昨日の午後、瀋陽から4時間半ほどかけて、大連駅に着きました。明るいうちに、お取引先を訪れるため、ホテルにチェックインして、風呂に入った後、タクシーで、開発区と言われる日系企業の工場が集積している場所まで移動しました。大連駅周辺と開発区は、タクシーで50分ほどかかり、縄張りが違うためか、運転手はメーターを倒さず、交渉になると、事前にクライアントの方から聞いていたのでよかったですが、初めてだと戸惑ったかも知れません。が、何よりもほっとしたのが、その運転手の話す中国語が、年配のおじさんにも関わらず、かなり標準に近く、言い方が悪いですが、瀋陽の家庭体験の苦労があっただけに、オアシスに思えました。おかげで、助手席に乗ったまま、50分ほどの間、中国語で会話をしていました。
瀋陽で、九・一八記念館を訪ねたこと、名古屋市長の話などになりましたが、ここ大連の方々の日本人に対する好感度は高いのかな?と思えるような発言が多く、必然的に話は弾みました。実際、お邪魔した企業でお聞きしても、大連の若者には、日本語学習熱も非常に高いようで、社内の公用語は日本語とのこと。日系企業にとっては、非常に働きやすい場所なのかも知れません。実際に、そう聞いてはいましたが、わずか1泊2日の滞在でしたが、安心感というか、安定感というか、不思議に落ち着いて過ごせた気がします。
さらに、街並みも、上海の浦東のように近代的なビルが乱立している様子でもなく、欧風の建物もあり、少し日本人的な整然なつくりの街です。夜ともなれば、海産物も想像通り新鮮で美味しく、過去にお邪魔した(と言ってもまだまだ一部ですが)中国の都市の中でも、もっとも洗練された都市ではないかと思います。
以前から、中国人とのコミュニケーションや異文化研修等の大括りに警笛を鳴らし、少なくとも省ごとに分析すべきと言っていましたが、おっとどっこい、同じ省でも別の国ですね。もちろん、歴史的な背景や政治的圧力、国の政策等で影響される部分もありますが、瀋陽と大連は別の国に思えました。ま、考えて見れば、狭い日本の中でも、東京、大阪、名古屋と全然違いますし、名古屋と言っても、尾張と三河も違うわけですから、4時間以上も移動すれば、それぞれの土地にそれぞれの特色があるのは、当たり前でしょう。
ふと、東京マラソンの川内選手が給水ができなかった・・・とのニュースを見て、寒気がしました。おぞましい人間と言うのは、どこの世界にもいるもので、大体はくだらないメンツが巻き起こす陰謀だったりします。証拠もないのに断言するのは変ですが、ここ中国で起こることと同じように、日本でも次元の低い陰謀や隠匿、ごまかしは常に起こってるとあらためて思います。最大の隠匿は福島の事故や、その後の汚染状況ですが、やっぱり世界はミスチルの歌の通り、♪何が起きても変じゃない、そんな時代に僕らは生きてる♪のかも知れません。
瀋陽で、九・一八記念館を訪ねたこと、名古屋市長の話などになりましたが、ここ大連の方々の日本人に対する好感度は高いのかな?と思えるような発言が多く、必然的に話は弾みました。実際、お邪魔した企業でお聞きしても、大連の若者には、日本語学習熱も非常に高いようで、社内の公用語は日本語とのこと。日系企業にとっては、非常に働きやすい場所なのかも知れません。実際に、そう聞いてはいましたが、わずか1泊2日の滞在でしたが、安心感というか、安定感というか、不思議に落ち着いて過ごせた気がします。
さらに、街並みも、上海の浦東のように近代的なビルが乱立している様子でもなく、欧風の建物もあり、少し日本人的な整然なつくりの街です。夜ともなれば、海産物も想像通り新鮮で美味しく、過去にお邪魔した(と言ってもまだまだ一部ですが)中国の都市の中でも、もっとも洗練された都市ではないかと思います。
以前から、中国人とのコミュニケーションや異文化研修等の大括りに警笛を鳴らし、少なくとも省ごとに分析すべきと言っていましたが、おっとどっこい、同じ省でも別の国ですね。もちろん、歴史的な背景や政治的圧力、国の政策等で影響される部分もありますが、瀋陽と大連は別の国に思えました。ま、考えて見れば、狭い日本の中でも、東京、大阪、名古屋と全然違いますし、名古屋と言っても、尾張と三河も違うわけですから、4時間以上も移動すれば、それぞれの土地にそれぞれの特色があるのは、当たり前でしょう。
ふと、東京マラソンの川内選手が給水ができなかった・・・とのニュースを見て、寒気がしました。おぞましい人間と言うのは、どこの世界にもいるもので、大体はくだらないメンツが巻き起こす陰謀だったりします。証拠もないのに断言するのは変ですが、ここ中国で起こることと同じように、日本でも次元の低い陰謀や隠匿、ごまかしは常に起こってるとあらためて思います。最大の隠匿は福島の事故や、その後の汚染状況ですが、やっぱり世界はミスチルの歌の通り、♪何が起きても変じゃない、そんな時代に僕らは生きてる♪のかも知れません。