照る日曇る日 第1069回&闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1343
内田選手の散文はどの作品も個性的な文章で綴られ、ことにそのいささか怪奇趣味に傾いたところには、凡百の作家には真似の出来ない、独特の風韻が湛えられている。(特に芥川龍之介とと森田草平について触れた「亀鳴くや」「實説帀艸平記」の絶唱。)
短編「サラサーテの盤」では、主人公の亡くなった友人の奥さんが、主人公の住まいを訪れ、「夫の蔵書やレコードを返してくれ」と頼むのだが、その登場や退場のありかたが、まるで実在の女性とは思えず、要件も佇まいもさながら中世の幽霊のようで、読んでいても相当無気味である。
その不気味さをまるごと映像に置き換えたのが、鈴木選手の幻想映画「ツィゴイネルワイゼン」で、彼は内田の「サラサーテの盤」と「雲の脚」「すきま風」などの短編のエッセンスを骨にして、鎌倉の由緒ありげな寓居や現在では交通禁止になってしまった釈迦堂の急勾配の切通を用いて巧みに味付けし、どこか泉鏡花を思わせる幻想的な映画を創造することに成功した。
映画では、主人公の家は釈迦堂切通の浄妙寺寄りに、女の家は大町側にあるようだが、それは切通しの向こうが異界であり、彼岸でもあると考えた中世の人々の想念に、忠実に準じているようにも思われる。
我見れば必ず吠える犬がいて今度は我から吠えんとぞ思う 蝶人