照る日曇る日第1003回
本書に取り上げられた27名の死者とは生前直接の面識はなかったが、いずれも同時代の同じ空気を吸うておった人々であり、彼らの多くが非業の死を遂げたことを改めて知るにつけ、到底心穏やかに読み進むことはできなかった。
60年代末期にあれほど高揚した学生、労働者の反権力闘争が冷水を浴びせかけられたのは、やはり直截的には70年以降の連合赤軍リンチ処刑事件であり、続くあさま山荘における人質をとった武装戦争、そして同じ隊列に立っていたはずの者同士の際限なき殺人、内ゲバであったことが、取り返しのつかない悔しさと無念の想いと共に振り返られる。
共通の敵に立ち向かっていたはずの集団が、敵を放置して仲間の肉体的殲滅に向かうとは歴史的には古今東西繰り返し見受けられる愚行であるが、それがまさか目の前で繰り広げられるとは、当初は当事者自身も半信半疑だったのではないだろうか。
しかし政治(と宗教)の世界は恐ろしい。政治的(宗教的)思想の違いは、すぐに言葉と言葉の争いを越えて感情と感情、人格と人格の対立、そしてついには武器と武器との非妥協的対決となり、「彼奴は敵だ。敵は殺せ」という没論理・没理性的争闘の泥沼に突入していく。
そしてたった1人の犠牲者が出たら最後、報復には報復の無限の悪循環が連鎖してゆき、当事者自身ではこの恐怖のジレンマから脱却することが不可能になる。
1977年に同志であり師と仰ぐ革労協書記局長の中原一氏を卑劣な革マル派の白昼テロルによって喪って激昂した著者が、その後どのような反撃に挑んだかはもちろん書かれてはいないが、想像するだに背筋が寒くなるような煉獄の書物である。
あなたが嫌いなのではありませんあなたのそのイデオロギーが嫌いなんです 蝶人