ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜新聞読書欄簡単レビュー

2010年06月27日 10時28分39秒 | Weblog
朝日に人間の底を見た人にかかわる本が紹介されていた。底とは経済的な、また悲しみという感情の底の意味だ。まず前者から。佐野章二『ビッグイシューの挑戦』(講談社、1500円)は、『ビッグイシュー』日本版を立ち上げた人がこの本の著者なのだ。創刊当時は仲間から「絶対に失敗する」と反対された。なぜなら日本にチャリティー文化がなく、フリーペーパーが巷にあふれているからだ。ところがどうだ。発刊から7年、紆余曲折しながら黒字化を成し遂げた。評者中島岳志により紹介されているのは、若い女性が販売員に人生相談することだ。おじさんの言葉は若い女性の心に響くのだ。それはホームレスになるなかで、ホープレスにもなった人生の底から立ち上がろうとする人の言葉は彼女たちを励ますからだ。この本は路上販売員の彼らから購入でき、400円が収入として入るという。人間が経済的底から立ち上がるのは、立ち上がろうとする人の意欲を社会的にどう具現化するのか。そこに『ビッグイシュー』があらわれた。300円の本が一冊売って160円販売者に入る。言うはやすく、行なう難しで、これが大変だ。しかし、努力を重ねて自力で経済的苦境から立ち上がっていけるのだ。

後者の人間の悲しみの底とは妻を亡くした文芸評論家川本三郎の著『いまも、君を想う』(新潮社、1260円)だ。3年間の闘病生活ののち、妻川本敬子さんがガンで58歳で亡くなった。喪失の重みを川本は書く。「端然とした文章」こそ文学者川本のこの本の特徴かもしれない。しかし人間は喪失から発見する逆説的存在なのだ。生前の妻を知らなかった自分を知る。それは他界した故人をいっそう強く想う、関心が注がれるからだ。自身の体験に照らしてもそのことは顕著だ。なぜ生前できなかったのか、なぜ気付くことがなかったのか。これまで気付かなかった妻の姿に出合う。ところが悔いに傾斜すると、悲しみはどんどん閉ざされる。それでは逆に閉ざされない悲しみとは何なのか。故人が自身の中で活動することだ。評者平松洋子は「毎朝ひとり、川本さんは土鍋でごはんを炊くようになった。うまくたけるとほっとする」と書いている。(文中敬称略 ,第1次入力)
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