雲雀野と郭公の森と

北アルプスと黒部川に育まれた片田舎
の住人の気まぐれ日記
あの「森の近況」の代替として・・・・・

消防車出動

2016-01-24 06:24:05 | 歳時・風物
ん? 法福寺から煙が・・・・・・・




これは一大事。 この雪の中大変だ

消防車が来ている。



放水開始。      方向が違う様だが・・・・・・・・


無事鎮火しました。



という文化財防災訓練の一幕でした。

大岩山日石寺大寒滝修行

2016-01-22 11:30:23 | おでかけ


去年も行ってきたけど、今年も・・・・・・・・

上市町にある大岩山日石寺


大寒の日に行われる滝修行、の撮影です。
決して滝に打たれに行ったのではありません。


滝に打たれる人より、カメラを構えた人が多いのは去年と同じです。


 そんな中でも、6本の滝それぞれで不動明王の真言を唱えて、滝に打たれる方がおられたり


 マスコミ関係者の参加もあったり


今年はいつもより少なかったようで、二時間余りで帰ってきました。





ふるさと探訪

2016-01-13 23:00:47 | おでかけ
 前日、酒を飲んでた時に話題になった、近くの山城(砦)跡へ行ってきました。


富山地方鉄道愛本駅の裏山にある内山城址。


 築城は南北朝時代というが城というほどの規模ではなく砦に近かったとか。 



 最近、ボランティアにより道が整備され、気軽に登ことができるようになっている。
春にはカタクリやキクザキイチゲ、ショウジョウバカマなどの山野草が咲いていて
手ごろな散策道です。

ただ、登りつめたところに、今は城の代わりに送電用の鉄塔が建っています。





堀切跡や石組みも少し残っています。

 その後、私が立山連峰の北端と言っている、鳥越山の頂上(標高205mほど)を目指しました。

対岸から見るとこんな位置になります。




山城散策路を外れると 道らしい道はありません。





こんなところを進むのですが、恐れるに足りません。



愛本橋や県道を上から見下ろせる、頂上に到着!

今来たこの道を帰ります。











下山(苦笑)してから他の歴史的遺跡も回って二時間足らずの探訪終了。


日本の定員は

2016-01-12 10:06:05 | 雑記

 従弟が東京から帰ってきているというので遊びに行ってきた。
「遊びに」と言っても双六をやったりカルタをするわけではなく。
当然酒ですね(苦笑)
     「投 影」
   もう一歩の踏み込みがないから
   深山つつじの群生にも出合えない

   臆病か 無気力か

   ウィンドゥショッピングのような生き方では
   涙や喜びのこごり のかけらも買えまい

   女や男たちにはかすり傷さえ残せず
   お前の拳を拡げれば こぼれる夢の影もない

   そこに座れ!
   酒の繰り言はやめるから
   ドロドロになるまで  お前は
   せめて盃を重ねるのだ
   今夜から毎日のように
  
 (1978.6)

 酒が飲めない者は親戚ではない
みたいな家系の男二人が、ぐびぐびと飲みながら
地元の歴史や謎についてああだろう こうだろうと・・・・・・・

酒がすすみ 話も千鳥足になってきて、
話題はあっちへ行ったりこっちへ行ったり。

少子高齢化とか経済の発展とはどうなんだとか
ムヒカ大統領のスピーチのこととか
外国観光客を誘致して支えなければならない経済ってどうなんだとか

 んでようやく表題のことになるのだが
日本の適正人口って4~5000万人だ という説が
従弟から提案(?)された。
 それはちょっと少なすぎかなと思うが、人口を増やすことしか考えていない
霞が関や永田町の連中にはそれくらい言ったほうがいいのかもしれない。

 なんだかんだで酒も飲み尽くしたので
満天の星空の下、家へ帰ってきましたとさ


流水客土(りゅうすいきゃくど)

2016-01-09 08:48:15 | 雑記
 昭和26年頃から実施された、流水客土の作業に携わった方々から
当時の話を聞き採り、記録として残そう、ということになり、年明け間もない7日に
なぜか私の実家に集まってもらって実施した。



 ことの発端は、「黒部川扇状地研究所」という団体の事務局に、昨年春から就いた同級生の広田君が、
地域の歴史を残そうという活動に熱心で、その一端として「流水客土の実情も・・・・・・・」ということになったのだ。



 流水客土というのは、
黒部川冷水温障害改良事業という県直轄で実施された事業のことで、
それまで、入善、黒部地区のの水田は黒部川扇状地の砂質層の上で作られていたので、
水はけが良すぎて保水性が悪く、加えて黒部川の冷たい水を使っているので、
収穫量は県下の平均を大きく下回っていた。

 そこで、扇頂部近くや周辺の山の赤土を崩して、用水を使い泥流水として、
扇央部や扇端部の水田に取り込んだ事業のこと。

参考(みずはくアーカイブより)

これは当時の事業に使われた放水用の排水管と同様のものです。   






 「話を聞かせてもらいたい」と声をかけたのは4~5人だったはずなのに、
10人以上の方がやってこられて、広田君もオレもびっくりしました。

恐るべし女性井戸端会議の伝播力。