さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

「坤為地」(その3)六三、六四

2024-08-27 | さわやか易・講座

「六三、章(しょう)を含みて貞にす可し。或は王事に従ひ、成す无くして終る有り。」

六三は下から3番目の陰爻。3番目と4番目の爻は危険な位置とされている。特に陰陽が正しくない位置にある時は危険である。3番目は陽爻の位置なので、六三は正しい位置ではない。

易が作られたのは周の時代であるから、3番目、4番目は王朝に仕える官僚や女官を指して言葉が付けられたと思われる。「章(しょう)を含みて貞にす可し。」の章は文章、美しい色彩である。美しい才能をも意味する。つまり、美しい才能を表に出すことなく、内に秘めて、貞を守りなさいである。「或は王事に従ひ、成す无くして終る有り。」の意味は、例えば、宮中で天子に仕える時は、常に自分を表に出さず、最後まで何事も天子さまに従っていれば良い。ということになる。

「坤為地」の道は自分が首唱者にならず、牝馬の貞に徹することであるので、いくら才能、能力があろうとも、それを隠して上のものに随いなさい。宮中に仕える者、上官に仕える家臣、夫に仕える妻の道は「牝馬の貞」であるべきだというのが六三の教えである。

「それじゃあ、自分を犠牲にするだけか。」というと、孔子先生は六三をフォローして、「章を含みて貞にす可しとは、時を以て発するなり。王事に従ふとは、知光大なるなり。」と述べている。「時を以て発するなり。」はその才能、能力は用いるべき時が来たならば、大いに用いるのである。「王事に従ふとは、知光大なるなり。」天子に従って政治を補佐するのは智慧が光大だから出来ることである。智慧の浅薄短小なる人に限って、自分の知恵を出したがるのである。優れた人は、どんな立場にあっても、光大なる知恵を備えているものである。

「六四、嚢(ふくろ)を括(くく)る。咎も无く譽(ほまれ)も无し。」

六四は下から4番目の陰爻である。位置は陰の位になる。大臣の位ではあるが、この位置も危険の多い位になる。「嚢(ふくろ)を括(くく)る」とは、「章を含みて貞にす可し」の六三よりも、もっと厳重に慎まなくてはならない。才能、能力を袋に入れ、固く縛って表に出さないようにしろというのである。「咎も无く譽(ほまれ)も无し」孔子は、そうすれば、「慎みて、害あらざるなり。」と述べている。

六三と六四は危険の多い地位であることから、「坤為地」の「牝馬の貞」を常に心がける様説いているのである。何故、三と四が危険が多い地位かというと、三は今の時代で言えば、部長クラス、銀行で言えば、支店長だろう。現場の最高責任者である。四は新任の役員の地位、何かあれば、自分が矢面に立たねばならない。不祥事件が生じた時に、マスコミに向かって頭を下げているシーンを目にするが、そういう地位である。本人には言い分があるだろうが、立場上、ひたすら頭を下げなければならない。これが、「嚢(ふくろ)を括(くく)る。」である。

次ページ:「坤為地」(その4)六五、上六、用六


コメントを投稿