ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

画家金大吉氏を悼むー在日の原風景を描き続けた

2010年04月02日 09時58分21秒 | Weblog
友人の画家金大吉さんが急逝した。在日コリアンの画家で、彼の作品はずっと観てきたが、近作の「夕日のハルラ山」は傑作だ。チェジュ島に訪れ描いた作品は道頓堀のギャライーで2年前披露されたものだが、これまでの作風から脱皮して彼がもつ絵の魂が爆発した記念碑的作品ともいえる。それだけに今後の作品を期待していただけに本人も無論のことだが、私も寂寞感に加え無念さをいまなをぬぐうことができない。

 おそらく日本人で一番親しかったのが私ではなかったかと自認しているが、梅田近くの自宅には何度かお邪魔してコヒーをご馳走になったし、J-NETの事務所にも顔を出してくれた。書き手以外で訪れた人は知人のジャーナリスト以外に彼を除いていないだろう。

 自宅では「あの赤いハルラ山がいい」と何度も言った。私は彼がこれまで追及してきた大台ケ原の原風景はあまり評価していなかったからだ。しかし「夕日のハルラ山」の出現で彼の画家としての原風景をはっきりとわかった気がした。まさしく在日の原風景なのだ、と。ふるさとに初めて訪れて書きはじめたハルラ山は、岩肌に縁取られた輪郭で出現したハルラ山であり、そこにゴツゴツした力感あふれる彼の画家としてのエネルギーを見た。それはおそらく大阪で醸成してきたハルラ山のイメージでもあったと思う。

 枯れ木が折り重なる大台ケ原の風景は、もう一つの在日の風景だったのかもしれない。しかしそれは大台ケ原という極限で現れた自然の叫びであり、沈黙であった。在日の叫びであったかもしれない。大地に折り重なり倒れた木々、小枝、むき出しの岩々。そこから震撼した叫びを聞いたのではないか。それがハルラ山に結びつく。
 
 しかし、ハルラ山は緑のハルラ山ではななく、太陽の残滓を浴びるハルラ山でなければならない。大台ケ原とまったく様相を変え、色調を一新させた。

 「川瀬さん、体に気いつけや。家族に迷惑かけたらあかんで」が口癖で、黒酢を飲んでるとか、サウナが健康法とか聞いた。何もせず漫然と生きている私には、体格のいい彼がそこまでするかと敬服もしたが、まさかの急逝であった。私より2歳年下で、葬式は彼の60歳の誕生日とは。

 なんとも悔しいし、やっとめぐり合えたハルラ山、チェジュ島の風景、そして在日の原風景を描いてほしかった。訃報を聞いたのが葬式を終えた夜だったことに、ただただ恥じ入るばかりだ。
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