中国ビジネスブログ「漢和塾の窓」

中国語や中国ビジネスに関連するテーマを、漢和塾の小川がつらつらと書き綴る・・・

再見・・近いうちにまたお会いしたいですね。

2012-08-09 09:44:31 | 私事
今朝の上海は雨も上がり、私も含めた日本人の大方の予想通りです。昨日の昼には、公的機関である提携先の学校で本日の休校が決まりましたが、日本ならば今朝の段階で判断して、連絡網で回して、みたいな運用をしていたでしょう。良し悪しありますが、前回の台風での被害もあり、報道、規制含めてかなり慎重な対応をとっており、計画好きの日本人からすると疑問符がつきますが、たかが一日二日予定が変わることに対してのそれぞれの考え方の差異が見て取れます。備えあれば憂いなし。今の私は、備えよりも目の前の現実に焦り憂いでいるのかも知れません。

そんな中、たまに見るネットのニュースでは、日本の消費税増税法案が10日にも採決との知らせが入ってきました。自民党との茶番劇は予想通りですが、消費税増税なき無駄の排除を掲げ、選挙で当選して政権をとりながら、寝返って、法案を通すまでは選挙などしないと言うことで、まあ、民主国家だとか、国民主権だとか教科書に書くのはもうやめたほうがいいでしょう。ネットのコメントには、クーデターの文字が躍るようになりましたが、武器をもって立ち上がると、本来武器をもっている勢力の思うつぼですし、仮に大きなうねりになっても、アメリカがズドーンと一発、以上終了でしょう。

李鵬元首相の、21世紀の半ばには日本と言う国がなくなっている・・・何を根拠に言ったのか知りませんが、彼の予測とは別に、確かにそうなりそうです。それもこれも、ゆでガエルと散々指摘している、ご気楽な国民とやらの事業自得で、一部の特権階級、宗教団体、利権団体、在日朝鮮人のための政権運営にしてしまったのは、本来、多数派である一般の日本人が、平凡な日本人に成り下がったからだと思います。私も平凡に生きていきたいですね。もちろん言われなくても凡人に過ぎないのですが、日本の現状、問題点くらいは素人なりに考えて、声を上げてきたつもりですが、大事な国も守れぬ無力な自分がいることを、対岸の上海であらためて思い知らされるばかりです。

このブログも4年以上続けてきましたが、これ以上更新するのはやめることにします。別の形で、中国ビジネスや中国語に関して有益な情報はお届けするようにしますが、私の個人の戯言で、やるべき事業の妨げになっても、信念を持って働いている社員に申し訳ないですし。日本の行く末についても、具体的に少しでも影響力のある人間にならないことには、ここで吠えていても仕方ありません。あきらめてしまえば楽なのかも知れませんが、まずは自分自身を成長させないと・・・事業一つ大きくできない人間に、国を憂う資格はないですから。いつかまた、別の形で日本の未来に貢献できる日が来れば・・・中国関連や中国語についてのコメントもありますので、ブログはこのまま放置、更新せずにおきます。自民党谷垣ではないですが、近いうちにまたお会いしたいですね!再見・・・


女子バレーボールに見た、日本の底力!

2012-08-08 00:27:36 | 私事
突然のオリンピックネタですが、ここ上海で何気にテレビをつけたら、日本と中国の女子バレーボール準々決勝が放映されていました。セットカウントは2対1で日本でしたが、第4セットは惜しくも落として、ファイナルセットに縺れ込みました。15点勝負の第5セットで2点差をつけられた時には、やはり勝てないかな~と弱気にもなりましたが、木村沙織のサーブで持ち直し、追いつき一度はマッチポイントになりましたが、逆に中国がマッチポイント。

そこから先は、意味もなく体が震えたりして、なぜだかテレビの前の自分が深呼吸をしていたり、息詰まる一戦とはまさにこのことです。何度か中国が優勢になりましたが、最後は中道選手ですか、ドロップ気味のサーブで連取して勝利の瞬間が訪れました。いや~、途中から見ておきながら何ですが、ほんと嬉しかったです。

後で調べると、オリンピックでは中国に初めて勝利したとのこと。ここ数年、男子はもちろんですが、女子バレーも強豪国と対戦する時は鼻から期待していないことも多く、今回もテレビをつけた瞬間は、セットポイントが逆なんじゃないかと思ったものです。セッターの竹下をもう長らく見ているような気がしますが、彼女の存在はやはり大きいんでしょうね。実際にこの試合は、どのセットも僅差で、ちょっとしたサーブミスや運不運が流れを左右します。剣道部だった中学時代、冬場のアップでよくバレーボールをしたものですが、一点一点、非常に緊張感が高まるスポーツだと思います。見てるだけで胃が痛くなる・・・オリンピックのコートでの緊張感はきっと尋常ではないでしょう。

同じアジアの中国選手と比べても、体格的には決して恵まれているわけではありませんが、昔ながらの粘りのレシーブはもちろん、変化するサーブや、荒木のブロード攻撃など、とにかく工夫をしないと勝てません。中国の王選手でしょうか、彼女がドーンとスパイクを打つと必ず決まるみたいな大砲もいません。それでも勝利に結びつけられたのは、月並みですが、緻密なプレーに猛練習、並外れた精神力の賜物ではないかと思います。日本が、日本企業が世界で認められてきたのも、当たり前のことを当たり前に、そして真剣に取り組んできたからかも知れません。世界のマネーゲームに巻き込まれ、規模や効率勝負になってしまっては本来勝ち目がないわけで、あらためて基本に立ち返るだけで、日本は返り咲けるはずです。

バレーボールとビジネスを無理やり結びつけてしまいましたが、久々の緊張感!ジャニーズや黄色い声の応援がなかったことも、画面に釘付けになり集中できた原因かも知れません。スポーツっていいものですね。メダルの色や数が大事ではないと言うと嘘になりますが、今日の試合だけで十分感動しました。

『いじめ』と言う日本語の軽さと、深い闇。

2012-07-27 13:17:34 | 私事
大津市の未成年による暴行傷害恐喝致死事件は、なぜか大津市長が遺族に謝罪に行ったり、筋違いな行動がなされていますが、当事者である犯人と親、犯人をかくまった罪の可能性がある担任の順で裁きを受けるべきで、校長や教育委員会なんかを毎度槍玉に上げるから、余計に揉み消したりしてしまいます。現場も見れない、見るつもりもないならば口出さなくていいから、下手な理想も語らないでいただきたいものです。そもそも、なぜ加害者が転校し、逮捕もされないのですか?団体からの圧力ですか?

そして、何より今般の事件は冒頭に罪名を書いたように、加害者が中学生であろうが、いじめなどと言う次元ではなく犯罪です。私が中学生だったのは、もう33年前になりますが、当時もいじめは存在していました。今は警察官になっている部活の先輩から毎朝部室で、耳吊りの刑と称して、両耳を持ったまま吊り上げられ、千切れそうな激痛の中、「富士山見えるか?」(ここは和歌山)と聞かれ、見えないと言うと更に吊り上げられ、見えますと言うと降ろすものの「嘘つけ!」と頭をどつかれたものです。母親が私の傷に気が付き、相手の家に怒鳴り込もうとしたようですが、そのうち、いじめは収まり有耶無耶になりました。 当時は、所属していた剣道部の顧問が、国士舘出身、鬼の○○先生と呼ばれ恐れられていたので、下手ないじめも長続きせず、やりすぎるとまずいと言う意識も加害者のほうにあったのかも知れません。

警察と学校が一番危ない・・・教科書で習う職業のイメージとは真逆な現実が起きていますが、それもそのはず。学校の教師は、教員免許をとっただけで、何の社会生活も経験せずに先生になり、子供を指導する立場になります。元リクルートの藤原和博氏が校長になったことが話題に上りましたが、実際、社会人出身の教員を増やさないと、まともな教育などできるわけがありません。世間知らずなだけならまだしも、なぜか反日思想の教師が日本人の子供を教える・・・寒気がします。

警察においても、、先の中学校の同級生ではないですが、一部キャリア組は別に、暴力団と警察官が同級生だったりもするわけで、さらに暴力団には、在日やが深く関係している・・・日本の闇の深さはそこからきています。下手に日本の自主独立など語れば、私の家族にも危害が及ぶ可能性があり、もちろん、私が小物だから相手にされませんが、それなりの立場で、いくら志を持ってる人物でも、闇の力には屈するしかないのかも知れません。それでも、日本人であることを誇りに思える日本人は少数派ではないはずです。満州族やモンゴルに、大多数の漢民族が支配された中国のような歴史にならないように、まだ一般選挙があるうちに、多くの日本人が日本のおかれた現状に危機感を持つべきです。尖閣問題で誤魔化されているうちに、別の脅威が迫っています。アメリカに管理され、中国に圧倒され、南北朝鮮に寝取られる・・・それが今の日本の置かれた現実です。

「いじめ」ではなく「殺人」です!

2012-07-15 23:13:30 | 私事
日曜日に何気なく流れていたテレビから、16歳が14歳を川で溺れさせて意識不明の重体になっているニュースが耳に入りました。気になって見入ってみると、どうやら回りの同級生に携帯でその様子を撮影させていたとのこと。16歳の少年?とやらのコメントまで流れていましたが、少年法とやらでそいつを処罰しないのであれば、その親が顔を晒して謝罪し、天罰を受けるべきです。よく後で、死ぬとは思わなかったとか、じゃれていたらエスカレートしたなどと言い訳が並びますが、足を持って川に顔をつけたら窒息死しますよね。16歳と言えば高校生。それさえわからなかったと言うのでしょうか?

さらに浜松での転落死(自殺)のニュースでは、なぜか中学校の校長が出てきて、私どもにも限界があるとコメントしてましたが、個人的には、教師が加勢したり、見て見ぬふりをしたというのでなければ、何でもかんでも学校側の問題にすることは筋が違うと思います。いじめをした生徒、それが何歳であろうが、その子供と親権のある親の責任です。いじめられた方の本人の素行や、その両親の涙交じりのコメントは世間に晒されますが、肝心の加害者のほうこそ、たとえ子供であれ、その親と一緒に実名で、反論することがあるならすればいいわけで、メディアが隠すのはおかしいと思います。

日本の事件では、加害者の人権などと言って、被害者ばかりが苦悩することは多々あります。光市母子殺人事件もそう!常識がないのか、ある団体から金もらってるとしか思えない人権派弁護団が少年の更生などと嘯いていますが、死刑廃止論者も同様ですが、被害者の立場でものを考えるのが先です。もちろん、一つの罪には、それに応じた罰があるわけで、必要以上にメディアで叩かれたり、刑を終えても誹謗中傷される必要はないと思いますが、過失でもない殺人、つまり意志があったり、自分の欲望だけで人を殺した場合、それに応じた罰は死刑で釣り合いがとれます。百歩譲って江戸時代の元服でもないですが、15歳未満は、更生の可能性や酌量の余地があってもいいとは思いますが、その場合も責任能力が足りないと言うなら親にそれ相応の罪を償わせるべきです。

ま、私の子供の頃からいじめはありました。私もいじめる集団に属していたことも、いじめを受けたことも、いじめを見て見ぬふりをしたこともあります。その中で人は育つとも言えますが、「死」と言うものの重大さを、その罪の制裁としての「死刑」と言う罰の重みをもって教育していかないと、被害者ばかりが泣きを見る事件は後を絶ちません。

ふと、命の尊さを語ろうとしましたが、戦争になれば勝てば何人殺しても罪にならなりない・・そんな大人の世界を見せつけてしまっているわけですから、命を語る資格など誰にもないのかも知れませんか・・・

ようやく妻も納得?読売新聞の断末魔。

2012-07-13 10:51:06 | 私事
連日の飲み会続きで、少し朝は出遅れました。出遅れついでに、今月で解約の決まった読売新聞を開こうとすると、妻が「また、朝から苛立たないでね!」と言うので、何かと思えば、巨人の裏金問題で、読売が朝日新聞を提訴するようで、それについての自己弁護が延々書かれていました。26億ではなく8億だとか、契約金上限は目安だったとか、相変わらず小学生にも説明のつかないことに紙面を割いていました。つまり、バレてはまずい事は、まずい事をした人よりも、バラしたほうが悪いと言う新たな定説です。

妻が続けて、「私はどうでもいいけど、さすがに新聞があんなこと書くようになったら終わりね。確かにやめたほうがいいわ。」

政治にも、私の意見にも無関心、かつ今までほぼ新聞、テレビの報道に洗脳されてきた妻の発言だけに、まるで新興宗教に毒されて出家していた身内が自宅に戻ってきてくれたかのような感慨がありました。大袈裟ですが、常々、国民とやらが一番無知で、偽政者はそれを利用するものと述べていますが、さすがに焦りからか読売新聞もボロを出し、せっかくの無知な国民を目覚めさせてしまいましたね。CIAもさすがに野球の話だから検閲しなかったのかな?ある意味で今日7月13日は読売新聞崩壊への記念日になりそうです。もちろん、国民などと一括りにしても税金を払う人と使う人は同じではありませんが。

ま、妻が「どうでもいい!」と言うとおり、プロ野球と言う興行で、選手が何億もらおうと、監督がヤクザに一億渡そうと、私らの生活には支障はありません。野球見るのやめて、新聞解約すればいいのです。が、日本の行く末を左右する政策や国策について、偏った権力側の報道をすることは、公称部数一位のメディアの影響力からすると犯罪に近いものです。朝日新聞とて、古くはリクルート事件の時にアエラを中心によくぞそこまである事ないこと書くな~と思いましたが、あれ以来、大手新聞も、大スポやフライデーあたりと同じだと考えるようにすれば楽しめるもんだと思いました。

寡黙で従順な日本人も、「茹で蛙」の温度の上昇に気づき始めましたかな?飛び出すには2012年しかないかも知れません。マヤ文明の預言通りにはならないように、今、この時に意識を持つ、意識を変えることが必要ですね。意識が変われば行動が変わる!行動が変われば結果が変わる!ふと、どなたかの名言を思い出しました。

今はすでに、神戸に向かう新幹線の中。夕方からは熊本に移動します。歴史的な大雨の被害がテレビで報道されていますが、現地の人に確認すると、同じ熊本県、熊本市でも被害状況は違い、基本的に通常通りに業務が行われるようなので、予定通りに移動します。走りながら考えなければならない毎日ですが、この新幹線の空間は、まさにもうひとつのビジネスルームと言えましょう。