愚民党は、お客様、第一。塚原勝美の妄想もすごすぎ過激

われは在野の古代道教探究。山に草を踏み道つくる。

抒情とは、現実の裏側に咲く花の風

2013年07月01日 | 生活

抒情とは、現実の裏側に流れる。

それを発見したとき、おれは心は乾いた。

深夜、解体の現場、馬頭観音様に、頭を大地につけ、おまいりした。

化身である野良猫が近くで遊んでいた。

闇のなか、月明かりの道。

月光。

万葉集、抒情の起源は太陽系宇宙。

人類は月にも火星にも行けない身体だった。

 

 

 


今日、1年。明日、2年。明後日、3年。

2013年07月01日 | 小沢一郎

「街頭は全世界に接続している」

その言葉を発見したのは、1989年から1990年への越冬だった。

あれから23年が経過した。

街頭は人の心に接続している。

3回の横浜と藤沢での勝手連運動神奈川。

ここでも、新宿と同じように、回数を重ねれば、必ず、通行する小沢一郎支持者、個人と出会うことができた。

横浜で生活の党に入党したいという中年の男性と出会った。

弁士の歩くメディアさんは、1時間でも1時間半でも、演説できる持久力ある人。

小沢支持デモは、無罪判決を勝ち取り、その後、国民の生活が第一、応援、勝手連運動へ

移行したのだが、個人と個人が出会う場所に変わりはない。

時間と空間の場所、その扉をあけ、創造するのが舞台。

街頭宣伝も同じだ。

街頭は人の心たる個人に接続している。

これが全世界である。

ふるさと、初恋の女、恵子に教えてもらった言葉。

今日、ひとり。明日、ふたり。明後日、さんにん。

1970年の秋、高校3年、恵子が学ぶ、女子高校の文化祭にいった。

体育館での舞台を後ろで見ていたら、恵子があらわれた。

「久しぶりね」と恵子が声をかけてくれた。

恵子とは小学4年から小学6年までの同級生だった。

恵子とは同じ机だった。

恵子への思いに気付いたのは小学5年だった。

ある日、となりの恵子がいなかった。

恵子は小学校の合唱コンクール出演のために、となりの席にはいなかった。

さびしかった。

午後になって恵子が合唱コンクールから帰ってきた。

合唱の制服を着た恵子は輝いていた。

中学では別クラスだった。

わたしは中学1年から新聞配達をしていたのだが、ある日、夕刊配達のとき

街の路地、向こうから恵子が歩いてきた。

恵子は英語塾に向かう。

そのとき、おれは卑屈だった。

恋とは、おのれの出身階級を、自己に問い詰めていく。

1997年の冬、ひとり帰郷し、恵子の家まで歩いていった。

恵子の家はなく、更地になっていた。

その年の8月、寺山修司の言葉を100年残すという気迫と気概をもった

J、A、シーザーさん総演出による、パルテノン多摩での野外演劇に参加した。

寺山修司の言葉は残る。

恵子の言葉は残っている。

今日、ひとり。明日、ふたり。明後日、さんにん。

街頭は人の心たる個人に接続していた。

いつも世話になっている全国勝手連運動の人から話を聞く。

3年後に向けて、また格闘していくとの言葉。

今日、1年。明日、2年。明後日、3年。

街頭に立てば、必ず、個人としての小沢一郎支持者に出会える。

恵子の素心に触れたときが初恋だった。

恵子の素心はわたしのなかで思想となった。

衰亡する酒乱の60歳だが、ノスタルジアのレジスタンス。

1972年、ニクソンショック移行、全世界は実態から浮遊し、人類文明はひたすら後退している。

わたしにとって重要なのは、一握の実態があった、1972年以前のノスタルジアの氾濫。

新宿を歩いていたとき、1972年と1973年は、まったく違う、違和感があった。

あの動物的感覚は、正統だった。

今日、ひとり。明日、ふたり。明後日、さんにん。

今日、1年。明日、2年。明後日、3年。

恵子の素心はわたしのなかで思想となった。

解体の現場、野良猫は、いまだ生存している。