さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

孔子と易

2024-05-27 | さわやか易・講座

儒教の聖典は五経と言われる。すなわち「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」である。五経は孔子及びその弟子たちによって選ばれたものと考えられるが、その1番目にくるのが「易経」である。それ程、儒教では易は欠かせないものである。

孔子(BC552~BC479)

孔子は「五十以て易を学べば、以て大過なかるべし」と言っている。つまり50歳を過ぎたなら、易を学べ、そうすれば大きな過ちは犯さないだろう。又、孔子の易に対する勉強ぶりは韋編三絶(いへんさんぜつ)という。紙が無かった時代、書物は竹で出来た竹簡をなめした革で綴った韋編だった。その韋編がばらばらになる程夢中になったということだ。
 
孔子は易で占いをしたのだろうか? 論語には「怪力乱神を語らず」ともある。孔子は神秘的な現象や、霊界については語らなかったというから、易の占いには関心がなく、専ら易の理論的な発想の偉大さに敬服していたと思われる。そして自ら易の参考書とも言える「十翼」を作った。この「十翼」によって、易が聖典の第一になったのではないだろうか。
 
孔子の生まれた魯(ろ)は文王の子である周公旦を開祖とする侯国である。周公旦は殷の暴君・紂王を滅ぼし周を開いた武王の弟で武王の死後幼かった武王の子である成王を補佐し、善政を尽くし礼制を定めて周を安定させた。約500年後に生まれた孔子は周公旦を理想の聖人として崇めた。常に周公旦を思い続け、夢にも見ていた。ある時、孔子は「この頃、周公の夢を見なくなった。衰えたるかな」と嘆いたと論語は伝えている。
 
易には各卦に6本の爻(こう)がある。その爻にはそれぞれ言葉がかけられている。それを爻辞(こうじ)と呼ぶが、その爻辞を作ったのが周公旦であると伝えられている。孔子が熱心に易を勉強した動機は周公旦への敬慕の念があったからだろう。
 

 


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