花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

自分の良心こそ祈りの対象です。1

2018年01月02日 08時07分08秒 | 素直の心柱

上の写真は,上賀茂神社ならの小川です。御神体(神山)から流れて来ます。

こんにちは。

昨日から大祓詞の後に,自作の祝詞「こころのみはしら」祝詞を神棚の神さまへ奏上させて頂いております。

まだ何となくぎこちない感じですが,毎日繰り返し奏上して行く内に安定して来ると思います。

ちょっぴり,照れくさい感じもしますが,祝詞は本来,神さまを讃え,神さまの御心を言葉に変えて素直な気持ちで感謝を以てひとり一人が奏上するものです。特別な御利益など一切求めず,祈願や祈祷に用いることなく素直に気持ちよく奏上することがとても大切です。そのに純粋で無垢なる祝詞は,天津神,国津神の神々さま,そして八百万の神々(精霊)さまに届いています。

そのことは,大祓詞にも書かれていることですが,たとえば祝詞や御経と聞くと何か宗教の勧誘的に感じ,身を構えてしまうところがあると思います。しかし,その想いや感覚はどうしてなのか?どこから来るものなのか?を掘り下げて考える人はあまり見掛けません。逆に,言われた言葉をそのまま受け入れ,すべてを信じ込み祈祷や祈願で日々過ごす人は結構,多いように思います。

私も仕事を通じて,そういった人に会うことがありますので多少は判るつもりであります。

私は,こう言った祈願や祈祷がどうしても理解出来ず,違和感があって出来ないのです。例えば,お金を払って神社やお寺で身体健康のお願い事をする。現代社会においては普通のことかも知れません,誰も疑うことも違和感すら感じないかもしれません。しかし,本当に身体の健康を気遣うのであれば日々の生活態度を改めることがなければいくら祈願や祈祷をしても意味がないのではないでしょうか。自動車祈願も交通安全も同じで,本当に神社で自動車のお祓いを受ければ交通事故に遭遇しないのか?

そんなことは無く,交通安全に一番効果をもたらすには安全運転が一番効果があります。神社やお寺にお金を払って自分の想いや願望を叶える行為は祈りではなく単なる取引です。祈りとは全く違います。この世の中には,自分のものと云うものは一切なく,すべて借りているものであるから大切に扱うことを神さまに祈り,又,使わせて頂けることにただ感謝をするだけ良い訳であります。

私たちの肉体ですら仮の姿で,誰であっても最後には返さなければなりません。

話がいつもの様に変わりますが,下の動画をご覧ください。

今,富士山では1つのことがとても深刻な問題として議論されているようです。それは,ゴミ問題です。不法投棄や一部の心ない登山者によるポイ捨てが原因であるようです。しかし,その人たちも初日の出を拝んだり,神社に行ってお願い事をする訳です。何だか不思議な感じがしませんか?自然を穢して神社で何をお願いするのか?神社でゴミを捨てる人はそんなにいませんが,富士山にゴミを捨てることが何故できるのか?山を汚せば,水が汚れて行きます。水が汚れると私たちの人体に悪い方へ影響が出来て来ます。

明日もまた続きを書きたいと思います。拝

過去記事でも少し書きましたが一部抜粋して。

※これは余計な事だとお叱りを受けるかもしれませんが,とても重要な事柄だと感じますので少し書かせて頂きます。近年,パワースポットやスピリチュアルなどの影響もあって,御神体(山)に入山(登る)される方がとても多いです。しかしながら,太古の昔から山は神そのものとして崇められ,畏れられ,立ち入ることの出来ないものでした。山を遥拝することが精一杯で入山するというのは山を管理している人と祈りを捧げることができる祭祀者だけでした。そうして出来たのが山の麓に建立された神社です。

つまり,私たちの祖先が,後世の子孫が山に入らずにでも祈りを捧げる事が出来るようにと神社群を建てたのです。

奈良県の桜井市と云う地域には,三輪山を御神体とする大神神社が御座います。

大神神社には御本殿がありません。三輪山を遥拝する拝殿しかないのです。日本最古の神社としても有名で,古神道系の神社です。

したがいまして,どうしても富士山や太古から信仰の対象とされて来た山(御神体)に入山する場合には,山そのものを敬い,感謝して入山されることがとても重要であり大切であります。それをせずに不幸になってしまう人が近年,多数いるようです。これは現実的な話です。決して,ピクニック気分で登る山ではありません。たとえ,神社が許可しても私はお進めしません。

御神体に入山すれば「運が開ける」「人生が好転する」「幸せになれる」などは全くの偽りであり違います。御神体などの山は入山するのではなく,遥拝するのが本来の本当の信仰です。繰り返しになりますが,御神体に入山できるのは現代では「神社関係者」と「清掃者」だけであります。不幸になって頂きたくないので本当の事を遠慮せずにどんどん私は書きます。神社関係者の方も御神体を開放するのであれば,襷だけ手渡すだけでは足りません。小さなゴミ袋を持参させるべきです。何も知らない,ただ興味本位で且つ,自分の願望を叶える目的の為だけに入山する人のことを真剣に考えるべきであると私は考えます。拝


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝