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倭人語解明のヒントだ!(^_-)-☆

2024-06-25 11:50:27 | 古代史
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#【狗古智卑狗】に久久比神社の写真を掲載しました。よろしければ、またご覧ください(;^ω^)

#魏志倭人伝に記載された倭国内の国名、人名(役職名)などは本当の倭国王難升米(注)が帯方郡太守劉夏とその上司司馬懿の功績を魏第一等に持ち上げるために談合して漢字を当て嵌めたと推理しています(「イトコク」を「伊都国」と書いたことから判明した。詳細は「伊都国の意味がヒントだった?」参照)。それぞれの言葉(倭人語)は、倭人の発音から難升米自身が漢字を当てはめたものですので、その漢字から倭人語の発音を推理できます。難升米は糸島市(伊都国)の三雲遺跡を王宮とし、番上地区に楽浪郡などの華僑を居住させているので、北方シナ語を話すシナ人と交流し、「史記」「孟子」などを読む教養人でシナ語に堪能であったと推察している。

今回は、すでに分かっている地名・人名から倭人語を解明するヒントについて、主として安本美典「倭人語の解釈」(勉制出版)を参考にして、述べます。今後、追加してゆく予定です。なお、言語学について理解が乏しいので素人解釈になります。間違いなどお気づきの点について、ご指摘ください。よろしければ、お付き合いください(#^.^#)

【卑弥呼】
読み:ひみこ
意味:①ヒメゴ(姫御=高貴な姫君を呼ぶ言葉)、②ヒメミコ(姫巫女=巫女の役割を持つ姫君)
   宗像女神イチキシマヒメ。先代赤坂比古(和邇氏の祖)の娘。太陽神が憑依し神の言葉を告げた。父がシャーマン王であり、太陽神のお告げを解釈し、部下や民衆に伝え、政治を行うシステム。奈良県唐古・鍵遺跡の線刻土器に見られる。琉球神道に名残が見られる。
漢字「卑」:「ヒ」(呉音・漢音)ー>シナ語上古音*pe、中古音pijieは使われていない。
漢字「弥」:ミ(呉音)ー> ビ(漢音)は使われていない
漢字「呼」:コ(漢音)であるがク(呉音)に近い発音



【邪馬台国】
読み:やまだいこく・やまたいこく(後で、「やまど」、「やまと」に変化したか)
意味:ヤマこくの女王、またはその居所。宇佐市安心院町は和名抄「野麻郷」に比定されている(宇佐市史)
漢字「邪」:ヤ(呉音・漢音) ジャと発音される場合もあるが「ヤ」と発音している
漢字「馬」:マ(慣用音)メ(呉音)バ(漢音)ではない。上古音: *mˁraʔ に近い。中古音 mæX ではないようだ。
漢字「台」: ダイ(呉音)タイ・イ(呉音・漢音) 意味から「台」をあてはめた。
漢字「国」:コク(呉音・漢音)上古音: *kʷˁək {*[k]ʷˁək} 中古音: kwok



【伊都国】
読み:いとこく
意味:倭国王の王都(糸島市)。「伊」は聖職者を意味し、殷(商)王朝初期の政治家伊尹(いいん)が都に定めた場所(「史記」「孟子」より)
漢字「伊」:イ(呉音・漢音)
漢字「都」:ト(漢音)ツ(呉音)であるので「イツコク」に近いのかも知れない。
漢字「国」:同上



【狗奴国】
読み:くなこく
意味:旧奴国のこと。二世紀初頭に宋史王年代紀第18代奴国王スサノヲが奴国宮廷楽師師升の反乱で殺された。奴国から逃亡した弟ニギハヤヒが母方のムナカタ族の支援で裏切り者の吉備の勢力を討ち、隆盛になって奴国を再興した。第19代王天照大神尊(先代旧事本紀 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)。難升米が狗コロの奴国とした。
漢字「狗」:ク(呉音)漢音が「コウ」なので呉音で発音されている。漢字「旧」の慣用音「ク」(呉音「グ」漢音「キュウ」「キウ」)を「狗」に宛てて貶めた。
漢字「奴」:ヌ(呉音)ナーガ(nag、龍蛇神)の意味であることは西暦57年後漢光武帝から賜った金印に彫られていたことや奴国の在った地名「那珂」などからわかる。したがって当時は「ナ」と発音していたと分かる。 漢音「ド」は使われていない。
漢字「国」:同上



【狗古智卑狗】
読み:くくちひこ
意味:狗奴国の官で王よりも先に紹介された狗奴国の実力者で重要人物。豊岡市久久比神社の祭神久久遅彦(久久遅命)。日本海沿岸部を根拠地とする縄文海人ムナカタ族を束ねる王の襲名。倭国の南(熊本県山鹿市)方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡などを前線基地として倭国の領土(佐賀平野・筑紫平野など)を襲撃し、難升米を苦しめた。「久久能智神」(くくのちのかみ)は木の神として現代まで行われている上棟式の祭神とされている。スサノヲの王子五十猛神(イタケル)が木霊とされるので、その子孫であると分かる。
漢字「狗」:同上
漢字「古」:ク(呉音) 漢音「コ」ではない。
漢字「智」:チ(呉音・漢音) いい意味の言葉だが「古智」として古臭い知恵の男(縄文系の男「彦(比古)ヒコ」)と蔑んでいる。
漢字「卑」:同上
漢字「狗」:同上


[久久比神社の本殿略記に、「胸形(宗像)大明神と称され木の神久久遅命を奉斎した」とある。]

【伊聲耆】
読み:いせぎ(いせうぎ)いせじ
意味:聖職者を表す「伊」+声を意味する「聲」から【卑弥呼】で説明したシャーマン王を意味する。「耆(ぎ)」は老人を意味するので、卑弥呼を外交上女王に共立したとする玄界灘を支配するムナカタ族の王先代赤坂比古(卑弥呼の父)と考えられる。正始四年(243年)倭国の正使として魏へ朝貢したが、官職や印綬を賜っていないので、途中で亡くなったと推理している。安心院町宮ノ原遺跡「奥城古墳」に葬られたと推理している。
漢字「伊」:同上
漢字「聲」:シヨウ・シャウ(呉音)セイ(漢音) 伊勢(イセ)の元の意味がシャーマン王と推理できるので、漢音「セ」に近い発音「セウ」と思われる。
漢字「耆」:ギ・シ・ジ(呉音)キ・シ(漢音) ジは「爺」の訓読みで老人(じじい)か(おやじ)という意味。

【掖邪狗】
読み:ややこ
意味:ややこは稚児の意味。赤坂比古の子でイチキシマヒメ卑弥呼の弟。正始四年に副使として朝貢し、率善中郎将の官位と印綬を賜った。難升米は正始四年の直前に若造の副使(わきやく)だったのでバカにして「ややこ」と書いて連絡した模様(詳細は「卑弥呼の父・弟が魏志倭人伝に登場していた?」参照)。日本書紀で日食で難升米に卑弥呼が暗殺された事件に因む日触使主(ひふれのおみ)を和邇氏の祖としている。近江八幡市日牟禮八幡宮に祀られており、多分元の名称が、日蝕社(ひはえのもり)だったと思われるが、藤原不比等が日群社(ひむれのもり)と変えさせた記録が残っている(詳細は「卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう(@_@)」参照)。
漢字「掖」:ヤク(呉音)エキ(漢音)正使を助ける副使の意味だが読みは「ヤ(ク)」。
漢字「邪」:同上
漢字「狗」:同上


取り合えず以上ですが、今のところ、概ね漢字の呉音が使用された模様ですが、現代に残っている呉音とは一部異なるものもあるようです。倭国女王に「卑」をあてて貶めています。味方であっても漢字を読み書きできない縄文系の人物やその地名には、いわゆる「卑字」が多用されていると推察できます。しかし、例えば縄文系の人物「伊殸耆」などのように必ずしも「卑字」ばかりではないので、意味も考慮して、漢字を選んだと考えられます。今後も追加の予定です。ご意見などお送りください(#^.^#)

【関連記事】
「呉音」はいつ日本に入って来た?
280年、西晋により呉が滅ぶと、倭人を頼って呉人(倭人O-47z)が列島に流入してきたと見られます。7-8世紀に漢音(長安付近の音韻)が伝わるより前にすでに日本に定着していた漢字の読みは呉音と言われるものですから、前10世紀ごろから列島に来た倭人(呉人)が漢字のもとになった文字(西周・春秋時代の金文)の発音を伝えたものではないでしょうか?

(注)「難」は「儺」のニンベンを省略されたもので、意味は鬼やらいです。奴国宮廷楽師師升が大王スサノヲを倭国から追放した故事を意味します。つまり放蕩者の王を追放した伊尹の事績と重なります。儺升は「鬼やらいの升」という意味ですので師升の一族ということです。「米」は「め」と読み、「頭目」や「かしら」という意味になりますので、難升米はスサノヲを殺して倭国を奪った師升一族の頭(かしら)という名前です。魏志倭人伝で卑弥呼の政治を補佐する男弟とした伊都国男王です。恐らく、王の襲名で、先代はすでに亡くなって、三雲遺跡の王墓に師升と共に甕棺で葬られていると思われます。師升は室見川銘板から西暦125年までは存命だったと見ています。魏志倭人伝に登場する難升米は師升の孫ではないかと思います(詳細は「【検証22】難升米という人物は?(その1)~(その3)」参照)


最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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