中国ビジネスブログ「漢和塾の窓」

中国語や中国ビジネスに関連するテーマを、漢和塾の小川がつらつらと書き綴る・・・

中国GDP、日本を逆転!ようやく活字になりました。

2010-08-16 19:16:04 | 中国
8月16日の日本経済新聞に、4~6月期の数字ではありますが、日本の名目国内総生産で中国を下回ったことが掲載されました。もちろん、日本の鈍化の記事が一面で、それに添えられるような形での露出、しかも夕刊ではありますが、ようやく活字になったというところでしょうか?

日本のマスコミ、特に日本テレビを中心にしたコメンテーターは、なんとか中国の平均値を引っ張り出しては、中国は格差がひどい!技術では日本にかなわない!まだまだ日本には及ばない!的なコメントを繰り返してきましたので、一般の方には、「中国も万博のおかげで急に発展してきたのかな~」と感じる向きもあるかも知れません。が、私が13年前に北京一人旅で感じた「日本、負けてる・・・」と言う感覚が、ようやく国対国の比較数値として世に出てきただけのことだと思います。

専門家の間でも、今だに万博が終わるとバブルがはじける・・と予言される方がいらっしゃいます。実際、万博会場が橋の袂にある上海では、万博スタッフの長期滞在や、それこそ万博の「空気」を当て込んで、不動産が値上がり、賃貸マンションや事務所スペースにまで、理由のない30%アップを突きつける家主もいるのは事実。ですので、大勢のスタッフが帰ったら、確かに家賃は下がる(=元に戻る)でしょうし、何千台も増やした万博用タクシーの影響もあり、今よりは多少金曜にタクシーが捕まりやすくなるかも知れません。でも、その程度です。

以前にも申し上げましたが、中国は広いこと、さらに上海の伸び率は中国の平均の半分強もあるかどうかで、内蒙古のように17~18%も伸びている省が全土いたるところにあります。怖いのは、アメリカの第2次金融危機(=他国引き摺り下ろし戦略)ぐらいですが、少なくとも当面、いくつかの問題を抱えながらも、中国のGDPは高止まりするでしょう。負けた、勝ったと言うよりも、計画的に仕事をしたか、選挙のたびに事業計画書も作れずに何もてきなかったかの差が数字に出ただけです。

翻って、日本はこのままでいいのでしょうか?敗北は認めますが、敗走はしてはいけません。まずは日本を引っ張ってきた一部の優良な企業が、世界ランキングに挑戦し、一つでも二つでも勝利を収める・・・ベンチャー、中堅企業は、技術や仕組みを駆使して内外で個性を発揮する。国内では、中国からの観光客を中国系の企業が独占しているような状況を解消すべく、受け入れ体制、ニーズの把握、日本的サービスを追及する・・・どれも、これも日本脱出ではありません。日本人、日本企業として、世界を舞台にビジネスを展開し、最終的には故郷に錦を飾るためです。何やらまた感情的な発言になりましたかね?でも、私も日本人として、地球人として、できることをしていきたいと思います。

甘粛省の洪水・土砂崩れ災害・・・15日は哀悼の日!

2010-08-15 19:14:49 | 中国
甘粛省、舟曲で、被災者1239人、行方不明505人(数字は15日のテレビの報道時点・・・)を出した洪水・土砂崩れが8月8日に起きました。残念ながら、テレビを見る時間がほとんんどなかったこともあり、今日の今日にその惨状の結果を知ることとなりましたが、15日深夜0時、いきなり、ほぼすべての番組が甘粛省の土砂崩れのニュースに切り替わりました。

最初は、チャンネルを回しても同じ画面なので、リモコンが壊れたのかと思いましたが、政府からの公告の画面とともに、被災地の現状、対策についての報道に切り替わりました。15日は、すべての娯楽施設は自粛、上海万博のアトラクションも影響がありそうですが、この1週間、上海を中心に中国にいた私ですが、今頃になって、事の大きさを知ることになり、ちょっと恥ずかしいです。

今、ニュースを見ながら理解したことは、8月8日に起こった災害に対して、すでに6,000人以上の軍隊をすぐに派遣、温家宝首相、そして国家主席も現地に入っていて、すでに一人当たり8,000元の手当てが支給されること、寸断されていた水道、電気などのインフラも復旧に向かっていること、いずれも、ニュース自体は、この1週間の結果報告とも言えます。山東省や北京など、北のエリアを中心に素早い募金活動はすでに始まっていて、今日の報道を機会に、中国全土に募金、支援への呼びかけが広まる・・・そう理解してみました。

一眠りすれば帰国する私としては、1週間も事の重大さも知らずに過ごし、募金もすることはなく中国を後にするわけですが、今回も四川大地震の時に感じたような、政府のトップダウンの動きの早さを痛感したことと、中国はあらためて「広い」と感じました。

もちろん、ニュースのあちこちに、チベット族や少数民族の方の出産ドキュメントがあったり、あきらかに民族の団結を促す風にも感じられなくはないですが、中国の地方で起きた事件は、上海など、同じ中国にいてもすぐにはピンとこないことは中国人の方でもあるようです。が、いざとなった時の報道の統制、それに伴う支援活動の広がりなどを見ていると、民族、貧富の差など、様々な問題を抱えながら国の舵取りをする政府の政治力を目の当たりにしたような気がします。会社も組織も国家も、どちらに転ぶかは結局はリーダーの資質ですね。

深夜のテレビの突然の変化にびっくりして突然ブログを書き始めましたが、0時40分になってようやく他のニュースに切り替わりました。事の真意は決して文字にできていないかと思いますが、出張最後の夜中に、また一つ考えさせられるシーンに身を置くこととなりました。

手さぐり、人さぐり、夢さぐり・・・熱帯の上海!

2010-08-14 19:13:38 | 中国
堀内孝雄の「夢さぐり、恋さぐり♪・・・」をイメージしてタイトルをつけました。古いですかね?

実質8日間の上海&張家港の出張が終わろうとしています。連日、体感40度の上海では、14社の駐在員の方にお会いして、貴重なアドバイスを頂戴したり、あらためて問題点が見つかったり、日本のお盆休みにも関わらず昼夜問わず充実した時間を過ごすことができました。貴重な時間をいただいた方々、ありがとうございます。

人さぐりと書きましたが、私は「人脈をつくる」と言う言葉があまり好きではありません。異業種交流会などに頻繁に出たりするのも、知人に闇雲に紹介をお願いすることも好きではありません。人脈はつくるものではなく、未知の鉱脈のように、ある日突然「あたる」ものだと思います。そのためには、当然、自分がある目的、理念をしっかり持って努力をすること、そうすれば結果的にその理念や感性に一致する人と出会うことになります。

中国のビジネスは人脈が大事と言われますし、実際、その通りですが、出会った人、そしてお付き合いが深まる人は、自分の鏡でしかないと思います。努力の鏡、感性の鏡、そして実力の鏡だと思います。難しいことを書きましたが、リクルートと言うそれなりに大きな会社の名刺を持っていた頃と、漢和塾と言う5年目を終える小さな会社では、社会での影響力は違います。されど、会社を興したことで、自分の理念や思いを実現するステージは広がったような気がしますし、企業の方だけではなく、社会や世界に伝えたいことが溢れてくる・・・そんな心境です。

ちなみに今日は、日中の大学生の皆様と交流の機会を持ちました。中国の学生さんのほとんどは、日本語を専攻していて、1年生(もうすぐ2年生)でも、日本語はかなり上達している人もいます。日本からも学生さんが多数参加していましたが、特に中国語を話すわけではありません。第2外国語の選択率が高くなっているとは聞いておりましたが、せっかくの中国人学生との交流の場、もう少し中国語を用意して欲しかったとは思いました。されど、今回の旅(出会い)で、日本人学生の皆様の視野が広がったことは事実。語学力より仕事力が原則ですので、まずは各自の専門を極めていただき、CHINABALで活躍いただきたいと思います。

また、中国人の日本語専攻の学生について、一つ残念だったのは、「なぜ日本語を専攻したのですか?」と言う質問に対して、数名ではありますが「他の言語がとれなかったから・・・」「英語は人数が多いのでとりあえず日本語で・・・」と答えていたことです。是非、日本企業の研究を深めていただき、どの業種で自分が何ができるかをイメージしてきただきたいところです。「日本語ができるだけでは、就職はできないですよ!」と先輩風を吹かせてしまいましたが、私自身も、手さぐりの中ですが、人に出会いながら、夢のカタチを膨らませ、少しでも研ぎ澄ましていきたいと思います。

日系企業の中国進出は、オリンピックの世界の壁?

2010-08-13 19:12:23 | 中国
いきなり大きなテーマから入りました。日本はお盆の真っ最中ですね。帰省ラッシュ、Uターンラッシュのニュースもネットやテレビで見ることが増えています。上海の今日の最高気温は39度の予想、コンクリートやアスファルトの街中の体感温度は42度はあると思われ、入浴状態です。テレビのニュースでは、老人子供、体の弱い方は上海万博に行かないように警告が流れていました。

中国入りして1週間が経ちました。あっと言う間に経ちました。そんな中でも、こちらの駐在員の方々にお会いするおかげで、新たな中国の問題点も把握することができましたし、出張とは言え、やはり「事件は現場で起きている!」だと思います。特に、もう10数年も駐在経験のある先輩方の話は、最近の中国だけではなく、経済の発展や競争の厳しさの変化を、流れで捉えてらっしゃるので、とても勉強になります。

日本で、日経新聞の見出しだけを追いかけていると、日系企業、特に超大手企業が中国で拡大のスピードを早め、内陸部などにも販路を広げ、それ以外の上場企業はもちろん、ITベンチャー、飲食など様々な企業が中国でこの先さらに活躍するように見えてしまいます。が、実態は・・・・

日本の業界№1企業が必ずしも中国で成功していないこともそうですが、仮に成功している企業がいたとしても、欧米、韓国なども含めた世界ランキングにすると、中国で10位以内にも入らない・・・過去に中国で成功した日系企業も、たかがこの3年くらいで劣勢に追い込まれる・・・日系企業の相手から、中国企業の市場獲得に乗り出したものの、資金回収で大きな痛手を負う・・・など。中小、ベンチャーどころか、日本では名だたる大企業でも、中国での成功確率は、オリンピックの世界の壁に相通ずるのでは?日本代表が世界ランキングの何位になるか?金メダルがとれる種目も少なくなっている・・・オリンピックの成績は世界の勢力図かも知れませんね。

そのような環境にも関わらず、日本本社では、中国の分析も精通もしていないトップが方針を決定、社名のネーミングにおいても日本的感覚を押し付け、さらには、現地化の名の下に、本来その企業の強みを伝えるべく赴任している人材まで返してしまう・・・以前のメールでも書きましたが、日本のエースが、それも10年近い経験と分析で立ち向かっても困難な闘いが、中国、そして世界で繰り広げられています。世界企業の資本力、実は強大なサムスンのような韓国企業、そして中国企業と法制の壁・・・書いているうちに気が遠くなりそうですが、こちらでお会いした何人かの優秀なビジネスマンの方なら、この難局を乗り越えていくことでしょう。

日本に戻り、私ができることは、危機感を煽ることではなく、現実と過去からの流れを共有し、仕事力のある方に準備すべきスキルを身に着けていただくこと・・・もちろん、私も頑張ります!『一起加油!』


農村だった?・・・張家港に行ってきました!

2010-08-12 19:11:10 | 中国
張家港に行って参りました。日本語読みで「チョウカコウ」は、河北省に「張家口」と言う市がありますが、今回お邪魔したのは、江蘇省の張家港、上海からバスで2時間弱、長江に面した都市です。都市と言っても、基本は農村であり、市内中心部を除くと、延々と田舎の風景が広がります。良好な、つまり深さのある港にも恵まれて、日系企業を含めた外資系企業が保税区に工場をかまえています。

1992年頃から開発が始まった保税区、さらに2004年になると、保税物流園区もでき、市内中心部の人口は90万人程度(すでにデータが古いかも知れません)、いつものようにビデオを回しても、この1年に見た四川省、湖南省、河北省などの都市の風景と何も変わらず、驚いたのは、少なくとも上海よりは、圧倒的に街が綺麗!大げさな表現ではなく、道には「ゴミ一つ」落ちていません。

それもそのはずで、交差点ごとに清掃のおじさん、おばあさんがいて、確実にゴミを撲滅しています。さらに、最近は中国のいくつかの都市で導入されているようですが、歩道のあちこちに、乗り捨てOKの無料レンタル自転車が完備されていて、かつての農村は、それはそれは「豊かな」街へと変貌をとげています。ところどころに農家が点在していますが、ふと思ったのは、野菜などの作物がそれなりに獲れているとは思いますが、いったいこの街は何で生計を立てているのだろう?いくら中国が発展していると言っても本業は何?と言う疑問がわいてきました。

その答えは現地駐在員の方が解明してくれました。「要は外資資本ですよ!」・・・日本の高度成長期との比較は適当ではないかも知れませんが、当時の日本は加工貿易と言われながらも、製造業、製品は切磋琢磨を繰り返し、世界に名だたる企業やブランド、製品を世に送り出してきました。もちろん、今や韓国のサムスンに限らず、中国の海尓集団など多くの優良企業が生まれていますが、こと張家港に限ると、広大な土地を利用し、保税区をつくり、外資資本を導入し、そこから得る利益(税金)で、行政自体が潤う。お金持ちが多いと言われる市民も、立ち退き等の資金を元手に不動産で儲けたり、公務員は行政が儲かれば、それにともなって裕福にもなる・・・どうやら富裕化のキーワードは、結局は「外資」・・・中国の発展の多くは、まだまだ各自の自立よりも行政に頼ることが大きいのだと、あらためて認識しました。

100年揺るがぬ国家のレールを引いた小平や、現政権の本当の思いは、人民各自がもっと自立、自活して、国が発展することに違いないと思いますが、各国から「バブルがはじける!」と批評される原因は、この「他力本願」な体質が影響しているのかも知れません。相変わらずの出張生活で、ほんの一部の情報から中国を分析することは安易だとは思いますが、この先も「色んな中国」をできる限り体感していきたいと思います。