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【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その18)縄文時代から日本人の祖先神は蛇だった?

2022-08-19 00:52:17 | 古代史
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7.記紀と日本人の信仰の謎
④縄文時代から日本人の祖先神は蛇だった?

日本の神はどこからきたのか? 自然現象から宗教が発生するワケ
「カミ」から考える、日本人の心の歴史
2021.04.14 佐藤 弘夫

神道の源流を自然崇拝のアニミズムに見出す根拠として、しばしば天孫降臨にあたっての葦原中国(あしはらのなかつくに)の様子を描写する『日本書紀』の言葉が引用される。

そこでは、ニニギノミコトが赴(おもむ)こうとしている下界の葦原中国には、多くの「蛍火(ほたるび)のかがやく神」「蠅声(さばえ)なす邪しき神」がいて、「草木ことごとくによくものいう」と記述されている(神代下)。

だがこの表現は、人間と自然との親和的で「対称的」な(兄弟のような)関係を述べたものにすぎない(中沢、2002)。草木国土が、そのまま崇敬の対象としての神であることを強調する言葉ではない。

弥生時代や古墳時代の祭祀遺跡を調査しても、当時の人々が個々の草や木を、アニマをもつカミとして崇敬したという証拠は見出せない。


古くから日本人は通説のアニミズムでは説明できない宗教観を持っていたのだと知って驚きました。これもやはり「日本書紀」による間違った刷り込みだったようです。佐藤氏は人類がカミと感じるのは人々に畏怖の念を抱かせる自然現象(イナズマ・台風・太陽・月の天体運行など)や超人的な能力の動物(クマ・鳥・マムシなど)や、巨木・巨石などの奇観のスポットという具体的なモノであり、これらが始原的なカミの姿だったと説明されています。

縄文時代草創期後半(1万5000年前?)から見られるという土偶も、新しい命を生み出す女性の出産をカミの仕業だと見て、カミが宿る聖なるモノとして無事に出産することを土偶に祈祷していたのかも知れませんね。妊婦を描いた有名な縄文のビーナスは縄文時代中期(5500年前 - 4400年前)に製作されたものです。

そして、びっくりしたのは長野県諏訪郡富士見町藤内遺跡から出土した縄文中期の「蛇を戴く土偶」でした。



藤森栄一は『縄文の八ヶ岳』という本の中で、縄文中期一番シンボル的なものはヘビではないかと言っています。」(菅田正昭『縄文時代の信仰について・1』平成16年1月 講演録 より)

そこで、縄文土器の変遷を見ると、縄文時代早期(1万1500年前 - 7000年前)から前期(7000年前 - 5500年前)までのものは表面の装飾があまり見られない実用的な深鉢や円筒土器が多いようですが、中期(5500年前 - 4400年前)ころの土器は表面に棒状の粘土を張り付けた縄目文様が付けられ、実用性もあるのかも知れませんが、有名な火焔型のような装飾性・芸術性に富む土器が見られるようになります。

このように縄文土器は前期から中期にかけて大きな変化が起こっていますが、土器の表面の模様にヘビを象ったものが見られるようになります。蛇信仰の人々が列島にやって来て、その人々の文化が拡がったのではないかとも考えられます。しかし、「日本列島に集まった人々とは?」で説明しましたが、第一段階(狩猟採集民)(約4万年前から約4400年前、旧石器時代から縄文時代の中期)で列島に固有の縄文人(D1a2=旧D1b=D-M55)が生活していました。また縄文時代よりも少し前にすでに列島に到着して最初の新石器文化を担ったと考えられるC型縄文人(C1a1=C-M8)の存在を考えていますので、縄文中期になってこれらの人々の中で自然発生的に蛇信仰が起こったのでしょうか?もしもそうだとすると、その原因はよくわかりません。

しかし、第二段階(漁撈・園耕民)(約4400年前-3000年前)の時期より少し前に遼河文明のひとつである紅山文化(こうさんぶんか、約6700年前-4900年頃)が見られます。紅山文化の人々は、ブタやヒツジを飼い農耕を行っていました。また、野生動物を狩ったり野草を採ったりする狩猟・採集の生活も行っていました。狩猟、採集、漁撈などありとあらゆる生業に依存して生活する狩猟採集民である縄文人とも、水田稲作や畑作を「選択」して「主な生業」とする、いわゆる弥生時代の水田稲作民である農耕民とも異なる園耕民と言われる人々だったようです。つまり、農耕だけでなく、採集狩猟も生業としている紅山文化の人々が園耕民に当たるようです。

従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在したが、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した[3]。このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、後の中国文化へと発達した可能性が指摘されている[4]。(wiki「遼河文明」より)とあります。

紅山文化の墳墓からは、ヒスイなどの石を彫って動物などの形にした装飾品が多く出土している。ブタ、トラ、鳥のほか、龍を刻んだものも見つかっている。工芸の水準は高く、紅山文化の大きな特徴となっている。「猪竜/ 玉猪竜(zhūlóng)」(燭陰(Zhulong)とは別)と呼ばれる紅山文化の玉竜(竜を彫った玉)の造形は単純であり、竜が円形になっているものが多いが、後期になると盤竜・紋竜などの区別がはっきりとしてくる。考古学者の中には、後に中原で始まった竜への崇拝は、紅山文化にその源を発するという見方もある。wiki「紅山文化」より)とあり、「牛河梁遺跡など、紅山文化の祭祀遺跡にみられる円形や方形は、天円地方の宇宙観がすでに存在していたことを示唆している[7]。」とありますので、かなり進んだ精神文化を持っていたようです。



縄文後期に列島では上述の第二段階の漁労・園耕民が見られるようになりますので、紅山文化の人々(遼河人)の一部が列島にやって来て、C型縄文人や縄文人と交わって蛇信仰を拡げたのでしょうか?しかし列島中部では縄文中期に爆発的に起こっていますので、それはないと思います。

縄文時代前期中頃(約5900年前)から中期末葉(4200年前)の大規模集落跡である青森市の三内丸山遺跡は、この遼河人(ハプログループNは現代日本人男性の0.8%)が作ったという説がありますので、もしもそうであるなら、すでに縄文中期前葉(5500年前)の三内丸山遺跡に遼河人が来ていて、先住の縄文人と一緒に生活して先進の紅山文化を伝えたと考えられます。そうなると斉藤成也教授が『日本人の源流――核DNA解析でたどる』(河出書房新社)で主張する第二段階の時期を縄文後期から縄文中期に変更する必要がありますので、もっと検証が必要ですね(´ω`*)

ということで、縄文中期の蛇信仰の発祥は今のところは自然発生説か遼河人による渡来説ということです。どなたか詳しいことをご存知であればお教えください(/・ω・)/

縄文人が蛇信仰を持つようになった理由は以下の二点だと吉野裕子氏が「蛇」(講談社学術文庫1999, p.55)の中で述べておられます。
(1)まず、ヘビの形態が何よりも男根を連想させること
(2)毒蛇・蝮(まむし)などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃の下に仆(たおす)強さ


縄文土器の蛇がつねに荒々しく躍動し、生命力そのものと見えるのは、蛇によって象徴されるものが、縄文人の性に対する情念そのものだからであろう。
 この情念はさらに進んで、「縄文土偶の女性神の頭部にマムシそのものを戴かせ、又、有頭(亀頭)石棒に代表される石製蛇体神として表現される(宮坂光昭『蛇体と石棒の信仰』)に至るのである。
」とあります。

また、蛇には他の生物に見られない特徴があります。「蛇の目にはマブタがないために、その目は常時、開き放しで、まばたくということがない。・・・蛇の目に出合うと、人間はじっと蛇から睨みつけられているように思う。その結果、蛇の目は特に「光るもの」として受け取られ、古代日本人の感覚に対して、蛇の目は非常に訴えるものがあったのである。」(吉野上掲書 p.120)。とありますから、太陽と結びつくようです。太陽の光を鏡(かがみ)が受けると蛇の目と同じ効果、あるいはそれ以上の効果があります。中国伝来の青銅鏡(せいどうきょう)を「カガミ」と訓まれた理由は、蛇の目(カカメ)から転じたもので、蛇信仰からきたと説明されています(吉野上掲書 p.124)。

そして人々が目を見張るその形状・毒の強さ・生命力旺盛さの相乗効果から蛇を祖先神と考えるようになったようです。日本人の新しい命は、他界である「荒神(蛇)の森」から産まれ、子供から成人に成長して、最後は死ぬと元の「荒神の森」に戻るという考え方だと吉野裕子氏が祖神祭を説明しています(「日本人の生死観」河出文庫 2015, p.124)。祖先神を祀る行為は、漢字「祀」が示すように高坏(示)の上に蛇(巳)を置く、つまり三宝の上に鏡餅をお供えするのはとぐろを巻いた蛇のことだったのです。



卑弥呼を縄文海人ムナカタ族の姫巫女と突き止めていますが、宇佐市安心院町三女神社の三柱石が石棒そのものでした。魏から鏡百枚を賜ったのは卑弥呼が蛇巫女だったからでした。卑弥呼の鬼道の正体は蛇巫女の祖霊祭祀だったのです。

卑弥呼の墓は見つかってるよ!


取り敢えず、ここまでお付き合い、ありがとうございます。日本人の祖霊信仰(蛇信仰)には道教の陰陽五行説、山岳信仰の修験道や神仏習合などが入ってきて、とても奥深いものになっています。門外漢の刮目天は勉強しながらやってますので、時間がかかります。もし間違った思い込みなどがあれば遠慮なくご指摘いただけると助かります。

通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
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