花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

自分の良心こそ祈りの対象です。3

2018年01月04日 00時00分00秒 | 結びの心柱

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こんにちは。

昨日の伏見稲荷大社さんの動画は如何でしたでしょうか?

古来より信仰の対象となって来た山「御神体」に入山することの意味や先人が手厚く御守りして来た意義を感じ取って頂けましたでしょうか。時の権力者と伏見稲荷大社との関係など私も忘れていたことが再確認できて改めて勉強させて頂きました。歴史から学ぶことは有意義なことであり,とても大切な気がしています。故きを温ね新しき知るに通じるものがあるように思えます。

こちらです。「歴史ヒストリア:伏見稲荷大社の不思議な世界」https://www.youtube.com/watch?v=BHacRpEXRKs

それでは,昨日,一昨日と書かせて頂いて来た「自分の良心こそ祈りの対象です。1」と「自分の良心こそ祈りの対象です。2」の続きを書かせて頂きます。私も含めて「良心」と云うと一見,良い悪い,善と悪,悪い心に良い心と思ってしまうところです。しかし,もっと深く考察して行くとそう言った二面性をだけを捉えたものではないようなのです。

よく,良心に基づいて行動することが大切。良心に照らせば理解できる。などと言われることがありますが,良心とは誰にでも共通したものでなければ良心の違いが生じ,どちらが良心なのか解からなくなってしまいます。

何だか,司法試験の論文の勉強をしているようですが,要は,起きた事象において「良い」か「悪い」かを判断するだけのものではないのではないかと思うのです。良心と云う存在は,もっと,単純(シンプル)且つ素朴にと云うか純粋で在るように感じています。一言で云えば普遍(不変)的な存在という方が,今の私には理解できるようです。つまり,幼子「童子」のような心です。

本来,精神の世界と云うのもは私たちの目には見えない存在です。その目には見えない存在を目に見える対象物に置き換えて闇雲に信じてしまい結果,深みに嵌るケースがただあります。何だか滑稽な話ですが,本当にそうなのです。たとえば,先日も記事で書かせて頂きましたけど,富士山にゴミを捨てる人も初日の出を拝んだり,神社や寺院で祈願や祈祷を受ける訳です。

本当にこれは不思議と云うか思わず笑ってしまうくらいなことだと思うのです。だって,神社も寺院も大自然を崇拝するところから派生したものであるのに,その元の本を汚し何を願っているのか?なのです。どう考えてもやはり私には不思議なことであるのです。しかも,大金を積んで真剣な表情でお願い事をしています。人間の欲と云うものは本当に深くて凄いなと偶に拝見しています。

願いとは,執着心から派生し,執着心とは所有の概念であり,所有の概念とは紛争を産み出すものであると想っています。しかしながら「大切」と云う言葉には,私は不思議と執着心を感じません。自分の所有物はないのだからと云う想いとすべては借りもの預かりものであるという言葉を想像するからであります。この肉体も含め,すべてのものは返さなくてはなりません。

もっと最悪なのは霊能者に頼りきりになり,あとで多額のお金を要求され,家族のお金まで手を出し,一家離散になるケースも現実に存在します。終局的には事件になったりすることもありますが,この手のことを書くといくら書いても切がありません。しかし,ここでもやはり良心に照らして行くしかないのです。私にとっても「良心」この言葉は一生の課題であると想っています。拝


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝