ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

コラム「風」 普天間米軍基地問題で問われていること 3

2009年12月20日 15時03分50秒 | Weblog
 現実主義は、利用する人は価値がなくなれば、去る。そういうものだーという人間観を生む。なんとも味気ない。世の中の「こま」はたしかにそうした部分で動いているところが強い。しかし、それでは人は動かせないし、動かない部分をもつ。

▼だから、動かせる、動かす部分の心的風景として人間くささがでる。そこにイデアとかイデオロギーがでっかと座る。「唯幻」論とか、「幻想」論とかの概念で日本人の精神構造に迫ったのが岸田秀だが、岸田自身もその「幻想」論が自身のありかたでもある。日本の保守的な原風景にこころ寄せている。最近の著作でもその傾向を知る。心の底で動かす部分を見つめる人だ。

▼時代を見るときに、沖縄の米軍基地問題は「何が動かしているのか」を見極めなければならない。鳩山首相を右往左往とみるのか、ねらいがあっての逡巡なのか、表面しかみないと、「何を決断力がない」となる。しかし「動かす」のは県外移設なのだ。福島社民党首は「わが意を得たり」と相好を崩す姿がよくテレビで映し出される。連合政権は鳩山さんの思惑の中にある。

▼何度も辺野古の海に出かけた。やっと願いが実現する日が来るのか。1879年の廃藩置県から皇民化を強いられ、沖縄戦では本土防衛の盾とされた。沖縄戦の悲惨さは言葉に窮する。戦後の天皇の沖縄メッセージ。集中する在日米軍基地。これらが積み重なった歴史から分岐点にある2010年にしたい。
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