♪音楽千夜一夜 第165夜
まあなんというか全国の学友諸君、こうやって毎日3回もごはんが食べられて戦争にも駆り出されず、さしたる病気もせず、日々是好日とばかりに生きながらえていられるのはうれしいことであり、こうして画面に向かえば誰も読んでいなくともひとつくらいは書いてみたくなるような些細なことがあるというのもまことによろこばしい限りであり、そうしてそういうちょっとおめでたい気分にふさわしいピアニストといえばこのクライバーンということになるのであろう。
いまの日中と違って米ソ相食む2極体制化にあって、メードインUSAの音楽家の輝かしい大勝利を告げたのが1958年に開催された第1回チャイコフスキー国際コンクールであった。なんでもかのリヒテルが彼に満票を投じたために1位になったという話もあるようだが、キリル・コンドラシン指揮RCA交響楽団の伴奏で聴くチャイコフスキーの第一番協奏曲は胸がすくような晴朗かつ豪快な演奏で、若き日のリヒテル、ギレリス、ルービンシュタインに似たところもあるようだ。
チャイコフスキーのみならず彼の演奏は、郷里ルイジアナの牧場に咲き誇るひまわりのようにあっけらかんとした開放感にあふれ、青空にぽっかり浮かんだ白い入道雲のように爽快で、前へ前へと進んでいく。その技巧は完璧であり、書かれた音符をひたすら音化していくのだが、その音色からはいかなる狐疑も憂愁も幻影も不安も感じられない点でホロビッツやポリーニとはまったく異なる健康的な音楽世界の住人であることがわかる。
しかしたかが音楽であり、たかがピアノではないか。しょせんこの世はサーカス小屋の猿回し。自分もお客も楽しめる明るく楽しい演奏をする能天気な芸人の一人や二人がおっても構わないのではなかろうか。
さなきだに嫌な事件が相次ぐ当節ゆえに、世界苦をひとりで抱え込んだような神経衰弱患者の演奏が流行るのも無理からぬことだが、私はそんな曇りのち雨の午後には好んでクライバーンに耳を傾け、いっときの清涼を得るのである。
居待月太鼓叩いて笛吹いて 茫洋