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水瓶

ファンタジーや日々のこと

サウーラ

2014-04-21 18:40:53 | 彼方の地図(連作)
カメは長生きな生きものですが、その中でもサウーラは、とても長生きな方のカメでした。どのぐらい長生きかというと、百年ほど前に、バーバリオンが王様になった時のことも、よく憶えているほどでした。好奇心旺盛なツバメたちが速い翼にものを言わせ、宮殿まで新しい王様を見に行って、また飛んで帰って来てあれこれと噂するのを、水の中からじっと耳を傾けて聞いていたものでした。(ですからその時にはもう、サウーラはすでに言葉を聞くことが出来ていたのです。)新しい王様は体中すり傷だらけで、おまけにほおがげっそりやつれて顔色の悪い、ケンタウロスの若造だよ、と。

サウーラは生まれてこのかた、沼から出たことがありませんから、その目で王様を見たことはありませんでした。バーバリオンがティティを探しにこの沼まで来て、初めてその姿を見た時には、こりゃまあツバメの噂よりはずいぶん堂々としていて、立派に王様らしいじゃないか、と思ったものです。

クァロールテンの山頂からこの沼に虹が下りて、ティティの羽が虹色になった時には驚きましたが、それほど不思議には思いませんでした。サウーラにとってはこの沼が世界のすべてでしたから、ティティという小さな妖精は、その背丈よりもずっと大きな存在だったのです。

サウーラは、ティティがこの沼にあらわれた時のことも、よくおぼえていました。虹色になる前は、ごく普通に見られるキアゲハチョウの羽をしていて、ミツバチのように蜜を集めるわけでもないのに、花から花へとやたらにひらひら飛び回っていたのです。そうしてサウーラには見ることのできない、木の上にある鳥たちの巣のことや、すばしこいリスやかしこいサルやなんかの話を、よく聞かせてくれました。そんな風にティティは、サウーラの世界を少しだけ広げてくれていたのです。

灰色になる前は、小さいけれど澄んだ水をたたえる美しい沼でしたが、沼の底には、長い間に降りつもった泥がたまっていることも、サウーラはよく知っていました。それはどこの沼も同じなのです。激しい雨が何日か続けば、地面の土が流れ込んだり、底の泥がかきたてられたりして、水は濁って茶色くなります。けれど、雨がやんで何日かすれば、またもとの通り澄んだ水に戻ることも知っていました。

(水面があって底があれば、何でも上から落ちて来たものが沈んでたまるに決まっている。そこはカエルやイモリや、カニや貝やヤゴにとって、居心地のいい住みかだ。水草も根をはることができる。外の世界も、きっと同じようだろう。どんな所にだって、そこに住みつくものはいるものさ。じゃが、灰色の場所は違う。あそこだけは)

サウーラは、沼地の中でもいちはやく灰色の場所に気づきましたが、あまりにばくぜんとしていて、しばらくは、それが意味する所がよくわかりませんでした。やがて灰色が広がってくるにつれ、そこに住んでいた生きものたちが死んでしまったり逃げるなりして、後にはもう、何も住んだり生えたりできなくなることが、はっきりとわかって来ました。そして、この沼が全部灰色に変わってしまったなら、自分ももう、ここに住むことができなくなるということに気がつきました。それはサウーラにとって、生きられなくなることを意味していました。

(だとしても、しかたのないことだ。わしはずいぶん長く生きた。じゃが、わしが死んだ後も、この沼が美しいままで残ってくれるなら、わしはきっと、この沼の底に沈む泥になることだって、嬉しく思えるだろうに。そしてあの忘れっぽいティティが、アイリスの葉に腰かけて、たまにでもわしのことを思い出してくれたなら、もうそれ以上望むことはないんじゃがのう)

サウーラは、青い月が水面に落とす光のすじが、水草のようにゆらゆら揺れるのを眺めながら、まとまりのない不安や望みを、静かにかみしめていました。


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