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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

卑弥呼死して大国主立つ!など(^_-)-☆

2022-04-07 19:20:17 | 古代史
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魏志倭人伝の謎
2021/01/12 歴史探求チャンネル@YouTube


K Mさん
疑問点
・古代中国人が邪馬台国に行ってないということだが、壹與即位後帯方郡の使者が檄文をもって壹與を諭すとあるので、邪馬台国に出向いているとも取れる
・侏儒国、裸国、黒歯国は古代中国人の世界観を反映したもので「山海経」のような前例を見るに架空の国と考えるのが妥当ではないか
この3国名のみ倭人の言語的特徴がないのも疑問


刮目天一
KMさん、いいご指摘です。
最初のご指摘ですが、卑弥呼の死後に男王が立って、それに不服な勢力と内戦の後に女王とされた台与が邪馬台国にいたという記述はありません。邪馬台国の卑弥呼は人前に出ないとあり、約千人が死ぬ戦場は邪馬台国から離れている可能性が高いです。そして魏使張政は卑弥呼の男弟に面会したはずですが、内戦に巻き込まれずに勝利した人物と面会して、台与を卑弥呼の後の女王に立てるよう進言して、魏を後ろ盾にしたと分かります。張政は下級役人から帯方郡太守にまで出世した人物ですから相当やり手です(「【検証23】魏使張政って?!(*^▽^*)」参照)。
そうすると卑弥呼の死後に立った男王は卑弥呼の政治を補佐する男弟であるはずありません。なぜなら、卑弥呼が死んだからと言って、その跡に男弟が王に立つことに不服に思う倭国の人間はいないはずだからです。

そこで卑弥呼の死の直前に、狗奴国との争いを魏に報告しているので、狗奴国勢がやってきて戦闘になった可能性が高いですが、男弟が王に立ったことに不服で押し寄せてきたわけではないので、不服という表現は当たりません。

だから、男弟はどこかに隠れた可能性が高いと思います。そうなると、内戦は狗奴国勢の中で起こったことになります。狗奴国勢の大将が狗奴国王卑弥弓呼ならば、狗奴国勢の中で不服な人間はいないはずです。

ですから狗奴国勢の大将は卑弥弓呼王ではなく、狗奴国の実力者で、卑弥弓呼王は本国にいたはずです。

この狗奴国の実力者が狗奴国王を裏切って倭国王になろうとしたから、それに不服に思った勢力との内戦が起こったと推理できます。勝利者は誰なのか?

答えは玄界灘と日本海などを支配する縄文海人ムナカタ族を束ねる王で、卑弥呼の版図を手に入れて列島のほとんどを支配した人物です。記紀神話の大国主命ですが、これについての詳細は拙ブログ「狗古智卑狗という人物?」をご参照ください。



次に、侏儒国ですが、九州の邪馬台国から南へ4千余里(約2000km)離れたフィリピンに古くから住む小柄な少数民族アエタ族のことでしょう。ピナトゥボ山付近に住んでいた模様です。東南アジア一帯に住む小柄な先住民族ネグリートの一種族のことでしょう。種子島にやってきた可能性もあります。裸の人や歯を黒く染めた人たちの裸国、黒歯国はフィリピンの東南方向にあるパプア・ニューギニア辺りでしょう。「船行一年可至」は邪馬台国からでしょう。裸族や黒歯族も海を小舟で移動すると思われますのでシナ人と遭遇していてもおかしくないと思います(「東鯷人(とうていじん)って?(^^)/」参照)。



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通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
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