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あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

春日井建著「朝の水」を読んで

2018-09-12 10:14:31 | Weblog


照る日曇る日第1137回



「井泉」に続く著者の9番目の歌集で、2002年以降の04年までの作品から選ばれている。

この人はアララギの伝統を脊稜に伏流させつつ、眼前の対象をしっかりと観察し、それに付随するおのれの内心を吐露し、かつまた時宜を得たテエマに軽々と接近しては遠ざかって適正な場所からの鳥瞰を試み、心にくい歌の数々を詠んでいる。

例えばこんな歌。

 山茱萸の珠実を点す枝あふぐやはく日の差す母が見し位置

 蝶々魚頭上に舞ひてゐたちけりまたなき夏の潮見上ぐれば

 一茎のいただきに反る六弁の花の蕊繊し寿詞のごとしも

 帰らざる時知らしめて庭隅の白まんじゆしやげ咲き足りて消ゆ

 少年の日の幸福は軒の端のつばめを日暮るるまで見てゐたる

 高ぞらの群にまじりて燕一羽不調を告げず翔び立たむとす

 「不調を告げず翔び立たむとす」るのは作者は、はたまたわたくしか?


 「亡命者」てふ名の集団が下手くそな歌を唄って無暗に踊る 蝶人


保坂和志著「ハレルヤ」を読んで 

2018-09-11 10:53:32 | Weblog


照る日曇る日第1136回



愛猫との運命的な出会いとその後を感動的に描いた「生きる歓び」、「ハレルヤ」とほか2作。その中で「こことよそ」は、谷崎潤一郎全集の月報のためのエッセイを求めらたことをきっかけに、谷崎の「異端者の悲しみ」や坂口安吾の「暗い青春・魔の退屈」、尾辻克彦の「雪野」、尾崎という亡き旧友、その必要もないのにいったん自転車で海のほうへ出てから鎌倉の交差点で軽自動車とぶつかって死んだ父の思い出などが、脈絡もなく、いな、著者の脳裏に浮かぶ想念の自然の経路を時空を超えて丁寧に辿られていく。

その最後の数行を引用しよう。
「いまこうして他に選びようもなくなった人生とまったく別の、あの時点で人生は可能性の放射のように開け、死はその可能性を閉じさせられない………私はあの時点の感触に何度書き直しても届かないからもう何度も何度もこのページを書き直してきた、今の私、死んだ尾崎、あのときの私、暴走族の気配を引きずっていた尾崎、これらの関係は書いても書いても固定する言葉がない、それは言葉の次元ではない。」

 亡き父の倉敷弁の響きありバックハウス弾くベーゼンドルファー 蝶人


香山美子作・柿本幸造絵「どうぞのいす」を読んで 

2018-09-10 13:52:47 | Weblog


照る日曇る日第1135回


うさぎさんが作っって野原の木の下に置いた「どうぞのいす」にロバさんがドングリの実を置いて昼寝をしている間に、次々に動物がやってきてドングリの実を全部食べてしまう。

が、「でもからっぽにしてしまってはあのひとにおきのどく」と言って、代わりにはちみつのビンを置く。次はきつねがやきたてのぱん、10匹のりすがくりを置いて立ち去るのだが、昼寝から覚めたろばさんが「あれあれどんぐりってくりのあかちゃんだったのかしら」と驚いておしまいになるのだが、よく考えてみるとその設定に無理がある。

この、「次から次への展開」を設計するのが絵本作家の大事な仕事だが、本作は自然なように見えて実はその構築に大きな破綻があると思うのは、きっと私が意地悪爺さんだからだろう。

これに対して、柿本幸造選手が描きだすファンタジーはきわめて童夢的である。


 「ぶれない人材」なら自閉症者におまかせ「同一性保持」こそ彼らの18番 蝶人


銀座の夜のトランペット

2018-09-09 14:01:57 | Weblog


音楽千夜一夜第418回

あれは確か1980年代の半ばを過ぎた頃だったでしょうか。
私は久保田宣伝研究所が運営する「宣伝会議」主催するコピーライター講座の講師として、毎月何回か、当時銀座の松屋の裏手にあった教室に通って、コピーライター志望の若者相手に、自分流のカリキュラムを作って、まあなんというか、いちおう教えていました。

80年代になると、昔は「広告宣伝文案作成業」などと称されていたコピーライターが、突然時代の寵児のような人気職種になり、第2の仲畑、糸井を目指す人たちが「宣伝会議」の養成講座に群がるようになっていたのです。

「1行100万円!」のコピーライターを目指す気持ちはわかりますが、そう簡単に1流のコピーライターなんかなれるものではない。あらゆる芸事と同じで、生まれながらの才能がない人が、いくら努力しても、ダメなものはダメなのです。

じっさい私がそうでした。いくら努力しても2流どまりだなと、早い時期に分かってしまったのです。もちろん若き学友諸君だって、そんなことは、3カ月もコピー修行を続けていれば、自分自身で分かって来ます。

そうなると話が早いので、第1級のプロになることを諦めた若者たちと、2流のコピーライターに甘んじている臨時雇われ講師の私は、2時間の授業が終わると、そのまま安い居酒屋に直行し、その日の僅かばかりのギャラで、らあらあと気勢を上げて呑んだくれていたのでした(2002年に神戸での取材前夜、たった1杯のビールで急性アルコール症で倒れ、救急車でIRに担ぎ込まれるまでの私は、弱いながらもまだアルコールを口にすることができたのでした)。

確かある夏の夜のこと、いつものように学友諸君と一緒に、夜風に吹かれて銀座3丁目から4丁目の交差点にさしかかったところで、誰かが吹いているトランペットの音色がさんざめく街の騒音を縫うようにして聞こえてきました。

日産のショールームの前あたりに、いかにも人世にくたびれ果てた顔つき、そしてくたびれた背広を着た、一人の年齢不明の白人男性が、過ぎゆく人や車にはまったく無関心に、夜空に向かってペットを吹いています。超スローペースのメロディを、ゆったりゆったりと吹き流しています。

唇に当てているのは相当古びたトランペット、吹いているのはジャズのようですが、果たしてそれをジャズと決めつけていいのかどうか。
その男は、じつに単純なメロディのようなものを、きわめて自由な、そして超遅いテンポで、なにか大切なことを、どうしてもこの際言うておかねばらなぬことを、自分自身に向かって言い聞かせるように、あるいはどこか遠くへ行ってしまい、行方不明になってしまったもう一人の自分に切々と訴えかけるように、朗朗と歌っているのです。
腹の底からジンジン歌っているのです。

それは例えてみれば、白人の虚無僧が吹く西洋尺八のリバティ音楽のようでした。

何人かの勤め帰りのリーマンたちに混じって、しばらくその西洋虚無僧の尺八の音に耳を傾けているうちに、私はこの10年間というもの、なんだか手ひどく抑圧された心が、ゆっくりと解き放たれるような気がしてきました。

ジャズのようだけど、ジャズじゃない。要するに、これはただの音楽なんだ。しかしただの音楽にしては、物凄すぎる。いったい何なんだ、これは? そうかこれが音楽なんだ。

とりとめのない想念がなおも渦巻く、こんがらがった頭の中を断ち切ろうと、私が目を閉じて嫋々と鳴り響くソロに酔い痴れていると、突然隣で一緒に聴いていたホンダ君が口走りました。

「センセ、もしかしてこれ、本物のチェット・ベーカーじゃないっすか?」

   https://www.youtube.com/watch?v=Kjf6gb8hjW8

*天才的ジャズ・ミュージシャンChet Baker(1929-1988)は、1988年にオランダ・アムステルダムのホテルから転落し、58歳で亡くなったが、その少し前の1986年と翌87年に来日している。

   中井貴一のテレビ番組眺めつつ思い出すのは佐田啓二のこと 蝶人

さとう三千魚詩集「貨幣について」を読みて歌える 

2018-09-08 13:56:43 | Weblog


これでも詩かよ第244回 &照る日曇る日第1134回




今月の20日、すなわち2018年8月20日にさとうさんの最新詩集が出版されました。
「浜辺にて」という632ページもある大著が出たのが、昨年の5月20日でしたから、このペースは驚きに近いものがあります。

この間、さとうさんはリーマンを辞めて郷里に戻り、「詩人になる」と宣言されていますから、余人には窺い知れないが、心中深く期するところがあったのでしょう。

彼は極力難解な言葉を避け、誰にもわかりやすい簡素で平明な言葉を用いて、自分の世界を言い表そうとしています。それはおそらく、これまでのいろいろな試行錯誤の果てにつかみとった彼のやり方なのでしょうが、自分の思想と詩法に、よほど自信がないとできないはずです。

それからさとうさんの詩集には、毎回必ずといっていいほどテーマがあります。
前回の「浜辺にて」では、英語の基本的な単語を、自分の頭と暮らしの中で噛み砕いて、それを創世記のように再定義する、という離れ技に挑戦しておられました。

今回は、彼が親炙する画家の桑原正彦氏から提示された「貨幣」というテーマに依って、貨幣のあり方と本質を考えようとして、この思索的な連作詩が書かれたようです。

従って本書を読む人は、おのずから貨幣についての思索を余儀なくされることになるでしょう。ちょいとばかり難儀なことですが。

私はこれまで「貨幣」について考えたことなんか一度もありませんでしたが、さとうさんが巻末に挙げている経済学者の岩井克人さんの、貨幣についての講演を、むかし耳にしたことを、はしなくも思い出したので、その折りのメモを頼りに自分なりの貨幣についてのヴィジョンを尋ねたいと思います。

                 *

その夜、岩井さんは、財布の中からいきなり一枚の1万円札を取りだしたので、私たちは、「あ、1万円だあ」と思って目の色を変えました。この場にヤギがいたら、もっと目の色を変えたことでしょう。

ヤギは、これは食べると美味しい紙だと思っているから、ウメエーと鳴いて、目の色を変えますが、私たち人間は、これが単なる紙切れだと思いながらも、それでいろんな本や服や食べ物を買えるので、値打ちがある紙だと思っています。

しかしそれが偽札でなくても、本当に値打ちがあるかどうかは、日本銀行、またの名日本国でも、100%保証しているわけではありません。たとえば子供が1円玉を1000個集めて銀行に持って行った場合、銀行は20個以上の1円玉を「お金じゃない」と言って拒否することが法律上できるそうです。

岩井さんによれば、昔から有名な「和同開珎」とか「皇朝十二銭」とか、政府がいろいろなお札やお金を発行してきたけれど、いくらお上が躍起になって命令しても、お金として使われなかった例がいっぱいあるそうです。

お金は単なる紙切れだから、物としての価値はない。
では、なんでそんな吹けば飛ぶような紙切れが、絶大な価値を持つかというと、岩井さんは、「すべての人がこれを価値あるものと認めているから価値がある」と仰るのです。

ふーむ。これこそ貨幣がひそかに内蔵している逆説的な魔法だな、と、そのとき私は思いましたな。

もしも私が、これは1万円ではなく、福沢諭吉の肖像が浮き彫りになっているただの紙切れだと喝破し、それと同じように私の隣の人も、そのまた隣の人々も、次々に裸の王様を見るような目で見るようになれば、その瞬間に夢は破れ、大いなる共同幻想はドドンと崩れおちてしまう。

もしかすると、現世秩序のすべてが!

それから岩井さんは、貨幣と同じように、言葉も、すべての人がこれを価値あるものと認めているから価値がある存在なのだ、と厳かに付け加えられました。

この詩集の「あとがき」で、さとうさんは、「詩は貨幣の対極にあるものです」と宣言されていますが、もしかすると、貨幣も詩の言葉も対極にあるものではなく、きわめて近しい関係にあるのかもしれませんね。

ふと見れば、岩井先生の小太りの姿が、どこにも見当たらない。

アッと叫んで私たちが、窓の外を見ると、先生はいつのまにか銀座8丁目の高層ビルヂングの10階を飛び出した先生が、本物とも偽物とももはや見分けがつかなくなった万札を盛大にばら撒きながら、満天の星が輝く銀座通りの上空を、フクロウと一緒に楽しそうに飛び回っておられるのでした。


 注 文中の岩井克人氏の言葉は、2004年に行われた「資生堂ワード」講演会におけ るメモに基づいて自由に作成されているが、ラストの行動は、ある参加者の幻視に基づくものである。


 ブッラックアウトなんていうから世の中の悪い奴らが消え去ったのかと思った 蝶人

業田良家著「自虐の詩」を読んで 

2018-09-07 10:17:36 | Weblog


照る日曇る日 第1133回

森田幸江とすぐに卓袱台をひっくり返す短気な亭主(まだ入籍していない)葉山イサオの第三者からは容易にうかがい知れない愛の物語。
イサオは無職で要するに幸江のヒモなのだが、彼女はどんな酷い目に遭ってもそんなイサオを愛してやまないのである。

「男は、女を服従させるか服従させられるの二つの一つである」と誰かが断じたが、これは前者の典型、もしかするとこの世でもっともうるわしき典型であろう。

   関空も北海道も完全コントロール安倍蚤糞の見事なお手並み! 蝶人

内海隆一郎作・谷口ジロー画「欅の木」を読んで

2018-09-06 11:00:21 | Weblog


照る日曇る日 第1132回


内海隆一郎の「人びとシリーズ」200篇から谷口ジローが選んだ「欅の木」、「白い木馬」「再会」「兄の暮らし」「「雨傘」「絵画館付近」「林を抜けて」「彼の故郷」の8つの漫画が並んでいるが、漫画というより小説画というべき不思議な味わいを醸し出す。

切られるべき木が結局は主人公の決意のもとで保存される「欅の木」にしろ、孤独な孫と祖父の心の交流を描いた「白い木馬」、老いたる兄弟の絆を確かめる「兄の暮らし」、老いらくのほのかな恋を描いた「絵画館付近」にしろ、そこに流れているのは私たちと変わらぬ普通の人々の「いまここに生きている」と感じさせる生活感であり、いつでも、仕方なく前を向いている、いわゆるひとつの健全な人世観ではないだろうか。

 
  醜悪な猪八戒の顔はもう沢山愛らしい大谷選手の顔を映せよテレビ 蝶人

岩波版「夏目漱石全集第20巻日記・断片」を読んで

2018-09-05 10:04:09 | Weblog


照る日曇る日 第1131回

小説かだからやはり小説を読むべきなのだが、なんせ漱石だから、そのほかの書きものも面白い。いやむしろ下手な小説よりよっぽど面白い。

この本には明治42年から没年の大正5年までの手帖などに書かれた日記やメモ、断片、家計簿などが労を惜しまず収録してあって、どこからなにを読んでも面白い。そこに夏目漱石という男が、切れば血が出るような姿かたちで現れるからである。

たまたま本巻を開いたところ、大正3年11月9日月曜日の晩の会話「自分対妻」というのが出てきたので、現代語表記で採録してみよう。

「お前のいく静坐は何時から始まるのか」
「先生の来るのは3時か3時半です」
「お前はそれだのに12時過ぎにきっと宅を出るね、歩いて行っても白山御殿町まで1時間とは限らない(男の足なら)」
「寺町をまわったり何かして買い物をするのです」
「毎週必ずそういう用事が出てくるのかい」
「ええ、必ず何か出てきます。それに今日はお寺まいりをしたから早く出かけたのです」
「誰の」
「今日はあなたのお母さんの日です」
「おれは知らないが、月は違うだろう」
「月は違いますが、日はそうです。私は毎月あなたのお父さんとお母さんの日にはお寺まいりをします」
「父の死んだのは幾日だ」
「ひな子と同じ日だからよく覚えています。29日です」
「毎月寺まいりなどしなくてもいい、するなら死んだ月と日に一度行けばそれで沢山だ」
「………」
「静坐というのは婦人の談話室みたようなものだろう。みんなが寄って無駄話をするんだろう」
「先生が来るのを待っている時は外に人がいれば話もします」
「………」
「買い物ばかりじゃない、お釈迦様へ参ったりしてから行くこともあります」
「お百度を踏むのかい」
「踏むときも踏まないときもあります」
「何でそんなことをやるのだい」
「利いても利かなくってもいいのです。私はやるのです」
「お釈迦様へ日参して亭主が病気になればありがたい仕合せだ。ご利益が聞いてあくれらあ。虫封じでも出すのかい」
「知りません」

 長くなるのでこれくらいにして、この続きは私が連載している「1日1語」に譲るが、よってもって漱石が死ぬ2年前の夫婦関係がよく分かるではないか。

なお、ここに出てくる「静坐」だが、当時の鏡子夫人は神道系の精神修養に通っていたらしい。また「ひな子」は明治44年11月29日に1歳8カ月で急死した夫婦の末娘で、その後漱石は「彼岸過迄」の「雨の降る日」に、涙なしには読めない追悼文を書いてその供養とした。

   大挙して神社に詣でる人ありて祭儀にあらず政治のおこない 蝶人



俵万智著「サラダ記念日」を読んで

2018-09-04 12:53:30 | Weblog


照る日曇る日 第1130回



1987年にベストセラーになった著者の第1歌集だが、塚本邦雄と違ってスラスラ読めるのでおおいに助かる。されど塚本選手が意外に新しさを保持しているといううのに、この人のはおしなべて古めかしく陳腐ですらあるのはどうしてだろう。短歌、いな詩歌における新しさとは何かについて、改めて考えてみる必要があるのかもしれない。

それまでも口語短歌のブームは何回かあったようだが、この人のは、現在の「背骨なき無脊椎自由短歌群」と違って、文語短歌の古典的語系を順守しながら、カタカナ混じりの口語を多彩にちりばめたのであった。

また主語は「吾」が多用されることが多く、現代短歌で作者の自意識がこれほど鮮明な作風も珍しいのではないだろうか。

 ゴッホ展ガラスに映る我の顔ばかり気にして進める順路

 トロウという字を尋ねれば「セイトのト、クロウのロウ」とわけなく言えり

 「ほら」と君は指輪を渡す「うん」と吾は受け取っているキャンディのように

などという句跨り的手法も、当時としては斬新であったが、30年後の今となっては誰も立ち止まろうとしないのが寂しいことであるなあ。


 10月の歌舞伎チケットをとりたいがネットは混みて侵入できず 蝶人



西暦2018年葉月蝶人花鳥風月狂歌三昧 

2018-09-03 11:06:40 | Weblog


ある晴れた日に第521回


待ち待ちて台風去りし嬉しさをミンミン蝉は声に出し鳴く

もういちど「やればできるは魔法の合い言葉」聞きたかったが済美桐蔭に敗れる

もし我ら死せば施設の息子デザートお菓子喰えずなるべしいま喰え西瓜!死ぬほど喰え!

猛烈な暑さは明日も続くでしょう続くでしょう続くでしょう

われ死刑制度反対者なれど煉獄に送ってやりたき一人や二人

「完全かつ最終的に」モリカケ問題を葬らんとする安倍蚤糞

台風がどんどん近付く夏の日よ57年待ちし小説を読む

進撃の巨人がNYに突入し広島長崎に復讐する夢

やい香山植松のどこが「発達障害」なのかその理由を言うてみなさい
 
全国の精鋭集めたプロたちが農業少年野球団をぶっ壊したり

「もう浮輪仕舞って下さい」と言う息子我らの夏は本日終われり

「残暑お見舞い申上げます」呟きながら道端で息絶えてゆく町内の爺婆

若さだよ山ちゃんなどといううてたころには若さもありしが

死者たちの増えゆく数や葉月尽

ガリガリ君を毎日1箱カリガリ博士

斑猫の案内嬉し夏の山

「滅びるね」また漱石が言う敗戦忌

「2度目のアルゼンチン」だって誰が見るのかNHK衛星放送

金魚の餌を金魚に与えしが2匹の金魚死んでしまう

音のみの打ち上げ花火を聴いている八景島シーパラダイスには行ったことなし 

「安倍君もうそこまでだ、3年間は君には長すぎる」

「キンスマ」の中居の後ろに座ってる女の股間に見えるパンツよ

江戸時代後期創業「三朝庵」昨日閉店の報ありき

早大の文学部前三朝庵カレー南蛮百年の歴史閉じたり

何度聞くセリフだろうか「殺したい。むしゃくしゃしていた。誰でもよかった」

七人の死刑執行の前夜なり黙して祈れ「法の番人」

法被着た若衆が隣町の神輿を担ぎに出かける日曜の朝

ことのほか暑かったと思う日の翌日に多し朝刊の訃報

夏来れば腋毛の代わりに刺青を僕らに見せる浜辺の女

ベーシックインカムなぜだか魅力的意味も分からず短歌に使う


  おもむろに電車の中吊り増えゆけば景気はゆるゆる回復しおるか 蝶人


すべての言葉は通り過ぎてゆく第60回 

2018-09-02 11:09:29 | Weblog


蝶人狂言綺語輯&バガテル―そんな私のここだけの話op.297


大河小説を読むのは、その川の中の1匹の魚になって、水と共に流されていくことなので、魚であるわたくしとしては、川の流れやにおい、温度や水の味くらいしか分からず、ただただ最後まで流されていくしかないのである。8/1

宝籤抽選会の矢で選ばれた、この国の1億2千万人の任意の誰かよりも、数等劣悪な人間の屑の集団、それが自民党だ。8/2

昨日は自民阿呆莫迦議員の「生産的」発言、今日はボクシング協会の「奈良判定」で大騒ぎ。安倍蚤糞夫妻の「森友・加計問題」への忖度加担、麻生の文書改竄責任はどこへおいてけぼりにされたのか。8/3

奈良判定だか奈良公園だか知らんけど、この奈良協会長、いかにも奈良の頑固な阿呆莫迦老人気質丸出しで、あることないこと反論するのは、安倍蚤糞忖度一派のけたくそ悪いむにゃむにゃ発言を聞かされ続けてきた耳には、いっそ気持ち良いずら。その調子でもっと吼えろ!8/4

塩原が訴へるとか騒いで居るといって高田と兄が来る。没常識の強慾ものなり。情義問題として呈出せる出金を拒絶す。自分は自分の権利を保持する為に産を傾くるも辞せず。威嚇に逢ふては一厘も出すのは御免なればなり。夏目漱石明治42年4月11日日記より8/5

袷を着く。夜、蛙の鳴く声す。細君にエイ子の感冒伝染。臥蓐。万物皆青くならんとしつつ日出で日没す。これを何度繰り返したら墓に入るだらうと考へる。神田を散歩。余の著作が到る所の古本屋にある。然し大抵奇麗なのばかりなり。夏目漱石明治42年4月20日日記より8/6

快晴、暁二時頃妻が自分の寝床の傍へ来て胸が苦しいといふ。起きて介抱する。細君吐く。海苔と玉子が少々出る。かう家族が多くなると少々医術を心得て置く方便利なりと思ふ。医術、法律、文芸、是は昔の武芸十八般と同じく普通教育としてかぢるべきものなり。其外に柔術を覚えて、それから度胸を落ち着ける修業をすると好い。明治42年4月21日夏目漱石日記より8/7

ほとんど安倍蚤糞に匹敵するあのヤクザな会長に、てめえらの進退まるごと下駄を預けて判断をゆだねる、という前近代的なやり方そのものが、このスポーツ団体の獅子身中の身毒虫なのである。8/8

翁長雄志さん。悪辣非道な権力者から敵視され、おおぜいのヤマトンチュウから見殺しにされながらも、その名の通り、堅忍不抜の信念を断固として貫きとおした、いまどき珍しい立派な政治家でした。心からご冥福をお祈りします。8/9

4月26日 月 曇。韓国観光団百余名来る。諸新聞の記事皆軽侮の色あり。自分等が外国人に軽侮せらるる事は棚へ上げると見えたり。夏目漱石・明治42年日記4 8/10

鎌倉は世界中からの観光客の洪水でパンク寸前。江ノ電なんかは、おちおち住民が利用できないくらい混雑している。観光客が増えて儲かるのは寺社仏閣と小町通りの東京資本の商売人と地主だけだ。せめてテレビ局が鎌倉特集をやめてくれると助かるのだが。8/11

久しぶりに芝崎の海岸で親戚の子らと遊ぶ。清冽な真夏の波の中で、青い熱帯魚のような綺麗な魚や、大きな黒鯛や河豚が我々を少しも恐れることなく泳ぎ寄ってくるのだった。8/12

五月六日 木 雨。樗陰又金に困るといって借りに来る。十円貸す。本を売って十円になったといふ。質を入れるかと聞いたらもう五十円入っているといふ。夏目漱石・明治42年日記4 8/13

五月十日 月 晴。細君小林さんの注射を受けるといふ。神経坐骨何とかいふので尻に注射するのだといふ。注射をさうるとき傍にゐてくれといふ。尻だから傍にゐる必要があるのださうだ。書斎にゐて注射の時咳払でもしたら沢山だらうと返事をした。医者もこんな事を云はれては迷惑だらう。夏目漱石・明治42年日記4 8/14

五月十四日 金 雨。眠くていけない。昼寝一度、夜九時頃一度寝る。松根の親類伊達男爵の子ピストルで同年輩のゴロツキ書生を打つ。余は癇癪持ちだからピストルと刀は可成べく買はぬ様にしてゐる。夫で泥棒杯の時はいつでも。どつちかあれば良いと思ふ。夏目漱石・明治42年日記48/15
 
外来生物法で特定外来生物に指定され、日本の「侵略的外来種ワースト100選定種」にもなっている画眉鳥。始めはその大陸的な美声に聞き惚れていたが、最近はその執拗さが鼻につく。庭のあちこちに巣を作って猛烈な勢いで繁殖しているのは、うんざりだ。8/16

七月十六日 金 晴。小説中々進まず。しかし是が本職と思ふと、いつ迄かかっても構はない気がする。暑くても何でも自分は本職に力めてゐるのだから不愉快の事なし。「それから」は五月末日に起稿今六十三四回目なり。其間事故にて書かざりし事あり。又近来隔日に独乙語をやるのと、木曜を丸潰しにするのとで捗取らぬなり。夏目漱石・明治42年日 
記4 8/17

七月十八日 日 大暑 晴。娘共真裸にて家中を駆け回る。暑い故に裸になる程自然なるはなし。先生、野蛮人に囲繞せられて小説をかく。夏目漱石・明治42年日記4 8/18

七月二十三日 金 細君具合わるし。小林さんに来て貰う。矢張り妊娠なりといふ。無暗に子供が出来るものなり。出来た子を何うする気にはならねど、願くは好加減に出来ない方に致したきものなり。もし鉅万の富を積まば子供は二十人でも三十人でも多々益々可なり。尤も細君の産をする時は甚だいやなものなり。夏目漱石・明治42年日記4 8/19

七月二十六日 月 晴。実業家米国の招待に応じて渡航 うちに神田乃武、佐藤章介、巌谷小波あり。何の為なるやを知らず。実業家は日本にゐると天下を鵜呑みにした様なへらず口を叩けども、一足でも外国に出ると全くの唖となる為ならん。夏目漱石・明治42年日記4 8/20

贔屓にしていた金足農業が惨敗したので残念無念なり。それにしても大阪桐蔭とか有力校は全国から自薦他薦の優秀選手を受け入れ、地元の高校生不在の常軌を逸した異常なチーム強化を図っている。これではもはや普通の高校生が参加するアマチュア野球とはいえないのでは?8/21

数日来の風邪で寝込んでしまい、展覧会の見物どころではない。おまけに細君も喉が痛むらしく、妙な咳をしている。いろんな薬を藪医者からもらったが、さっぱり効かない。しばらくゆっくり休んでいろ、ということだろう。8/22

トランプのアメリカより、プーチンのロシアより、習の中国より、アサドのシリアより、エルドアンのトルコより、まだこの国の方がマシだとうぬぼれていた安倍蚤糞だったが、最近はその自信も揺らぎつつあるようだ。8/23

七月二十八日(木)晴。夜銀座散歩。裏通りで女がオルガンに合わせて踊っていた。夏目漱石・明治43年日記6 8/24

昨夜アジア大会の水泳を見ていたら、突如アナウンサーが「日中角逐国家威信を賭けた最後の一戦!」などと勝手に国家主義を鼓吹して、せっかくのスポーツ見物の楽しみをぶち壊してしまった。嫌な時代になったものだ。8/25

七月三十一日 土 稍涼。早 戸川秋骨来。午後中村是公来。満洲に新聞を起すから来ないかと云ふ。不得要領にて帰る。近々御馳走をしてやると云つた。夏目漱石・明治42年日記4 8/26

あい変わらず大谷が死球だとか投手復帰だとか、どうしたこうしたと一部の日本人だけが大騒ぎしているが、問題は彼を招いたエンゼルスの極度の不振。首位アストロズとの差16.5ゲームはもはや優勝は絶望的だし、名将ソーシア監督の首も危ない。大谷って厄病神だったのかも。8/27

十月四日(火)陰。夜は朝食を思ひ、朝は昼飯を思ひ、昼は夕飯を思ふ。命は食にありと。此諺の適切なる余の上に若くなし。自然はよく人間を作れり。余は今食事の事をのみ考へて生きてゐる。夏目漱石 明治43年日記7C 8/28

十一月十日(木)秋雨蕭々。看護婦が小説を読んでゐる。奇麗な表紙だから何だと聞いたら笑つてゐる。見ると虞美人草であつた。六づかしい本だから止せと注告した。夏目漱石 明治43年日記7C 8/29

十一月十五日(火)晴。床の中で楠緒子さんの為に手向の句を作る
 棺には菊抛げ入れよ有たん程
 有る程の菊抛げ入れよ棺の中
夏目漱石 明治43年日記7C 8/30

五月二十一日(日)えい子が二三日前八つ位の学校友達を連れてきた。あとから二人遊んでいる所へ行って、あなたの御父さんは何をして入らつしゃるのと聞いたら御父さんは日露戦争に出て死んだのとただ一口答えた。余はあとを云ふ気にならなかった。何だか非常に痛ましい気がした。漱石明治44年日記9 8/31

      列島の背骨は折れて九月かな 蝶人


濱田研吾著「脇役本」を読んで

2018-09-01 12:56:21 | Weblog


照る日曇る日 第1129回



歌舞伎、新派、新劇、映画、テレビ、ラジオ、各種演劇の脇役たちが書いた本だから「脇役本」。納得のカテゴリー新語を発明した著者による増補文庫版がちくまから出ました。

著者はライターの濱田研吾選手。私は彼の口から鎌倉の古本屋でアルバイトをしていたことがあるという話を聞いたことがあるのですが、本書を読んでその詳しいいきさつが分かりました。

長谷の公文堂書店の主人に連れられて、亡き小沢栄太郎邸を訪ねるくだりは印象的で、37歳年下の夫人の艶な立ち居振る舞いが、書斎に残された「里見弴全集」「青山杉作」「徳川夢聲の世界」の書名とともに鮮やかに立ち上って来るのです。

おもむろに手に取って読み始めると、山形勲から始まって上山草人、加東大介、天本英世、丹下キヨ子、吉田義男、神山繁まで80名近い各界のバイプレーヤーのあらわした自著や趣味本やゴーストライター本、まんじゅう本(著者が亡くなった時に出る追悼本)の数々が、忘れがたい彼らの面影と一緒になって走馬灯のように蘇ります。

谷崎潤一郎の友人であり、文豪がその死を惜しんだ一代の怪優、上山草人の「素顔のハリウッド」、悪役で有名だった成田三樹夫の「鯨の目」という遺稿句集など、著者の脇役本によせる愛情と博識、旺盛な好奇心には圧倒されます。

特に深い感銘を残すのは、歌舞伎界を引退したあと四国88カ所の巡礼の途時、小豆島から大阪に向かう連絡船から入水した八代目市川團蔵の項で、著者は戸板康二の「團蔵入水」、網野菊の「一期一会」などを引用しながら、この燻し銀の脇役の末路に一掬の涙を注ぐのでした。

   夏空に入道雲が浮かんでる丸投げされた第三者委員会 蝶人