刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その17)日本建国で非業の死を遂げた神々の祟りを朝廷は怖れた?

2022-08-17 09:54:31 | 古代史
いつも応援ありがとうございます。
よろしければまたポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング

次の記事の執筆に手間取っていますが、2022-08-14 13:56:19に掲載したこの記事も読み直すと、ちょっと説明不足の感じがしましたので、(注2)その他を赤字で追加しました。よろしければご参照ください。疑問点がございましたら遠慮なくお願い致します( ^)o(^ )

7.記紀と日本人の信仰の謎
③日本建国で非業の死を遂げた神々の祟りを朝廷は怖れた?
古代律令制度では人臣に対して位階が最高位の正一位を含めて三十段階あったようですが、神様にもランクがあったのをご存知ですか?神階と呼ばれており、正一位から正六位上まで十五段階ありました。元々は同じ神様でも神社によって神階が違いますので、神社の祭神のランク付けということのようです。

神に位階を授けた最初の記録は『日本書紀』において天武天皇元年(673年)7月に壬申の乱に際して霊験を現した大和国の高市御県坐鴨事代主神(たけちのみあがにますかものことしろぬしのかみ)牟狭坐神(むさにますのかみ)村屋坐弥富都比売神(むらやにますみふつひめのかみ)に位を授与したとする記述である[1]。とあります。

事代主神は大国主の長男です。高天原のタケミカズチが大国主に国譲りを迫った時に、事代主は呪いを掛けて海に沈んだという話があります。牟狭坐神は身狭社に居る生霊神、天活玉命(あめのいくたまのみこと)とのことですが、「吾は高市社にいる事代主である。また、身狭社にいる生霊神である。」と言ったとあるので、事代主のことと考えられます(wiki「天活玉命」より)。

また、弥富都比売神は大国主命の后神三穂津姫命(みほつひめのみこと)で、出雲の美保神社(島根県松江市)で、子の事代主と共に祀られており、「本当は怖い七福神の謎」で説明した「天女の羽衣」と縁が深いとあります。つまり、台与のことなのです。一緒に祀られている大己貴命(大国主命)の別名が三穂津彦命です。三穂津彦命・三穂津姫命がウサツヒコ・ウサツヒメ、アソツヒコ・アソツヒメなどと同様のペアの神であることから大国主と台与のことだと分かります。



事代主神も、「本当は怖い七福神の謎」で見たように、話を創作して真相を誤魔化すための大国主神の分身なのです。またこの話から、天武天皇は大国主と台与の子孫だと分かりますので、ニギハヤヒ大王の子孫の中大兄(奴国王=龍蛇神国王の正統な後継者の意味)、つまり天智天皇とは兄弟じゃないことも分かります。万葉史観渡辺康則「聖徳太子は天皇だった」でも二人の両親とされる舒明天皇も斉明(皇極)天皇も実在ではないと突き止めていますので、すべて藤原不比等のでっち上げだったことが分かるのです。(2022.8.17 赤字追加)

話を「神階」にもどして、ちなみに正一位の神様と言えば、京都市伏見稲荷大社 稲荷大神を思い浮かべます。ここの神様が最高位と言うことですが、実際は数多くいます(注1)。佐賀市稲荷神社の稲荷神は最初、従五位下が授けられ、その後も進階を重ね、天慶5年(942年)に諸神に対しておこなわれた授位で正一位に叙せられた。佐賀市地域文化財データーベースサイトにありました。

しかし、お稲荷さんですから狐ですよ。でも唯の狐ではないようです。伏見稲荷大社では主祭神を下社宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)としています。古事記に登場する女神ですが、日本書紀では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と書かれ、食物神です。wiki「ウカノミタマ」によれば、平安時代の『延喜式』(大殿祭祝詞)には、トヨウケビメの別名ともされる[6]屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)が登場するが、この女神について祝詞の注記では「これ稲の霊(みたま)なり。世にウカノミタマという。」と説明しており、ウカノミタマを女神と見なしていたことがわかる[2]。とあり、伊勢神宮外宮の祭神豊受大神のことで女王台与がその正体だとすぐに分かります。ですから、伊勢神宮内宮の祭神は、台与を妃とした大国主命のことだと分かるのです(注2)(2022.8.17 赤字追加)

実は神階には皇族に与えられる位階と同じ品位という特別な神階があります。下は、六国史終了時点の品位の一覧です(神名は神階授与時の表記で、括弧内は『延喜式』神名帳での鎮座国と現神社名、最終的には全て一品)。この四柱の神様だけが普通の神階よりも格上ということで、朝廷が特別待遇している神様なのです。

一品
伊佐奈岐命 (淡路国 伊弉諾神宮)
八幡神、八幡比咩神 (豊前国 宇佐神宮)
二品
吉備都彦命 (備中国 吉備津神社)


伊佐奈岐命は、国生みの神で、スサノヲとその弟ニギハヤヒの父ですから、最も重要な皇祖神と位置付けられています。江南出身の倭人の初代奴国王天御中主が皇祖神なのですが、その子孫のイザナギ大王が縄文海人ムナカタ族のイザナギ姫を娶り、一緒に国生み・神生みしたという事実を、大和朝廷も日本人のアイデンティティと考えていたことが分かります。恐らく日本書紀が隠したので、朝廷は奴国のことを時と共に忘れてしまったのだと考えられます。しかし十世紀に東大寺の僧奝然(ちょうねん)が宋の太宗に日本の王年代紀を献上して、「日本は古の倭の奴国」だったと思い出したようです(^_-)-☆

次の宇佐神宮の二柱は、応神天皇と比売大神とされています。しかし、なんで第十五代天皇だけが篤く祀られているのか従来謎でしたが、実はその父仲哀天皇も、日本建国の真相を誤魔化すための創作で、本当の父は大国主命だったことは既に解明してこのシリーズ(その14)でも説明しました。応神天皇は日本を建国した大国主を祀る、日本最初のヤマトの祭祀王(初代天皇)だったのです。大国主命を隠すためですが、首長霊(米神)信仰によれば大国主命と霊的に一体なのです。

地上の葦原を瑞穂の国に変えて中国(なかつくに)の国造りした神ですが、上述のとおり女神アマテラスの子孫に国譲りをしました。しかし国譲り神話は不比等にとって不都合な建国の真相を誤魔化すために創られた話です。

実際は、吉備を平定して奴国を再興した天照大神尊ニギハヤヒの子孫の狗奴国大王卑弥弓呼を裏切って、倭国王になった人物で、台与を女王に立て魏を後ろ盾にして狗奴国と対立しました。というか、ほとんど列島の主要部を抑えていました。ヤマト王権である狗奴国は大国主命久々遅彦と女王台与の倭国を滅ぼしたので、その崇りを畏れたという話も(その14)で説明しました。ですから、台与はお稲荷さんとして、大国主命は八幡大神という名前に変えて篤く祀られています。(2022,8,17 赤字追加)

また、比売大神は倭国王難升米によって暗殺された女王卑弥呼です。狗奴国が直接手にかけたわけではないですが、狗奴国の大軍が難升米の倭国を追討しようと押し寄せてくるタイミングで北部九州一帯で日食が起こったので、太陽神を祀る卑弥呼が不謹慎であったためと難升米は判断したようです。ですから、ヤマトのせいで非業の死を遂げた卑弥呼の祟りを怖れたのだと考えています。(2022.8.17 赤字追加)

そして、卑弥呼は皇族に与えられる品位の最高位です。縄文海人ムナカタ族の狗奴国を裏切った族長赤坂比古の娘で姫巫女だったと推理していますが、皇族とされていますので、大国主命の父で先代狗古智卑狗(久々遅彦)の姉(もしくは妹)が赤坂比古に嫁いで生まれた娘だったと考えられます。卑弥呼を葬った径百余歩の急造の円墳を河原から遥拝するヒカケ三女神社の摂社が大国主命を祭神とする金毘羅宮と八束神社とありました。八束神社の祭神は「出雲国風土記」の「国引き」に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬ)だったと推理できます。卑弥呼の祖父は先代狗古智卑狗の父だったと推理できます(「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照)。

宇佐神宮の上記の二柱と共に祀られている神功皇后のモデルとされた女王台与には品位は与えられていないので、台与は直接皇族につながってはいないようです。大国主の国造りのパートナーだったスクナヒコナのモデルと推理した神功皇后台与の父息長宿禰王は、開化天皇五世孫ということにしていますが、神功皇后台与の祖父が迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ、生没年不詳)とあり、尾張王建稲種命を示唆する人物ですから、神功皇后の系図も創作だったと見ています(カニメは尾張王という意味で、雷王はタケミカズチを示唆している「抹殺された尾張氏の謎(その1)~ (その3)尾張と言えばカニだ~わ!参照)。台与の父息長宿禰王は縄文海人ムナカタ族の近江・北陸を支配した支族だったと推理しています。(2022.8.17 赤字追加)

さて、最終的に一品とされている最後の吉備都彦命ですが、この人物も何故特別扱いなのか、従来は謎だったと思います。朝廷は天照大御神にも神武天皇にも、あの建国の英雄ヤマトタケルにも一品を与えてはいませんから、吉備で鬼退治した桃太郎のモデルとなったこの人物こそ、ご皇室にとって最も縁の深い神(皇祖神)だったと認識していたのです。その正体を朝廷は必至で隠しましたが、その崇りが怖ろしいのでバレましたね!そうです!今上天皇もこの人物ニギハヤヒ大王の子孫だったのです(「天皇陛下はニギハヤヒ大王の男系男子?」参照)。

【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?

これだけ、シッポが出ていたのに今までなぜ分からなかったのか?現存する日本最古の正史「日本書紀」は天武天皇が編纂を命じたのですが、崩御して三十年以上経って完成している事実を無視していました。天皇の歴史書だという思い込みがあったのが一番の原因でしょう。

これに気付けば、正史に基づく従来の定説はほとんどひっくり返りますから、ミもフタもない話と嫌われるかもしれません。しかし、真実を無視すると多くの日本人は酷い目に合うと思いますよ!

当時の朝廷が実在の神様をしっかりとお祀りしていたのは、そういうことなのだと思います(^_-)-☆




(注1)wiki「正一位」によれば、正一位に叙された神社は以下のとおりです。
神産日神、高御産日神、玉積産日神、足産日神(宮中八神殿→皇居宮中三殿神殿に合祀)
賀茂御祖神(山城国 賀茂御祖神社)・・・807年
賀茂別雷神(山城国 賀茂別雷神社)・・・807年
辛国息長大姫大目命、忍骨命(香春神社、福岡県田川郡香春町大字香春733)・・・843年
第54代仁明天皇御宇(833〜850)の承和十年(843年)三月三日、辛国息長大姫大目命、忍骨命を共に正一位に叙し賜ふ『神位宣解』
伊波比主命神(下総国 香取神宮)・・・850年
大神大物主神(大和国 大神神社)・・・859年
大己貴神(大和国 大名持神社)・・・859年
松尾神(山城国 松尾大社)・・・866年
石上神(大和国 石上神宮)・・・868年
日本大国魂大神/倭大国魂神(大和神社、奈良県天理市新泉町星山306)・・・897年
今木神(山城国 平野神社)
春日神(大和国 春日大社)
枚岡天児屋根命(河内国 枚岡神社)
建御賀豆智命神(常陸国 鹿島神宮)
大比叡神(近江国 日吉大社)


は大国主命の別名か分身として祀られていると推理しています。

(注2)屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)は兵庫県豊岡市久久比神社で屋船久久能智命(やふねくくのちのみこと)とともに木の神として祀られています。建物の工事の安全を祈る「上棟式」で祀られる神様です。クーデターで殺されたスサノヲの王子イタケルが木の霊とされるので、この久久能智命が、イタケルの子孫の狗古智卑狗(久々遅彦)のことと推理しました。先代は倭国大乱で大活躍しましたが、その子の大国主命久々遅彦のことです(「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」参照)。ですから、屋船久久能智命とペアの屋船豊宇気姫命が台与のことだと分かります(^_-)-☆

なお、「古事記」に武内宿禰が琴を弾いて神功皇后に神がかりさせて住吉大神の神託を仲哀天皇に伝えたとあります。富来隆『「虚空津姫」と「狗古智卑狗」と』大分縣地方史 No.32-33 (1964. 1) によれば、狗古智卑狗の発音は、このような神事(カジリ)に使う琴が前漢時代(紀元前二世紀から一世紀)に空侯(クウコ)と呼ばれることから空侯ツ彦(クコツヒコ)かもしれないと指摘しています。そうすると狗古智卑狗「空侯ツ彦」はカジリに使う琴によって武内宿禰と一致します。記紀で、武内宿禰は五代の天皇に仕えた三百歳の人物とされるので、ニギハヤヒ直系の(狗)奴国王に仕えた、縄文海人ムナカタ族を束ねるイタケルの直系の子孫が代々、久々遅彦を襲名していたと推理しました。(2022.8.17 追加)


ここまでお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング