鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

日本人の意識その3

2016年04月08日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 「あわせとえらび」について取り上げたい。子供の頃から自主性を大切にし、学校教育の中においても、普段の生活を通じて、多くの場面で、自分の意見や判断を求められてきた。

 根底には、多数決という物事の決定方法を学ぶのであるが、集団の大多数に意見等が集約されることと、自主性とは、ある部分で相反する。人によって意見が違う現実に直面し、判断力が乏しい段階では、大勢に迎合せざるを得ない。つまり自主性とは、個性を形づける性格や、経験が大いに影響する。

 

 我が国が個人に求めることは、ルールの遵守である。法律や条令などの規則の決定段階では、個人の考えや、行動は、大勢が決めたルールに縛られるため、個人は埋没しやすい状況に置かれている。集団主義は、自由主義を凌駕してきた我が国の歴史は、そう簡単には個人主義を迎合しないであろう。村社会を例に取れば、社会の縮図として、村の長の判断が村全体の最終決定を司る。個人主義は利己主義と混同され、個人への攻撃や、無視が行われてきた。特に農村部では、一人の労働力では村全体の効率化には十分ではないであろう。力を合わせることによる集団的行動が必要であったからである。

 

 そこで、あわせるという行動や、物事の判断過程で生まれてきた。そこには自主性がないようであるが、そうではなく、相手を尊重し、その中で我慢することや、相手との関係、拡大すれば、運命共同体との関係を良好に保つことに繋がる。そこには利己的な個人主義は姿を消し、ウィンウィンの関係を保つことが出来る。別の言葉でいえば、村なり・グループなり・組織の所属には個人主義の蔓延る(はびこる)ことの限界があることが分かる。

 

 一方で、欧米の個人主義は、個々の存在と、考えや行動を認め、人はそれぞれ異なるということから出発している。人種、宗教、家庭環境等総てにわたり異なるが、共通していることもあり、必ずしも異質を総て受け入れるかといえばそうでもないことも多い。あえて傾向をいえばという特徴を指摘しているのである。

 

 えらびは選択肢があり、選んだ選択肢の範囲での責任を全うするということで、その裏にはその行動を担保する神(聖書)の存在がある。つまり、行動は全般的に、常に神との対話があるようで、我が国のあわせとは全く異なるこことなる物である。強いていえば、あわせを担保するには神の存在は意識すらされず、相互の信頼関係が左右して、担保することになると思われる。たぶん、我が国は海に囲まれた島国であり、異民族との接触がほとんどなく、幸か不幸か、個人主義の土壌にはなかったからといえる。


日本人の意識その2

2016年04月07日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 今後、気に留めているいくつかの項目を自分の視点で掘り下げてみようと考えている。重複する部分もあると思うが、切り口を変えることでお示ししたいと思っているが、個々のテーマについては、勝手な区分であり、適切な事例を示すことが出来なくても、お許し願いたい。最初に取り上げたいのは、本音と建前である。

 

 ご賢明である読者にとっては、わが国独自ではないと思われるが、都合がよい一種の対応であり、こととして、場合として十分活用できる手段であろう。あまり露骨すぎると、信用を失うことになり、さりげなく使い分けることも世渡りとしては、大切な手段でもあろう。特に目上で、上司ともなれば、ご高説を否定できないし、さりとて、全面的に承服できない状況では、使い分ける微妙なタイミングを失うことなく、結果オーライであれば選択できる手段でもある。

 

 本音で通じ合う世界であれば、それこそ胸襟を開き、本音で語り合えるのであるが、浮世はそう単純ではない。物事には表裏があり、場合によっては三次元、四次元の判断もありうる。少なくとも本音で語り合える間柄でないと言葉に詰まる。建前は、本筋であり、これは否定できない論理である場合が多い。本来物事の表裏はいかにして生じるのであろうか、建前は、法律なり、慣例で、あまたの人が遵守すべきルールともいえるし、ご政道である。そこには、柔軟性を有りとした判断する余地があるのであるが、そこは置いて、柔軟性の中で、本音に近くとはいえ、限りなく異なる判断を有することができるとしている立場といえる。

 

 本音と建前が融合することはほとんどないが、結果をどう誘導するかの判断は、自分にあるのではなく、あくまでもご政道の範疇であることを認識しておくべきといえそうである。しかし、時間の経過とともに、建前が崩れることも多々ある。数の理論がそれを覆す場合があることであり、建前の重要性は、衆目を気にしないわけにはいかないからで、建前はもろくもあり、崩れることもありうるのである。

 

 たとえて言うなら、目に見えない存在である霊魂は、目に見えないから否定すれば事足りるかといえばそうではない、宗教の世界を見ればすぐに納得されるであろう。目に見えなくても、物質が重さを持たなくてもあるとの結論がまかり通る世界なのである。本音と建前が自分には食い違うと思っているが。日常に起こることでさえ、気が合わない隣人の挨拶などは本音と建前を使い分けているのも事実であろう。状況や、立場を考えてのことであり、どう判断するかの選択は自分であり、真実は闇の世界といえそうである。


日本人の意識その1

2016年04月06日 00時00分01秒 | 緑陰随想

序論

 日本人の意識の根底にある潜在意識なのであろうか、共通の概念が、身についていることが今後どのように変わるのか、それとも変わらないのかという視点で、何気ない生活の中にスポットを当て、日本人の本質に迫ってみようと思っている。よく自分のアイデンティティや日本人のアイデンティティという概念があるが、自らが上述の世界にいるとわからない、または知る必要がないために、深く追及することもなかった。国際化が進み、己は何であるかとの問いに答えるためには、先ず、違いを明確にする必要が生まれてくる。

 

 これを文化人類学、比較文化論、国際文化論などというのであるが、比較対象があってはじめてその違いが分かる。その考察のためには、少なくとも、対象範囲をどこまで広げ、人種的、時代的、地域的、相互の関係等の過去に遡らなければならない。しかし、この作業は膨大となり、時代を特定しても、完全な違いを見出すことは不可能に近い。

 

 世の中は常に変化し、人の往来や、主義主張、民族の移動や戦争、自然災害、病気、イデオロギー等様々な要因による推移を把握することは困難であろう。そこで、現在に絞り、比較することによって異なる状況についてその世界を掘り下げることが、わかりやすいと考えている。いくつかの切り口からその原因や、仮定を考えてみることも大切なことと思っている。

 

 アイデンティティという概念は、自らを表に出すことが憚(はばかる)られてきたわが国いおいて、ほとんど話題にも上がってこなかった主な理由は、長らく戦争のない独立国家での集団主義の世界に身を置いてきたためと考えられるが、欧米の個人主義の台頭によって、わが国も少なからず影響を受けてきたと思われる。自分とは何なのか、自国とは何なのかを対外的に問われることになったからに他ならない。狭い地域にいる限りでは、対外的な問いもさほど問題になることはなかった。情報がグローバル化している現在、情報は必要以上に求めれば、逆に求められる時代に入っている。個人ではなく、所属する組織でもなく、境や範疇を越えた対象との共存を問われているのである。

 

 そのような視点は職場でも、教育現場でも、地域社会でも家庭でも問題としてこなかったことであるが、良いか悪いかは別として、共存するための自己認識を求められる状況になっていることは、少なくとも自分を知る、わが国を知る、地域を知る、歴史を知ることで、自分のアイデンティティを知ることに通じるのである。このような概念の課題は、具体的な事例を必要とするであろう。今後、自己の接して経験の中で見いだせた事例に基づき分析を進めていきたいと思っている。


春の味覚

2016年04月05日 00時00分01秒 | グルメ

 栽培技術が高度化し、一年中市場へ出る食材が多くなった。これはこれ良いのであるが、便利さとは裏腹な、季節感が失われてしまったともいえる。特に冬場の食材が少ない時期と異なり、春に登場する新鮮で廉価な野菜が多い。温室栽培は外気温を高める効果ばかりではなく、灯油を焚き、送風することや、配管を通して温水を循環させるタイプもあるが、温室内の温湿度を一定に保つことができる。

 

 しかしながら、植物の成長や、結実には、活動のパターンに違いがあり、つまり、温度や湿度によって、必要な成長ホルモンのスイッチが入るのである。例えば、トマトは、完熟させるのに、水分を加減し、枯れる寸前まで乾燥状態を保つと、糖分が上昇し、完熟するといわれている。栄養がありすぎても葉や茎ばかり伸びて結実しないとか、いちごでは温室が外気と遮断されれば、受粉が困難となり、受粉用にマルハナバチなどを利用し、結実させている。

 

 このような閉鎖空間ならではの管理技術には作物の生態を十分に把握し、条件に合った生育方法等が工夫されている。植物によっては温室に向かない品種もあり、人工栽培とは異なる味覚を作り出している。春野菜には特にそのことが当てはまるであろう。一年中店頭に並ぶセリ、タケノコ、ウド、フキなどは、自然に栽培されたものの方が、アクが強く、香りも高い。春野菜や山菜には自然栽培や野山に自生する収穫が適しているようである。

 

 自分が思う春野菜のタケノコは今が走りであり、大きさも小さい、旬になれば大きく成長したタケノコが出回るが、冬場は水煮で我慢していたタケノコから生のタケノコを入手可能となり、独特の苦みや渋みにはあく抜きを余儀なくされるが、少々苦みがあり、えぐく感じるぐらいのあく抜きに心がけている。食感の良さは固さであり、繊維の弾力性でもある。特に大事なのは、ゼンマイ、ワラビ、フキなどに含まれているこのえぐ味である。渋いとはちょっと違うが、山菜には味覚の一つとして加えてもよいと思う。

 

 このえぐ味は、植物が持つ防衛手段で、野鳥や、他の昆虫・動物からの食害を防いでいるように思う。それを味覚などというのは人間の身勝手な思いで、植物にとっては生存をかけているための手段なのである。

 

 春の喜びは食材にも関係する。今年初のタケノコは、炊き込みご飯がふさわしい。薄口で仕上げるとタケノコの香りと食感が楽しめる。春に登場する自然の味覚を満喫したい昨今である。


ニードルタティングの効用

2016年04月04日 00時00分01秒 | 紹介

 4ヶ月前に始めたニードルタッティング、基礎編は終わり、応用編に入っているところだと思う。というのは、どこまでが基礎でどこからが応用であるのか、指針があるわけではなく、自らが勝手に思っていることである。専門の教室に通うわけではなく、師と仰ぐ方についての習得ではないから、評価してくれるのは、周りの家族や知人だけであるからである。

 

 始めた当初は、もっぱらの指導者は、パソコンで検索した動画の先生であったし、現在も基本的には変わりがない。専門書も我が国では見かけないし、洋書にしてもアマゾンドットコムで、適当に注文した冊子だけであるからだ。基本は非常に単純で、百円ショップで販売されているレース糸、ぬいぐるみ針の針先を加工した自家製のタッティング針、糸通し、はさみと、クゲ針ぐらいである。タッティング針は17cmほどの長い針一本である。

 

 長く続けていけるのかどうかは、人によって異なるが、4ヶ月も続いたことからして、たぶん、もうしばらくは楽しませてくれると思う。というのは、編み上がった作品が、以外と人気が高いのである。若干気を悪くしないように、外交辞令的なお褒めをいただいているのかも知れないが、孫も鞄に付けたりして楽しんでいるようである。「だいぶ上手になったねと」の言葉もあり、年齢からしてお世辞とは思われない。

 

 女房を通じて、知人に差し上げたこともあるが、総じて評判が良く、注文も出始めている。最近は、コスター、携帯電話のストラップ、ブックマーク(栞)、ブレスレット、ドイリーなども手がけているので、日常的に使える範囲が広くなってきた。イヤーリングや、スノーフレークなどの小品も人気がある。それぞれは、英語の動画サイトで、外国人教師が提供しているため、日本人には似合わない小品が多いが、何に使っても良い。日本人の講師が紹介する動画もあるので、時々見ることにしている。

 

 人様に差し上げることによって喜ばれるのは作った甲斐があるというもので、70の手習いというか、指先を動かすことによる脳への活性化と思って始めた編み物が、想像もしていなかったプレゼントで、多くの方が喜んで使って頂けることとは考えもしなかったことである。これによって同じ思いの仲間が一人でも出来ると良いのであるが、いつのことになるのか、先のことは分からないでいる。もう少し自学自習で技量を高めるため、続けたいと思う。


桜餅とウグイス餅

2016年04月03日 00時00分01秒 | 紹介

 春は和菓子が風情を掻き立てる。お茶の席には良く似合う。季節を感じる和菓子の特徴をよく生かしているといえる。風流と言われる茶席は、目で見て、香りとともに、舌で味わう。食感も大事で、餅とあんこのバランス、餅に巻いた桜の葉もよい。

 

 桜餅を包む葉にはクマリン(芳香族の炭化水素でラクトンの一種)という天然の香料物質があり、これが独特の香りを醸し出す。生の葉は香りがないが、傷をつけたり細胞を壊すことで、酵素が作用して香りを出す。クマリン自体は毒性があるので、塩蔵するのであろう。多量に摂取すると抗酸化性や抗菌性があり、肝臓や腎臓に悪いようであるが、和菓子に使うぐらいを食しても問題はない。桜の葉で包むことによって、餅の乾燥を防ぐためでもある。最近は塩蔵の葉ではなくプラスチックのフィルムを使っているものもある。

 

 桜餅といわれるのは、餅として使われている材料の違いによって二種類があり、こしあんを小麦粉を使ったて薄く焼いたスポンジ状の餅と道明寺粉を蒸して餅状にし、餡を包んだものである。前者を長明寺、後者を道明寺と呼ぶそうである。自分は道明寺だけを桜餅として育ったため、長明寺についてはさほど食する機会はなかった。関東と関西では好みが異なるが、色合いは長明寺の方が良いようである。

 

 ウグイス餅は餅や求肥(ぎゅうひ)にヨモギ等を練り込み、餡を包んで、小鳥の格好にした和菓子で、黄な粉をまぶす場合もある。鶯色をしているといわれるが、鮮やかな薄緑色はどう見てもメジロ色である。なぜ鶯色というのかは不明であるが、どなたかが間違ったのであろうと思っている。実際のウグイスは褐色に近く、緑系ではあるが、鮮やかな色ではない。

 

 ウグイス餅は、形と色を愛でる和菓子で、桜餅とペアーで振る舞われることが多いようである。どちらも春を感じさせる和菓子といえよう。ウグイス餅はヨモギを練り込めば、ヨモギの香りも楽しめる。桜の葉とヨモギの葉の香りも春らしい香りである。

 

 一年を通じて、和菓子は季節を先取りしているようで、ひな祭り、五月の節句等のイベントや、四季折々の環境を模して造られ、食されている。これもわが国を代表する食文化であろう。目で見て、色合いや形を楽しみ、ほのかに発する香りを感じ、口の中で味覚を味わう。和菓子には季節を感じる要素を多分に持ち合わせていて、ゆとりある生活と食文化を大切にしたいものである。


桜の満開

2016年04月02日 00時00分01秒 | 紹介

 地域の桜、ソメイヨシノが満開となった。開花宣言は気象庁が特定場所の開花した花の数を調べて、開花宣言を行っている。同一種であるために開花する時期を特定でき、温暖な地域から咲くため、南から北へと日を追うごとに開花する場所が北上する。関東が開花すれば約1か月後に開花前線は津軽海峡を渡り、北海道へ移る。このことと同時に、標高が高い山岳地帯でも桜の開花は、すそ野から高い部分へ移動する。一本の桜の木でも、はじめは下枝に花が咲き、数日後には満開となる。開花宣言が出た後、1週間後には満開となり、受粉が終われば、開花しておく意味はないため、散っていく。

 

 桜の専門家の話であるが、ソメイヨシノは受粉しても種としては成長しないため、種が保たれ、雑種の交配は難しいようである。いうなればクローンのようで、完全な交配ができないようである。そのため、開花前線が利用できるそうである。そのため、増やすためには挿し木か株分けを利用する。しかし、さくらも種類が多く、自分が知っているだけでも、河津ザクラ、緋寒桜、枝垂桜、ヤマザクラ、八重桜、佐藤錦などのサクランボの木などがあり、交雑種もあるようで、本当のところはよくわからない。

 

 そもそもソメイヨシノは、江戸緋寒桜と大島桜とが人工交配で誕生した我が国で誕生した品種といわれていて、サクランボのような実を持つが、種ができても発芽しないのかもしれない。数年前にサクランボの種を植えてみたが条件が悪かったのかもしれないが、発芽した記憶はない。

 

 桜の名所は多くあり、冬から春への象徴的な花で、多くの人に愛されている。丁度、受験シーズンが終わり、その結果を桜咲くとか桜散るなどと合否の通知にも使われる。小学校のテストには桜の花びらを模したゴム印が押されていた。桜が散ることを潔しとした戦時中の特攻隊、人の命の代弁に使われることがないようにしたいものである。また、時期的に入社式や、入学式の時期にあたるため、桜の満開に合わせた夜桜見物、桜の木の下での歓迎会や歓送会が行われる。満開もよし、散る花弁は花吹雪、水面に浮かんだ花弁は花筏など優美なイメージも沸く。

 

 結婚式などのおめでたい席には、さくら茶が振る舞われる。しかし、ソメイヨシノの寿命は60年といわれ、老木には毛虫が付きやすく、伐採された老木も哀れさを誘う。手入れによっては200年近く花を咲かす老木があるという。枝垂桜である。特に注意が必要なのは勢いがよい春先などには剪定しない方がよいそうである。切り口から黴菌が入りやすいためである。


ニコンD7200マニュアル

2016年04月01日 00時00分01秒 | マニュアル

 カメラの付属品である取り扱い説明書はA4の大きさの1/4であるからA6になる。ページ数は383ページであり、その厚さに驚いた。厚ければ良いわけではないが、これでは最初から読む気が起きない。パラパラとめくって、必要と思われる初期設定等は出荷時点である程度済んでいるため、そのまま使っても支障はないが、メーカーによって、若干機能面で異なるため、一通りは目を通すべきと思っている。どの機種であっても、付属品で同送されるバッテリーは充電されていないため、これがまず最初に行うことである。

 

 カメラ本体のボタン機能については、他社と異なる名称や、マーク、位置が違うため、各部の名称と機能を知っておく必要がある。長年ニコンの機種を使い慣れている方であれば、想像がつくし、さほど苦にはならないと思われる。動画機能や、録音、データ送信等はほとんど使ったことがないし、今後も使う予定はないので、読み飛ばすことにした。液晶画面は、めったに使わないが、撮った写真の明るさや構図等を見ることはあるため、今後熟読しようと思っている。

 

 バッテリーの充電は2時間弱で終わった。カメラにバッテリーと準備してあったSDカードを挿入した。標準レンズを取り付け、付属品のストラップを取り付ける。簡単な撮影と再生の紹介ページに進むと、大方の感覚が分かる。以後は時間をかけて初期設定を行うが、ニコンのホームページから、取扱説明書をダウンロードすることができるので、パソコン画面から見ることも可能である。ニコンのユーザーとしての登録を行った。カスタマー登録である。画面の指示に従って、登録を完了する。カスタマーIDとパスワードが入手できる。引き続き、ニコンイメージプレミアム会員になれば、各種の情報提供を受けられる。年間会員費はなく、無料で登録できる。

 

 登録が完了すると、ファームウエアやソフトウエアのダウンロードができる。ソフトの中で必要なのは、画像加工ソフトである。(ViewNX-iPictureControlUtility 2CaptureNX-D)等がダウンロードできる。それと、購入したカメラ本体、レンズ等は登録することによって、おそらくファームウエアや関連情報を知らせてくれるためである。

 

 どのようにマニュアルを利用するかは、それぞれの経験で活用すればよいが、自分が撮影したいと思うシーンや、活用の仕方によって、設定も異なるため、標準設定を使って対象物を撮影後、設定変更でどれぐらい差が出るかを知ることがよいであろう。そのためには、被写体を一定に決め、撮影条件の同じにすることが大切である。