キクザキイチゲ(キクザキイチリンソウ)
雑誌『旅サライ』が送られてきた。
いきさつはこうです。
1月の中ごろ、「旅サライ」の取材をしている方からメールが届いた。
突然のメールで失礼いたします。
雑誌『旅サライ』(サライ別冊/小学館発行)の取材をしております五反田と申します。
小誌では3月中旬(18日予定)発行の春号で、「北陸の1本桜」というテーマの記事を
企画しております。
本企画中で明日の大桜を取り上げたく、
観光協会やフォトエージェンシーほか探していたところ貴ブログにたどり着きました。
2009/4/11にアップされている桜の写真(1番目の全景と2番目のアップ)の、
解像度のできるだけ大きな写真データをお持ちでしたら、お送りいただけないかとお願いする次第です。
掲載になりましたら、もちろん規定の写真料をお支払いいたします。
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
取りいそぎ要件のみにて失礼いたします。
当方に断る理由はなかったのだが、生憎そのデーターは、
動かなくなったパソコンのハードデスクに閉じ込められていて・・・・・
さて、ご依頼の画像データーの件ですが、後ほど確認してみますが
多分、壊れたパソコンの中に閉じ込められたままになっていて
取り出せなくなっている気がします。
ですので、200KB前後のデーターしか提供できないのではないかと思います。
データーの再探索後、一両日中に改めてメールを差し上げますが、
ご指定の画像については多分そういう状況だと思いますので
よろしくお願いします。
と、その旨メール返信した。
「もし数日中に取り出せたらでいいので・・・・・・」という返事がきた。
壊れたパソコンには、その他にもかなりの数の画像データーが眠ったままになっていて
かねてから、何とか取り出したいものだと思案していた。
そこで、これをきっかけにと、知人に頼んで取り出してもらい、
指定の画像データーを依頼主に送りました。
そして昨日、送られてきたのが先頭の画像にある雑誌「旅サライ」です。
届いた雑誌の記事には見事な「あけびの大桜」の写真がドーンと載っています。
紹介の記事は、宇奈月温泉や峡谷の事にも触れてありさすがといえる内容にまとまっています。
画像は私の撮ったものではなかったのですが、
地元の桜が全国版に取り上げられているのはすごくうれしいものです。
今年はそのほかにも、地元放送局KNBのディレクターが我が家に訪ねてきて、
いろいろ話を聞かれたり(今月29日放送の取材だったようだ)
とある集会に参加した時にはNHKのインタビューを受けたり・・・・・・・・
私は、今年から地域広報担当なのかな?
まあ、どれも私が絡む部分はカットなんだけどねw
いきさつはこうです。
1月の中ごろ、「旅サライ」の取材をしている方からメールが届いた。
突然のメールで失礼いたします。
雑誌『旅サライ』(サライ別冊/小学館発行)の取材をしております五反田と申します。
小誌では3月中旬(18日予定)発行の春号で、「北陸の1本桜」というテーマの記事を
企画しております。
本企画中で明日の大桜を取り上げたく、
観光協会やフォトエージェンシーほか探していたところ貴ブログにたどり着きました。
2009/4/11にアップされている桜の写真(1番目の全景と2番目のアップ)の、
解像度のできるだけ大きな写真データをお持ちでしたら、お送りいただけないかとお願いする次第です。
掲載になりましたら、もちろん規定の写真料をお支払いいたします。
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
取りいそぎ要件のみにて失礼いたします。
当方に断る理由はなかったのだが、生憎そのデーターは、
動かなくなったパソコンのハードデスクに閉じ込められていて・・・・・
さて、ご依頼の画像データーの件ですが、後ほど確認してみますが
多分、壊れたパソコンの中に閉じ込められたままになっていて
取り出せなくなっている気がします。
ですので、200KB前後のデーターしか提供できないのではないかと思います。
データーの再探索後、一両日中に改めてメールを差し上げますが、
ご指定の画像については多分そういう状況だと思いますので
よろしくお願いします。
と、その旨メール返信した。
「もし数日中に取り出せたらでいいので・・・・・・」という返事がきた。
壊れたパソコンには、その他にもかなりの数の画像データーが眠ったままになっていて
かねてから、何とか取り出したいものだと思案していた。
そこで、これをきっかけにと、知人に頼んで取り出してもらい、
指定の画像データーを依頼主に送りました。
そして昨日、送られてきたのが先頭の画像にある雑誌「旅サライ」です。
届いた雑誌の記事には見事な「あけびの大桜」の写真がドーンと載っています。
紹介の記事は、宇奈月温泉や峡谷の事にも触れてありさすがといえる内容にまとまっています。
画像は私の撮ったものではなかったのですが、
地元の桜が全国版に取り上げられているのはすごくうれしいものです。
今年はそのほかにも、地元放送局KNBのディレクターが我が家に訪ねてきて、
いろいろ話を聞かれたり(今月29日放送の取材だったようだ)
とある集会に参加した時にはNHKのインタビューを受けたり・・・・・・・・
私は、今年から地域広報担当なのかな?
まあ、どれも私が絡む部分はカットなんだけどねw
春彼岸だというのに、ほとんど雪の溶けていた田畑を再び真っ白にする雪が降った。
北の方では猛吹雪だというニュースも聞こえてくる。
今年の雪は、当地ではそれほど多くはなかったけれど、関東地方をはじめとして
通常はそれほど降らない地域に、何度かかなりの量の雪が降ったようだ。
雪害の情報も頻繁に入ってきた。
そして 先日ネット上で胸を突かれ考えさせられる書き込みを目にした。
雪の被害を受けられた農業経営者の書き込みだ。
転載してもいいものかどうか、判断しかねていたが転載させてもらうことにします。
不都合がありましたら削除しますので・・・・・・・
以下、長文ですが、その記事です。
数日前まで、「自然の前では無力だなぁ」
「農業はやっぱり自然リスクと隣り合わせだなぁ」なんて考えていました。
しかし、時間が経ち、落ち着いて振り返ることができる今、
今回のサラダボウルのハウスの倒壊は決して自然災害などではなく、
未熟な経営者が招いた人災だったという結論に至っています。
(あくまでサラダボウルのことであり、決して他の農家のことを含めている訳ではありませんので…)
確かに地域のハウスは半分以上が倒壊しました。果樹産地では80%以上倒壊しました。
山梨県全域で174ha以上のハウスが倒壊したとも言われており、今後もその数は増えていくでしょう。
信じられないほどの数字です。
そのような状況の中、「今回の雪では仕方ないよね」「みんなダメだったんだから避けようがなかったんだよ」という周囲の認識に私自身も同調していました。
しかし、同じスペックのハウスを倒壊させずに守り抜いた生産者がいました。私たちよりも、はるかにスペックの劣る弱いハウスを守り抜いた篤農家がいました。周りのほぼすべてのハウスが倒壊する中、ただ一社だけハウスを守り抜いた果樹生産法人がありました。その事実を前に、経営者としての未熟さに気づくかされたのです。
一番目の生産者は、私の兄です。一晩中、家に帰ることなく懸命に対策を講じ、
誰もやらない様なでき得るすべての手段をやり切り、ひとりでハウスを守り抜き、家族を守りました。
二番目は隣の70歳近い篤農家です。真っ先に潰れてしまうような弱いパイプハウスを見事に守り抜きました。
氏いわく、「みんな、この雪じゃあどうにもならんちゅうけんど、これを見てみろし。ちゃんと建ってるらに。俺りゃぁ、一睡もしちゃあいんよ。夜中じゅう、何回も何回も雪をかいてまわったぞ。ほうすりゃぁ、ハウスなんか簡単につぶれんだぞぉ」と。
自分自身が恥ずかしくなりました。
自然災害によって被害を受けていた訳ではなかったんです。
経営者としての至らなさが招いた人災だったんです。十分な備えやもっと早い危険察知、
いざ起こった時のリスク管理ができていれば、もっともっと被害を減らせたはずです。
前週の雪をもっと適切に処置していれば・・・。
今回は前回の半分くらいだという報道に気が緩んでいなければ・・・。
「潰れても仕方ないハウスだし」なんていう心に逃げがなければ・・・。
今回もなんとかなるよ。きっと大丈夫だ。なんて謙虚さにかけていなければ・・・。
もっと最悪の事態を想定していたならば・・・。
もっと早くから温度を上げるように指示していれば・・・。
もっと早くから雪かきをし、さらにその後の事態に備えるように指示できていれば・・・。
もっと具体的な行動マニュアルを作成できていれば・・・。
降雪時の役割分担表を作成していれば・・・。
降雪時の優先順位(緊急度、重要度)指標を作っていれば・・・。
できることは、いくらでもありました。それすることができない経営者がいただけでした。
「決して社員に危険を顧みず必死でハウスを守り抜け!」と言うことではなく、
会社が、経営者が、もっときちんと備え、対処できていたならば・・・。
「今回の被害は農業だから仕方ない」で片づけてはいけないと感じています。
農業特有の事象ではあるでしょうが、どの産業にも同様に特有のリスクはあり、
それに向かいあい、解決しています。
「農業だから、しかたない」と逃げていた自分自身に対し、とても残念です。
そして、「もし、今回の大雪においてもハウスを守り抜くことができていたならば、
社員たちは将来に向けて、どれほどの勇気と自信を得ることができただろうか」なんてことも考えます。
会社や経営者の未熟さによって、彼らの成長機会を奪ってしまい、申し訳ない思いです。
しかし、反対に農業のさらなる可能性も感じています。
今回の経験を通じ、これほどの自然条件においても、農業がまだまだできることがあることも改めて確認できました。
ハウスが倒壊した当初は、「設備投資が掛かっても、もっと頑丈な設計にしなければいけなかった」と思いましたが、
まだまだ解決する手段があったのです。
もう一度農業の常識を疑い、イノベーションが起こせるように本気で取り組んでいこうと思います。
「農業の新しいカタチ」を一段深く探り、農業の可能性を考え直してみたいと思います。
これを機会に、今まで整理できなかったことを整理したいと思います。
「やるべきこと」と「やってはいけないこと」の決断をしたいと思います。
こんな時だからこそ、50年後、100年後のサラダボウルとこの地域のあり方を想いながら、
ドラスティックに変化したいと思います。
そして、改めて、もっともっと上のステージにチャレンジしていきたいと思います。
(中 略)
サラダボウル 田中