その1
よく話に出るのが、少数を対象にした調査の結果をグラフに記入し、全体の傾向を統計と称して、述べているが、それを拡大解釈する宣伝や、安全性、危険性を述べることである。もっともらしく感じる表現は、根拠となる母集団(調査対象で、有効回答があった調査数)の数が問題になる。その考え方のもとになっているのは、大数の法則である。試験問題の正答率や、試験問題の難易度さらには、現在でも教育現場で使われている偏差値なるものがある。
学校が行う機能は記憶力試験ばかりではないことも承知しているが、解りやすくするために、主たる教育は知識偏重であり、その評価は、主に記憶力の判定である。学期ごとの成績は相対評価であり、絶対評価を行うことが難しいため、10段階か5段階の序列を根拠も示さずに大数の原理を準用して割り振ってきた。
これは大数に至らない少人数であっても、成績を正規分布に従うとした誤った考え方を取り入れ、無理に振り分けてきたことである。100点満点をすべての生徒が取っていても、成績表には段階がつけられていることでもおかしい採点がなされている。更には、その疑問すら湧かずに受け入れてきたことである。
このいい加減な評価は競争社会での区分けや序列に寄与したばかりではなく、何の疑問も持たずに、成績順という極めて差別的な色分けを教師陣が行ってきたという大罪を許してきたのである。僅かであっても、点数の差が何をもたらすのかは知る人ぞ知るで、無意味な格付けを、我が国の競争社会や学歴社会として生み出し、点数によって、強制力を持たせ、生徒や学生にストレスを与え続けてきた。その結果が落ちこぼれを生み、点取り主義というか、記憶力だけを深めるいびつな人格形成に寄与し、今に至るまで、生涯差別化を助長したのである。(次回へ続きます)
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