さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

「乾為天」(その4)九五、上九、用九

2024-08-13 | さわやか易・講座

「九五、飛龍、天に在り、大人を見るに利し。」

九五の位は天子の位。上卦の中央にあり、中の徳を得ている。陽爻を以て陽の位にある。「乾為天」の主爻である。

「飛龍、天に在り、大人を見るに利し。」とはどんな意味ですか?と問われて、孔子は「大徳ある聖人が位を得るときは、万民皆これを仰ぐ」とを説いている。あたかも、龍が起これば雲が従って起こる。虎が嘯けば烈しい風が起こる。同気相求めるのである。それと同じく、大徳ある聖人が作(おこ)って天子の位に即かれると、万物すなわち万民は、皆、その徳を仰ぎ見るのである。

「上九、亢龍、悔在り。」

昇り過ぎた龍が後悔している。上九の位は天子の上にあり、引退した天子又は聖人の位である。しかし、龍があまりに高く昇り過ぎたのである。雲のないところまで昇ってしまったのである。盈つることは久しくすべからざるなり。盛んなれば必ず衰え、満つれば必ず欠けるものである。あまりに隆盛であり、あまりに満足であることを、戒めるのである。

引退した天子の位ではあるが、引退するべき天子と考えても間違いではない。いつまでも、その地位を譲ろうとしないで大得意になり、有頂天になって驕り高ぶっている権力者と見てもよいだろう。

低い位置に賢人はいるが、高ぶり驕りたる亢龍を補佐する賢人はいない。賢人は皆この権力者からは離れていく。

「用九、羣龍(ぐんりょう)を見るに首(かしら)无し、吉。」

この「乾為天」と次の「坤為地」は陽卦と陰卦の代表であるので、特別に「乾為天」には陽の用い方、そして「坤為地」には陰の用い方が示されている。それが「用九」であり「用六」である。

羣龍(ぐんりょう)」は全ての陽爻と考えて良い。つまり、全ての九(陽爻)に言えることであるが、「首(かしら)无し」頭を出さない方が良いということだ。頭を出さないとは、出しゃばらない、余り目立たない方が良い。「能ある鷹は爪を隠す」という言葉もあるが、陽を前面に出さないように気を付けなさいということである。

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