ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

テレビの抗議敬遠体質は出版にも

2006年05月24日 00時06分51秒 | Weblog
 肖像権の問題は編集段階で悩ますものの1つだが、平和行進やデモ行進の写真についても本人の承諾をえないといけないーというのが編集の基本的な考え方のようだが、どうも腑に落ちない。

 本そのものが平和行進を攻撃するものであるとか、デモしている人を攻撃するという反対の立場ならいざ知らず、その行進などを支持する編集でどうして同意がいるのか本当によくわからない。

 なんための行進、デモなのかーという感がする。デモ側が、行進する側が求めているのではない。編集する側が求めているのである。これは逆転している。求める側は問題になるとダメだと思うからだが、テレビ局が視聴者の抗議を嫌い、抗議がくるコメンテーターは出さなくなる。「なんという弱腰」と思ったが、出版も同様ではないのか。

 その「弱腰」は民衆を信頼していないことなのだ。法治主義の正体をよくあらわしてもいる。権力の行使は法治主義によるが、それをどうして運動側が追認して「支配下」に置かれ、唯々諾々としているのか。全てが法治主義のもと権力に収斂していっている。権力を嫌うのでばない。否定するのではない。「発信力」が弱まる、そがれることを意味しているのだ。爆発した表現世界は平板化した法治主義社会にはない。


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