花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 9

2018年01月25日 00時00分00秒 | 美しき水の国

ネットでの借りものですが,本物の火山噴火の様子です。

こんにちは。わたしたち人は,いつ頃から自然に対する崇敬の念や畏怖を抱かなくなったのでしょうか?またひとつの山「草津白根山」が噴火してしまいました。このブログでも度々,山には入山しない方が良いことを書かせて頂いて来ましたが,亡くなってしまった方の御冥福を祈るとともに,負傷されてしまった方々の怪我が早く治りますように祈念しております。

酷い目に遭って戴きたくないので,ひつこい位に何度でも書かせて頂きますが,山には入山されない方が良いです。日本古来,山に対する崇敬の念から入山すると云う考えはなかったのであります。それどころか,奈良県に天川村と云う場所がありますが,天川村には山だけではなく周辺一帯には人間が住むことさえもできない場所でした。その証拠に天川村では縄文時代の遺跡物が発見されていないのです。つまり,それだけ地域一帯が神域であったと云うことなのであります。それと,ここはUFO伝説も凄いですね。

その代り,私たちの祖先が子孫の為に行ったことが山の麓に神社や祭祀場所を建立してくれたのです。

子孫代々,山や鎮守の森など禁足地に入らなくても大自然へ祈りを捧げられる祭祀場を提供してくれたわけです。

それが今でも存在する古神道系の神社であります。奈良県では天河神社も大神神社も玉置神社もそうです。

寺院でも数千年と云う歴史のある寺院は「太陽信仰」の祭祀場であったのです。

長谷寺も室生寺もそうであります。

たとえば,都会で暮らしている人が,天川村などに行くと地磁気の違いが直ぐに判ると思います。

話を今日の本題へと移したいと思います。

近代の国際化と云えば,明治時代・大正時代を想像しますが,それよりももっと遙か昔に国際化を目指した時代がありました。それは奈良時代です。その痕跡が神社や寺院に観ることが出来ます。よく奈良と比較されるのが京都ですが,奈良と京都の神社仏閣を比べるとよく解ります。それは神社仏閣の建物の大きさです。奈良の神社仏閣や仏像と京都の神社仏閣と対比すると凄く大きいのが特徴なのです。ある公務員出身で現在は経済の専門家がそのことを話していて,なるほど!と感心してしまいました。

すべてではありませんが,確かに,言われて見ればその通りであります。

その理由は,奈良時代には外国から多くの使節団を招き入れ,積極的に日本をアピールしていたようです。

しかし,平安時代に入り,京都に平安京が出来るとその様子は全く違ってきます。つまり,古くから伝わる伝統や文化に新しい考え方を上手く組み合わせて国家を建設して行ったようです。温故知新であります。人間の心理として対外的に大きく見せると云うことは今も昔もそんなに変わっていないのかも知れません。それは,現代の東京や大阪などの都心部を見ても明らかであります。

その奈良には,春日大社と云う現代ではちょっと珍しい神社が御座います。

春日大社は,現代の神社神道には珍しい祖霊祭祀を一般の参拝者でも出来るようにしている貴重な神社であります。現代では祖霊祭祀「先祖供養」は,主にお寺などでするものだと云う固定観念が支配していますが,元々,仏教に先祖供養と云う考え方はありませんでした。祖霊祭祀「先祖供養」や「追善供養」は,太古の昔から古神道が日々のお祀りとして斎行してきたものです。特に,追善供養に至っては,実に丁寧に斎行されていたようです。春日大社の前宮司でもあった葉室頼昭先生の本にも記述があります。

ここ春日大社でも神域内の御蓋山を御神体とし,絶対禁足地である原始林から湧き出る水谷川を御神水としています。

そんな訳で,今日の狙われる私たちの郷土シリーズ~美しきかな水の国~9は「水の神への感謝参詣 春日大社 編」です。

以下の記事は「2016.9.22」に掲載したものです。

こんにちは。初日,最後に参拝させて頂いた神社は春日大社でありました。ここ春日大社と云えば,このブログでも何度も書かせて頂いている葉室頼昭先生が生前に宮司をされていた神社で御座います。私も春日大社へ参拝させて頂くきっかけとなったのは葉室頼昭先生の影響であります。書物を通じてですが,葉室先生には神道や大祓詞,感謝をすることの大切さ,生命の尊さ,日本語と大和言葉などを教えて頂いて感謝しております。本を読まない私でも葉室先生の本はすんなりと読めることが出来ました。

葉室先生の本は,一般の人たち向けに書かれた良本でありますので,難しい宗教語などは使われていません。誰にでも読んで頂ける本だと思っています。是非,興味のある方は,ご覧になってみて下さい。葉室先生は神職になる前,形成外科のお医者さんでもありました。異色の経歴を持つ御方ですが,生命の尊さを後世に伝え残すことに人生の後半は尽力されておりました。葉室先生の話を検索機能で「葉室頼昭」と入力して下されば対象記事が出て来ますので,葉室先生に興味のある方は活用下さい。

春日大社は,毎日たくさんの人で賑っております。参拝の日も日本人のみならず,中国から観光に来られている方々がほとんどだと思いますがとにかく凄い人でした。ただ,残念なことに人が多いせいか何なのかゴミがとても多く捨てられておりました。参道だけではなく,社殿にも落ちているので帰りには,私のポケットはゴミポケットになってしまいました。現在の春日大社は,第60次「式年造替」の本殿遷座祭が今年の11月6日に執行される為,急ピッチで準備がされている最中であります。記念事業としても記念館のような施設も建設中でありました。春日大社が信仰の対象とするものは「御蓋山」と云う御神体です。もちろん禁足地となっていて,参拝者は御蓋山遥拝所から御神体を拝む形式になります。この御蓋山には茨城県の鹿島神宮の御祭神である神様,千葉県の香取神宮の御祭神,大阪府の牧岡神社の御祭神が御鎮座されております。

私は,今後も春日大社さんが禁足地でる御蓋山を一般の参拝者へ開放することはないと考えております。それは,葉室先生の本でも繰り返し書かれていたことでもありますし,本当に神様が御鎮座されている御神体つまり,お山に私たち人間が入山しても良いことはないからです。春日大社さんは,現在でも数少ない古神道「縄文信仰」「自然崇拝」の聖地でもあるのです。

さらに,春日大社さんでもやはり御水でした。春日大社の原始林から流れ出る御神水は水谷川に観ることができます。葉室先生の本でも書かれておりますが,この水谷川の御神水はゼロウォーターと呼ばれている成分ゼロの超真水です。春日大社では,お祭りなどで使用する装束,祭器具類をすべて水谷川の御神水で浄めると言われています。宮司さんをはじめ神官さん方もお風呂に入る時には,少量の水谷川の御神水を浴槽に入れて身を浄めてから祭事に奉仕するようです。つまり,禊ぎ祓えであります。

もし,このブログをご覧頂いている方で,古神道や現在の神道(神社神道)を知りたい,勉強したい,霊的なこと云々と言うことよりも純粋に考えたいと想っておられる方がいらっしゃれば,葉室先生の本をお読みになるか,春日大社で一般の人でも参加できる祭事に参加することを考えられては如何でしょうか。春日大社が主催するそう言った祭事や神道勉強会に参加する方が,訳の分からない団体に参加し,高級神霊からメーッセージが降りて来たからなどと参加者を募集して全国各地の御神体(お山)に入山し芸事をするよりも何倍も安心安全です。神様は言葉をしゃべりません。言葉にしているのは,あくまでも本人自身です。

なぜか?もし,神さまが言葉を話す存在であれば,私たち人間は心を持つ必要がなくなります。例えば,同じ景色を観ても,同じ文字を見ても想うことや話す言葉は皆さん違います。それは心が存在するからです。複数人で同じもの見ていても違ってくるのであります。不知ゆえに罪穢れをつけてしまう人が多いですから注意されて下さい。特に近年は,女性に多いように感じています。

ただ,春日大社から遠方にお住まいの方が多いですから時間もお金も必要になってしまうので,遠方の方は葉室先生の本が良いと思います。確か10冊程の本を出せれていたと思います。いかに自分が自然の恵みによって生かされて来たのか,祖霊の恩恵によって生かされているのかを実感して頂けると思います。今日は何だか,葉室先生の本と春日大社さんの広報担当のようになってしましましたが,本当の事なので仕方がありません。春日大社の音霊を素直の心柱に降ろすとそうのように言霊が生まれるのであります。

あっ!それと写真の紹介をするのを忘れていました。春日大社では参拝とゴミ拾いに夢中になって写真を撮影するのを忘れてしまい,表に出て気が付いた私は,奈良公園で小鹿の記念撮影をして水の神への感謝参詣1日目を終えて宿に向かいました。拝

春日大社 公式ホームページ:http://www.kasugataisha.or.jp/


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝