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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

本来の政治

2019-05-24 13:03:59 | 政治


(略)
>■「あうんの呼吸」こそ本来の政治だ
>中野 [剛志]:政治の世界でも、自民党の昔の政治などはそれこそ古いスタイルで、あうんの呼吸で、言葉で説明できない関係性の中で決めていくものだった。

日本人には、意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制というものがない。だから、日本語の脳裏には、未来時制は存在しない。日本人には、意思がない。
だが、日本人には恣意がある。恣意は、バラバラな単語のままで存在する。だから、意味・意義がない。議論にならない。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えでない。
意思は、文章内容であるから、議論の対象になる。恣意は、文章内容にならないから、議論の対象にならない。
意思のある人は、意思疎通により理解が得られる。恣意の人は、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) より、納得している。
個人の意思は、文章内容として世界中を駆け巡る。恣意は、ごく少数の人を満足させるだけで、民主政治に適応できない。世界の中の孤児になる。

>人間の目利きに長けた老獪な連中が政治をやっていて、その人たちは政治学の理論なんかもちろん知らない。>それが古い自民党の政治だった。>いや、そもそも「政治」とは、理念や理論ではなく、あうんの呼吸でやるべきものなのですよ。

それで、民主政治になりますかね。政治音痴になりませんかね。

>それは日本に限った話ではなく、古今東西、そういうものだったのです。

独裁政治か寡頭政治ですね。

>ところが改革を指向する人たちは、そういう本物の政治に対して、「ビジョンが見えない」「理念がない」「不透明だ」「日本でしか通用しない」と言って否定してきた。

改革派の言う通りですね。

>彼らは、政治そのものを否定してきたのです。

あなたが民主政治そのものを否定しているのでしょう。

> 佐藤 [健志]:平成の30年間は、自己否定を系統的にやってきた時代と呼べるでしょう。

恣意の政治を自己否定しているのでしょう。

>自己否定に対する日本人のこだわりは、前にも指摘したとおり、今に始まったものではありません。

恣意の世界は、独り善がりの世界ですね。恣意の人は、自己否定すべきですね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>植民地化の不安におびえつつ、近代化をスタートさせた明治の時代にまで(少なくとも)さかのぼることができますが、それが過熱・暴走したのが平成の改革ブームだったわけです。

わが国は、植民地にならなくて本当に良かったですね。

>…(後略)
>―――――――以上―――――――


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米国主導

2019-05-24 01:38:10 | 政治

>最近のアジア情勢はますます物騒になってきていますね。>日本人は戦争という言葉にとても敏感で、現状から変えようとするとすぐに戦争できる国になってはならない!と大変な拒絶反応が起きますね。

日本は、戦争のできる国でしたね。恣意 (私意・我儘・身勝手) の勢いで戦争をスタートさせた。江戸城松の廊下の刃傷事件のようなもの。だが、日本人には意思がないから、戦争を止めることはできなかった。現状にお変わりのないことは、何よりなことです。我々の未来社会の構想は、何処へやら。不動の姿勢に固執すると進歩の国民にはなれませんね。

>では、戦後日本の米国占領下で実際に何が起きていたか知ってる人はどれだけいるのでしょうか。>こうした賛否議論の前に今から約70年前の真実を知っていて損はないです。>GHQの日本占領政策ほど世界的に大成功をした例はない

経済復興のことですか。それ以外に成功しなかったプログラムもあったのではないでしょうか。

>1945年の米国による原爆投下により、日本は降伏、敗戦国となりました。>公に語られてませんが、そこから始まる米国主導の日本人大改革は凄まじいものでした。

そうですね。アメリカ人は、意思を示した。それでも、日本人は、あくまでも日本人ですね。その日本語に基づくメンタリティ (考え方) は、変えられなかったのではないでしょうか。それは、メンタリティの機序を理解していなかったからでしょう。

> 実はマッカーサーに与えられた目標は一つだったんです。 >それは、簡単にいうと「日本がやってきた戦争に罪悪感を感じさせ、自虐心を植え付けることで弱い日本人を作り上げること」でした。

それは、難しいですね。日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。だから、日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。日本人に、精神修養の必要性を認める人もいる。だが、この方法も失敗した。
一方、英文法には時制があって、英米人には意思がある。
意思の無い人間には、加害者意識というものがない。だから、罪の意識も育たない。子ども、アニマルのようなものである。あるのは、被害者意識ばかりである。
罪の意識の無い人間に謝罪を要求したら、それは自虐の要求になる。これは残酷物語である。人道上の問題になるでしょうね。

>それを通称WGIP「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」と呼ばれました。

日本人に対するWGIPは、’カエルの面に小便’ ですね。

>よくGHQ洗脳政策と呼ばれますが、つまりのところ日本人のマインドセット大変革政策ですね。>これは大変巧妙でした。>まずGHQは、太平洋戦争のイメージを日本 vs (主に)米国の戦争という事実から日本人の目をそらすことに着手します。> 戦時中に米国がやってきた非道なる国際法違反の数々に日本人が注目することなく、「日本の軍国主義者たちが、日本をメチャクチャにした張本人たちであり、悪い奴らである」というマインドセット国民教育をしたのです。

日本人には、意思がない。意思のない人間には、責任がない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。この国がひっくり返った時にも戦争に対する責任者は出なかった。兎角、この世は無責任。

> 日本国民は、米軍の大空襲でこんな苦しい戦争を強いられ、最後には原爆まで落とされたのは、ひとえに日本の軍国主義者たちの責任なのである。というレッテル貼りを徹底的にしました。

早く手を挙げれば、大空襲も原爆もなかったでしょうに。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’ a will, there’s a way. しかるに、日本人には、意思がない。仕方がないから、無為無策でいる。座して死を待つのか。人の命を無駄にして、愚かということはないのか。意思のないことが社会の上に立っていると、社会の方向転換は成り立たない。これは、日本人の悲劇です。

>それにより、日本国民の目を真の敵で国際法違反のアメリカ軍から日本の軍国主義者たちに向けることに成功します。

血気にはやるのは、危険ですね。‘力は正義’ です。Might is right. あえて不義を働いて辱めを受けるのは愚かな人たちです。刃傷沙汰が歴史の教訓になると良いですね。

(略)

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