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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

手入れ文化

2019-05-17 09:22:07 | 教育

> 以下、養老孟司著『手入れ文化と日本』書評(リンク)より一部抜粋
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> タイトルにあるとおり、本書に一貫して流れているテーマは、日本には「手入れ」という思想があった、ということです。

私も、庭の手入れをしています。

>里山は自然のまま存在するのではなく、人間が下草を刈り、枝をはらうことによって保たれることのできた「手入れ」された自然だった――たとえば昆虫ひとつとっても、原生林では見られない虫が里山にはたくさんいます。>養老氏によれば、私たちにも親しいモンシロチョウなどは里山がなかったらあるいは希少種になっていた可能性すらある、といいます。>  毎号「考える人」の巻頭を飾っている、里山に住み撮影活動を続ける今森光彦氏の仕事によって、私たちにも里山は具体的にイメージしやすいものになりました。>ところが、都市化の大きな流れのなかで里山の「手入れ」の思想が廃れて、日本の里山は今徐々に消えてゆこうとしているのです。

そうですね。私の田舎でも、松山が竹山に変身したりしています。

>  本書では今さかんに論じられている少子化についても語られています。>自然が排除される都市生活のなかで、子どもは「自然」そのものです。>自然を排除する生活に慣れ切った人間が、自然のごとく「どうなるか予測がつかないもの」である子どもを欲しがらなくなるのは道理である、というのが養老氏の視点です。

そうですね。ロボットだったら予測がつきますね。

>  子どもの教育というものも、「手入れ」の思想によって説明できるのではないか、という論点も実に説得力があります。

そこそこの指導ということですね。

>ところが最近の親は、子どもをテレビの前に座らせてしまう。>テレビに釘付けになっている間は親も手がかからない。

そうですね。テレビは、簡易託児所のようなものか。

>しかしテレビは子どもに対して何の反応もしないのです。

テレビと子供のやり取りは、ありませんね。テレビから子供への一方通行ですね。

>養老氏が提示する「手入れ」と教育の問題は、親がああだこうだうるさく言うことの意義を再認識させてくれると思います。

‘過ぎたるは、及ばざるがごとし’ ですね。何事も、ほどほどが良い。そうでなければ、ロボットのような人間が出来上がります。

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完璧なリーダー

2019-05-17 00:28:04 | 政治

> 「今日から、あなたがチームのリーダーです」 > 職場や学校で、ある日突然そう言われたら、あなたはどうしますか?

‘少々考えさせてください’ と言います。

> 「望むところだ!」と気合を入れる? > 自信はなくても、「頑張ります」と、挑戦してみる? > 「私には務めあげる自信がありません」と、辞退する? >リアクションは人それぞれに違うと思いますが、「自分はリーダーに向いているのだろうか。>リーダーの素質はあるのだろうか」などと、悩む必要はありません。

人には、向き不向きがあるでしょうね。

> 大丈夫、あなたはリーダーになれます。>なぜ僕がそう言い切れるのか。>じつは、リーダーに必要とされる「リーダーシップ」は、あなたがすでに持っているものだからです。

どうして、それが言えますか。指導力は、人それぞれでしょうね。

> 現在、会社や組織の中でリーダー的な役職・ポジションについている人はもちろん、1度もリーダーを経験したことがないという人まで、すべての人たちに備わっているので、個々の能力や素質は関係ありません。>あるとすれば、リーダーシップを「発揮するか、しないか」の違いだけ。

‘発揮するか・しないか’ は、個人の ’能力・素質’ に関係あるでしょう。

> 日本社会における組織の形は、これまではトップダウンによるヒエラルキー型が一般的でした。

そうですね。上位下達ですね。

>リーダーとは「長」という肩書を持つ人や、組織をまとめるポジションを意味することが多く、課長・部長・社長といったマネジメント層の人たちを指している場合がほとんどです。> 学校ならば学級委員長・生徒会長などですね。

そうですね。‘長’ が指導者の呼び名ですね。

>リーダーたるもの、行き先や生き方を迷うことなく先頭で示し続け、人々はその背中に憧れ、尊敬しながらついていく…。>このようなカリスマ的なリーダーが企業や組織を牽引することで、日本の経済産業はめまぐるしい発展を遂(と)げてきたのです。> 確かに、これまでの社会はそれで安泰でした。

確かに右肩上がりの時代でしたね。

>でも、時代は大きく変化しています。>その変化のスピードはどんどん速くなり、物事の結果がすぐに出てしまうにもかかわらず、予測の不確実性が高く、誰も「正解」がわからない…。

正解は、一つとは限りませんからね。

> 自信満々で有無を言わさずに「こっちへ行くぞ!」と、みんなを牽引するようなカリスマ的リーダーは減少し、個々が自分の行き先を考え、自己責任を負うようになりました。

カリスマ性がなくても、指導者には責任がありますね。

> 率先垂範・不動不惑のリーダーは通用しなくなりつつあり、「総リーダー時代」に突入しているのです。

責任の所在は、どうなっているのですかね。指導者には、責任があるはずですがね。この国がひっくり返った時にも指導者は出なかった。兎角、この世は無責任。

>それなのに、「リーダーたるもの、優秀でなければならない」という呪縛が、未だにどれほど多くの人たちを苦しめていることか!

人間に関して、全知全能など考えられませんね。人々を苦しめているのは、妄想による呪縛でしょうね。

>こうした固定観念に囚われて自信がない人ほど、「私はリーダーに向いていないのでは?」と悩んだり、リーダーであることに精神的負担を感じたりしてしまうのです。

そうですね。

>また、「正解」にこだわり、柔軟な思考や大胆な発想ができなくなる人もいます。

そうですね。正解は一つではないですね。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含まない文章は、全て正しい考えの内容を表している。だから、正解は一つではない。考えは人さまざまであるから、正解は多数ある。

> 優秀なリーダーが悪いわけではありません。>ただ、優秀でなくてもいいのです。>リーダーシップは、チームや組織を束ねるポジションにいるかどうかに関係なく、組織に所属するすべての人たちが発揮できます。>もちろん、あなたも。

組織の構成員は、提案できますね。しかし、指導者の指示に従う必要がありますね。

>ではどうやってリーダーシップを磨くのかと言うと、方法は至ってシンプル。> 「~したい(Want)」という自分の意思を、周囲に発信することです。

そうですね。でも、それも難しいですね。
日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。それで、自己の意思を発信することが難しい。

>たとえば会議中に、1人の男性が「ちょっと休憩にしませんか?」と、提案したとします。>このとき、彼はこの場におけるリーダーの役割を果たしています。

休憩にするかどうかは、この場の指導者が意思決定をします。

>さらに、別のメンバーが「だったら私、コーヒー買ってきたいな」「では、15分ほど休憩にしましょうか」などと提案すれば、その人たちもまたリーダーになるのです。

‘コーヒー’ も ‘15分’ もこの場の指導者が決めることです。提案を受け入れるかどうかは、指導者が決めることです。

>メンバーそれぞれが「~したい」という意志を発信することによって、チームの合意形成や意思決定が成されるので、これらすべてが、立派なリーダーシップと呼べるのです。

考えの内容は、人さまざまです。ですから、この場の指導者が必要になるのではありませんか。

> 従来の「リーダーは常に固定された人物」という考え方ではなく、チーム全員がリーダーであり、状況に応じて誰かがリーダーシップを発揮する。

固定された人物が指導者ですね。組織人には、確たる責任の順位が必要ですね。

>リーダーというバトンを、メンバーのあいだでクルクルと回している状況をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。

上位下達をはっきりとさせなくてはなりませんね。責任観念が必要ですね。

> 『「完璧なリーダー」は、もういらない』Gakken >脳力開発の城野宏氏は、「リーダー」についてこう語っている。 > 『形式上のリーダーの地位にある人が、必ずしも真のリーダーというわけではない。

我々には、真の指導者が必要ですね。

>その人の地位や権限が何であろうとも、周囲に対し本質的な影響を与えるだけの「変化の土台づくり」を地道に確実に進め得る人物こそ、人間としての本物のリーダーである』

本物の指導者には権力が必要ですね。

> 変化の激しい現代は、経験豊かな熟練のリーダーだけが問題を解決できるとは限らない。

そうですね。構成員の協力体制が必要ですね。

>むしろ、その分野に関して、全く知らない素人や、新人の方がリーダーシップを発揮できることがある。

指導者を助ける専門家が必要ですね。

> 「知らない」ということを自分で自覚しているから、多くの人の意見を聞くことができる。

指導者には、部下の助けが必要ですね。

> 反対に、経験豊かなリーダーは、過去の経験があるために、他人の意見を聞かず、自分や側近だけで判断を下しやすい。

自分の得意な分野には、自信がありますね。

> ITやAIの急速な進化により、思いもよらない新技術や大変革が起こる現代は、なまじっかな知識や経験があると、逆に対応できないことは多い。> 知識や経験があるとそれにとらわれ、新しい技術や考えを受け入れられないからだ。

指導者には、新しい技術に関する知識も必要ですね。協力体制で、困難は克服されるでしょうね。

> 「完璧なリーダーはもういらない」

人間には、全知全能の特性は期待できませんね。

> 新しい形のリーダーが今、求められている。

そうですね。指導者には、構成員の協力体制が必要ですね。

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