/ganbarou.html

がんばろう 突き上げる空に
くろがねの男の こぶしがある
もえあがる女の こぶしがある
闘いはここから 闘いは今から

がんばろう 突き上げる空に
輪をつなぐ仲間の こぶしがある
おしよせる仲間の こぶしがある
闘いはここから 闘いは今から

がんばろう 突き上げる空に
国のうちそとの こぶしがある
勝ちどきをよぶ こぶしはひとつ
闘いはここから 闘いは今から おー

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浜口京子は銅メダル。
23日に行われた女子レスリング・フリースタイル72キロ級、日本の浜口京子は準決勝で敗れるも、3位決定戦でスベトラーナ・サエンコ(ウクライナ)に判定勝ちし、銅メダルを獲得した。以下、浜口選手のコメント。


■浜口京子 女子フリースタイル72キロ級 銅メダル

 日本から応援してくれた方、会場で応援してくれた方の大声援が聞こえて、勇気を持って戦うことができました。ありがとうございました。

 本当はもっときれいな、もっと輝いているメダルが欲しかったのですが、人生の中で、金メダル以上の経験ができました。応援ありがとうございました!

http://athens.yahoo.co.jp/column/report/interview/at00002145.html

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 おらは浜口選手が3位決定戦で登場したとき、激突によるまぶたの腫れは
 アニマル浜口が「気合入れ」で浜口選手をぶん殴ったからできたのかと思ってしまった。

はらはらしながら、真夜中テレビの前の日本市場は何を経験しているのだろうか?
「人生の中で金メダル以上の経験」とは何であろうか?
日本選手の奮闘は「軍事植民地日本市場自己満足とナルシズム」をくすぐるために奉仕しているのではない。

おらの身体とは市場である。
こぶしを握り声援する「声なき声」の真夜中の経験である。

おらはもう真夜中近所で声援の怒鳴り声をあげることはできない。
真夜中の日本世間様居住地帯。動物であるおらは、アニマル浜口のごとく怒鳴り声で応援したいのだが
これ以上、深夜に雄たけびをあげたのなら
近所地域社会の世間様婦人同盟から追放されてしまうであろう。

「声なき声」でも猛暑に負けぬ熱い心があった。
軍事植民地から独立する心は、いまなお過酷なロードにあり
真夜中の「声なき声」にある。

「親子でくやしさをバネに、また北京に向かっていきます」
「生きぬいて、生きぬいて、生きぬいていきます」アニマル浜口の気合の言葉。

「アテネは浅草と似ていて好き」
これが世界を発見する、奮闘する格闘家浜口京子の身体の世界観である。

おらもこの日本世間様で
「生きぬいて、生きぬいて、生きていこう」と思った。

参照
アニマル浜口のレスリング道場
http://www.saturn.dti.ne.jp/~lewis/dojo/dojo.htm


過酷なロード身体

2004年08月23日 | Weblog
シドニー大会女子マラソンに優勝した高橋選手に続いて
野口選手がアテネで優勝した。
土佐選手5位、坂本選手10位、全員入賞である。
軍事植民地日本・女子マラソンチームの偉業でもある。

後ろから迫るケニア選手にはらはらしながら
深夜の軍事植民地市場に歓喜がわく。

アップ・ダウンの過酷なロード。
次々と足が止まる選手が続出。

優勝した野口選手は、おのれと同伴疾走してきた靴に感謝のキッスをした。

25キロ付近の給水で野口選手は、ボトルを坂本選手に渡した。
おらは「これはいける」と思った。
野口選手はたんたんリズムあると給水をとっていた。
計算展開力身体であり、身体の世界観である。

30キロ前で野口選手のラストスパート。
軍事植民地市場ではひとりひとりがこぶしを握り「がんばれ!」「がんばれ!」と応援。
野口選手が世界市場の競技場に入ってきた。声援が深夜に轟く。テレビの前の「声なき声」である。
円谷選手から40年が経過していた。
現在も日本は軍事植民地ではあるが、女子マラソンチームが偉業を達成した。

軍事植民地からの独立は過酷なロードでもある。

持久の身体

2004年08月21日 | Weblog
塚田選手の女子柔道決勝戦である。
「押さえ込み」されると日本市場は一瞬冷や汗。
しかし塚田選手は逆手にとり、押さえ込み一本で優勝した。
意地の勝利であり持久の勝利であった。
おらはふと毛沢東「持久戦論」を思い出す。

続く鈴木選手も得意の足技で一本を決め、優勝した。
軍事植民地である日本市場が歓喜にわく。
あざやかな姿だった。

歓喜はさらに加速する。
200メートル平泳ぎ女子競泳決勝で中村選手が銅メダル。
「金」と同じく書いて「銅」。銅は金を呼び寄せる。
女子800メートル自由型決勝で柴田選手が優勝した。

陸上競技がはじまった。
100メートル予選に出場したオッティ選手。(80年代・90年代そして現在の世界陸上で
活躍する、42歳)
今回はスロベニアからの出場。
以前はジャマイカの選手であった。おらはオッティ選手のファンであった。
彼女は予選を突破した。
オッティ選手が走る姿は美しい。持久の身体であり、身体の世界観である。

執念の組織身体

2004年08月20日 | Weblog
21世紀からの軍事植民地日本の国民統合共同主観は「家族」である。
20世紀の共同主観は「組織」であった。
アテネオリンピックでも、組織(チーム)戦よりも個人格闘競争戦の選手が
メダルを獲得している。

女子柔道の阿武選手が優勝。アーチェリー山本選手銀メダル。

国民統合幻想を形成する大本営電通のメディア戦略は
「メダルを獲得した個人選手を支えた感動の家族物語」を日本市場において大展開。
当然日本柔道界の王者である井上選手の家族をめぐる草稿・番組を用意していたが
頓挫してしまった。
日本メディアと日本柔道連盟に衝撃が走る。

女子柔道阿武選手にすべての期待がかかる。
この日、日本市場は予定調和として井上選手の優勝を信じて
勝ち馬に乗ろうとしていた。
「勝ち馬」に乗る、これが市場の本能であろう。

メディアが「勝ち馬」を煽り、市場がこれに乗る。
これは横須賀・結城純一郎が総理大臣になったときにも現出していた。

井上選手の物語が頓挫した後、日本市場の重圧が阿武選手にかかる。
観客席で怒鳴り声あげる日本柔道連盟ヘッドコーチと日本市場から応援にきた観客たち。

阿武選手の表情は厳しかった。厳しい試合が続く。
決勝戦に出場できるかどうかをめぐるフランス選手との試合は延長戦となった。
ヨーロピアンから観客から阿武選手へのブーイング。
おらはかつての陸上マラソン、自衛隊の円谷選手を思い出す。

阿武選手は執念でフランス選手に勝った。

決勝戦は中国選手。最終に背負い投げ一本が決まった。
それは同時に警視庁と日本柔道連盟また日本市場からの重圧を投げ飛ばしたのだと
おらは感じた。

執念の身体であり、身体の世界観である。身体とはまた組織でもあるのだ。

インタヴューに答える阿武選手は冷静の言葉であった。

アテネオリンピックに集約する日本市場の物語。
軍事植民地において「家族」という最後に残された共同幻想と共同主観がメインテーマを演奏する。

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「信じられない」柔道界に衝撃=井上敗退、異常な重圧が影響か〔五輪・柔道〕

http://athens.yahoo.co.jp/hl?c=athens&d=20040819&a=20040819-00020339-jij-spo

 まさかの井上康生敗退。現地入りしていた柔道関係者には、衝撃とともに信じられないとの言葉が並んだ。日本選手団の主将で、世界選手権3連覇中の不動のエース。日本柔道陣は5日目まで金メダル5個と絶好調で、五輪連覇を狙う“真打ち”には、周囲からも金メダル間違いなしの期待が膨らんでいた。
 
 柔道の上村春樹チームリーダー(1976年モントリオール五輪無差別級金メダリスト)は、「1回戦から集中力が全くなかった。みんなが期待すると、気付かないうちにプレッシャーを受けるもの。重圧には強い選手だとみんなが思っていたが、本当に五輪は何が起こるか分からない」と驚きを隠せなかった。
 
 1988年ソウル五輪の95キロ超級で、日本柔道金メダルなしの危機を土壇場で救い、五輪連覇を成し遂げた斉藤仁男子監督は「おれもソウル五輪では主将だったし、康生の重圧は分かる」と井上の置かれた特異な立場に理解を示し、「これが五輪かと思う。心のコントロールがうまくできていなかった」。前日、井上と練習を一緒にした選手は同監督に「(康生は)異常なぐらい緊張してますよ」と報告したという。
 
 観戦した井上の母校の恩師、東海大の中西英敏監督は「先にポイントを取られて、知らず知らずのうちに焦ってしまったのだろう。康生も人間ということ」と教え子を気遣っていた。(アテネ時事)


[ 8月19日 23時16分 更新 ]


格闘の身体

2004年08月19日 | Weblog
2005年体制準備が本格化するのは9月であろう。

季節は地球異常気象の猛暑そしてアテネオリンピック。

競泳で北島選手が平泳ぎ200メートルで優勝した。続く女子レースで中西選手が3位。
柔道では昨日の谷本選手に続いて上野選手が優勝した。
谷本選手が古賀コーチと抱き合ったTV映像には涙が流れた。

競泳と柔道の活躍が驚異的である。
男子体操も優勝し日本体操が復活する。

卓球福原選手は敗退したが、インパクトを与える選手であった。

開幕祭典の行進では米国選手団行進に対して観客は引いていた。
米国は世界から嫌われていると感じた。

イスラエル選手団の行進では一瞬、観客席が静まる。
イスラスル選手はけしてエイリアンではなかったのだが
世界はイスラエルに恐怖感を持っているのだと感じた。
米国とイスラエルとは現在、世界戦争暴力の象徴である。

世界の男性は米国女性とイスラエル女性に対して勃起しない。
ベットで「わたしはアメリカ人よ」「わたしはユダヤ人よ」と告げられたとき
世界の男性の「きんたま」は一瞬に萎えてしまうことだろう。

開幕祭典でおれは米国とイスラエル選手団の行進に対応する観客反応をTVで見ながら
すでに米国とイスラエルはエロスが喪失していると感じた。

世界祭典観客席とは世界市場でもある。
人はおのれと相性があい好きな商品を買う。
元気がでる福原愛選手の格闘する真摯な姿は日本市場ばかりでなく
世界市場の人気者となることだろう。

日本選手団が国旗をふらず、「夏祭りのうちわ」を持って振っていたのが
素晴らしい、そう自分は感じた。
世界市場に米国選手団のごとく、威嚇と自己顕示しても、観客という市場は好まない。

柔道とは動物である。
ねじふせられ敗北したときの姿は惨めである。
その惨めな姿が世界映像として全世界に配信されてしまう。
柔道は市場競争の過酷さを象徴している。

おらは以前、地元の柔道家から聞いた話を思い出していた。
「負けたときは人間としてと言うより動物として惨めだ」
これが格闘の身体であり、身体の世界観である。

おらは柔道表彰式の女性民族衣裳デザインに魅了される。
さらに競泳表彰式における男性・女性民族衣裳デザインに魅了された。
ギリシア文明と文化とは深い。古代からのエーゲ海文明。

そしてアテネオリンピックが終焉する9月から
イルミナティ「2005年体制」準備は本格化する。
カーライル投資産軍複合体は着々とプログラムを進行させている。


情念の身体

2004年08月17日 | Weblog
軍事植民地日本。
そこで独自的に思考することは難しい。在日米軍が列島に思考無力電磁波バリアーを生成しているからである。

植民地の民度は独立国の民度よりも高度なのであろうか?

アテネオリンピックで軍事植民地日本のサッカーチームは敗北したが
アジアの王者を決定する試合では勝利した。

そこでは「抗日」「小日本打倒」の横断幕が世界映像として配信された。
さらには日本国旗が燃やされる。
田中角栄が東南アジアを訪問したときも反日デモが爆発した。70年代である。
そのとき現場にいたおらの友人は日本に帰国してから
「なんで日本はあんなに嫌われるんだろう?」とつぶやく。

東アジアの各地では、今も大日本帝国軍による破壊行為を弾劾する石碑が建っている。

80年代後半から1992年頃までは
アジア人労働者が日本にやってきた。
最初はスナックや風俗セックス産業で労働させられた女性であった。
次に建設現場や製造現場で労働させられた男性がやってきた。

「日本とはひどい国だ」と彼・彼女たちは憎悪をもって
生まれ故郷に帰国していった。

おらは賃金不払い・労災もみ消し、など数々の現場を忘れることができない。

日本はアジア民衆に嫌われている、これは確実である。
台湾民衆から好かれていたが、やがてここでも嫌われていくだろう。

おらも建設現場で台湾人と出会ったことはなかった。
台湾経済は日本へ外国人労働者として来なくても、経済は発展していたのである。
つまり台湾人とは日本社会の過酷さを知らないから、「日本が好き」という幻想が成立したのである。

韓国・中国・フィリピン・バングラデッシュ・パキスタン・イランなどには
日本社会でおのれが受けた過酷な体験は、帰国した人間から
民衆に伝わっている。
彼・彼女たちは日本社会の過酷な底辺から日本を洞察してしまった人々である。

日本での建設現場・工場製造現場で切り落とされた手の指・手・足の指・足がうずくたびに
日本への憎悪が心に現出してしまう人々がいるのである。


重慶でのサッカー試合
「おれはおまえたちにゴミを投げたが、おまえたちがおれたちに落とし投げたのはなんだ?!」
まさに中国民衆の本音の声がTV映像として配信された。
まさに中国からの叫び声である。
動物であるおらは嬉しくなった。「中国民衆は歴史を忘却していなかったのだ」と感動したのである。

北京での試合においては
「抗日」の横断幕が登場した。
これまで映画や記録映像で見てきた侵略戦争に抗する中国民衆がついに
現在のTV映像で「今といまの今」として登場したことにおらは感動した。

中国共産党が扇動しているのではない。その逆であり
グローバル近代化・現代化に疾走してきた資本主義中国共産党の統制が無力化してきた前兆であろう。
中国社会のタガがはずれたことにより
民衆の本音が現出したのだ。
その本音こそ身体遺伝子である。
中国民衆は日本を許してはいなかったのだ。

自分は1972年田中角栄と周恩来によって発動した日中友好は
嘘であると思ってきた。
それ以降のシルクロード流行など嘘であると思ってきた人間である。
何故ならそこには中国民衆の中国からの壮絶な叫び声は消却されていたからである。
国家官僚と国家官僚の蜜月であり
焼き尽くし・奪い尽くし・殺し尽くした破壊行為の事実への痛みもない人間が
中国へ行くことに
「ふざけるな!」とひとり憤怒してきた人間である。

民衆の本音と本音がぶつかり、そこにおいて庶民は
リアリティある世界像を確認する。
民衆の原則とは
言語化できないままにも、おのれの身体に生存する情念であり
身体遺伝子である。書かれなかった歴史を民衆は語りだす。
身体が記憶しているからである。

そして軍事植民地日本においても
庶民の情念は身体に刻印されている。これが身体の世界観である。

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ケムトレイルと731
http://www.asyura2.com/0311/jisin10/msg/357.html

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「原爆投下と無差別爆撃-重慶から広島・長崎へ-」


http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/peace/report/re083.html

Ⅲ 重慶爆撃―「ヒロシマに先行するヒロシマ」・「引き延ばされたゲルニカ」

☆ 日本軍による中国・重慶に対する戦略爆撃の特徴(前田哲男氏)

① 「都市そのもの」を攻撃対象とする明白な意図の下、持続的な攻撃だったこと。ゲルニカ爆撃と違って一回限りでなく、2年半、218回にわたって続き、1万1885人が犠牲となる。

② 「空軍力のみ」による攻撃であったこと。南京や上海への侵攻作戦と異なり、地上部隊とまったく連携しない、空からの攻撃のみに終始した。

③ 「戦争継続意志の破壊」が作戦目的に掲げられ、「戦略爆撃」の名称が初めて用いられたこと。したがって市街地と市民が目標であり、対人殺傷用の焼夷弾が多用された。また使用されなかったものの、化学爆弾と細菌爆弾も準備されていた。



※重慶爆撃とは、「殺す者と殺される者」との間に眼差しを欠いた、機械的で無感覚な無差別殺戮であり、長期にわたった点で「引き延ばされたゲルニカ」の側面を持ち、かつ大量殺戮兵器まで準備された点で、思想的には「ヒロシマに先立つヒロシマ」の意味を持っていた。

 ☆海軍航空隊の指揮官として、重慶爆撃に参加した巌谷二三男氏の証言
「 [一九四〇年]六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
「六月中旬以降の陸攻隊は連日、稼働全兵力をあげて重慶に攻撃を集中した。その都度偵察写真が描き出す重慶市街の様子は、次第に変わり、悲惨な廃墟と化していくように見えた。何しろ殆ど毎日、五十数トンから百余トンの爆弾が、家屋の密集した地域を潰していったのだから、市街はおそらく瓦れきと砂塵の堆積となっていったことだろう。」
「 ことに[八月]二十日の空襲は陸攻九〇機、陸軍九七重爆十八機、合わせて百八機という大編隊の同時攻撃で、これまた一連空が漢口からする最後の重慶攻撃となった。この日、爆撃後の重慶市街は各所から火災が起こり、黒煙はもうもうと天に沖し、数十海里の遠方からもこの火煙が認められた。」
(巌谷二三男 「海軍陸上攻撃機」朝日ソノラマ)

 ☆陸軍航空隊独立第一八中隊(司令部偵察飛行隊)の一員として重慶爆撃に参加した、河内山譲氏の証言

「五月末迄2連空は夜間爆撃を主としていたが、途中で1連空と共に昼間に切換え、目標も重慶の軍事施設だけを選別していたのを改め、市街地をA・B・C・D・E地区に区分した徹底的な絨毯爆撃に変更した。」(河内山 譲 「司令部偵察飛行隊 空から見た日中戦史」叢文社)

「[一九四〇年]七月下旬漢口に進出した零戦隊の飛行隊長横山大尉は十月頃のある日(期日は明らかでないが十月中と思われる)命により重慶爆撃の効果確認のため、単機重慶の低空偵察を結構したがその時の重慶市街は文字通り廃墟と化し、惨憺たる光景を呈していた。」(「日本海軍航空史 4戦史篇」日本海軍航空史編纂委員会編、時事通信社)

Ⅳ 東京大空襲と広島、長崎への原爆投下への道

※ 重慶爆撃から、ドレスデン爆撃をへて、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下という「戦略爆撃のブーメラン」(前田哲男氏)

① 日本軍による中国における「要地攻撃」

② 米英軍のヨーロッパでの「地域爆撃」

③ 米軍による日本への「地域全体爆撃」



「無差別爆撃はヨーロッパのおける『ゲルニカ空爆』から本格化し、第2次大戦ではワルシャワ、ロッテルダム、ロンドンでナチが市民を攻撃目的とする爆撃をやっており、その仕返しとして連合軍は、ベルリン、ドレスデンなどで無差別爆撃を拡大した。アジア太平洋地域では、日本軍がまず最初に南京、武漢、上海、重慶などの都市住民を対象に無差別爆撃を行った。ここでも逆に日本が米軍によって無差別爆撃の仕返しを受ける。日本各地が焼夷弾や大型爆弾でやられ、東京大空襲では数時間で10万人という多くの人たちが降り注ぐ焼夷弾の犠牲になった。その無差別爆撃の頂点として、広島・長崎があると考えます。」田中利幸(広島市立大広島平和研究所教授)



「この殺戮に関して重大なのは、敵のテロの目的である。南京と上海はすでに爆撃されていた。しかしそれは軍事上の目的だった。それに対し、重慶の古壁の中には、軍事目標は何一つなかった。にもかかわらず、日本軍は、重慶を灰塵と化す対象に選んだのだ。そして、彼らが理解し得ない精神を挫き、政府の抵抗を打ち破ろうとした。その後、わが軍が日本軍を攻撃するようになっても、私はいささかも良心の呵責を感じなかった。無分別なテロであった重慶爆撃は、私の政治観に直截かつ根源的な影響を与えた。」(重慶爆撃の時、現地にいた雑誌『タイム』特派員セオドア・ホワイトの証言)



☆重慶爆撃の目的…「都市を徹底的に破壊することによって、敵を敗北させようとする企図」をもって戦略爆撃を実行=「戦政略的航空戦を敢行し、敵の継戦意志を挫折させること」1938年12月2日付の天皇の名による命令(大陸命第二百四十一号)


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オリンピックアテネ開幕祭典をTVで見る

2004年08月15日 | Weblog
無表情の彫刻がやがて動き出す。
それはまさに白塗りした日本の土方巽暗黒舞踏技法であった。
ギリシア文明の歴史が展開される海の舞台。
総合演出家は40歳の人であると言う。

おらが注目したのはギリシア文明衰退期の被服デザインである。
なんともいえない不思議に満ちていた。

開幕祭典のダンサー、その足の1歩と手のひとふりに
おらは身体の世界観を感じる。

身体の世界観とは
身体とおのれが同伴として付き合ってきた
場所・時間・空間である。
ここにおいて人は
おのれと出会い、母と出会い、父と出会い
兄弟・姉妹と出会い、親類一族と出会い、縁者と出会う。
そして近所という共同体の同時代人間と出会う。
おのれが成長するに、出会いの場所・時間・空間は
範囲を拡張していく。
やがて他者としての恋人に出会う。
その他者とは、おのれと全く異相の身体世界観を
教えてくれる者である。

世界祭典のダンサーのひとあし、ひとてふりは
観客が投影する世界情報空間にふれながら
おのれの身体身振りを世界情報空間に振動させていく。
その身体とはイメージという潮が注入された器となる。
ゆえにダンサーは、あらかじめ彫刻となって出現したのである。

ダンサー・舞踏手とは
表現のひとあしひとふりへ踏み出すとき
世界情報空間へおのれをさらす覚悟の総量にふるえる。

しかし、世界祭典において身体幻想は現出したのだ。
イメージの潮とは海のように
地球と月そして太陽、舞踏者と観客の引力関係にある。

上空に舞う巨大オブシュと舞踏者
おらは舞台裏方の仕事が見事であったと感銘する。