> 以下、養老孟司著『手入れ文化と日本』書評(リンク)より一部抜粋
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> タイトルにあるとおり、本書に一貫して流れているテーマは、日本には「手入れ」という思想があった、ということです。
私も、庭の手入れをしています。
>里山は自然のまま存在するのではなく、人間が下草を刈り、枝をはらうことによって保たれることのできた「手入れ」された自然だった――たとえば昆虫ひとつとっても、原生林では見られない虫が里山にはたくさんいます。>養老氏によれば、私たちにも親しいモンシロチョウなどは里山がなかったらあるいは希少種になっていた可能性すらある、といいます。> 毎号「考える人」の巻頭を飾っている、里山に住み撮影活動を続ける今森光彦氏の仕事によって、私たちにも里山は具体的にイメージしやすいものになりました。>ところが、都市化の大きな流れのなかで里山の「手入れ」の思想が廃れて、日本の里山は今徐々に消えてゆこうとしているのです。
そうですね。私の田舎でも、松山が竹山に変身したりしています。
> 本書では今さかんに論じられている少子化についても語られています。>自然が排除される都市生活のなかで、子どもは「自然」そのものです。>自然を排除する生活に慣れ切った人間が、自然のごとく「どうなるか予測がつかないもの」である子どもを欲しがらなくなるのは道理である、というのが養老氏の視点です。
そうですね。ロボットだったら予測がつきますね。
> 子どもの教育というものも、「手入れ」の思想によって説明できるのではないか、という論点も実に説得力があります。
そこそこの指導ということですね。
>ところが最近の親は、子どもをテレビの前に座らせてしまう。>テレビに釘付けになっている間は親も手がかからない。
そうですね。テレビは、簡易託児所のようなものか。
>しかしテレビは子どもに対して何の反応もしないのです。
テレビと子供のやり取りは、ありませんね。テレビから子供への一方通行ですね。
>養老氏が提示する「手入れ」と教育の問題は、親がああだこうだうるさく言うことの意義を再認識させてくれると思います。
‘過ぎたるは、及ばざるがごとし’ ですね。何事も、ほどほどが良い。そうでなければ、ロボットのような人間が出来上がります。
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