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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

対日支配

2019-05-03 23:40:01 | 政治

>1.逆説的だが、米国戦争屋の対日支配が強化されるきっかけをつくったのはやはり小沢氏だった
>本ブログでは、安倍自民党政権に逆戻りした現在の日本は米国戦争屋に完全に乗っ取られているという見方をとっています。

そうでしょうね。日本人には意思がないですからね。

>そして、安倍氏が本音で正当化したい日米太平洋戦争を仕組んだのも米戦争屋と同じ系統の米国某勢力だとみなしています。 >要するに、戦前の日本は米国某勢力に大きくだまされたということです。>ただし、それでも、だまされて敗戦した日本に非があります、安倍氏のように戦前日本の正当化は決してできません。

騙されるのは、日本人の得意芸ですからね。相手を騙すほどの知恵は無い。

>さて、敗戦後の日本政治は主に自民党が仕切ってきましたが、その自民党は安倍氏の祖父・岸信介が米戦争屋CIAからの資金援助によってつくった米戦争屋CIAの傀儡政党であり、今日まで、米戦争屋CIAに牛耳られてきたと本ブログでは認識しています。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

>その自民党にも、かつては、対米面従腹背(厳密には対・米戦争屋面従腹背)の政治家が多く潜んでいました。 >その多くは戦中派日本人で、米国を敵視させられてきた戦前世代であり、同時に、権力欲の強い利権政治家でした。 >その代表が田中角栄でしょう。

意地・根性・大和魂の政治家たちですね。

>そして、2009年に歴史的な政権交代を果たした民主党創立者・小沢氏は元々、田中派所属の政治家でした。 >小沢氏は田中氏の政治思想を受け継いだ人物です。 >小沢氏の剛腕で成し遂げられた2009年の歴史的政権交代劇を、今、振り返ると、日本を属国支配してきた米戦争屋ジャパンハンドラー(日米安保マフィアとダブる)にとって、この政権交代は大ショックだったのではないかと思われます。

それは、米戦争屋の杞憂でしょうね。日本人には、意思がない。

>それまで、日本を甘く見ていたのに、油断すると、日本は対米自立してしまうと彼らは懸念したでしょう。

わが国は、泰平の眠りから覚めることがあるのでしょうかね。

>あせった米戦争屋は、手なずけてきた悪徳ペンタゴン日本人勢力を総動員して、政権交代革命の立役者・小沢氏の無力化工作に奔走しました。 >そして、2014年の今、彼らは完璧な対日属国化体制の確立に成功しています。 >もし仮に2009年から5年遅れの今、米戦争屋による完璧な対日属国化体制下の日本において、小沢氏が再度、日本の対米自立に挑戦したとしても、もはや政権交代には成功できないほど、今の日本における米戦争屋の対日支配は強固となっています。 >その意味で、今の日本より、90年代以前の日本の方が米戦争屋による対日支配は緩かったと言えます。

支配がきつかろうが緩かろうが、自分からは動き出せないのが日本人ですからね。大した違いは無い。

>つまり、2009年の小沢氏の政権交代革命が仇になって、今の日本は昔よりひどい対米属国に成り下がったと総括できます。

日本人は、何事につけ他力本願・神頼みですからね。意思のないところには、方法 (仕方) は無い。無為無策でいる。

> 2.米戦争屋による対日支配強化の秘策は自民党から対米面従腹背者を完全に駆逐することだった
>現在、米戦争屋は完璧な対日支配体制を実現していますが、その成功要因は、自民党、民主党を問わず、対米面従腹背政治家を一掃したことでしょう。 >その結果、自民党のみならず民主党にも、アンチ米戦争屋のホンモノの愛国政治家は皆無となっています、 >とりわけ、米戦争屋にとって脅威になりそうな大物の対米面従腹背政治家は徹底的に排除されてしまいました。

わが国の政治家は、争ってアメリカの忖度に精力を傾注していますからね。ポチの群れか。

>今の日本の政治家で、有力政治家は与野党問わず、ホンモノの愛国政治家は皆無となっています。

安物の政治家は、不要になりましたね。
‘勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ’ (ヘルマン・ゲーリング)。

>なぜ、このような悲惨な状況になったかというと、対米面従腹背の代表的大物政治家・中川昭一氏を2009年、政権交代直後に米戦争屋は不審死させて、与野党問わず、日本の政治家全員を震え上がらせたからとみなせます。 >中川氏は単に失脚させられたにとどまらず、無念にも不審死させられたのは、米戦争屋の正体をばらされるのを嫌ったからでしょう。 >その意味で、アンチ米戦争屋の雄だった小沢氏も、議員を辞めたときが危険です。

小沢氏も、ジョン・F・ケネディのようにならないと良いですがね。

> 3.日本の悪徳ペンタゴン・マスコミは米国某勢力による属国統治の有力な武器と化した
>米戦争屋は昔から、軍事プロパガンダ研究に熱心ですから、日本の指導層とは比較にならないほど、マスコミ・コントロールが巧みです。

日本のマスコミには、まだ権威がありますからね。使い道があります。

>情報化社会の現代、極論すれば、彼らはマスコミを兵器の一種として捉えているのではないでしょうか。 >マスコミの次に彼らが重視するのは官憲コントロールです。>属国支配を貫徹する上において、彼らに不都合な人間を無力化するのに、属国の官憲コントロールは必須です。>たとえば、小沢氏のように彼らに不都合な属国の有力者を無力化するのに、実際、属国日本のマスコミと官憲がフルに活用されています。>そして、米戦争屋自体は、日本国民に対してステルス化していて、オモテムキはまったく、直接に手を下さないわけです。

日本人官憲の忖度は、彼らにとっても便利な働きをしますね。

>日本人のうち、特に高学歴エリートは、臆病で、恫喝に弱いことを見破った米戦争屋にとって、日本のマスコミと官憲をコントロールするのはいとも簡単でした。

日本人は、優柔不断・意志薄弱ですからね。おとなしくて、簡単な人たちです。

> 4.小沢氏はなぜ、日本の対米自立に失敗したのか
>日本民主党を基盤に小沢氏は政権交代して、対米自立(具体的には、米戦争屋からの自立)と官僚支配打破を実現しようとしていました。 >そして、念願かなって、2009年に政権交代を実現させたのですが、その後の米戦争屋および悪徳ペンタゴン日本人勢力との闘いに負けてしまいました、 >なぜ負けたのでしょうか。

致命的な誤算がありました。彼を知り己を知れば、百戦危うからず。

>本ブログでは、小沢氏は政権交代して、政権の座に付けば、日本のマスコミも官僚も小沢氏になびいてくると読んだのでしょう。 >しかしながら、現実にはそうならなかったのです。 >同じ日本人であるマスコミ人や官僚連中は小沢氏になびかず、米戦争屋ジャパンハンドラーへの忠誠を裏切らなかったのです、 >この事実は、小沢氏にとって、決定的な誤算だったと思われます。 >小沢氏の本音では、米戦争屋ジャパンハンドラーに洗脳された売国的日本人エリートの対・小沢氏への徹底した不忠を読めなかったことを心底、悔やんでいると思います。

寄らば大樹の陰。小沢氏は、大樹ではなかった。

>さらに、マスコミがそろって小沢氏の味方をしなかったため、マスコミにだまされた日本国民多数派も、小沢氏を支持しなくなったのです。 >こうして、小沢氏の挑戦は頓挫し、米戦争屋の一方的勝利で、今の日本は、2009年以前よりもひどい属国に成り下がったわけです。

‘泣きっ面に蜂’ ですね。

> 5.米国戦争屋からの自立に再挑戦するには、日本国民が彼らの対日ステルス支配に気付く必要がある >米戦争屋に牛耳られるマスコミは、属国日本の実態を国民に知らしめることはまずありません。

そうですね。日本人は、自分の忖度を相手の考えの内容であると思い込んでいます。だが、忖度は、聞き手の勝手な解釈です。だから、議論の対象にはなりません。

>小沢氏失脚後の今の政治家も官僚も国民本位の民主主義を実践する気はまったくありません。 >しかしながら、今の国民はネットから情報を取れます。 >ネットの情報は玉石混淆ですが、マスコミが報道しないウラ情報があふれています。 >この点は、マスコミしかなかった戦前の日本国民に比べてはるかに恵まれています。

そうですね。

>近未来の日本が米戦争屋の呪縛から解き放たれて、真の対米自立を実現する原動力はやはり国民の覚醒しかありません。

日本人には、意思がない。だから、日本人には、自主・独立の気風がない。

>今の日本には、米戦争屋が得意の米国流の不正選挙が蔓延していますが、それでも幸い、今の日本にはまだ民主主義の基本的仕組みが残っています。

政治音痴の政治家による衆愚政治のようなものですね。

>だから、国民の多数派が覚醒すれば、不正選挙も通用しません。

‘泰平の眠りを覚ます蒸気船’ が必要ですね。

>そこまでくれば、日本の対米自立に向けた再挑戦も夢ではありません。

夢のまた夢。

> 以上


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決断力

2019-05-03 10:12:26 | 教育

>最近、引きこもりやニート、フリーターといった、社会に出られない若者が増えている。>また、いつまでも結婚できない若者達も増えている。>この原因は、決断力の不足にあることが考えられる。

日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。意思決定に難渋している。

>大体、決断力というのは、訓練しなくとも身に付くと思っている人が多い。>しかし、決断力は、訓練しないと身に付かない。

決断力には、意思決定と恣意決定がありますからね。意思 (will) は慎重に決断する。恣意 (self-will) は即座に決断する。日本人には、意思はないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。
意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがなく、日本語の脳裏には未来時制がない。だから、日本人には意思がない。だが、恣意はある。
意思は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在し文章にならない。だから、意味も無い。

>そして、今日の学校教育で、最も欠けているのが、この決断力の訓練である。 >決断は、決して断じることである。 >一瞬にできる。>瞬時のことである。>だから、閃きのようなものである。>故に、決断は、感情が触発するのである。>気合いである。

それは、恣意決定の方ですね。

>決断は、抜刀する気合いでするのである。>決断力というのは、ある程度早い時期から養成しなければ、磨かれない。

日本人の優柔不断・意志薄弱を見れば、意思の補強を思い付かない訳にはゆかない。日本人には、意思がないから恣意を利用する。武芸の稽古を通して、動作の機敏性を養う。恣意を鍛えて、意地・根性・大和魂とする。

>一日や二日で身に付くような能力ではないのである。

そうですね。習うより慣れろ。Practice makes perfect.

>判断は、他人の意見を聞いて、決断は、自分の意志で行うものである。>その為には、自己が確立されていなければならない。

動作は機敏になるが、リーズナブルな判断は無理でしょうね。

>善悪の判断ができない者、つまりは、善悪の価値基準のない者は、決断できない。 >確かに、道徳心のない者でも、一見行動的に見える者もいる。 >しかし、その行動の源は、決断ではなく、衝動である。

そうですね。アニマルと同じですね。

>衝動による行動と、決断による行動とは、本質が違う。>何よりも、衝動的な行動は、自己を制御・抑制することができない。 

そうですね。恣意には、意味がない。だから、否定することもできない。やむに已まれぬ大和魂かな。

>本来は、人の意見を聞いて判断をし、自分の意志で決断しなければならないのに、自己が確立されていない者は、人の意見を聞くと判断できなくなり、自分の意志で決められなくなる。

受け売り専門の体質ですね。

>これでは、本末転倒である。

そうですね。

>倫理観や価値基準というのは、絶対的な基準である。>この絶対的基準という物を現代人、特に学校では、全面的に否定している。

その内容は、個人の自由でしょうね。

>しかし、倫理観が相対的基準では、困る。

そうですね。本当に困りますね。つかみどころがない。

>状況や相手によって道徳や倫理観を変えることになる。>だから、倫理観や価値観というのは、本来普遍的、絶対的基準であるべきなのである。

そうですね。‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
これは、受け売り専門の民族の悲しみですね。民信無くば立たたず。

>故に、かつて人々は、道徳と現実との間で苦しんだ。

今日でも、それは変わらないでしょう。
非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。ただの話である。話を理解するには、その文章内容を理解しなくてはならない。これには、頭を使う必要がある。
現実の内容は、頭の外にある。見ることができる。見ればわかる。考える必要は無い。
現実と非現実の内容は、お互いに所在が違う。だから、内容も同じにはならない。現実と非現実の中間の適当な点 (中庸の徳) を定めるのに人々は常に腐心しています。

しかし、現代人の苦悩は、質が違う。倫理観や価値観が絶対的普遍的でないが故に苦しんでいるのである。つまり、自分の人生のアィデンティティ、自己の一体性、一体感が失われたから苦しいのである。

‘無哲学・能天気’ 故の苦しみですね。

>そして、これは、現代人の決断力に決定的な打撃を与えた。>つまり、決断力を喪失させてしまったのである。

無意志と無哲学の苦しみですね。時制のある考え方を獲得すれば、この苦しみは克服可能ですね。
我々日本人は、日本語と英語を共によく学び、時制の大切さを十分に理解するとともに、意思と世界観の表現方法を獲得して英米人の信頼を得るように努力しましょう。

>価値基準に基づかなければ、決断には成らないのである。>明確な意志決定の基準を失ってしまったのである。

日本人には、哲学がないから価値基準もない。意思がない。だから意思決定も難しい。

>そして、人の行動を現象的に捉えようとするようになった。

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べています。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べています。

(略)


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