引き続きイソシギのアップショットです。
自分も職業訓練で塗装関係の仕事をしていたが、定期的に実施される職業病予防検診では問題なく過ごしてきた。吹き付け塗装作業では必ず活性炭入りの防塵マスクを装着して作業に当たるように指示したものであるが、室内での塗装作業では、排気装置である水洗ブースや、密閉した吹き付け専用の塗装乾式ブース内で作業は出来る。しかし屋外での作業では、作業者はマスクを装着しても環境を悪化させることは防止できない。問題となるのはむしろ有機溶剤臭の方であるが、塗装材料の研究開発で、殆どの塗料は水溶化して、有機溶剤の飛散を極力セーブ(抑制)している。
作業者にしてみれば防塵マスクやホースマスクで防御できたとしても、長時間粉塵の中での作業では身体によい影響は与えない。定期的な作業時間の報告と職業病検診は、労働安全衛生法で規定されている。
問題なのは、成分がはっきりとしている職業上での特定有害物質・粉塵ではない、黄砂、PM2.5やダイオキシンなどの光化学スモッグである。これらの物質と病気発生との因果関係ははっきりとはしていない場合も多い。また、発生原因や、環境悪化予測の研究は気流や地形、気候変動等と関連しているといわれている。地球規模の変化もありで、特定が困難なことも多く、研究途上にある。
黄砂を除き、自然に発生するわけではないので、原因の究明や、発生源の管理が必要であることはいうまでもない。発生物質の保管や制限と共に、発生量の定期的計測と監視、報告義務を科し、違反した企業等には厳しい処罰や公表が科せられなければならない。
黄砂の場合には、人間や動物の健康被害(呼吸器疾患、感染症、喘息、アレルギー性鼻炎、結膜炎など)や日照の悪化、交通傷害、洗濯物や車の汚染、受信障害、精密工作機の不調等があるが、良い面もあり、土壌の改良で、黄砂によって運ばれたミネラル分が土壌を肥やし、農作物の成長に寄与する。また、海水にとけ込んで、プランクトンの餌ともなり、その連鎖が漁場を広げるという研究報告もある。(このシリーズ最終回です)
初詣で有名な成田山新勝寺での年始に向けて行う、煤(すす)払いがテレビで放映されていた。
境内にこの1年に溜まった埃を長い竹笹を使って僧侶や信者が埃を払う年中行事である。
ご本尊の不動明王像は丁寧に布で拭いて清めていた。圧巻だったのは、講堂の畳間の掃除である。竹棒を両手に持ち、若い僧侶が作務衣を着て手ぬぐいを被り、マスクをして、横一列に並んで畳を叩く。大音響が講堂内に響き渡り、埃を巻き上げる。
原始的ともいえるこの行事を見て、思ったことは、埃が飛散する風景である。一年間掃除もしなかったわけではないであろうが、よくもこんなに埃が溜まる不思議さと掃除の仕方であった。空気中に舞い上がった粉塵は容易には落下しない。吸塵機で吸い込む様子の放映はなかったので、どのように始末したのか疑問に思った。古くは畳の間の掃除ははたきで埃を払い、落下を待って茶殻か濡れた新聞紙をちぎったものを撒いて、静かにほうきで掃き集めていた。現在では掃除機があるのではたきで埃を払い落とすことはない。
新勝寺の若い僧侶にはご苦労様といいたいが、埃の一種(エアロゾル)である中国の主要都市で発生するPM2.5(浮遊微粒子状物質 Particulate-Matter)の現象、春先に我が国まで飛来する黄砂、排気ガスが原因で発生する光化学スモッグ等、生活環境は時として劣悪環境に変わり、健康被害をもたらす。普通、吸い込んだ粉塵は肺で濾過され、痰(タン)として体外へ排出されるが、吸い込む量が多いと肺の機能を著しく低下させ、気管支炎、喘息、肺炎などの病気を引き起こす原因となる。
職業病としては、石工等が吸い込む微細な石粉、駐車場のむき出しになっている鉄骨等に吹き付けたアスベスト(特に解体時に飛散する)、炭坑等鉱山労働者が吸い込む炭塵などによる珪肺がある。長年この物質を吸い込むことで徐々に肺の機能が破壊され、死に至る恐ろしい職業病である。(次回へ続きます)
刈り込みのポイントは、高いところから作業を始めるが、まずは今年伸びた徒長枝を切り落とす。木が繁茂し過ぎていれば、枝を落としていかなければならない。この場合は、樹木は上に伸びるため、樹勢は葉先や上部が強い。一定の高さを維持したい場合には樹勢の強い枝から詰めて切り落とす。剪定後の姿をイメージ(一般的には樹形の種類は多くあるが、直幹、模様木、株立ち、双幹、等である。直幹は円錐状なるよう、枝が下から螺旋状を描くように配置する。)し、日光と風通しを良くするため、車枝(同じ高さの幹の回りに数本生える枝)は樹勢の強い枝を1本にする。
かんぬき枝(幹の同じ高さに左右に出た枝)は枝の螺旋の順番で一方を切り落とす。立ち枝、重なり枝、交差枝、かえる股、懐(ふところ)枝、逆さ枝なども切り落とす。切り口は幹や太い枝に沿うように切る。幹自体が二股に分かれたものはあまり左右に離れると形が悪くなるため、一方を切った方がよい。木の形が決まったら刈り込み鋏みを使って葉と小枝を切りそろえていく。
電動バリカンを使う剪定はツツジや五月のような密生した花や垣根に沿って植えたサザンカ、マサキ、槇、トショウ等の平面やつげ、ドウダンツツジ等曲面を出すときに使うときれいに仕上がる。電動バリカンはコードを巻き込むとショートして電源が切れるので注意する。また、雨天では感電する恐れがあるため使用しない。
柿の木や、松、などは害虫の防除のために幹に菰を巻いて剪定作業は終わる。切り落とした枝や葉はゴミ出しのルールに沿って切りつめ、袋に詰めて作業終了である。最後に樹木の栄養補給に化学肥料を撒いておくと良い。
剪定作業は当たり前のことであるが、樹木の性質に応じた剪定時期と剪定方法で行うことが大切である。散髪屋に行って様々なヘヤースタイルを選択するのと同じである。前にも述べたが、木々が樹勢を持ち、成長するのには日光と降雨と栄養が必要で、特に葉に日光が良く当たるように考えて剪定することがポイントとなる。最近はバランスを崩し、脚立から落ちる事故も多いと聞く。どうか、刃物を使うこともあるので、家族等の見守る中で行うことをお薦めしたい。(このシリーズ最終回です)
正月前にはどの家庭でも大掃除をするが、最近はあまり大がかりな掃除風景を見なくなった。普段からこまめに手入れが行われているからであろうか。この地区の庭木の手入れは造園業者が近所の家を回るので、殆どが業者任せであるが、我が家では花芽が付いたロウバイ(蝋梅)を切り落とされたことが過去にあり、また紫陽花についても高さが1Mぐらいに揃えて剪定され、楽しみにしていた梅雨時には全く咲かなかったこともあった。これでは造園業者を入れても意味がないと思い、自分で剪定している。自分で剪定することによって、樹木に愛着が湧き、花芽を切りすぎないため、時期になると着実に開花するようになった。
剪定に必要な道具は目新しいものはないが、電動や混合ガソリンを使うバリカンぐらいで、剪定鋏み、大型の剪定鋏み(刈り込み鋏み)、ハンディな枝切り用のこぎりである。アルミ製の脚立があれば高いところでも脚立に登り剪定できる。軽量な高枝鋏みもあるが、これは主に柿の実を収穫するときに活躍する。アルミ製で伸ばせば5Mにはなるが、剪定方向と力の加減が難しく、安定しない。鋸刃を取り付けて高枝を数本切るには良いかも知れない。根本から太い幹を切るにはチェーンソーが活躍するが、使ったことがない方には危険が伴うためお薦めできない。
以前このブログでチェーンソーの取り扱いに触れたことがあるので興味がある方はご覧頂きたい。
落葉の後の樹木は眠りに入ると聞いたことがあり、冬場に掛けての剪定は樹勢を落とさないというが自分はそうは思わない。その理由は花芽や新芽は活動を押さえているだけで、眠っているのではなく、春に開花することや新芽をのばすための準備に入っていると思っている。(活動の時期は気温と湿度、日照時間が関係し、条件が合うとスイッチが入り、活動を始める。北国で一番始めに咲く花はマンサクの花といわれている。周りに残雪があっても咲く。関東ではサザンカの花も早春に咲き始める)従って、椿やサザンカ、桃や梅などでは、あまり切りすぎると花は咲かないし、実も付けない。当然、花が蕾の状態で冬を過ごす椿やサザンカも、この蕾を切ると花は咲かない。樹木によっては芽吹きの良い木もあるが、多くの樹木にはそれぞれの性質があるので、どんな木でも剪定すればよいのではなく、剪定する時期も異なり、そのことを知って剪定をする必要がある。
川崎市の樹木はユリノキであり、市道も歩道脇には良く植えてあるが、夏にかけて葉が良く茂る。信号機や道路標識に被ってしまうため、夏場と冬場に刈り込んでいる。そのためきれいな大きな花が咲く木であるが、花を全く見たことがない。(次回へ続きます)
日系移民で英語圏に行った一世はまず英語は話せない。二世になって日本語半分英語半分での生活、三世になって初めて英語が話せるようになると聞いたことがある。一世代を25年と考えれば、75年の年月が必要と単純計算できる。そこまで年月を掛けなくても、今流行のスピードラーニングで学んだとしても、1年でものになれば優秀の部類に入るであろう。
交渉ごとや会議の受け応え、説明やディベートといった段階には英会話だけでは用を足さない。従って、何のためにどのレベルまでの英会話力を目標にするかによって、その展開と取り組み方法が異なってくる。
自分は、海外の仕事を長年続けてきたが、正直、講義には通訳の手助けが必要である。
日本語でも同様であるが、双方の立場や考え方の違いによって理解の仕方が異なることもある。 微妙なニュアンスまで英語圏の人と対等に会話が出来るようになるには経験が乏しく無理があり、早々とあきらめている。であっても、常に流暢にしゃべりたいという思いは継続している。
特に約束事や金銭が絡むことは国際問題まで発展することもあるので、早計な判断は難しい。そのようなときは専門家に振ることにしている。
つまり、目標の設定にはレベルがあり、目標をより細分化し、具体的に決めておいた方がよい。漠然とした目標では達成目標も揺らいでくる。まずは3ヶ月ぐらいの計画を立ててみてはどうであろうか。達成目標を段階的に小さなパッケージにしておいた方がよいということである。逆説的であるが、目標を達成できないことの方が簡単に達成してしまうよりは根気がいるし、より深く捉えることにもなる。達成出来ることが当たり前ではないと思う。
大切なのは目標が達成できない場合であっても、そこで自らを卑下し、卑屈になり、落ち込まないことである。誰しも達成できている訳ではなく、自分だけが意志薄弱で達成できないと考えない方がよい。仕事を遂行するために必要となる資格等については、おそらく多くの啓蒙書や受験対策の専門書があるし、資格を取得している人が回りにいれば、その人に聞くのが手っ取り早い。
年の初めから説教じみた内容になってしまったが、一年の計は元旦にあっても、別段、新年に拘る(こだわる)こともないし、思い立てばそのときで十分である。禁煙など目標を立てて、達成できた例し(ためし)はなく、挫折の連続で、自らを律しなければならないことは重々承知で、老婆心ながらその心構えを申し上げた。(このシリーズ最終回です)
新年を迎え、今年の目標を既に立てられた方も多いと思う。そのことは大いに賞賛に値する行為であり、その実現に向けて取り組まれていくことは、本人の励みとなり、目標を達成した暁には、この上もない満足と、喜びが待っていることであろう。ステップバイステップで、更なる目標の足がかりになることは確かである。喩え、途中で挫折したとしても、立ちはだかった障壁(バリアー)の何が原因で挫折となったかが判るので、その障壁をどのようにして乗り越えていくかの迂回路又は障壁の高さを下げる工夫や、類似した目標の再設定等の代替措置がとれる段階を迎えることになる。
何もしなかった場合に比べ、目標に一歩近づいたことに変わりはない。誰しも、どうしても最短距離を望み、時間と労力を惜しみ、途中であきらめてしまうことも多い。しかし、簡単に目標が達成してしまうのも、満足がいかない場合もある。その場合は目標の設定が低すぎたのかどうか考えてみる必要がある。
おそらく、天才や、超人でない限り、物事の達成には一定の時間(経験)と、知識、技術、技能、知恵などの要素が絡んでいて、そう単純で簡単ではないことが多い。物事が判る、又は判ったからといって、では実際に行ってみるとうまくできないことが多い。メカニズムは理解しても、実際に運転できるかといえばそうではない。
例えば、自転車でいえば、ペダルを踏むことでその動力が後輪に伝わり、自転車は前進する。方向を変えるのにはハンドル操作で、止まるにはハンドブレーキを握る。誰しも判っているからここまで説明する必要もないが、ではこのメカニズムだけを知っていても、果たして自転車に乗ることが出来るかといえばおそらく無理であろう。
英会話が小学校教育の中で必須となる日も近いといわれているが、多くの日本人は我々の年代でも中学から始まり大学まで文法、英作文、英会話等を学んできたが、日常会話ですら、まともに外国人と話すことが出来ない。英会話を使う環境があり、日本語が通じなければ、否が応でも英会話の必要性が高まり、序々には慣れて行くであろうが、そう簡単ではない。(次回へ続きます)
以前、このブログで紹介した(日本近代化の要因(2回シリーズ)その2)文部官僚をしていた叔父の随想の中に、廣瀬淡窓について引用した漢詩を記載した文章があるので以下にその一部を再掲する。
「維新前後には、西欧分明に目覚めた先覚者が、禁を犯して海外に渡航し、帰国後指導者となった事実も見逃せない。新島譲・福沢諭吉などはその代表的な人物である。明治政府も1870年に「海外留学生規則」を制定し、優秀な人材を官費留学生として派遣した。
その後数回の改正があったが、明治年間(45年間)に海外へ派遣された官費留学生総数は719名(うち女子7名)に達した。これら帰国留学生の多くは、帝国大学の教授として、また、官界・政界の指導者として活躍した。この官費留学生制度は1921年に改正され、現在の在外研究員制度に移行したのである。
明治時代に留学した人たちは、英・米・仏・独などの欧米諸国に派遣されたが、言語
・風俗・習慣の障壁を乗り越えて、在留国の学生に劣らぬ優秀な成績を修めた者も多かった。また、残念ながら中途挫折して帰国した者も20名もいた。これら先覚者が嘗めた辛酸は、想像に難くないし、またいろいろな逸話もあるが、紙面の都合で割愛する。
自分の先祖、広瀬淡窓(1782~1856年 江戸時代末期の思想家・教育者)の創設した咸宜園には全国から3,000人の人士が集まった。淡窓の詩に「休道 他郷多苦辛 同朋有友自相親(下略)」という言葉がある。その意味は、「文句を言ってはいけない。
他国で修行するには苦労が付き物だ。しかし、学友の中には必ず親友が出来てお互いに扶けあうようになる。」留学生諸君も、日本での勉学に、また生活にいろいろなご苦労があると思うが、自国の先覚者の苦労を偲び、初志を貫徹して学びを終え、母国のために一日も早く寄与されることを心から切望する次第である。」(このシリーズ最終回です)
新年にふさわしい題材、一富士、二鷹、三ナスビですので、オオタカは鷹目タカ科に分類されています。二鷹としてご覧ください。3回に分けて掲載します。