青春ゲシュタルト崩壊
バガテル―そんな私のここだけの話 第446回
私の郷里は、丹波の綾部というところで、由良川が貫いている小さな盆地だった。
この、夏は暑くて、冬は寒く、「弁当忘れても笠(傘)忘れるな」と誰もが諺のように口にした裏日本地域の特産品は、由良川の鮎、丹波栗と黒豆、黒谷の和紙くらい。
歴史を遡ると、中世には室町幕府を開いた足利尊氏が誕生したという、嘘か真か分からぬ伝説や、乞食者出口なおのお筆先&亀岡生まれの扇動家、出口王仁三郎のタグマッチで知られる大本教、梅毒で鼻を落としたキリスト者、波多野鶴吉翁が設立した郡是製糸を挙げることはできるが、その他にはさしたる特色もない半農半商の田舎町だった。
さはさりながら、昭和になっても明治時代と同じ人口5万の僻遠の地にも公立学校はあり、わたくしは中学は綾部中学、高校は綾部高校に入学して、平平凡凡たる学校生活を送った。
若い時のわたくしめは、長きに亙って原因不明の微熱に悩まされ、勉学にも、趣味や遊びにも打ち込めることができず、極めて消化不良な毎日を送っていたが、蝶やノコギリクワガタなどの昆虫採集にだけは夢中になれたので、高校に入って初めて生物部に入った時はうれしかった。
ところが、その生物部を領導していたのは、農業科の途方もない暴れん坊たちだった。当時の綾部高校にはわたくしが属している普通科の他に蚕糸などを実践的に学ぶ農業科の2つがあり、生物部は、彼ら農業科の不良学生のたまり場だったのである。
それでも我慢して何度か集会に参加しているうちに、郊外に住んでいるA君と仲良くなり、ある日誘われて彼の家に遊びに行くと、網の張られた大きな小屋の中にかなり大きな鳶が飼われていた。
A君は、いつのまにどこから見つけてきたのか分からないが、これまたかなり大きな青大将を小屋の中に投げ入れると、飢えた鳶が喜び勇んで青大将にとびかかり、あっという間に鋭いくちばしで喰い千切る陰惨な光景を、わたくしは生まれて初めて見物する光栄に浴したのだった。
それからしばらくして、生物部では秋の文化祭の出し物を協議する会合があったが、農業科の連中はあらかじめ談合していたらしく、解剖した犬を展示したいというので、驚愕したわたくしは、そんな野蛮なことはよせと強く反対した。
生きている野犬を捕獲して、それを惨殺してから腹を真っ二つに立ち割って、その内臓を見せ物するという、悪名高き731部隊を想起させるような所業が、いかに残虐で非人間的、非いきもの的、非生物部であるかを、必死で主張しているわたくしは、突然、上の前歯に衝撃を感じて口を閉じた。
なんと生物部の部長のKが、わたくしの顔の正面めがけて、手にしたチョークを超近距離から力いっぱい投げ込んだのである。
その殺人凶器としての白墨を、わたくしの白い前歯が、けなげにも受け止めて弾き返したのは、なん百、なん千分の一の偶然だったが、宗教者ならそれこそ奇跡の賜物とでも称したことだろう。
直ちにその場から遁走したわたくしが、数週間後に文化祭の生物部のブースで直面したのは、猛烈な悪臭が漂う暗室に、無慙にも開腹されて大腸、小腸、胃腸などの臓器を露出している哀れなムク犬の姿だった。
文化祭を最後に生物部を退部したわたくしは、翌春郷里を旅立ち、母校にも、悪童たちにも二度とまみえることなく半世紀を超える歳月が流れたが、懐かしさも中くらいな、トム・ブラウンとは対極にある学校生活のほろ苦い思い出である。
もしあれが前歯以外を直撃してたらわいらあ青春ゲシュタルト崩壊 蝶人